この噛み痕は、無効。

ことわ子

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神々しい焼きそばパン

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 シャツがよれ、息が上がり、想像以上の体力の消耗を実感しながら、自分の手の中にある神々しさすら感じる焼きそばパンを眺める。
 そう言えば、どのパンを買って来て欲しいのか、聞き忘れたなと戦争中に思い出し、結局自分の好きなものを選んでしまった。翔も「購買のパンって言ったら焼きそばパンじゃね?」と適当な同意をしてくれたから、もうこれで良いことにする。

「じゃあ、お前のせいで怪我をした例のαの代わりに、しばらくの間、購買戦争に参加することになったってこと?」
「まぁ……そういうこと」
「マジで災難じゃん……」

 掻い摘んだ俺の説明を要領良く理解した翔は憐れみの目を俺に向けた。

 とりあえずの勝利を収めた後、事前にトキと約束していた新校舎と旧校舎を繋ぐ渡り廊下で、トキが来るのを二人で待っていた。
 ウチの高校は渡り廊下が屋内にあり、旧校舎を使用する一年生はこの渡り廊下を通らないと購買まで行けないようになっている。購買で待ち合わせても良かったのだが、何となく怪我人を移動させるのが憚られて、この場所を俺が提案した。
 屋内なこともあり、教室ほどではないがそこそこ空調も効いていて、購買戦争で上がった熱も徐々に落ち着いてきていた。

「ってかさ、そもそも、なんでバスケットボールなんて落ちてきたん?」

 最もな疑問のはずなのに、俺が全く思いつかなかったことを、翔は当然のように聞いてきた。

「え? 誰かが屋上で遊んでたんじゃねーの?」
「屋上って平常時は鍵閉まってるだろ」
「あ……」

 言われるまで全く気付かなかった。
 そう言えばそうだ。あの時は気が動転して気にする余裕が無かったが、確かにウチの高校は屋上が閉鎖されている。鍵は職員室の死角になる壁に掛けられているので、盗もうと思えば盗めるのだが、誰もそんなことをしようなんて思わない。

「え、もしかして、わざと……?」
「うーん……でも、千秋が狙われるとは思えないんだよなー。トラブルなんて起こしてないし、僻まれるようなスペックでもないし……」
「おい」
「どっちかって言うと……」

 翔は言葉を切った。
 そして目線を少し遠くに移す。
 翔の視線の先ではトキが冷たい表情でこちらを見ていた。センター分けになっている前髪で目元に暗い影が落ちていて、より一層視線に鋭さが増している。

 もしかして……

 あのバスケットボールはトキを狙ったものではないかと、そんな考えが頭に浮かぶ。
 平凡なβと違って、努力もせずにヒエラルキーの上位に君臨する能力を持つαは周りからよく思われないことが多いと聞く。
 翔が言うようにαというだけで僻みの対象になることもあるだろう。
 αというだけで、全てを拒絶していた自分が言うのもおかしな話だが、少しだけ、本当に少しだけ気の毒だと思ってしまった。

「トキ!」

 大きな声で名前を呼ぶ。
 トキの冷たい表情はいくらか和らぎ、ゆっくりと俺たちに近付いてきた。

「はい、これ、頼まれてたやつ。何がいいか分からないから、俺が好きな焼きそばパンにしといた」
「千秋先輩の好きなパン……?」
「あれ? 嫌だった? だったら買い直す──のは今日は無理そうだから、俺がコンビニで買ってきたやつと交換するか? 甘いやつしかないけど……」
「これがいいです」

 無表情でそう返答され、顔と返事のギャップに困惑する。
 昨日二人で話した時はこんなに表情が乏しい印象は受けなかったのに。

「じゃあ、えーと、それ食べて元気出せよ」

 そう言って早く切り上げようとする。今まで嫌っていた人間に対して急にフランクになることも出来ず、どう接したらいいのか分からなくなる。すぐにこの場を立ち去ろうと僅かに足を動かすと、トキが口を開いた。

「後ろの人は……先輩の友達?」
「え?」

 言われて振り返ってみれば、スマホを見ている翔の姿があった。

「あぁ、そう。俺の幼馴染の向田翔」

 俺は翔の腕を掴むと、無理矢理トキの前に引っ張り出した。俺とトキを隔てる壁になってもらおうと、さりげなく翔の背中に回る。

「は、いきなり何すんだよ──あ、」
「初めまして。千秋先輩にお世話になっている一年の茜トキです」
「あ、向田ですヨロシクオネガイシマス……」

 翔は後輩相手に敬語になり、少し後ずさった。加えて何故かカタコトで挨拶した。掛けているメガネが少し曇ったところを見ると、どうやら緊張しているらしい。
 そんな翔の挨拶を無視するようにトキは言葉を被せてきた。

「じゃあ、先輩ありがとうございました。また明日もよろしくお願いします」

 トキは変わらずの平坦な口調でお礼を言い、踵を返す音がした。
 翔の背中に隠れていた俺だったが、ひょっこりと顔を出した時にはもうトキは背中を向けていて、まるで他人かのように足早に俺たちから離れていった。

「初めてαと喋ったけど、なんていうか……………………感じ悪いな」
「オブラート」

 翔の恐れを知らない物言いに、自分にもバチが当たりそうでやんわりと嗜める。
 でも確かに翔の言う通り、昨日会話した時より声のトーンが低かった気がする。加えて無表情であの態度では、感じが悪いと思ってしまっても仕方がないと思った。
 昨日はあんな感じじゃなかったんだけど、とフォローしようとして、口に出す寸前でやめた。
 そもそも俺にとって、今のところトキは俺のトラウマの元凶で、もしかしたら怪我の一件も俺が巻き込まれただけで、俺に責任は無いのかもしれないという思いが心の片隅に芽生えてしまったからだった。
 それを踏まえると、俺がトキのことを庇ったり、フォローしたりしてやる義理なんて全くない。

「いや~マジで助かったわ」
「ドウイタシマシテ」
「壁にしたこと怒ってんの?」
「ベツニオコッテマセン」
「カタコトやめろ」

 俺が翔の肩に腕を回し、もう片方の手で脇腹を小突くと、途端に背中に鳥肌が立った。慌てて周りを確認するが、別に不審な人物や物は無かった。

「やっぱ俺が狙われたのかも……」
「いや、ないだろ。大体千秋には僻まれるような──」
「スペックが無いんだろ!? 何度も言わなくても分かってるわ!」
「だから大丈夫だって」

 翔なりの励ましなのか、それとも単に楽観的なのか、多分どちらともで、そんな緩い翔の言葉に安心した自分がいた。
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