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トナミの行方【ゼン】
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***
「ゼン!」
また大きな声で名前を呼ばれた。
「時間!」
トナミが壁にかかった時計を指差す。時刻は19時過ぎ。とっくに店仕舞いをしている時間だ。
「え、もうこんな時間!?」
久しぶりに集中したためか、完全に時間の流れの感覚が分からなくなっていた。いや、そもそもトナミが来るまでは時間の感覚を無視して作業していたため、前に戻ったという方が正しいだろう。そう考えると、トナミが来てからは随分人間らしい暮らしをするようになったな、と感慨深くなる。
「店仕舞いしないと……!」
「もうした」
言われてみれば店の方はすでに照明が落とされていて暗くなっている。
「シャッターも閉めたし、金庫にも鍵かけたし、電話も時間外アナウンスに切り替えた」
「あ、ありがとう……」
トナミは自分のことを卑下するが、仕事の覚えが早かった。一回教えたことは殆ど覚えていたし、おまけに気が利いて、要領が良かった。本当に社会人経験が無いのかと疑うほどの、想像以上の働きっぷりで、もしかしからウチには勿体無いかもしれないと思うほどだった。
「ゼンはまだ作業する? オレはご飯作りに帰ろうかと思うんだけど」
「あー、そうだな。もう少ししたらキリが良いからそれまでは作業していく」
「分かった。じゃあ……」
トナミがエプロンを脱ぎ、自分の椅子にかけた。その様子を見て、トナミのエプロンが汚れているのに気がついた。
「あ、明日は休みだからエプロン洗うわ。貸して」
「ん、分かった──あ!」
トナミが差し出してきたエプロンを手に取った瞬間、慌てた様子のトナミがエプロンを引っ張った。咄嗟のことで手が離せず、まるでエプロンを取り合っているかのような状態になる。
すると、コツン、と何かが音を立てて落ちた。見ると、見覚えのあるリングケースが俺の足元に落ちていた。
「これ……」
そういえば、最近は存在すら忘れていた。あんなに毎日眺めては今までの自分の行動を後悔していたのに、トナミが来てからは慌ただしくて、一度も見ていなかった。
意外なものがトナミのポケットから出てきて驚くと共に疑問が湧いた。
「この間、本棚の奥でたまたま見つけて……弘也から大切なものだって聞いたから……ゼンに渡そうと思ってて……」
「あー、まぁ……」
弘也の言う通り、大事なものではあった。いや、今も大事なのは変わらない。だけど、大事の意味合いは変わっている。
というより、トナミがいつの間にか弘也を呼び捨てにしている方が気になった。
……いつの間に仲良くなったんだよ……
弘也はゲイで冗談とは言えトナミを狙うような発言をしていた。そうなると、いくら幼馴染でも今後は警戒しなくてはならない。
「あの、これ……」
「もう、捨てようと思ってから丁度いい」
「え?」
「いつまでも囚われ過ぎるのも良くないなと思って」
「どういう──」
俺はリングケースを拾うと机の上に置いた。
「もういいんだよ」
俺はリングケースに巻かれているピンクのリボンを優しく撫でた。芽依のために選んだリボン。後悔が沢山詰まったこの指輪をこんなにも穏やかな気持ちで見れる日が来るとは思わなかった。
トナミは何か言いたそうに、でも言葉には出さずに俺を見ていた。何故か泣きそうな顔をしていて、唇を噛んでいた。
「じゃあ、俺は作業に戻るわ」
トナミの表情の理由が分からず、気まずくなった俺は強引に話を終わらせた。
そのままトナミは無言で家に帰って行った。
俺が仕事を終わらせて、家に帰ってもトナミは言葉少なく、微妙な空気を引きずったまま一日を終えた。
***
朝起きるとトナミが隣から消えていた。
最近はどこかに行く時は必ず俺に声をかけきた。俺がそれを強要したことは無いが、トナミがそれを破ったことは一度も無かった。
どう考えてもおかしいな……
昨日の夜からのトナミの沈黙具合からしても様子がおかしいことは明らかだ。
あ、
俺は急いで店に向かった。
思っていた通り、俺の机の上に置いてあったリングケースが無くなっていた。
「やっぱり……」
トナミの様子がおかしいと気付いた時にちゃんと声をかければよかった。気まずいからと流さずに、話をするべきだった。
あんなに、後悔したはずなのに、俺はまた同じ過ちを繰り返そうとしている。いや、もう繰り返してしまったかもしれない。
それでも。
俺は俯くのをやめて、考えた。
トナミは確実に指輪を持ってどこかに出かけた。でもどこに行ったかは全く見当がつかない。
工房の中をうろうろしながら余裕の無い頭で考える。
と、不意に奥の机が目に入った。俺は引き寄せられるように机に向かう。机の上には昨日トナミが仕分けてくれた手紙が置いてあった。その中に一通、やけに派手な手紙が混ざっていた。結婚式の招待状のようだ。
慌てて差出人を確認する。
『春日井芽依』
苗字に見覚えは無かったが、名前にはあった。
これか……!
昨日、トナミはこの招待状を見ているはずだ。
芽依の名前の上には今の芽依の住所がしっかりと書かれている。
俺は芽依の新しい苗字すら知らなかった事実なんてすぐに忘れて、足早に店を出た。
「ゼン!」
また大きな声で名前を呼ばれた。
「時間!」
トナミが壁にかかった時計を指差す。時刻は19時過ぎ。とっくに店仕舞いをしている時間だ。
「え、もうこんな時間!?」
久しぶりに集中したためか、完全に時間の流れの感覚が分からなくなっていた。いや、そもそもトナミが来るまでは時間の感覚を無視して作業していたため、前に戻ったという方が正しいだろう。そう考えると、トナミが来てからは随分人間らしい暮らしをするようになったな、と感慨深くなる。
「店仕舞いしないと……!」
「もうした」
言われてみれば店の方はすでに照明が落とされていて暗くなっている。
「シャッターも閉めたし、金庫にも鍵かけたし、電話も時間外アナウンスに切り替えた」
「あ、ありがとう……」
トナミは自分のことを卑下するが、仕事の覚えが早かった。一回教えたことは殆ど覚えていたし、おまけに気が利いて、要領が良かった。本当に社会人経験が無いのかと疑うほどの、想像以上の働きっぷりで、もしかしからウチには勿体無いかもしれないと思うほどだった。
「ゼンはまだ作業する? オレはご飯作りに帰ろうかと思うんだけど」
「あー、そうだな。もう少ししたらキリが良いからそれまでは作業していく」
「分かった。じゃあ……」
トナミがエプロンを脱ぎ、自分の椅子にかけた。その様子を見て、トナミのエプロンが汚れているのに気がついた。
「あ、明日は休みだからエプロン洗うわ。貸して」
「ん、分かった──あ!」
トナミが差し出してきたエプロンを手に取った瞬間、慌てた様子のトナミがエプロンを引っ張った。咄嗟のことで手が離せず、まるでエプロンを取り合っているかのような状態になる。
すると、コツン、と何かが音を立てて落ちた。見ると、見覚えのあるリングケースが俺の足元に落ちていた。
「これ……」
そういえば、最近は存在すら忘れていた。あんなに毎日眺めては今までの自分の行動を後悔していたのに、トナミが来てからは慌ただしくて、一度も見ていなかった。
意外なものがトナミのポケットから出てきて驚くと共に疑問が湧いた。
「この間、本棚の奥でたまたま見つけて……弘也から大切なものだって聞いたから……ゼンに渡そうと思ってて……」
「あー、まぁ……」
弘也の言う通り、大事なものではあった。いや、今も大事なのは変わらない。だけど、大事の意味合いは変わっている。
というより、トナミがいつの間にか弘也を呼び捨てにしている方が気になった。
……いつの間に仲良くなったんだよ……
弘也はゲイで冗談とは言えトナミを狙うような発言をしていた。そうなると、いくら幼馴染でも今後は警戒しなくてはならない。
「あの、これ……」
「もう、捨てようと思ってから丁度いい」
「え?」
「いつまでも囚われ過ぎるのも良くないなと思って」
「どういう──」
俺はリングケースを拾うと机の上に置いた。
「もういいんだよ」
俺はリングケースに巻かれているピンクのリボンを優しく撫でた。芽依のために選んだリボン。後悔が沢山詰まったこの指輪をこんなにも穏やかな気持ちで見れる日が来るとは思わなかった。
トナミは何か言いたそうに、でも言葉には出さずに俺を見ていた。何故か泣きそうな顔をしていて、唇を噛んでいた。
「じゃあ、俺は作業に戻るわ」
トナミの表情の理由が分からず、気まずくなった俺は強引に話を終わらせた。
そのままトナミは無言で家に帰って行った。
俺が仕事を終わらせて、家に帰ってもトナミは言葉少なく、微妙な空気を引きずったまま一日を終えた。
***
朝起きるとトナミが隣から消えていた。
最近はどこかに行く時は必ず俺に声をかけきた。俺がそれを強要したことは無いが、トナミがそれを破ったことは一度も無かった。
どう考えてもおかしいな……
昨日の夜からのトナミの沈黙具合からしても様子がおかしいことは明らかだ。
あ、
俺は急いで店に向かった。
思っていた通り、俺の机の上に置いてあったリングケースが無くなっていた。
「やっぱり……」
トナミの様子がおかしいと気付いた時にちゃんと声をかければよかった。気まずいからと流さずに、話をするべきだった。
あんなに、後悔したはずなのに、俺はまた同じ過ちを繰り返そうとしている。いや、もう繰り返してしまったかもしれない。
それでも。
俺は俯くのをやめて、考えた。
トナミは確実に指輪を持ってどこかに出かけた。でもどこに行ったかは全く見当がつかない。
工房の中をうろうろしながら余裕の無い頭で考える。
と、不意に奥の机が目に入った。俺は引き寄せられるように机に向かう。机の上には昨日トナミが仕分けてくれた手紙が置いてあった。その中に一通、やけに派手な手紙が混ざっていた。結婚式の招待状のようだ。
慌てて差出人を確認する。
『春日井芽依』
苗字に見覚えは無かったが、名前にはあった。
これか……!
昨日、トナミはこの招待状を見ているはずだ。
芽依の名前の上には今の芽依の住所がしっかりと書かれている。
俺は芽依の新しい苗字すら知らなかった事実なんてすぐに忘れて、足早に店を出た。
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