上 下
2 / 12

01、突然のお誘い

しおりを挟む
「私と?」

「…はい。今宵のパートナーとして、僭越ながら、私と踊っていただけますか?」

 ええと、目の前にいるこちらの方、クラフト・ミツルバーグ様。伯爵家の次男で総理省の補佐官。先月の独身結婚したい男ランキングでたしか5位くらいだったはずよね。確かに美形男子だわ。

 総理省の中でも世評が高い、氷・鉄・の・と付くほどの誘惑や好意に靡かない、職務を全うする姿は次期宰相候補とも聞きます。

 ・・・で、どうして私?

 しかも、ファーストダンスの意味を分かっていらっしゃるのかしら。舞踏会での最初のダンスは未婚者は参加しないはず。ファーストダンスを未婚で踊るのは婚約した場合のみ。私は未婚。だから婚約していないからここでファーストダンスを踊るのはおかしい。まぁ結婚適齢期ですが。婚約の”こ”の字もない私にファーストダンスを申し込むなんて、一体何を考えているのでしょうか。しかも、冷たく鋭利な瞳で見つめられても、プロポーズのプの字もないこの空気。さすがは氷鉄の補佐官。

 この氷の瞳に見つめられたいと、挑戦する兵つわものは飛ぶ鳥を落とす勢いでアプローチしていると聞いております。ほら、冷たい流し目で胸を撃たれたいご令嬢が先程も勇み足で熱い視線を送っているわ。

 ・・・私がどう返事をするのかを見ているようだわ。あら、あちらの方は「何あの子?」って貶している顔されてますわね。そこで婚約を狙っていた悪役令嬢がやってきて、「あなた、もちろん断るわよね?相応しくないもの」なんて視線で取り巻きとともに登場するのよね。

 って、うっかり現実逃避しそうになったけれど、どう返事をすればよいのかわからないわ。承諾すれば婚約しているとなりますが、私の秘密の職務を知られずに婚約は無理。だからと言ってこの場で断るのは流石に世間が騒ぐでしょう。

 もしかしたら、お仕事が優秀な方だからこそ、世間に疎いということもあるかもしれないわ。ファーストダンスを踊りましょうなんて思っていないのかもしれませんもの。

 私はさっきまで全力で取材しておりましたので、ネタを探し回って今宵はダンスなんて踊る予定は全くございませんのよ。ええ、わざわざ腰壁の色を合わせて目立たぬよう、いつでも壁の花(その名の通り)になれるようにドレスも選びました。今日は王太子の婚約者選びの中、錯綜する思惑や出来事を取材する目的での出席ですから。

 もちろん未婚で、結婚できる年齢なのですが、私は特殊な環境のせいで婚期に対してあまり興味がありません。別に結婚をしなくてもよい環境ですし、周りも納得しておりますから。

 “現在拒否なんてありえないよね?あぁん?“と半ば脅しのようなセリフが聞こえてきそうな睨みで、彼の背中にブリザードが吹き荒れている(見える)この状況で。え、どうすればよいのかしら。

 彼は何といいいましたか?一緒にファーストダンス?いつ、プロポーズされたかしら?婚約?こんにゃく?いつしましたの?記憶にございませんわ。

 さすが氷鉄の補佐官様。お誘いの睨みも予想以上です。この冷たく鋭い視線で見つめられたいご令嬢もいるのよね。ただ、話したこともないはずの人にどうして私が睨まれなきゃならないのかしら。婚約者同士以上でないと踊れないというファーストダンスのお誘いも意味不明ですね。

 世間に疎いためのこのタイミングでの申込みなら、こちらもいつものダンスのお断りのようにサラッと流してしまおうかしら。ファーストダンスのタイミングとは思っていなかったということで、相手も言い訳できますし。何より私だけが焦って混乱していることにモヤモヤしてきましたわ。

 断りましょう。いつものセリフで。

「お誘いありがとうございます。恥ずかしながら先日足を挫いてしまいまして、ダンスはまたの機会ー「ではおつかれでしょう?休憩室へご案内します。お話したいこともありますし」」

 え?今この人私の話を途中で遮って、って、ちょっと待って。

 気づくと腰に手を添えられて休憩室へエスコートされていきます。離さないぞと言われるような強い押しで移動する中、私はせわしなく助けを求めます。

「お兄様!!」

 みつけました。しかも結婚しなくていいよと言ってくれる味方です。

「ソフィー!いったいどうしてこうなった?婚約するなら私達に先に話をしてくれなきゃ」

 ちっがーう!!初対面!!どうしてこうなったはこっちのセリフ!!昨年父様から子爵位を継いで跡取りも生まれた兄様は“結婚しなくてもいいよ。うちに印税いれてくれれば“っていつも言ってくれてたわよね?味方でしょう?

「ミリモル子爵、先日はありがとうございました。お陰様で本人に会えました。早速お話させていただきますので」

 氷鉄の補佐官様はお兄様への挨拶を流し目で通し、止まらない速さで颯爽と休憩室へ向かっていきます。私はこのスピードだとたぶん足がもつれて転ぶかもしれません。

「あ」

 やっぱり足がついていかずに前かがみになっちゃいました。が、

「逃さないぞ」

 足がすこし浮くようにぐっと腰を寄せて耳元で囁かれました。いえ、脅されました。ただ、少し低めのハスキーボイスは耳元で囁かれたらゾクゾクしますね。

 私を引き寄せた姿にざわつく会場。あまり聞きたくないですが間違いなく注目の的となったでしょう。周りから見たら抱きしめられているように見えますわ。そして、このやり取り、確実に婚約してると思われたわね。

 さて、休憩室はまだ人はまばらでしょうね。ファーストダンスの音楽が小さく聞こえる廊下を歩くのも目立ちます。メイドは2度見していきます。お勤めご苦労様、差し当たってはこの状態を流布しないでいただけますと助かりますわ。
しおりを挟む

処理中です...