実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉

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魔術と天使様

第37話 月夜の脱出劇

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 王の居室は城の上層で、目前には険しいアペニン山脈が夜闇に包まれてそびえ立っている。ベランダを開けると、山の上空に浮かぶ猫の爪のような三日月が、女王の寝室を淡く照らし出した。

「へ、陛下!」
「フルヴィア、大丈夫?」

 ベランダに這い上ってきたフルヴィアが落ちそうになったので、ネーヴェは慌てて彼女の腕を握って引き上げた。
 どうやら下の階の別の部屋から、ロープを伝って登ってきたらしい。

「このロープは、どうやって張ったのかしら」
「それは…その…新入りのヴィスの奴が、実は陛下の部屋に不法侵入しようと、ロープを準備していたらしく」
「え?」
「大丈夫です、陛下。私の方で殴って…懲らしめておきました。緊急事態なので、今はご放念いただきたく」
 
 フルヴィアの説明は要領を得ないが、確かに、問いただしている時間はなさそうだった。

「陛下、私が身代わりを務めますので、ここから脱出を。ひとまずサボル侯爵様の別荘に身を潜めて頂くのが良いかと」

 ネーヴェとフルヴィアは声が似ているため、壁を挟んでやり取りする分には問題ないだろうと思われた。
 彼女を一人、城に残していく事を考え、ためらうネーヴェに、フルヴィアは明るく言う。

「大丈夫です、陛下。私にはモップがいますから!」

 彼女の足元には、餌をくれると勘違いした雄鶏がうろついている。

「……書斎の本棚の裏に、いざという時の隠し通路があります。突入してこられたら、それを使って脱出なさい」

 本来は王族のみ口伝で共有される隠し通路を、フルヴィアに教えた。
 自分のために命を賭けてくれる部下を見殺しにすることはできない。

「そのような重要な秘密を私に……承知しました。陛下こそ、くれぐれも無理なさらぬよう。無事に王城に戻られるのをお待ちしております」

 ネーヴェの信頼を感じてか、フルヴィアは感動したように瞳を潤ませ、敬礼する。
 さて、王城からの脱出だが、ベランダからロープを伝い外壁を下るという、大変危険な手順を踏む必要がある。
 ネーヴェはドレスを脱ぐと、さっさと掃除用ズボンに着替え、長い銀髪をお団子にしてまとめた。

「陛下、ベランダから降りるのはやっぱり無茶です。ここで私と立てこもりますか」
「この程度、薬草を取りに崖に登った時に比べれば、大したことはありません」

 心配そうなフルヴィアに見送られ、ネーヴェはするするとロープを伝って階下に移動する。
 そこは物置部屋になっている場所で、開いた窓からネーヴェは室内に飛び降りた。
 不意を突かれたのか、室内にいた若い男がぎょっとして振り返る。

「うわっ! 女王陛下?!」
「あなたはヴィス? あら……」
 
 不恰好な瓶底眼鏡を掛けた騎士の顔は、誰かに殴られたようで腫れ上がっている。誰の仕業か、さっき聞いたばかりだ。

「顔は不慮の事故なので、気になさらないで下さい。ここからは僕がサボル侯爵様の別荘まで護衛します」
「よろしくお願いしますわ」
 
 ヴィスは、そっぽを向くと、瓶底眼鏡の位置を片手で修正する。
 顔が腫れているせいか、眼鏡の位置が想定外にずれたらしい。
 眼鏡の隙間から、素顔が見えた。
 彼の横顔を見たネーヴェは、眼鏡の下の瞳が、翡翠のような深緑であることに気付いた。その妙に鮮やかな色は、見たことがあるような……。

「脱出経路は確保してあります」
 
 ずいぶんと段取りの良いことだ。
 本当に何者で、なぜ女王の部屋に侵入しようとしていたのだろう。信頼しても大丈夫なのだろうか。
 疑念はあるものの、今は彼を信じるしかない。
 ネーヴェは、静まり返った夜の城内を、ヴィスと共に歩き始めた。
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