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ピクシス奪還編

10 禁断の果実(ヒズミ視点)

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 弟が心配か、と聞かれてヒズミ・コノエは顔を上げた。

「他ならぬ貴方がそれを聞くのか、光竜王よ」

 視線の先で酒の入った杯を掲げたウェスペが薄くほほ笑む。
 ヒズミは苦々しい思いでそれを見つめた。
 
 二人が面会しているのはコローナの飛行船の一室である。
 虜囚用に作られた部屋らしく、床には特殊な魔術文字が敷かれており、魔術の使用は禁じられていた。光竜王の傍には屈強な竜騎士の男が控えている。ヒズミの手足に付けられた鎖には金属の重りが付けられていた。動きを制限された上に魔術を封じられては大人しくする他ない。

「なに、私は兄弟というものを知らなくてな。どういうものか教えてほしい。やはり離れていては、互いのことを心配するものか?」

 遠まわしの嫌味か、嫌がらせか。
 不快感を隠せずにヒズミは流麗な眉をしかめる。
 しかし、まともに答えようとしたとしても答えようがない。
 アサヒは、ヒズミが実の兄だと知らない。二人はあまりに長い間、離れて暮らしてきた。他人と言ってもいいくらいに接点がなかった。
 それゆえにヒズミはアサヒが何を考えているか、自分を心配しているかどうかさえ分からない。

「……」
「ああ、しかし君は弟と長い間離れ離れだったね。じゃあ別離には慣れっこかな」

 やはり知っていての嫌がらせだったらしい。
 ヒズミは沈黙を守りながら内心うんざりしていた。遠まわしの問いかけの意図がつかめない。そろそろ益体のない問答は終わりにしてほしいところだ。

「ふふ、会話には飽き飽きといったところか。そろそろ本題に入るとしよう」

 こちらの気持ちを察したのか、ウェスペは話題を変えた。

「君、竜王の力とは転生した竜王にのみ許された特別な力だと思っているかな? 弟は特別だと、選ばれし者だと、そう考えているかな」
「……」
「とんでもない。私達、竜王は人の分を越えて限界に挑戦したもの。この力は奇跡でもなんでもなく、望めば万民に手に入るものだ。もっとも、愚かな一般の民は境界線を踏み越えようとはしないがね」

 ウェスペの手元で金の蛇がするすると動く。
 彼は机の上に置かれた果物かごから、真っ赤な林檎を取り上げた。

「君は愚かな一般の民と同じく卑怯者だ。竜王の力の何たるかを理解せず、竜王を孤独のまま永遠の時をさまよわせている。弟を一人で戦わせて、自分は安全なところから高見の見物をしている。ああ、気に病まなくても良い。皆同じだ。誰が進んでイバラの道に入ろうか。ゆえに、我ら竜王は永遠に竜王のまま、荷を下ろすことができない」
「……竜王が、孤独だと?」
「仮にも炎竜王の血族なら知っていよう。我らは過去の記憶を引き継いで生まれ変わり続ける。時間は我らをすり抜けて流れ続ける。いかに親しくしようとも人間は死んでいく。親しき友にも家族にも二度と会えはしない。これを孤独と言わずして、何を孤独といえようか」

 冷たい笑みを浮かべたウェスペの、底の見えない紫闇の瞳を見て、ヒズミの背筋に悪寒が走った。

「ゆえに私は終わらせたい。悲願を果たし、次の代に荷物を引き継いでいい加減に眠りたいのだよ。ヒズミ・コノエ、君は竜王についてどこまで知っているかな? 原初の海については知っているか? 我らが島を空に浮かべた理由を、我ら竜王の望みを知っているか」
「……地上は水に覆われ、人の住める場所ではないと、伝え聞いている」
「その通り。だがいずれは、我らは地上へ帰らなければならない。狭い島では人の繁栄に限界があるからだ」

 ウェスペは手の中の林檎をかじる。
 林檎の甘い香りが船室に広がった。

「知りたくないか、ヒズミ・コノエ。竜王について、君の弟について。彼が抱えている荷物の一部を背負うつもりはないか」

 かじりかけの林檎を机の上に置くと、ウェスペは立ち上がった。

「私は君に期待しているよ。いずれ色よい返事を聞かせてくれ」

 監視のための竜騎士を残すとウェスペは部屋を去る。
 彼が出ていくとヒズミは大きくため息をついた。
 ヒズミより年下に見える光竜王ウェスペだが、間近に接すると独特の雰囲気と威圧感がある。同室で話すと息がつまりそうな気分だった。

「アサヒ……」

 自身の深紅の髪をかき乱すとヒズミは額に手を当てた。
 ウェスペの言う通りだ。
 自分は弟のことを何も知らない。知ろうとしてこなかった。この非常事態にあたり、どのように行動すべきか指針を持っていない。弟の、炎竜王の考え方や理念を知らないからだ。
 竜王との関係に私情を持ち込むまいと、弟を避けて行動してきた、そのツケが回ってきている。

「私はどうすればいい……教えてくれ、アサヒ」

 小さくうめいた言葉は空気に溶けて誰にも聞かれずに消えていく。
 うつむいたヒズミの手元で林檎が転がって床に落ちた。



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