フェンリルさんちの末っ子は人間でした ~神獣に転生した少年の雪原を駆ける狼スローライフ~

空色蜻蛉

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青竜の騎士《アールフェス修行編》

110 筋肉は大事だと思いますが……。

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 運動しすぎると、吐いて死にそうになるなんて、初めて知った。
 アールフェス・バルトは自他共に認める運動オンチである。
 黒髪にキリリとした容姿の、すらりとした体格をした青年で、一見強そうに見える。しかし、見かけ倒しとはアールフェスのような人間を言うのだ。
 走ったり跳んだり、人並みにこなせた覚えがない。
 家の都合で剣を習っていたが一向に上達せず、大国エスペランサに留学してからは、もっぱら拳銃を護身用としていた。
 
「し、死ぬ……僕は今日死ぬんだ」
「大げさだな、アールフェスは。まだ腕立て伏せ三百回もいってないじゃないか。このくらいの修行で人間は死なないぞ」
 
 金髪碧眼で優しげな下がり眉の男がアールフェスをのぞきこんで、笑顔でキツイ言葉を吐く。
 アールフェスは虚ろな目で彼を見上げる。
 先ほどからアールフェスに無茶な修行をかしてくるこの男は、かの有名な英雄「青竜の騎士」らしい。
 
 六英雄のひとり、放浪の自由騎士。
 各国にふらりと立ち寄りながら、気が乗れば友軍として参戦するという。そして味方した側に必ず勝利をもたらす。
 彼の名前はパリス。
 現在のアールフェスの師匠である。
 
「良いかアールフェス、筋肉は決して持ち主を裏切らない!」
 
 青竜の騎士パリスは筋肉を盲信していた。
 腕に力こぶを作り、アールフェスに見せつけてくる。
 
「最後に残るのは剣でも盾でもない、この肉体だけだ……!」
 
 さらに上着をバサッと脱ぎ捨て、ピクピクと胸筋をアピール。
 
「でも剣士に負けたこと、あるんですよね……?」
 
 息たえだえのアールフェスは、呼吸を整えながら言葉を絞り出す。
 会話している間は休憩できる。
 腕立て伏せが再開しないよう、引き延ばし作戦だ。
 
「ルクスとの決闘のことか? あれは例外だ」
 
 パリスは、アールフェスの思惑に乗ってきた。
 
「忘れることはない三十年ほど前……私は奴との決闘に応じていた。決闘中、奴の部下が突然手を上げて言ったのだ。隊長、今日の夕飯はどうしますか?、と!」
 
 部下の横やりで決闘が中断されたということだろうか。
 
「どうなったんですか?」
「奴は私と剣を合わせながら、部下に叫びかえした。夕飯は俺が作る!、と」
「……」
「私は思わず聞き返した。え、君が作るの? こうして私は負けたのである」
 
 パリスの話は終わった。
 今の話は冗談だろうか。
 本当だとしたら、六英雄同士で何をやっていたのだろう。
 
「その後、奴の手料理を馳走になってな。旨かったぞ」
「赤眼の飢狼と仲良かったのですか?」
「いいや。奴との関係は、戦友と書いてライバルと読む!」
 
 でも友の字が入ってるじゃないか、とアールフェスは思った。
 そして突然、エスペランサで別れた友達の事を思い出した。
 北国ローリエの王子ラティオと、その側仕えの少年セイル。
 
 見た目は近付きがたい美青年の癖に、中身はポンコツのアールフェスは、ずっと家族にも友人にも恵まれなかった。
 そんな中、悪事に手を染めたアールフェスを、牢屋まで見舞いに来てくれた彼らは、間違いなく初めて出来た正真正銘の「友達」だった。
 
「腕立て伏せが止まってるぞ、アールフェス」
「!!」
 
 アールフェスは急いで身体を動かそうとしたが、急激な目眩を覚えて地面に突っ伏した。もう限界だ。
 
「うーむ。この分では基礎体力作りから難航するぞ」
 
 パリスはしゃがみこんで呟いている。
 
「筋肉の次に重要なのは、強い精神だ。そして精神を支える目標だ。アールフェス、君には夢や目標が必要だ」
「……」
「君は何を望む? 何が欲しい?」
 
 アールフェスは突っ伏しながら考えた。
 筋肉はともかく、目標が必要だというのは、そうなのだろうと思う。
 かつてのアールフェスは、故郷の家族や知人を見返すために、邪神の力を借りて強くなろうとした。
 わざと悪事を為して、英雄である父親の名前を汚そうとした。
 その目論見は潰え、改心してここにいる。
 
 偽りの強さではなく、本当の強さが欲しいと思った。
 せめて助けてくれたティオやセイルに顔向けできるようになりたい。
 
 でも、それだけでは足りないとパリスは言う。
 必死さが足りない。
 人生をつらぬく目的が必要だと。
 
「僕は、どうやって生きていけばいいんだ……?」
 
 泥だらけになりながら立ち上がろうと必死でもがく。
 目指すべきものも、分からないまま。
 
 
 
 
 とぼとぼと泊まっている宿への道を歩いていると、前方で女の子が複数の男に絡まれている現場に遭遇した。
 
「止めてください! 離してっ!」
 
 男の手を振り払おうと足掻いているのは、薄い緑のワンピースを着て、アプリコットオレンジの髪を長く伸ばした少女だった。頭上で髪を結ぶ緑のバンダナが、双葉のように開いている。
 年の頃はアールフェスより少し下だと思われる。
 道を行き来する人は、関わりになりたくないとばかり、いさかいを無視している。
 アールフェスも無視して通り過ぎようとした。
 今はパリスもおらず一人だ。
 ただでさえ腕に自信のないアールフェスが、男たちに敵う訳がない。
 
「私はっ! セイルさんに会いに行かなきゃいけないの!」
 
 知り合いの名前を聞いて、足が止まる。
 
「無駄ですよ。天牙を持っているのは、まだ子供だという話じゃないですか」
 
 男の一人が馬鹿にしたように言う。
 天牙というキーワード。
 間違いない。
 
「っつ!」
 
 アールフェスは引き返して、少女と男の間に割り込んだ。
 
「君、こっちに!」
「えっ?」
 
 格好よく助けるつもりだったが、少女の手を引いて走り出した途端、豪快にすっころんだ。
 
「うがっ」
「はあ?」
 
 乱入した青年が自滅したので、少女のみならず男たちも唖然としている。
 アールフェスは泣きそうになりながら、立ち上がって再び少女の手を引いた。
 
「ごめん。僕に付いてきて!」
「大丈夫ですか? 鼻血が出てますけど」
 
 まったく大丈夫じゃない。
 修行がきつすぎて身体がヘロヘロで、ただでさえ運動が苦手なのに、走れる状態じゃないのだ。
 
「大丈夫!」
 
 だが、アールフェスは鼻血を拭かずに走った。
 目を丸くした少女と、怒声を上げた男が追ってくる。
 とんでもなく、みっともない格好で、逃亡が成功する確率も低い。
 それでもこの瞬間、アールフェスの気持ちは上向きで、欠片たりとも、後悔をしていなかった。
 
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