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嵐の前
幸房の昏睡
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「わが子が、総理大臣だと……?」
水園寺幸房の声が、報告を終えた間壁の前で低く唸った。
部屋の灯りは薄く、書斎に置かれた一枚板の座卓の上には、湯気を失った茶が残されている。
背後の書棚には古い法学書や外交資料がぎっしりと詰まり、
この部屋だけ時間が昭和から止まっているかのようだった。
「はい。門関が密かに義光様を――料亭『夕凪』にて。内容は“総裁選に出馬しろ”。
しかも、その後見人は門関自身とのことです」
「門関が……」
幸房は重いまぶたを閉じると、わずかに肩を震わせた。
胸の奥に、鋭い棘が刺さる感覚があった。
(あやつ、ついにここまで踏み込んできたか。
わしを飛び越え、息子を……)
「わしを通さずに、息子に近づいたか。
親と子の間にさえ、楔を打ち込むか――門関幸太郎、あやつ……」
間壁は静かにうなずく。
長年仕えてきた主の怒りを、あえて制止することはしない。
(この人は、息子を守るためなら何だってやる……。
だが今日は、何か空気が重い)
「義光が、あやつの操り人形になるとは思いたくはないが……」
そのときだった。
――ガシャンッ!
背後の窓ガラスが小さくきしみ、薄暗い障子が震えた。
振り向く間もなく、部屋の奥に影が滑り込む。
間壁の背筋に冷たいものが走った。
「……誰だ」
返事の代わりに、障子が少し開き、そこから押し込まれるようにして黒い影が広がった。
間壁が腰の拳銃に手をかけるより早く、襖の向こうから重い足音が近づく。
「よう、間壁。……ひさしぶりだな」
低く湿った声が、闇を裂くように響いた。
「くっ……何者だ!」
「かっかっか、まあ落ち着け。裏切りじゃねぇ。
あんたの主君、義光さんのためよ」
扉が無理やり押し開けられ、大男が姿を現す。
その体躯は幸房の頭より三つは高く、スーツの肩は引き裂けそうなほど膨れている。
汗と革靴の匂いが一気に部屋に流れ込んだ。
「……門関の子飼いか」
間壁が立ち上がろうとした瞬間、巨漢の足が素早く滑り込み、脛を抑えつけられる。
「ぐっ……!」
幸房は立ち上がりかけたが、足元の座布団につまずき、
柱に側頭部を強くぶつけ、そのまま崩れ落ちた。
「か、幸房様!」
「おっと……勝手に転んで逝っちまったな。
ま、いいか。これで十分」
巨漢は床に倒れた幸房を見下ろし、しゃがみこんで耳元に囁く。
その声は、氷のように冷たかった。
「もう、おねんねしててくれりゃいい。……あんたの時代は終わったんだよ」
間壁が駆け寄ろうとするも、分厚い腕で押し戻され、背中を畳に叩きつけられる。
「幸房さん、すまねえな」
巨漢は立ち上がり、革手袋をゆっくりとはめ直した。
「あんたがいつまでも口を出すから、義光さんの道が開けねえんだ。
……これで黙っててくれると助かる」
数秒後、部屋に静寂が戻ったとき、
水園寺幸房は意識を失ったまま、静かに横たわっていた。
畳の上に落ちた湯呑みの茶が、じわりと染みを広げていった。
水園寺幸房の声が、報告を終えた間壁の前で低く唸った。
部屋の灯りは薄く、書斎に置かれた一枚板の座卓の上には、湯気を失った茶が残されている。
背後の書棚には古い法学書や外交資料がぎっしりと詰まり、
この部屋だけ時間が昭和から止まっているかのようだった。
「はい。門関が密かに義光様を――料亭『夕凪』にて。内容は“総裁選に出馬しろ”。
しかも、その後見人は門関自身とのことです」
「門関が……」
幸房は重いまぶたを閉じると、わずかに肩を震わせた。
胸の奥に、鋭い棘が刺さる感覚があった。
(あやつ、ついにここまで踏み込んできたか。
わしを飛び越え、息子を……)
「わしを通さずに、息子に近づいたか。
親と子の間にさえ、楔を打ち込むか――門関幸太郎、あやつ……」
間壁は静かにうなずく。
長年仕えてきた主の怒りを、あえて制止することはしない。
(この人は、息子を守るためなら何だってやる……。
だが今日は、何か空気が重い)
「義光が、あやつの操り人形になるとは思いたくはないが……」
そのときだった。
――ガシャンッ!
背後の窓ガラスが小さくきしみ、薄暗い障子が震えた。
振り向く間もなく、部屋の奥に影が滑り込む。
間壁の背筋に冷たいものが走った。
「……誰だ」
返事の代わりに、障子が少し開き、そこから押し込まれるようにして黒い影が広がった。
間壁が腰の拳銃に手をかけるより早く、襖の向こうから重い足音が近づく。
「よう、間壁。……ひさしぶりだな」
低く湿った声が、闇を裂くように響いた。
「くっ……何者だ!」
「かっかっか、まあ落ち着け。裏切りじゃねぇ。
あんたの主君、義光さんのためよ」
扉が無理やり押し開けられ、大男が姿を現す。
その体躯は幸房の頭より三つは高く、スーツの肩は引き裂けそうなほど膨れている。
汗と革靴の匂いが一気に部屋に流れ込んだ。
「……門関の子飼いか」
間壁が立ち上がろうとした瞬間、巨漢の足が素早く滑り込み、脛を抑えつけられる。
「ぐっ……!」
幸房は立ち上がりかけたが、足元の座布団につまずき、
柱に側頭部を強くぶつけ、そのまま崩れ落ちた。
「か、幸房様!」
「おっと……勝手に転んで逝っちまったな。
ま、いいか。これで十分」
巨漢は床に倒れた幸房を見下ろし、しゃがみこんで耳元に囁く。
その声は、氷のように冷たかった。
「もう、おねんねしててくれりゃいい。……あんたの時代は終わったんだよ」
間壁が駆け寄ろうとするも、分厚い腕で押し戻され、背中を畳に叩きつけられる。
「幸房さん、すまねえな」
巨漢は立ち上がり、革手袋をゆっくりとはめ直した。
「あんたがいつまでも口を出すから、義光さんの道が開けねえんだ。
……これで黙っててくれると助かる」
数秒後、部屋に静寂が戻ったとき、
水園寺幸房は意識を失ったまま、静かに横たわっていた。
畳の上に落ちた湯呑みの茶が、じわりと染みを広げていった。
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