あなたの夜が更ける前に

弐月一録

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魔法使いと2人の少女

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まるでおもちゃをねだる子どものような無邪気さ。私なんかで願い事を叶えられるのか不安だが、断る理由はなかった。


あと残されたわずかな時間を、本人の望むように生きてほしいから。


沙羅さんの言う願い事は3つあった。1つ目は同い年の女の子とランチをすること。これはもうすでにやっている。


「あたし病気以外に友達いないの。学校に行っていた頃は、皆腫れ物に触るように接してきた。小さい時から仲良かった子までよそよそしくなって、壁を感じたんだ。中学生にあがったら友達とレストランで喋りながら楽しくランチするのが夢だったの」


やっと口にしたジュースとパフェが、沙羅さんにとって十分なランチなのだ。


「楽しく、は難しいですけど、私でいいんですか?」


「何言ってるの、めっちゃ楽しいよ。楽しく生きる人はそうでない人より、免疫力が高くなるらしいんだ。あたしの免疫力、少しでもいいから上げてよね」


口下手で愛想笑いの1つもできない自分が、楽しいなんて初めて言われた。


「2つ目はカラオケ。恥ずかしながら行ったことないんだ。マイク持って歌うってどんな感じなの?」


「あの、実は私も行ったことがなくて.......歌、下手だし」


「そうなんだ! じゃあ今日がお互いデビューだね」


歌なんてお風呂に入っている時にちょっと歌うくらいで、人前で披露したことがない。これは難易度が高そうだ。


「3つ目は、あたしの家で遊ぶ。こもってばかりだからゲームや漫画いっぱいあるんだ。あとお母さんの作ったクッキーが美味しいよ」


「えっと、それだけでいいんですか?」


「あたしにとって有意義な時間の使い方だよ。もっと贅沢な願い事だと思った?」


「いや、そんなことは.........」


私は贅沢な願い事とはどんなものかを想像した。


世界一周旅行、高価な服やアクセサリーを着て遊びに行く、高級な料理をたくさん食べる。


しかし、想像した贅沢を沙羅さんに提案はできなかった。病気の彼女にとってこれは娯楽じゃなく、大きな負担になってしまうからだ。


「あたしの贅沢はね、普通に生活することなんだよ。きっともう遠くにも行けない、食べ物も食べられなくなる。今更変わったことをやろうとは思わないんだ。今までの生活に、ちょっと花をそえるくらいでいい。その花は青葉ちゃんがいいの」


白く痩せ細った右手が私の方に伸びた。どこかで見た、白くて綺麗な名前の知らない花に似ているその手を、そっと掴んだ。ひんやりと冷たかったけど、胸の辺りが温かくなるのを感じる。


こんなにも私を必要としてくれる。いじめられっ子で何もできない自分が、誰かの役に立とうとしている。生きていて良かったと大袈裟になるくらい、それが嬉しかった。


でも、いつかこの気持ちも忘れてしまうんだろう。


どういうしくみか自然と彼女の記憶が引き継がれ、私自身が沙羅さんになりきってしまう。人の人生をもらったことなど忘れて、のうのうと生きていくんだ。


レストランで呑気に食事をする周りの人達はそれを知ることはない。知ったとしてもこんな話信じてもらえないだろう。このテーブル席の空間だけが別世界にいるような感覚がした。


沙羅さんは体が消えて、私は心が消えてこの世界からいなくなる。性格も生い立ちも違う私達は運命共同体にある。


ならば私も、私と別れるまでの時間を大事に過ごそうと思う。


誰の記憶にも残らない今日だからこそ、堂々と前を向いて歩いてみた。いつもは猫背で視線は地面に向けて、早足で歩き人を避けていた。


誰かと目が合ったら酷い目にあいそうで、暗い顔を見られたら嫌味を言われそうで、すれ違う人達の顔を一切見ることができなかったのだ。


カラオケまでの道のりをゆっくりと2人で歩いて行く。いつもの何倍も遅いスピード。足幅は狭く、足裏と地面の接する時間は長い。あんまり早いと沙羅さんの息が苦しくなってしまうので、彼女のペースに合わせて歩いているのだ。


さっきまで随分後ろにいた人が私達を通り越して進む。どんどん離れていき後ろ姿は小さくなってやがて見えなくなる。


「ごめんね、あたしがのろまで疲れるでしょ?」


首を激しく横に振り、沙羅さんの労いの言葉を精一杯否定した。


「そんなことないです。私もあんな風に早く歩いていたんだなって自覚しました。何だか生き急いでいいるみたい。それにこんなにゆっくり周りを見ながら歩くの、久しぶりなんです」


私がまだ幼くてお母さんが生きていた時、たまに散歩へ出かけてこうして色んな景色を見ながら歩いた。


夕方に空の色が赤やオレンジや茶色や紫に変わっていくのが面白くてずっと眺めていたけど、そのうち灰色の雲が流れてきて土砂降りになって、2人でずぶ濡れになりながら家まで走ったっけ。


「あたしもね、こんなにゆっくり歩くのは小さい頃カタツムリと競争した時以来だよ。今やったら絶対負けるね」


自動販売機でペットボトルの水を購入してひと休みする。まだレストランからそんなに歩いていないが、沙羅さんは辛そうだった。水を少しづつ口に含んで飲む。


「来る時はこんなんじゃなかったんだけどな。はしゃぎ過ぎたかも」


私に会うために、家からレストランまでこうして体を引きずるように歩いてきたのかと思うと、胸が張り裂けそうだった。


「カラオケ、無理しない方がいいんじゃないですか?」


「それはだめ。今日逃したら次がないんだもん。田舎って嫌だね、カラオケに辿り着くまで遠いし交通も不便だし。東京ならちょっと歩けば色んな店があるでしょ?」


もう一度行きたかったなぁと自動販売機に寄りかかりながら呟いた。私は東京には行ったことがないけど、テレビで観たことはある。人が溢れて騒がしくて、絶対に行きたくないと思った。私には人が少なくて静かな田舎が向いている。


「青葉ちゃんがあたしになる前に、行きたい場所をピックアップしておいた方がいいよ。全部忘れたら今まで行っていた場所に行けなくなるんだから」


「行きたい場所.........」


「どこかあるでしょ?」


本屋、ファストフード店、ペットショップ、映画館はきっと記憶をなくしても足を運ぶ機会は来ると思う。二度と行けない場所は、1つだけ思い浮かんだ。


お母さんのお墓。毎月欠かさずお墓参りに行っていたけど、もう行けなくなるどころか思い出すこともなくなる。当たり前なことなのに、ひどく寂しくなった。新しい人生の面接を受けに来た時点で親不孝な娘。人生を変えたら取り返しがつかない、今更になって少しだけ足がすくんだ。


沙羅さんは私の心情を察したのか、それ以上何も聞かず「そろそろ再出発しようか」と言ってまたゆっくり歩き出した。



好きな音楽はいっぱいあって、どれもが人におすすめできるような明るい曲ではなかった。暗い歌詞ばかりを聴いてはすぐ自分の置かれた状況に当てはめていた。


「未来は明るいよー!今日も私はPretty girl!いぇいっ!」


沙羅さんと音楽の趣味は真逆だった。カラオケに着いて少し休んだ後、彼女から先に曲を入れて歌ってもらった。さっきまでくたくただったのが嘘みたいに、アイドルのキラキラした明るい音楽に乗せてノリノリで踊りながら沙羅さんは歌った。


私は選曲が決まらないまま、タンバリンを叩いて苦笑いをする。


歌い終わった沙羅さんはスイッチが切れたみたいにソファに座って、グラスに入ったオレンジジュースをちょっとずつ飲んだ。


「疲れたー。死にそう」


「それは笑えませんよ.........」


「カラオケってドリンクバーがあるんだね、しかもただ! ご飯も頼めるんだ。元気な時に来てたらフライドチキンとフライドポテト山盛り食べたかったな。あたし昔は大食いで太ってたんだよ」


「ええ? 本当ですか?」


「小学生の時はクラスで1番太ってた。だから男子にからかわれて、よく泣いたっけな。今はスリムになったから見返してやれるけど会いたくないや」


「沙羅さんも、嫌なことされた経験があるんですね」


「うん、だから青葉ちゃんの気持ちがよーくわかるんだ」


選曲をしていないせいか、テレビ画面にCMが流れた。私は焦って何か曲を選ぼうとするが、歌えるものがない。沙羅さんだけに歌わせて私は盛り上げ役だけで良かったが、彼女の体力を考えるとそうもいかなかった。


「何でもいいよ、激しい曲でもスケベな曲でも」


「スケベな曲なんて聴きません!」


「嘘嘘。そんなに迷ってるならデュエットしない? 同世代ならあのアニメの主題歌知ってると思うよ」


沙羅さんは今日初めて使った機器なのに、もう慣れて器用に操作して曲を入れた。テレビ画面のCMは途切れ、曲のタイトルと音楽が流れる。小さい頃テレビでやっていた好きなアニメの主題歌だった。


「懐かしい。毎週金曜日の夕方にやってたやつだ」


「でしょ? なんとなく歌覚えてる?」


「サビの部分には自信ある、かも」


「それでもいいよ。わからないとこはあたしが歌うね」


マイクを持つ手が、恥ずかしさと緊張で汗ばむ。体中が熱くなってきた。


私と沙羅さんは半分ずつ歌った。うろ覚えだけど表示された歌詞を見ながらどうにか最後まで歌い切った。


「上手いじゃん! 本当にカラオケ初めて?」


「ぜ、全然! はぁー.........恥ずかしかった」


「すっごく楽しかったよ。ねー、もう1回デュエットしようよ。この曲は知ってる?」


薄暗くて狭い部屋の中、うっすらと見える沙羅さんは、陽の下で見た時より健康そうだった。青白い肌も痩けた頬もここではわかりにくいからだ。


ひょっとしたら病気が歌声となって体の外へ飛び出して、本当に元気になったんじゃないかと期待をしてしまった。


しかし、カラオケを終えてまた明るい場所へ出たら、沙羅さんはやっぱり青白い肌と痩けた頬のままだった。2時間過ごしたが後半は疲れて歌えなくなり、彼女の体力が戻るまで待っていた。


もしもあの薄暗い部屋にずっといることで病気が治るとしたら、沙羅さんはどうするのだろう。どこにも行けず、陽の光も届かない場所でも生きることを望むのだろうか。そんな途方もない妄想は、膨らまないうちにかき消した。これから彼女の家に行く。



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