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第9章 宣言された調査
宣言された調査Ⅲ
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図書室の扉を開け、昨日と同じ場所に腰を下ろす。ここなら、リュシアンもすぐに見つけられるだろう。
昨日と同じ本を手に取り、ページを捲る。リュシアンと一緒に読んだ所はうろ覚えなので、もう一度読もう。栞を通り越し、主人公が仲間の遺体を見つけたところまで遡る。悲鳴が辺りをつんざき、主人公はへたり込む。駆けつけた誰かに後頭部を殴られ、気絶してしまった。
「犯人は誰なの?」
周囲を気にしつつ、小さく呟く。まさか、私がミステリー小説に熱中するとは思っていなかった。たまにはスリリングな読書も良いかもしれない。
痛む頭に潤む目を開けてみても、視界に広がるのは暗闇だけだ。口を塞がれ、手足も縛られて身動きが出来ない。閉塞感と絶望が主人公を、そして私を襲う。もう駄目かもしれないと諦めかけた時、主人公に救いの手が差し伸べられた。「生きてて良かった」――泣き出しそうなその台詞が、心に温かな明かりを灯す。
「良かったぁ」
「エレナ?」
呟きを聞かれていただろうか。いつの間にやってきたのか、リュシアンはいつもの微笑みを湛えて私の正面に立っていた。
「リュシアン殿下」
「あまりにも熱中していたので、なかなか声を掛けられませんでしたよ」
リュシアンは私の隣に回り込み、そっと腰を下ろした。彼の前で変なことを呟かなかっただろうか。心配と恥ずかしさが重なり、頬が熱を持っていく。
「エレナ、大丈夫ですか?」
「こ、この熱は風邪ではありませんので」
「ん? なんの話です?」
何か的外れなことを言ってしまっただろうか。リュシアンは首を傾げる。
「い、いえ……」
「エレナが大丈夫なら良いのです。午前中からオーレリアがエレナの身辺調査をすると意気込んでいたものですから」
その話か、と納得し、揺れる空色の瞳を見詰め返してみる。
「私が何者か、リュシアン殿下も気になりますか?」
「私は気にしませんよ。エレナはエレナですから」
その言葉がどれほどの勇気になるだろう。リュシアンは私の身分ではなく、私個人と向き合おうとしてくれている。その思いを踏みにじる訳にはいかない。身分が公にならないことを願うばかりだ。
ただ、ここで礼を言えば、私の身分が危ういことを伝えてしまう可能性がある。微笑み返すだけに留まった。
「明日、薔薇庭園でまたお茶でも飲みませんか?」
「えっ? はい、凄く嬉しいです」
薔薇庭園は私たちにとっては特別な場所となった。そこへ招かれるのは嬉しい以外の言葉では表現出来ない。
「では、またハーブティーを用意しますね。舌が驚かないものを」
やはり、前回はローズヒップティーに慣れていないことを感づかれていたのだろう。田舎者――というか、貴族然としていないオーラは出ているのかもしれない。苦笑いを返すと、リュシアンはくすっと笑う。
「私はエレナの純粋な反応を見られて嬉しいのですよ」
「そういうものなのでしょうか」
「ええ」
自分では分からない。まあ、穏やかで明るいリュシアンの笑顔を見られるならそれで良いか、という結論に至った。
リュシアンは変わらない笑顔で目を細める。
「エレナ、触れても良いですか?」
心のどこかでこの言葉を待っていた。触れたいと願っていた。小さく頷くと、リュシアンの手が本を握る私の手の甲に優しく触れる。
「温かい」
私が思うのと同時に、リュシアンが呟く。手だけではない。心も温かくなる。シャンデリアから降り注ぐ光がやけに眩しく感じられる。
そこへ足音が近付いてくるのだ。軽い音なので女性だろう。顔を上げると、それはセリスだった。
「リュシアン殿下、お久しぶりです」
控えめな足音が止まると、セリスは深々と礼をする。
「セリス、だったね」
「覚えていただいて光栄です」
挨拶も早々に、といった様子で、セリスは私に真剣な表情を見せる。
「エレナ嬢。謁見のお話ですが、明日の午後一時に」
「分かった」
私が頷くと、セリスは礼をしてそそくさと退場する。その姿を目で追っていると、リュシアンが囁いた。
「エレナ、父上に助けを?」
「はい。オーレリア殿下とはいえ、周辺を調べつくされるのには抵抗がありますから」
「あまり、期待しすぎない方が良い。オーレリアは父上が止めても行動を起こしてしまう子だから」
リュシアンは遠くの方を眺める。その瞳にはシャンデリアの光が差し込んでいて、万華鏡のようにキラキラと輝いている。
「オーレリアは私を英雄視しすぎなのです。あの暴動で、確かに私はあの子を救いました。でも、代償があまりにも大きすぎた」
目は徐々に閉じられていき、後悔の表情がリュシアンに滲む。後悔すべきはリュシアンではなく、暴動を起こした貴族だというのに。
「その先は言わないでください」
「ありがとう」
再びこちらを向いた瞳は儚げに揺らいでいた。話題を変えるべく、口を開く。
「それよりも、明日の約束が遅くなってしまうかもしれません」
「気にしないでください。私はいつまでも待ちますから」
「ありがとうございます」
この人が誠実な人で良かった。どうせ恋に落ちるなら、横暴な権力者よりも控えめな王太子の方がずっと良い。
「今日も、続きを読みましょうか。確か……この本ですね」
リュシアンは棚から本を取り出すと、膝の上に置いた。愛おしそうな目を下に落とし、指先で文字を追う。
この本を読み終わったら、リュシアンの読んでいる本に手を出してみよう。今日は緊張よりも温かさが勝り、穏やかな気持ちで本と向き合うことが出来た。
昨日と同じ本を手に取り、ページを捲る。リュシアンと一緒に読んだ所はうろ覚えなので、もう一度読もう。栞を通り越し、主人公が仲間の遺体を見つけたところまで遡る。悲鳴が辺りをつんざき、主人公はへたり込む。駆けつけた誰かに後頭部を殴られ、気絶してしまった。
「犯人は誰なの?」
周囲を気にしつつ、小さく呟く。まさか、私がミステリー小説に熱中するとは思っていなかった。たまにはスリリングな読書も良いかもしれない。
痛む頭に潤む目を開けてみても、視界に広がるのは暗闇だけだ。口を塞がれ、手足も縛られて身動きが出来ない。閉塞感と絶望が主人公を、そして私を襲う。もう駄目かもしれないと諦めかけた時、主人公に救いの手が差し伸べられた。「生きてて良かった」――泣き出しそうなその台詞が、心に温かな明かりを灯す。
「良かったぁ」
「エレナ?」
呟きを聞かれていただろうか。いつの間にやってきたのか、リュシアンはいつもの微笑みを湛えて私の正面に立っていた。
「リュシアン殿下」
「あまりにも熱中していたので、なかなか声を掛けられませんでしたよ」
リュシアンは私の隣に回り込み、そっと腰を下ろした。彼の前で変なことを呟かなかっただろうか。心配と恥ずかしさが重なり、頬が熱を持っていく。
「エレナ、大丈夫ですか?」
「こ、この熱は風邪ではありませんので」
「ん? なんの話です?」
何か的外れなことを言ってしまっただろうか。リュシアンは首を傾げる。
「い、いえ……」
「エレナが大丈夫なら良いのです。午前中からオーレリアがエレナの身辺調査をすると意気込んでいたものですから」
その話か、と納得し、揺れる空色の瞳を見詰め返してみる。
「私が何者か、リュシアン殿下も気になりますか?」
「私は気にしませんよ。エレナはエレナですから」
その言葉がどれほどの勇気になるだろう。リュシアンは私の身分ではなく、私個人と向き合おうとしてくれている。その思いを踏みにじる訳にはいかない。身分が公にならないことを願うばかりだ。
ただ、ここで礼を言えば、私の身分が危ういことを伝えてしまう可能性がある。微笑み返すだけに留まった。
「明日、薔薇庭園でまたお茶でも飲みませんか?」
「えっ? はい、凄く嬉しいです」
薔薇庭園は私たちにとっては特別な場所となった。そこへ招かれるのは嬉しい以外の言葉では表現出来ない。
「では、またハーブティーを用意しますね。舌が驚かないものを」
やはり、前回はローズヒップティーに慣れていないことを感づかれていたのだろう。田舎者――というか、貴族然としていないオーラは出ているのかもしれない。苦笑いを返すと、リュシアンはくすっと笑う。
「私はエレナの純粋な反応を見られて嬉しいのですよ」
「そういうものなのでしょうか」
「ええ」
自分では分からない。まあ、穏やかで明るいリュシアンの笑顔を見られるならそれで良いか、という結論に至った。
リュシアンは変わらない笑顔で目を細める。
「エレナ、触れても良いですか?」
心のどこかでこの言葉を待っていた。触れたいと願っていた。小さく頷くと、リュシアンの手が本を握る私の手の甲に優しく触れる。
「温かい」
私が思うのと同時に、リュシアンが呟く。手だけではない。心も温かくなる。シャンデリアから降り注ぐ光がやけに眩しく感じられる。
そこへ足音が近付いてくるのだ。軽い音なので女性だろう。顔を上げると、それはセリスだった。
「リュシアン殿下、お久しぶりです」
控えめな足音が止まると、セリスは深々と礼をする。
「セリス、だったね」
「覚えていただいて光栄です」
挨拶も早々に、といった様子で、セリスは私に真剣な表情を見せる。
「エレナ嬢。謁見のお話ですが、明日の午後一時に」
「分かった」
私が頷くと、セリスは礼をしてそそくさと退場する。その姿を目で追っていると、リュシアンが囁いた。
「エレナ、父上に助けを?」
「はい。オーレリア殿下とはいえ、周辺を調べつくされるのには抵抗がありますから」
「あまり、期待しすぎない方が良い。オーレリアは父上が止めても行動を起こしてしまう子だから」
リュシアンは遠くの方を眺める。その瞳にはシャンデリアの光が差し込んでいて、万華鏡のようにキラキラと輝いている。
「オーレリアは私を英雄視しすぎなのです。あの暴動で、確かに私はあの子を救いました。でも、代償があまりにも大きすぎた」
目は徐々に閉じられていき、後悔の表情がリュシアンに滲む。後悔すべきはリュシアンではなく、暴動を起こした貴族だというのに。
「その先は言わないでください」
「ありがとう」
再びこちらを向いた瞳は儚げに揺らいでいた。話題を変えるべく、口を開く。
「それよりも、明日の約束が遅くなってしまうかもしれません」
「気にしないでください。私はいつまでも待ちますから」
「ありがとうございます」
この人が誠実な人で良かった。どうせ恋に落ちるなら、横暴な権力者よりも控えめな王太子の方がずっと良い。
「今日も、続きを読みましょうか。確か……この本ですね」
リュシアンは棚から本を取り出すと、膝の上に置いた。愛おしそうな目を下に落とし、指先で文字を追う。
この本を読み終わったら、リュシアンの読んでいる本に手を出してみよう。今日は緊張よりも温かさが勝り、穏やかな気持ちで本と向き合うことが出来た。
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