異国には嫁に行きたくないので、空を渡ることにしました

七宮叶歌

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第2章 踏み出す

踏み出すⅡ

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 グライゼル侯爵だろうか。挨拶をしようと膝を折ろうとした時、乾いた音が響き渡った。アルフレッドは頬を庇い、よろめく。何が起きたのか分からない。

「アルフレッド、恥を知れ!」

 怒号が発せられると、足音が遠ざかっていく。

「アルフレッド様、大丈夫ですか?」

「……ああ。少しは手加減してくれたらしい」

 手の甲で拭ったアルフレッドの左頬は真っ赤になっている。
 今、アルフレッドが叩かれたのは、私のせい――なのだろうか。

「あ、あの……! 私、その……」

「いや、メヌエッタ殿下のせいではありません」

 頭を下げようとすると、アルフレッドは私の手を掴んだ。呼応するように、ゼインもにやりと笑う。

「毎日のように殴り合いの喧嘩をしてますから、旦那様とアルフレッド様は」

「それは言い過ぎだろう!」

 アルフレッドが鼻息を荒くする一方で、ゼインは「あはは」と愉快そうに笑った。これでは謝ろうとした私が損をした気分だ。

「早速、中を拝見しましょう」

 まるで、訪問を宣言していたかのように堂々と屋敷の中に侵入する。グライゼル侯爵はどこに行ったのだろう。そして、応接室はどこなのだろう。廊下を見回してみたけれど、何も分からない。

「アルフレッド。やはり案内してください」

 さっさと切り替え、アルフレッドとゼインに通路を譲った。
 廊下を進み、ほどなくして二人は扉の前で止まる。アルフレッドはノックをし、慎重に開けた。

「あれ? いない。リビングかな」

 そして、再び歩き出す。すれ違う使用人たちの顔が青ざめて見えるのは気のせいだろうか。

「ゆ、幽霊……?」

 メイドの呟きも聞こえた。まあ、良いか、と気楽に考え、二人に続く。
 両開きの大きな焦げ茶色の扉――どうやらリビングに到着したらしい。それを押し開けると、黒髪の男性が腕を組んで私たちの登場を待ち受けていた。しかし、その空色の瞳は私を見て大きく見開かれる。

「王女……殿下……!?」

「そうですが……何か?」

 まさか、侯爵も使用人も、私が死んだものと思っていたのだろうか。それならあの青白い顔も納得がいく。今更気付き、息を漏らした。

「アルフレッド! お前、王女殿下を殺したんじゃなかったのか!?」

「そんなはずがないでしょう! 父上は俺を信用しなさすぎです」

「では、あの放送は、一体……」

 何を信じれば良いのか分からない、といった様子で侯爵は首を横に振る。そこでアルフレッドが口を開く。

「それより、メヌエッタ殿下のドレスを着替えさせてあげてください。家の前で転んでしまわれたのです」

「ドレス……? 何か残っていただろうか……」

 侯爵はメイドを手招きすると、耳元で何かを命ずる。メイドは頭を下げ、走り去っていってしまった。私の事情を説明するなら、今しかないだろう。
 
「あの、アルフレッドは何もしていないのです。私が勝手に飛行船に乗り込みましたから」

「そうなんですよ! 僕も驚いちゃって」

「お前が言うな」

 ゼインの相槌に、アルフレッドがすかさずツッコミを入れる。ゼインは笑って誤魔化すけれど、それを拾ってあげられる余裕はない。矢継ぎ早に口を開く。

「私は隣国になんて嫁に行きたくありません。お父様と隣国の王子に歯向かうために、ここまで逃げてきたのです。どうか、逃亡を手伝ってくださいませんか?」

「手伝えと言われましても……どうやってです?」

 侯爵は顎に手を当て、まっすぐに私を見る。

「手段は問いません。貴族の屋敷を転々とさせていただいているうちに、お父様の怒りも静まるかもしれません」

「……まさかとは思いますが、王女殿下はこの状況で国内に留まれるとでも?」

「えっ?」

 侯爵の言葉に、頭が真っ白になる。母と離れたくなくて、ここまで来たのに。

「国王陛下は王女殿下の死亡を伝えております。王女殿下が民衆の面前に顔を出せば、国王陛下の嘘がバレます。その前に……」

 その前に何なのだろう。拳を作り、侯爵の次の言葉を待つ。

「王女殿下は暗殺されるやもしれません」

 暗殺――思ってもいなかった言葉に鳥肌が立つ。いや、冷静に考えよう。これは国内に留まっていた場合の話だ。それなら、国外に逃亡すれば良いだけの話ではないだろうか。

「国外は安全なのですか?」

「そうとは言い切れませんが……国内よりは」

「では、国外に逃亡するまでです」

 もしかすると、母の墓にはもう行けないのかもしれない。でも、私には母の遺言も残されている。その言葉通り、私は自由に生きるのだ。

「逃亡手段は?」

「ありませんが、何とかなるでしょう」

 暗殺に来た騎士の飛行船を奪うでも良いし、何ならグライゼル侯爵の飛行船を一隻もらうでも良い。きっと方法はある。

「……アルフレッド、ゼイン」

 その時、侯爵が小さく囁いた。

「お前たちが王女殿下をお守りしろ」

「は……?」

 アルフレッドは呆気に取られ、ゼインは納得したように侯爵を見詰める。見知った人と旅を共に出来るなら、それ以上心強いものはない。
 ところが、侯爵の言葉はそれで終わらなかった。

「王女殿下、逃亡を手伝うには条件を一つ呑んでもらいたい」

「なんでしょう」

 聞き返すと、侯爵はすっと息を吸い込んだ。

「逃亡が成功したら、アルフレッドと結婚すること」

 その瞳は、とても冗談を言っているものとは思えなかった。
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