いとしの生徒会長さま 2

もりひろ

文字の大きさ
上 下
25 / 77
暮れ泥むころ

しおりを挟む


 どうやって維新を説得しようか。
 とりあえずメールを送ろうと家に帰ってから考えあぐねた結果、こんなふうな文章になってしまった。

「レースは棄権しよう。あんなん絶対体壊すよ。もう心配しかない。お願い」

 送ったあとで読み返して少しだけ後悔した。顔文字も絵文字も入れなかったから、悲愴感が漂いまくっている。まるで泣きながら打ったみたいだ。
 いや、泣いてでも止めたい気持ちはある。俺のせいで無理させてしまうならなおさらだ。
 やがて返ってきたメールを読んで、俺はすぐさま玄関へと向かった。

「いまそっちに向かってる」

 ああ、やばい。やっぱり俺のほうが心配をかけてしまった。
 俺は靴をつっかけ、小川にかかる橋のたもとまで走った。
 庭を取り囲んでいる植え込みは緑が濃くなりつつある。その切れ間から道路を覗くと、ちょうど維新の姿が見えた。こっちへと向かい、足を方向転換しているところだった。

「卓」
「維新。ごめん。もうこんな時間なのに」

 橋を渡り終えた維新はなにを言うよりもまず腕を伸ばし、俺を抱き寄せた。

「メール見た」
「うん。……あ、とりあえずこっち」

 俺は維新の脇に収まったまま植え込みの陰まで促す。
 長身の維新でも充分に隠れられた。

「ごめん。こんなふうに呼び出すつもりじゃなかったんだ」

 体を離し、俺は上目遣いを送る。
 維新の手はまだ背中にあって、何度か行き来した。

「俺は会いたかったから来ただけだ」
「……さっき、掲示板でレースの内容を見た」
「卓」
「俺さ、覚悟を決めた。相手役なんかだれだっていいよ。最後のはフリでもいいわけだろ」
「卓。お前もわかってるだろ。この勝負は相手役どうこうってだけのものじゃない」

 維新が鋭く見下ろしてきた。食い下がる俺を押さえつけようとしている。
 だけど、こっちにだって意地というものがある。

「わからねえ。俺はぜんぜんわからねえよ。お前、ここにいすぎて感覚が狂ってる。普通に考えてみ? 問題は勝負うんぬんじゃなく、あんなことしちゃだめってとこだろ。死ぬよ」

 維新は表情を緩め、短く息を吐き出した。

「死ぬは大げさだろ」
「死ぬよ。俺なら死ねる」
「大丈夫だって。というか、耐久だからこそ俺はいけると思ってる」

 あのレースで、さすがにあの面子に勝とうなんて思わないけど、耐久ならやれる気がする。維新はそう、なぜか自信満々で言った。
 ……やっぱりおかしくなってる。
 俺は開いた口が塞がらなかった。
 その一方で、いくら反対してももう手遅れなんじゃないかと感じた。
 あのレースの先にいるのは俺じゃない。黒澤なんだ。
 黒澤に勝つか負けるかが重要で、維新のプライドをかけたものでもあるんだ。

「……ていうかさ、維新。お前、泳げたっけ?」
「泳げるよ。普通に。まあ、その日まで少し練習するつもりでもいるけど」

 維新はそう言ったあと、なにやらにやにやした。
 こんな顔をするのは珍しいと思って、俺はちょっと身を引いた。
 繋いだままだった手が離れる。

「というか、カナヅチな卓には言われたくねえな」

 少しきつめで、バカにしたような物言い。
 俺は、さっきの発言で維新をイラッとさせたんだと気づいた。
 それではっとなった。
 愕然ともする。
 もしも、これが逆の立場だったら……。

「俺、そっか……ごめん」

 うなだれると、強く肩を掴まれた。

「卓。違うだろ。こここそ反撃してくるところだろ。カナヅチで悪かったなって。いつもみたいに顔を真っ赤にさせて」

 維新は冗談のつもりだったらしいけど、俺にはそう捉えられなかった。
 言葉のわずかな行き違いなのに、俺には結構なショックで顔を上げることができなかった。

「俺ってさ、維新のためにたくさん走ることも、たくさん食べることも、たくさん泳ぐこともできねえんだよな。ほんと、なんにもできねえ」
「卓。だからそういうことじゃないって」

 頭上にあったはずの声がすぐ横で聞こえる。
 俺はそこに目を向けることもできず、ただ首を横に振っていた。
 情けなくて、申し訳なくて、どうしたらいいのかわからなくて……。
 しまいには、どうしようもない言葉が口からこぼれる。

「こんなんなら、いっそのこと女に生まれてくればよかった」

 言い切ってしまってから我に返った。ぱっと顔を上げる。

「違う、ごめん」
「卓……」

 維新は自分を責めているかのように眉間のしわを増やし、頭をかがめた。俺の肩へ額を乗せる。
しおりを挟む

処理中です...