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アリアとハーラ
四
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つくづく思う。
なぜ、演者側にもその忠実さを残してくれなかったのかって。
維新の台詞だって、それも「ハーラの二大見せ場」の部分がごっそりなくなっている。
だから維新は、そこの台詞回しを一から考えなければならない。おスギ先輩からも、このシーンにふさわしいものを用意するように、念を押されていた。
ハーラの二大見せ場。
その一。駆け落ちを促すための愛の囁き。その二。自分を庇って死んでしまったアリアに向けてのしめの愛の囁き。
歴代のハーラ先輩の愛の鞭なのか、はたまた負け犬の遠吠えなのか。肝心要なところがないって、やっぱりハーラは気の毒すぎる。
練習が始まって、早くも四日目の夜。
俺と維新は、劇の稽古のあと、台本の確認も兼ねた読み合わせをうちでやることにした。
風見祭の二週間前からは、門限が十時になっている。それでもって、ここのところの夕飯は、劇のみんなと差し入れの弁当を食べている。
うちのだだっ広い和室で、真ん中の座卓に向い合って座り、二冊の本と二冊のメモ帳を広げる。
二人だけのディスカッションが始まった。
「……で、維新のここは、駆け落ちを決心させるような展開だと思うから、周りくどい比喩とかしないで、ストレートのがいいと思う」
「ほう。たとえば?」
「うーん……。ボクにはあなたしかいない。あなたがいない世界なんて考えられない。みたいな?」
「短絡すぎないか?」
「俺がアリアだったら、だらだら喋ってねーで、びしっと一言で決めてもらいたいけどね」
ふうん。
維新はそう鼻から返事するだけで乗り気じゃないから、お前はどうしたいのかと訊けば、おもむろに立ち上がって俺の背後にしゃがんだ。
「俺ならやっぱり──」
なにかと思い振り返ったところを押し倒された。支えにしようとした手首は掴まれ、背中とともに畳につけられる。
維新越しに見える電灯が眩しい。
「……そうじゃねーだろ。維新がどうしたいかじゃなくて、あくまでハーラだろ」
「自分がアリアだったらなんて卓が言うから」
「俺のせいかよ!」
「わかった。いまからハーラになろう」
情感たっぷりな目線を落として、維新が顔を近づけてくる。唇が触れそうなところで、俺はストップをかけた。
ここまできといてそれはない。的な表情を維新はする。
「てかさ、このシーンは壁ドンも床ドンもNGだよ。たぶん。下、土だし」
「はーい、はいはい。お夜食よー」
そこへ襖が開いて、藍おばさんがやってきた。
もちろん俺は畳に寝ころんだ状態。その太ももの辺りに維新は馬乗りで、俺に顔を寄せたまんま、ゆっくりと襖のほうへ目を向けた。
古い壁時計が時を刻む音しかしない数十秒。
静かに襖を閉めていく藍おばさんが、おかしな笑みを浮かべていたことは、見なかったことにしようと思った。
なぜ、演者側にもその忠実さを残してくれなかったのかって。
維新の台詞だって、それも「ハーラの二大見せ場」の部分がごっそりなくなっている。
だから維新は、そこの台詞回しを一から考えなければならない。おスギ先輩からも、このシーンにふさわしいものを用意するように、念を押されていた。
ハーラの二大見せ場。
その一。駆け落ちを促すための愛の囁き。その二。自分を庇って死んでしまったアリアに向けてのしめの愛の囁き。
歴代のハーラ先輩の愛の鞭なのか、はたまた負け犬の遠吠えなのか。肝心要なところがないって、やっぱりハーラは気の毒すぎる。
練習が始まって、早くも四日目の夜。
俺と維新は、劇の稽古のあと、台本の確認も兼ねた読み合わせをうちでやることにした。
風見祭の二週間前からは、門限が十時になっている。それでもって、ここのところの夕飯は、劇のみんなと差し入れの弁当を食べている。
うちのだだっ広い和室で、真ん中の座卓に向い合って座り、二冊の本と二冊のメモ帳を広げる。
二人だけのディスカッションが始まった。
「……で、維新のここは、駆け落ちを決心させるような展開だと思うから、周りくどい比喩とかしないで、ストレートのがいいと思う」
「ほう。たとえば?」
「うーん……。ボクにはあなたしかいない。あなたがいない世界なんて考えられない。みたいな?」
「短絡すぎないか?」
「俺がアリアだったら、だらだら喋ってねーで、びしっと一言で決めてもらいたいけどね」
ふうん。
維新はそう鼻から返事するだけで乗り気じゃないから、お前はどうしたいのかと訊けば、おもむろに立ち上がって俺の背後にしゃがんだ。
「俺ならやっぱり──」
なにかと思い振り返ったところを押し倒された。支えにしようとした手首は掴まれ、背中とともに畳につけられる。
維新越しに見える電灯が眩しい。
「……そうじゃねーだろ。維新がどうしたいかじゃなくて、あくまでハーラだろ」
「自分がアリアだったらなんて卓が言うから」
「俺のせいかよ!」
「わかった。いまからハーラになろう」
情感たっぷりな目線を落として、維新が顔を近づけてくる。唇が触れそうなところで、俺はストップをかけた。
ここまできといてそれはない。的な表情を維新はする。
「てかさ、このシーンは壁ドンも床ドンもNGだよ。たぶん。下、土だし」
「はーい、はいはい。お夜食よー」
そこへ襖が開いて、藍おばさんがやってきた。
もちろん俺は畳に寝ころんだ状態。その太ももの辺りに維新は馬乗りで、俺に顔を寄せたまんま、ゆっくりと襖のほうへ目を向けた。
古い壁時計が時を刻む音しかしない数十秒。
静かに襖を閉めていく藍おばさんが、おかしな笑みを浮かべていたことは、見なかったことにしようと思った。
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