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元『唯一の友人』が急に恋人の顔をしてくる
婚約者同士になったシルヴァンとセレスティアの交際は、順調そのものだった。
両家の顔合わせとなる食事会も和やかな雰囲気で終わり、周囲にも婚約したことを少しずつ伝えている。公の場には婚約者として連れ立って出席することも多くなった。
そんなこんなで、徐々にセレスティアは「第一王子の婚約者」ではなく「マケナリー家嫡男の婚約者」として周知されつつある。
「こんなに順調でいいのかしら」
大通りに面したカフェでアイスティーを飲んでいたセレスティアは、小さくため息をつく。グラスの中のアイスが溶けて、からんと涼しげな音が鳴った。
今日は、「普通の婚約者同士らしく」シルヴァンとデートだ。シルヴァンが連れて来たカフェは、いかにも貴族令嬢たちが喜びそうな可愛らしい店で、多くの客で賑わっている。
目の前で足を組んでいたシルヴァンは当然のように頷いた。
「諸々の段取りは完璧だ。お前は何も心配する必要はない」
「本当に、シルヴァンは理想的な婚約者様だわ。今日だって、お花をもらってしまったし……」
待ち合わせに現れた瞬間、シルヴァンは「お前に似合うと思って」と、さっと一輪の花を差し出し、セレスティアを大いに困惑させた。なんせ、セレスティアはずっとレイモンドの婚約者だったのだ。ファナに夢中だったレイモンドは、セレスティアに花などくれたことはなかった。
シルヴァンがくれた一輪の白い薔薇は、茎に小さなリボンがついていて可愛らしいものだ。セレスティアはその薔薇が枯れないようにそっとハンカチを水に湿らせ、茎の部分に巻いて大切に膝の上に置いている。
正式に婚約してからというもの、シルヴァンは人気店のお菓子から、センスの良いアクセサリーにドレスなど、事あるごとに贈り物をしてくれた。
セレスティアは眉を下げて、優雅にコーヒーを飲むシルヴァンを見つめた。
「あのね、無理して色々贈ってくれなくてもいいのよ。第一王子と婚約破棄された私の婚約者になっただけでも、ありがたいと思ってるんだから」
「俺が贈りたいんだ。気にせず受け取れ」
「そう言われても……」
「それから、似合ってるぞ、そのドレス。やはり俺の見立て通り、セレスティアはシンプルな服のほうが似合う」
「あ、えっと。どうもありがとう……」
セレスティアは顔が火照るのを感じて、少しだけ俯く。
今日の着ているのはシルヴァンが先日送ってくれたシンプルな藍色のドレスだ。シンプルだが品がよく、メイドたちから「よくお似合いです」とすこぶる評判がいい。
これまでのセレスティアは、乙女ゲームの悪役令嬢セレスティアが着ていたような派手なドレスばかりを選んでいた。なんせ、社畜だった前世ではファッションに疎かったのだ。ゲーム世界のセレスティアが着ているような服が一番似合うに違いないと思い込んで派手なドレスばかり着ていたが、どうも間違っていたらしい。
最近はシルヴァンが選んで送ってくれたドレスやワンピースを着ることが多くなった。シルヴァンが選ぶのは、セレスティアが持っていたドレスとは正反対の、落ち着いた色のシンプルなドレスばかりだ。思えばセレスティアはきつく派手な顔立ちをしているのだから、シンプルな服が似合うのも当然だろう。
「いつも私に似合うものを選んでくれるけど、どうしてシルヴァンはそんなにセンスがいいの?」
「そりゃあ、セレスティアのことばかり考えているからな」
シルヴァンはくすりと笑うと、そっとセレスティアの耳元に顔を寄せる。
「婚約者に好かれたくて、俺も必死なんだ」
「か、からかわないでちょうだい……っ!」
低く、どこか危うい色気のある声に、セレスティアは顔を真っ赤にして思わず顔をそらした。
「どうした? 顔が赤いぞ」
からかうように言われ、セレスティアは頬を膨らます。
レオナルドとファナの恋愛を二人で邪魔していた時には、決してみせなかったシルヴァンの新しい一面に、セレスティアはずっと翻弄されている。
第一、長く友人だと思っていた男が、急に恋人のような態度を取ってくれば、誰だって対応に困ってしまうだろう。しかしシルヴァンはそんなセレスティアの内心など気にもとめず、余裕の表情でアイスコーヒーを飲んでいる。
セレスティアも、誤魔化すようにゴクゴクとアイスティーを飲む。
やがて、シルヴァンは腕時計に視線を落とすと立ち上がった。
「さて、そろそろ行くか」
「そうね」
シルヴァンに続いて立ち上がったセレスティアは、膝の上の薔薇を大事にハンカチで包み直し、鞄にしまった。
休日の街は活気にあふれていて、多くの人が行き交っている。
カフェを出たセレスティアは、シルヴァンの紳士的なエスコートで大通りを歩いて行く。もちろん、婚約者同士らしくしっかりと手は繋がれている。
(シルヴァンったら、本当に何を考えているのかしら……。こんなことされたら、勘違いしそうになるじゃない)
嬉しくないわけではないが、シルヴァンが何を考えているのか、さっぱりわからない。
しかし、思えばシルヴァンは長らくファナに片想いをしていたのだ。大切なファナにしてあげたかったことを、セレスティアにしてくれているのかもしれない。そう考えると、シルヴァンが女性の好みそうなカフェにやたらと詳しいことも、女心をくすぐるような贈り物をしてくることにも納得がいく。
ずっと友人としてシルヴァンと一緒にいたのだ。シルヴァンがどれほどまでにファナのことを好きだったか、誰よりも分かっている。
(そう思うと、少しファナが羨ましいと思ってしまうのは、私が嫉妬深いからなのかしら……)
美しいファナのことが、脳裏に浮かぶ。夜空を駆ける星々のように美しい銀髪に、エメラルドグリーンの透き通った瞳の美少女は、微笑みひとつで簡単に男たちを魅了した。
それに比べて、商店街のガラス窓に映るセレスティアはどうだろう。癖のないストンとした栗色の髪に、少しくすんだ紫色の瞳。派手な顔立ちをしているが、微笑めば口元がピクピクと引きつってしまうし、意識しなければ怒ったような顔つきになってしまう。そんな自分がファナに敵うとは、到底思えない。
律儀で優しいシルヴァンは、セレスティアを婚約者として大切にする。しかし、それがうっかりやらかした一晩の過ちに起因する義務感から来るものだとしたら。あれほど想っていたファナへの想いに蓋をして、セレスティアを大切にしているのは、辛いことなのではないだろうか。
そう思うと、セレスティアの胸はきゅうっと苦しくなる。
「……ティア? おい、セレスティア?」
ふいに名前を呼ばれて、セレスティアは顔を上げた。
セレスティアよりも余裕で頭一つ分以上高い場所にあるシルヴァンの顔が、こちらを見下ろしている。どうやら、話しかけても返事をしないセレスティアを、心配してくれたようだ。
セレスティアは慌てて取り繕った笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。少し、ぼーっとしてたわ」
「そのようだ。おいおい、婚約者とのデート中に考え事をするとは。それは少しマナー違反なんじゃないか?」
「……そ、そうよね」
「どうした? 顔色が少し悪い気がするが」
そう言ってシルヴァンはセレスティアの頬に手を伸ばす。
(シルヴァンは、私じゃなくて本当はファナにこうしてあげたいのよね……)
そう考えた瞬間、セレスティアはシルヴァンの手を無意識に振り払っていた。ぴしゃりと手を打つ音が、やけに大きく響く。
一瞬にして凍り付いたシルヴァンの顔を見て、セレスティアはハッと我に返る。
「あっ、ごめ……」
「いや、俺こそ急に触ってすまなかった」
シルヴァンは硬い顔のまま謝る。
気まずい沈黙を打ち消そうと、セレスティアは慌てて訊ねた。
「そ、それで、何の話をしてたかしら」
「……結婚式の日取りの話なんだが、いつがいいだろうか。こういうのは、女性のほうがこだわりがあると聞くから、セレスティアの希望を聞きたいんだ」
「け、け、け、結婚式!?」
思わず裏返った声でそう答えたセレスティアは、あわあわと手を彷徨わせた。
「いくら何でも早すぎるんじゃなくって? だって、両家の顔合わせだってつい先日終わったばかりだし!」
「なんだ、そんなに驚いて。俺たちは婚約したんだし、結婚式の話が出るのは当然だろう」
「そ、そうだけど、思ったよりスピーディーに諸々が決まってしまうから……」
しどろもどろになって答えるセレスティアに、シルヴァンの整った顔がわずかに曇る。
「こういうのは、早いほうがいい。俺の両親も、セレスティアをいたく気に入って結婚を急かしてきている」
「それは、ありがたいことだけど、でも、さすがにまだ心の準備ってものが……」
「俺との婚約を了承した時点で、結婚を承諾したも同義だろう。それともなんだ、お前は婚約者の俺に不満があるのか?」
「あるはずないわ! シルヴァンは完璧な婚約者ですもの」
セレスティアは反射的に答える。
婚約してからというもの、これ以上ないほどに大切にされている自覚はある。贈り物も、囁かれる言葉たちも、忙しい仕事の合間を縫ってセレスティアに会いに来ることも、嬉しくてたまらないのは事実。
元婚約者のレイモンドにどれほど望んでも与えられなかったものを、シルヴァンは惜しみなくセレスティアに与えてくれる。
シルヴァンは首を傾げた。
「では、何か問題が?」
じっとこちらを見つめてくるサファイア色の瞳は、嘘やごまかしを許さない。
(……やっぱり、ちゃんと言っておくべきよね)
ついにセレスティアは観念し、口を開いた。
「正直に言えば、私がシルヴァンと結婚するなんて、未だに実感がわかないんですの。ほら、私たちってお互い別の人を追いかけていた訳でしょう。私はレイモンド殿下を、そして貴方はファナ嬢を」
「それは、過去のことだろう」
「そんなに簡単に、切り捨てられないでしょう」
数か月前まで、シルヴァンはファナに夢中だった。女神のようにファナを崇め、彼の豊富な語彙はすべてファナを褒め称えるためだけにあった。そんなシルヴァンの姿を、セレスティアはずっと隣で見ていたのだ。
セレスティアは組んでいたシルヴァンの腕をそっとほどき、視線を逸らした。
「何度も言うけれど、私みたいな女を婚約者に選んでくれたことには感謝してるわ。でも、本当は好きでもない私を選んで、貴方は幸せになれるのか、よく考えてほしいのよ。私はシルヴァンに無理をしてほしくない」
「セレスティア! お前は少々、自分を過小評価しすぎるきらいがある」
「事実よ。……ほら、どうせあぶれた者同士がくっついただけの婚約なんだもの」
胸が苦しいほどに痛むのを無視して、セレスティアはそれだけを一気に伝える。
二人の間を、秋の冷たい風が二人の間を、秋の冷たい風が通り抜けていく。
しばらくの沈黙のあと、シルヴァンは片手で顔を覆うと深いため息を吐いた。
「セレスティア、お前は本当に……。いや、俺が悪いか……」
「え?」
思わず顔を上げると、そこにはどこか寂しげな表情のシルヴァンがいた。
「今日は帰ろう。俺も少し、今後のことを考える必要がある」
シルヴァンはそれだけ言うと、速足に歩きだす。
その後、シルヴァンは何も言わず、セレスティアを家に送り届け、そのまま帰っていった。
そして、それから半月もの間、シルヴァンはセレスティアに会いに来なくなった。
両家の顔合わせとなる食事会も和やかな雰囲気で終わり、周囲にも婚約したことを少しずつ伝えている。公の場には婚約者として連れ立って出席することも多くなった。
そんなこんなで、徐々にセレスティアは「第一王子の婚約者」ではなく「マケナリー家嫡男の婚約者」として周知されつつある。
「こんなに順調でいいのかしら」
大通りに面したカフェでアイスティーを飲んでいたセレスティアは、小さくため息をつく。グラスの中のアイスが溶けて、からんと涼しげな音が鳴った。
今日は、「普通の婚約者同士らしく」シルヴァンとデートだ。シルヴァンが連れて来たカフェは、いかにも貴族令嬢たちが喜びそうな可愛らしい店で、多くの客で賑わっている。
目の前で足を組んでいたシルヴァンは当然のように頷いた。
「諸々の段取りは完璧だ。お前は何も心配する必要はない」
「本当に、シルヴァンは理想的な婚約者様だわ。今日だって、お花をもらってしまったし……」
待ち合わせに現れた瞬間、シルヴァンは「お前に似合うと思って」と、さっと一輪の花を差し出し、セレスティアを大いに困惑させた。なんせ、セレスティアはずっとレイモンドの婚約者だったのだ。ファナに夢中だったレイモンドは、セレスティアに花などくれたことはなかった。
シルヴァンがくれた一輪の白い薔薇は、茎に小さなリボンがついていて可愛らしいものだ。セレスティアはその薔薇が枯れないようにそっとハンカチを水に湿らせ、茎の部分に巻いて大切に膝の上に置いている。
正式に婚約してからというもの、シルヴァンは人気店のお菓子から、センスの良いアクセサリーにドレスなど、事あるごとに贈り物をしてくれた。
セレスティアは眉を下げて、優雅にコーヒーを飲むシルヴァンを見つめた。
「あのね、無理して色々贈ってくれなくてもいいのよ。第一王子と婚約破棄された私の婚約者になっただけでも、ありがたいと思ってるんだから」
「俺が贈りたいんだ。気にせず受け取れ」
「そう言われても……」
「それから、似合ってるぞ、そのドレス。やはり俺の見立て通り、セレスティアはシンプルな服のほうが似合う」
「あ、えっと。どうもありがとう……」
セレスティアは顔が火照るのを感じて、少しだけ俯く。
今日の着ているのはシルヴァンが先日送ってくれたシンプルな藍色のドレスだ。シンプルだが品がよく、メイドたちから「よくお似合いです」とすこぶる評判がいい。
これまでのセレスティアは、乙女ゲームの悪役令嬢セレスティアが着ていたような派手なドレスばかりを選んでいた。なんせ、社畜だった前世ではファッションに疎かったのだ。ゲーム世界のセレスティアが着ているような服が一番似合うに違いないと思い込んで派手なドレスばかり着ていたが、どうも間違っていたらしい。
最近はシルヴァンが選んで送ってくれたドレスやワンピースを着ることが多くなった。シルヴァンが選ぶのは、セレスティアが持っていたドレスとは正反対の、落ち着いた色のシンプルなドレスばかりだ。思えばセレスティアはきつく派手な顔立ちをしているのだから、シンプルな服が似合うのも当然だろう。
「いつも私に似合うものを選んでくれるけど、どうしてシルヴァンはそんなにセンスがいいの?」
「そりゃあ、セレスティアのことばかり考えているからな」
シルヴァンはくすりと笑うと、そっとセレスティアの耳元に顔を寄せる。
「婚約者に好かれたくて、俺も必死なんだ」
「か、からかわないでちょうだい……っ!」
低く、どこか危うい色気のある声に、セレスティアは顔を真っ赤にして思わず顔をそらした。
「どうした? 顔が赤いぞ」
からかうように言われ、セレスティアは頬を膨らます。
レオナルドとファナの恋愛を二人で邪魔していた時には、決してみせなかったシルヴァンの新しい一面に、セレスティアはずっと翻弄されている。
第一、長く友人だと思っていた男が、急に恋人のような態度を取ってくれば、誰だって対応に困ってしまうだろう。しかしシルヴァンはそんなセレスティアの内心など気にもとめず、余裕の表情でアイスコーヒーを飲んでいる。
セレスティアも、誤魔化すようにゴクゴクとアイスティーを飲む。
やがて、シルヴァンは腕時計に視線を落とすと立ち上がった。
「さて、そろそろ行くか」
「そうね」
シルヴァンに続いて立ち上がったセレスティアは、膝の上の薔薇を大事にハンカチで包み直し、鞄にしまった。
休日の街は活気にあふれていて、多くの人が行き交っている。
カフェを出たセレスティアは、シルヴァンの紳士的なエスコートで大通りを歩いて行く。もちろん、婚約者同士らしくしっかりと手は繋がれている。
(シルヴァンったら、本当に何を考えているのかしら……。こんなことされたら、勘違いしそうになるじゃない)
嬉しくないわけではないが、シルヴァンが何を考えているのか、さっぱりわからない。
しかし、思えばシルヴァンは長らくファナに片想いをしていたのだ。大切なファナにしてあげたかったことを、セレスティアにしてくれているのかもしれない。そう考えると、シルヴァンが女性の好みそうなカフェにやたらと詳しいことも、女心をくすぐるような贈り物をしてくることにも納得がいく。
ずっと友人としてシルヴァンと一緒にいたのだ。シルヴァンがどれほどまでにファナのことを好きだったか、誰よりも分かっている。
(そう思うと、少しファナが羨ましいと思ってしまうのは、私が嫉妬深いからなのかしら……)
美しいファナのことが、脳裏に浮かぶ。夜空を駆ける星々のように美しい銀髪に、エメラルドグリーンの透き通った瞳の美少女は、微笑みひとつで簡単に男たちを魅了した。
それに比べて、商店街のガラス窓に映るセレスティアはどうだろう。癖のないストンとした栗色の髪に、少しくすんだ紫色の瞳。派手な顔立ちをしているが、微笑めば口元がピクピクと引きつってしまうし、意識しなければ怒ったような顔つきになってしまう。そんな自分がファナに敵うとは、到底思えない。
律儀で優しいシルヴァンは、セレスティアを婚約者として大切にする。しかし、それがうっかりやらかした一晩の過ちに起因する義務感から来るものだとしたら。あれほど想っていたファナへの想いに蓋をして、セレスティアを大切にしているのは、辛いことなのではないだろうか。
そう思うと、セレスティアの胸はきゅうっと苦しくなる。
「……ティア? おい、セレスティア?」
ふいに名前を呼ばれて、セレスティアは顔を上げた。
セレスティアよりも余裕で頭一つ分以上高い場所にあるシルヴァンの顔が、こちらを見下ろしている。どうやら、話しかけても返事をしないセレスティアを、心配してくれたようだ。
セレスティアは慌てて取り繕った笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。少し、ぼーっとしてたわ」
「そのようだ。おいおい、婚約者とのデート中に考え事をするとは。それは少しマナー違反なんじゃないか?」
「……そ、そうよね」
「どうした? 顔色が少し悪い気がするが」
そう言ってシルヴァンはセレスティアの頬に手を伸ばす。
(シルヴァンは、私じゃなくて本当はファナにこうしてあげたいのよね……)
そう考えた瞬間、セレスティアはシルヴァンの手を無意識に振り払っていた。ぴしゃりと手を打つ音が、やけに大きく響く。
一瞬にして凍り付いたシルヴァンの顔を見て、セレスティアはハッと我に返る。
「あっ、ごめ……」
「いや、俺こそ急に触ってすまなかった」
シルヴァンは硬い顔のまま謝る。
気まずい沈黙を打ち消そうと、セレスティアは慌てて訊ねた。
「そ、それで、何の話をしてたかしら」
「……結婚式の日取りの話なんだが、いつがいいだろうか。こういうのは、女性のほうがこだわりがあると聞くから、セレスティアの希望を聞きたいんだ」
「け、け、け、結婚式!?」
思わず裏返った声でそう答えたセレスティアは、あわあわと手を彷徨わせた。
「いくら何でも早すぎるんじゃなくって? だって、両家の顔合わせだってつい先日終わったばかりだし!」
「なんだ、そんなに驚いて。俺たちは婚約したんだし、結婚式の話が出るのは当然だろう」
「そ、そうだけど、思ったよりスピーディーに諸々が決まってしまうから……」
しどろもどろになって答えるセレスティアに、シルヴァンの整った顔がわずかに曇る。
「こういうのは、早いほうがいい。俺の両親も、セレスティアをいたく気に入って結婚を急かしてきている」
「それは、ありがたいことだけど、でも、さすがにまだ心の準備ってものが……」
「俺との婚約を了承した時点で、結婚を承諾したも同義だろう。それともなんだ、お前は婚約者の俺に不満があるのか?」
「あるはずないわ! シルヴァンは完璧な婚約者ですもの」
セレスティアは反射的に答える。
婚約してからというもの、これ以上ないほどに大切にされている自覚はある。贈り物も、囁かれる言葉たちも、忙しい仕事の合間を縫ってセレスティアに会いに来ることも、嬉しくてたまらないのは事実。
元婚約者のレイモンドにどれほど望んでも与えられなかったものを、シルヴァンは惜しみなくセレスティアに与えてくれる。
シルヴァンは首を傾げた。
「では、何か問題が?」
じっとこちらを見つめてくるサファイア色の瞳は、嘘やごまかしを許さない。
(……やっぱり、ちゃんと言っておくべきよね)
ついにセレスティアは観念し、口を開いた。
「正直に言えば、私がシルヴァンと結婚するなんて、未だに実感がわかないんですの。ほら、私たちってお互い別の人を追いかけていた訳でしょう。私はレイモンド殿下を、そして貴方はファナ嬢を」
「それは、過去のことだろう」
「そんなに簡単に、切り捨てられないでしょう」
数か月前まで、シルヴァンはファナに夢中だった。女神のようにファナを崇め、彼の豊富な語彙はすべてファナを褒め称えるためだけにあった。そんなシルヴァンの姿を、セレスティアはずっと隣で見ていたのだ。
セレスティアは組んでいたシルヴァンの腕をそっとほどき、視線を逸らした。
「何度も言うけれど、私みたいな女を婚約者に選んでくれたことには感謝してるわ。でも、本当は好きでもない私を選んで、貴方は幸せになれるのか、よく考えてほしいのよ。私はシルヴァンに無理をしてほしくない」
「セレスティア! お前は少々、自分を過小評価しすぎるきらいがある」
「事実よ。……ほら、どうせあぶれた者同士がくっついただけの婚約なんだもの」
胸が苦しいほどに痛むのを無視して、セレスティアはそれだけを一気に伝える。
二人の間を、秋の冷たい風が二人の間を、秋の冷たい風が通り抜けていく。
しばらくの沈黙のあと、シルヴァンは片手で顔を覆うと深いため息を吐いた。
「セレスティア、お前は本当に……。いや、俺が悪いか……」
「え?」
思わず顔を上げると、そこにはどこか寂しげな表情のシルヴァンがいた。
「今日は帰ろう。俺も少し、今後のことを考える必要がある」
シルヴァンはそれだけ言うと、速足に歩きだす。
その後、シルヴァンは何も言わず、セレスティアを家に送り届け、そのまま帰っていった。
そして、それから半月もの間、シルヴァンはセレスティアに会いに来なくなった。
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