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二度目 ◆アレン視点

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「術式だけは代々受け継がれているものの、『時戻しの魔法』は我が一族では禁術とされています」

 静まり返った部屋の中、わたしの声だけが冷たく響く。少女は怯えたように身をすくませた。

 先程から彼女はうなだれ震えるばかりで、一度もわたしの方を見ようとしない。豪華な広いソファにぽつんと腰掛け、心細そうに己の体を抱き締めていた。

 反応のない彼女に構わず、わたしはあえて平坦な口調で説明を続ける。

「当然です。人としての領分を超えた、この世の摂理に反する邪法なのだから。その影響は術者のみならず、世界全てを巻き込むこととなる……」

 時戻しの魔法によって遡れるのは、きっかり三年のみ。

 たとえ五分前に起こった出来事を変えたいだけでも、この魔法を使えば問答無用で三年分の時が巻き戻る。

「術者以外には時が戻った自覚がありません。親しい人との思い出も、三年かけて積み重ねた経験も、努力して成し遂げた成果も、全てが無かったこととなってしまう。それなのに人々は奪われたことにすら気付かない。……これを邪法と呼ばずして何と呼びましょうか」

「…………」

 彼女の唇が微かに動く。

 口をつぐんで彼女を見下ろせば、彼女はようやくゆるゆると顔を上げた。その顔はひどく青ざめていて、今にも気を失ってしまうのではないかと心配になる。

「……どうして、私のために」

 禁忌を破ったの、と少女が消え入るような声で尋ねた。

 その問いに、わたしは自分でも驚くほど動揺する。

「……っ。それは……」

 大急ぎで彼女から顔を背け、早鐘を打つ心臓を必死でなだめた。

「わたしはレオン陛下から、あなたを守るよう命じられました。それなのに、わたしはむざむざとあなたを死なせてしまった。これは王家に仕える魔法使いとして、許されざる失態で――」

 嘘だ。

 レオン陛下の命令などどうでもよかった。
 ただわたしは、リディアの最後の顔が脳裏に焼きついて離れなかったのだ。


 ――にげて。


(あの状況下で、あなたはわたしを助けようとしてくれた……)

 それなのに、自分はリディアを救うことができなかった。その後悔から逃げるためだけに、衝動的に魔法を発動させたに過ぎないのだ。

「……時戻しの魔法は、生涯で一度しか使うことが叶いません」

 再びうつむいてしまった彼女に、うめくように告げる。

 ……が、これも嘘だ。

 時戻しの魔法は莫大な魔力を消費する。
 魔力量とは生まれつき決まっているもので、魔法を使えば使うほどに減っていく。そして回復することはない。
 魔力が枯渇してしまえば、魔法使いはただの人となるのだ。

(通常の魔力量であれば、本当は時戻しの魔法など一度だって使えない……)

 クロノス家の歴代の魔法使いの中でも、時戻しができるほどの魔力を持つのは数人しかいなかったはずだ。

 けれど、わたしは。

(二度と魔法が使えないかもと覚悟していたが、まだ充分すぎるほどに魔力は満ちている。この分なら――……いや)

 己の思考に蓋をする。

 『次』など考える必要はない。
 二度と再びリディアを死なせない。

 決意を秘めて、リディアに手を差し伸べた。
 はっと顔を上げる彼女に、大きく頷きかける。

「もうやり直しはききません。たった一度きりのチャンスなのですよ、リディア殿下。――わたしと共に、死の運命を変えましょう」


 ◆


 時を戻した際、わたしは一か八かでリディアの記憶に干渉した。成功するか不安だったが、彼女は切れ切れながらも未来の出来事を覚えていた。

 わたしを除いて唯一、彼女は記憶を持ったまま巻き戻ったのだ。

「こわい、こわいのアレン……っ」

 夜になると、毎晩のようにリディアは泣き出した。

「断頭台が見えるの……。国民達が私に石を投げるわ。みんな、楽しそうに笑って……!」

「リディア殿下! それは悪い夢に過ぎません。その未来はもう消えたのです!」

「そう……、そうね。そうよね……」

 必死で慰めれば、その時だけ彼女の瞳に力が戻った。そうして健気に頷くのだ。

「見ててね。私、絶対に変わってみせるわ。アレン……!」


 ◆


 宣言通り、それからのリディアは人が変わったように努力した。

 大好きだったお洒落はやめ、質素なドレスをまとって黄金の髪は無造作にくくるだけ。
 そして城下に降りては、貧しい民のため身を粉にして働いた。病院を慰問し、孤児に手を差し伸べれば、民達は涙をこぼしてリディアに感謝した。

「ああ、慈悲深いリディア様!」

「素晴らしき王女殿下!」

 賛辞の言葉が城下に響き、わたしは胸を撫で下ろす。

(ああ、これならば……!)

 リディアの運命は変わるはず。


 ――そう思っていたのだ、愚かなわたしは。


 リディアが自ら命をったのは、巻き戻ってから一年後のことだった。

 兆候はあった。

 死の影への恐れ。
 周囲の期待に満ちた眼差し。
 良き王女であろうと己を律し続ける日々は、少しずつ少しずつ彼女を蝕んでいった。彼女の笑顔を最後に見たのはいつだったろう。

(わたしのせいだ……!)

 窓ガラスにこぶしを叩きつける。
 ガラスの破片が飛び散り、頬に鋭い痛みが走った。

 ……記憶など、戻すべきではなかったのだ。
 どれだけ後悔してももう遅い。

 暴れまわり、めちゃめちゃに荒れ果てた部屋の中で、己の両手をじっと見下ろす。
 その時には、再びわたしは決意していた。

 時を戻す。
 もう一度だけ、最初から全てをやり直すのだ……!


 けれど。


(発動しない……!?)

 どれだけ念じても、何度試しても、時が巻き戻る気配は微塵もなかった。
 愕然として周囲を見回す。

 なぜだ。
 魔力はまだ充分にあるはずなのに。

 ――絶望にわたしは崩れ落ちた。
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