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二人三脚と……

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 矢本瑞輝みずきのよく通る大きな声が、落とし穴の下にいる詩奈しいなの耳に頼もしく届いた。

 強打していた後頭部が痛かったが、ずっと待ち望んでいた声が、しかも、事も有ろうに、ずっと片想いしていた瑞輝の声が穴の上から聞こえ、天国に導かれるかのように幸せな想いを抱きながら、ゆっくりと上を見上げた牧田詩奈しいな

「牧田さん!」

 穴は深く、陽も落ちかけて、中にいる女子が誰だか見分けにくかったにも関わらず、北岡凌空りくはすぐにクラスメイトの詩奈しいなだと気付いた。
 珍しく欠席だったのが気になっていたが、まさかその原因が、この落とし穴のせいだとは予想だにしなかった。

「えっ、牧田? ホントだ! お~い、牧田! 立って、両手を伸ばせ!」

 言われた通りに手を伸ばすと、右手を瑞輝みずきが、左手を凌空りくが引っ張った。

「牧田、足を土壁に引っ掛けてくれたら、引き上げやすくなるから、やってみろよ」

「左足は出来るけど、右足が上手く出来ないの」

 瑞輝みずきに言われ、そうしようと試みたが、骨折しているらしい右足は、足首が内側にひん曲がったままだった。

「そういや~、お前、昔っから鈍かったもんな。頑張って、俺らの腕の力だけで引き上げるぞ、凌空りく!」

「分かった、左手は任せて!」

 男子2人がかりで、やっと穴の上まで引き上げると、辺りは既に夕闇に覆われていたが、その暗さでも詩奈しいなの右足首の悲惨さは十分に見て取れた。
 それだけではなく、頭部も擦り傷や土汚れが多かったせいで尚更、悲惨さを増していた。

「牧田さん、足首!」

 部活後に、女子を大穴から引き上げた体力の消耗と、不自然に内側に向いたままの右足首のグロテスクさで、卒倒しかけた凌空。

「おい、凌空りく、しっかりしろ!公衆電話と、お前の家、どっちが早い?119番連絡してくれそうな通行人がいたら頼んでもいいし、とにかく救急車呼んでくれ!俺は、枝とか見付けて応急処置しとくから」

 予期せぬ大怪我をしている女子を前に、自身も気が動転しながら、怖気付いている凌空りくに指示した瑞輝みずき

「了解!先に救急車呼ぶから、牧田さん、待ってて」

 こんな時、自分達が中学生ではなく、高校生だとすると、迅速に携帯で119番に連絡出来きていたはずだったと悔しく感じる凌空りく
 走るのは瑞輝みずきの方が得意だが、痛々しい姿の詩奈しいなのそばで待っているのも辛く、応急処置などの心得の無い凌空りくは、瑞輝みずきに従った。

「大丈夫か、牧田?」

 枝木を探しに行く前に、詩奈しいなに確認した瑞輝みずき

「痛いけど、何とかガマン出来る……」

 穴を掘り怪我させた事を気にしている瑞輝みずきを心配させまいと、精一杯強がった詩奈しいな

「ゴメン、こんな痛い目に遭わせて」

「ううん、助けてくれてありがとう」

「礼なんか言うなよ! 俺が落とし穴なんか掘らなかったら、こんな事にならなかったんだから!」

 自分がした事の愚かさに対し、怒りが込み上げていたのを詩奈しいなに向けてしまった瑞輝みずきは、罰が悪くなり、枝木を探しに行った。
 隈なく探そうにも、辺りは夜のとばりが降りかけ、なかなか見付からない。

 瑞輝みずきを待つ間、詩奈しいなは痛く腫れ上がった右足首を撫でながら、ふと小学生の時の運動会を思い出していた。
 先刻、瑞輝みずきが、詩奈しいなに向け言い放った『昔から鈍い』という言葉が、その時の記憶を呼び起こしたのだった。


 3年ほど前、小学4年生の運動会で、詩奈しいなは背の順で並んでいた瑞輝《みずき》と二人三脚をする事になった。
 詩奈しいなの右足を瑞輝みずきの左足と繋いだ瞬間、何か不思議な感覚に包まれた。

(なに? これ……? 初めてなのに、初めてではないような……?)

 その感覚は自分だけなのかと思い、その瞬間、驚いて瑞輝みずきを方を見ると、瑞輝《みずき》もまた驚いた表情で、詩奈しいなを注視していた。
 きっと、瑞輝みずきも自分と同じものを感じ取れていたのだと、詩奈しいなは悟った。

 瑞輝みずきは、小学生の頃から学校内で目立つスポーツマン系男子だった。
 詩奈しいなと同じクラスになったのは4年生が初めてだったが、それ以前から、学校で悪目立ちする瑞輝みずき詩奈しいなは淡い恋心を覚えていた。
 そんな瑞輝みずきと二人三脚で、一緒に走れると知った時の詩奈しいなの喜びは大きかった。
 二人三脚自体は、運動会では、詩奈しいながコケて敗退したものの、瑞輝みずきと同じ感覚になって共有出来ていた時間で、自分と瑞輝みずきとは何か運命的に繋がっているのではと感じ始めていた。

「牧田がコケたのは、俺の足が早過ぎたから、俺が悪かった」

 と、二人三脚で敗退した時に言った詩奈しいなを庇った瑞輝みずき言葉にも胸打たれた。

 が、その不思議な感覚はその時のみで、運動会以後、瑞輝みずきとの距離は縮まる事無く、5.6年生のクラス替えも中学校に入学後も同じクラスにはなれず、一方的に遠目で瑞輝みずきを追うだけの自分に、あの時抱いた不思議な感覚は、自分のだけの勘違いだったのかも知れないと諦めていた。


 そんな矢先、思いがけず、瑞輝みずきの作った大穴に落ちてしまった。

 あの二人三脚の時に、不思議な感覚になった右足首が、今は、こんなにも機能を果たせない有様になっている。
 あの時の不思議な感覚は、この凶兆として、随分前に知らせてくれたものだったのか?
 それとも、これから、右足首をきっかけに、詩奈しいな瑞輝みずきが急接近するという予告だったのだろうか?
 瑞輝《みずき》の帰りが遅いのを気にかけながら、尚も詩奈しいなは想像を続けた。

 もしも、この右足首が元に戻らず、上手く歩けなくなるとしたら、瑞輝みずきは責任を感じ、これからは詩奈しいなに寄り添う事になるのだろうか?
 それならば、痛い思いはしたが、ずっと瑞輝みずきに恋心を抱き続けて来た詩奈しいなの想いが、この右足首の怪我をきっかけに成就する事になるかも知れない。

「ごめん、随分待たせて。暗くて、なかなか見付からなかった」

 瑞輝みずきの声がして、暗闇に1人残されていた不安から解放された。
 まだ救急車の音は聴こえない。

「こんな暗くなって、矢本君の親は心配しない?」

「人の心配よか、まずは自分の心配だろ? 足は痛い?」

 詩奈しいなの不自然な向きの足首を触ろうする前に、声をかけた瑞輝みずき
 曲がった足首はもちろん、打った頭も痛かったが、それよりも、瑞輝みずきと2人でいるという興奮の方が、何倍も大きかった。
 
(こんな状態の時に、こんな勝手な事を思うのはイケナイ事だって分かってるけど、このまま救急車が来なくてもいいのに……)

 と願わずにいられないほど、詩奈しいなは今の自分の身体に受けた痛みよりも、瑞輝みずきと2人っきりの時間の方が尊く思えた。

(矢本君が私のすぐ横で、私を見ている! 今の矢本君の頭は、私の事だけで占められている! こんなハプニングが起こらなかったら、有り得なかったシチュエーション……)
 
 痛がると瑞輝みずきに申し訳無いように感じ、折れた足首を触られた時、激痛が走ったが、極力何でも無い素振りをした詩奈しいな

「なんだよ、この生っ白さ!」

 街灯の明かりだけで薄暗かったが、詩奈しいなの足の白さは認識出来た。

「矢本君の方が、日焼けし過ぎなだけじゃない?」

 対照的なほど日焼けしている瑞輝みずきの顔を見て言った。

「ビタミンD不足は骨折しやすいから、日光にもっと当たれよ」

「うん、骨折しているとしたら、そのせいも有るのかも……」

 瑞輝みずきの罪意識を軽くしてあげたい思いで、自分のせいでも有るように詩奈しいなが認めた。

「足首、元の向きに戻してもいい?痛そうだったら、止めておくけど」

 瑞輝みずきが遠慮気味に尋ねた。

「そこまで痛くないから、治せるなら、普通の向きに向けて欲しい」

 少しだけ外側に戻そうとしただけで、全身突き抜けて頭まで到達しそうな激痛が走り、無理そうに両膝がガクガク動いた。

「やっぱ痛いよな……このままの状態で添え木しても意味無さそうだけど、足首以外も骨折してるかも知れないから一応……」

 瑞輝みずきは長めの枝を自分の綿のハンカチを破き、ふくらはぎから足首にかけて2か所結び、短めの枝を足裏に合わせて固定し、破いたハンカチの残りで結んだ。

「ありがとう、矢本君」

「だから、俺に礼を言うなよ!」

 同学年の女子に大怪我をさせた愚かさを後悔している瑞輝みずきには、詩奈しいなのお礼の言葉により、余計に惨めさを痛感させられていた。

「本当は骨折した部分は高くあげた方がいいんだけど、足首だし無理だよな」

「うん、でも、穴の中でずっと座っていたし、負担かけてないと思う。矢本君、骨折について随分詳しいんだね」

「部活とかでさ、友達がよく骨折してるの見聞きしてたから」

「そうだよね、男子だったら、骨折なんて普通なんだから、気にしないでね」

 瑞輝みずきの心の負担を少しでも取り除きたかった詩奈しいな

「お前、いつから、男になったんだよ! それより、救急車おせーなー! ホントに、凌空りくの奴、呼びに行ってくれたのか? 国道に出たら、公衆電話有るから確認した方がいいかもな。牧田、立てるか?」

 痛みを堪えている詩奈しいなの様子を見ていると、待ち切れず早く何とかしたい気持ちに駆られる瑞輝みずき

「少し手を借りたら立てると思う」

 詩奈しいなより10㎝くらい高い瑞輝みずきの肩に右腕を回し、腰を浮かせ、右足を引き摺るようにしてやっと立てた。

(矢本君、背こんなに伸びていたんだ。二人三脚の時は、一緒の背だったのに……)

 瑞輝みずきとの身長差に気付き、身体の右半分が触れ合っている事で、痛さよりもときめきが勝っている詩奈《しいな》。
 そんな詩奈しいなの気持ちに気付きもせず、痛みから解放させてあげたい思いで、瑞輝みずきは詩奈《しいな》の右腕を引き、背負った。

「えっ、オンブって……! 私、重くない?」

(軽い……!)

 予想していたよりも、詩奈しいなの身体はかなり軽く、驚いた瑞輝みずき

「それより、お前、胸無いな」

 詩奈かっこの軽さに驚いたものの、その事をストレートに言えず、衝動的に別の言葉を口にしていた瑞輝みずき

「降ろして! 歩くから!」

 体重の事を言われるかと思いきや、予想外に急に胸の大きさの事を指摘され、憤りと恥ずかしさで背負われていられない心境になった詩奈しいな

「悪い! そういう意味じゃなくて、ホントは軽くて驚いてしまって。あと……若葉わかばが、よく腕とか組んできた時とか、妙に胸があたってくるから、その感触を想像してたけど、違ったから」

 瑞輝みずきの口から発せられた有川若葉わかばの名前。

 同じクラスになった事は無いが、その名前と顔は詩奈しいなも知っていた。
 瑞輝みずきの幼馴染みで、瑞輝みずきの所属しているサッカー部のマネージャーをしている快活な感じの美少女だ。

「お生憎様でした! 矢本君が、そんなエロい男子とは思わなかった!」

 怒った口調になった詩奈しいなだったが、内心は、瑞輝みずきといつも身体寄せ合うほど一緒に行動していて、最も身近な女子である若葉が羨ましかった。

(でも、今、私は、矢本君の背中にいる! 幼馴染みの有川さんでも、矢本君にオンブしてもらった事なんてないかも知れない! さっきまで、もうダメだって思うくらい孤独と絶望の境地だったから、矢本君の背中は、なんか暖かくて、安心感が有って、一気に天国に救い上げられた気分! 細そうに思っていたけど、矢本君の背中、思ったより広くてガッチリしている! 細マッチョなのか、スポーツマン体形っていうのかな? こんな目に遭わなかったら、そんな事も知らないまま、遠くからずっと片想いしていただけだったのに……)

 国道まで出ると、凌空りくが手を振りながら走って来た。

「救急車、もうすぐ、来ると思う。あと、牧田さんの家にも寄って、報告してきた」

 瑞輝みずきにはそこまで言われてなかったが、凌空りくなりに機転を利かせた。

「サンキュー! あっ、凌空りく、お前、塾は?」

 今更ながら、凌空りくが塾ゆえに穴を埋める手伝いを断っていた事を思い出した瑞輝みずき

 「そんなの休んだよ! 今は、それどころじゃないから!」

 走って追い付いた凌空りくの随分後ろに、詩奈しいなの母親が、息を切らしながら付いて来ていた。

「お母さん……」

 やっと詩奈しいなに近付き、その不自然な形状の右足首が目に入ると、血の気が引きそうになった母。

詩奈しいな、何、その足! どうして……?」

「大丈夫よ! ほら、救急車来たし」

 やっと救急車のサイレンが聞こえ出した。

「本当に大丈夫なの? どうしたら、そんな酷い事になるの……?」

「すみません! 弟と一緒に空き地に作った穴に落ちて」

 それまでは、詩奈しいなを救って背負ってくれていたと思い込んでいた男子が、実は、詩奈しいなを怪我させた張本人と知り、怒りを顕わにした母。

「どうして、そんな危ないものを作って放置していたの!!」

「お母さん、止めて! 私が寝坊して、慌てて近道通って、不注意で気付かなかったから、いけなかったの! 矢本君は悪くないから!」

 母から瑞輝みずきが叱咤されるのを見るのが辛くて、かばった詩奈しいな

「牧田、いいよ。俺の責任です! 本当にすみません!」

 詩奈しいなを制してキッパリと言い切り、母の前で深々と頭を下げた瑞輝みずき

(こんな風に、矢本君が謝るのは見たくなかったのに、お母さんの分からず屋!)

 母の刺々しい言葉のせいで、頭を下げずにいられなかった瑞輝みずきに対する同情の方が強かった詩奈しいな
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