三度目の庄司

西原衣都

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8 三度目の庄司

第5話

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 台所からは珍しく陽気な祖父母の声が聞こえてくる。何かしら思うところもあったのだろうか。私たちは静かに聞こえてくる声を楽しんだ。

「明日にでも障子と襖を戻さないとね」
「そうだね」

 私たちにとっては、ここへ来るのは毎度変わらない夏の風物詩だったけれど、そんな何気ない年を毎年重ねて、家族になったのだろう。

 チリンと風鈴が鳴った。

「あれ、風鈴付けたの?」
「そう。今日だけね。俺の受験勉強の邪魔にならないように今年は付けてなかったんだって」
「そっか。夏の終わりに間に合ったね。涼しい~」
「うん。まあ、クーラー効いてるしね。扇風機の風だし」
「ちょっと、雰囲気台無しにしないで」

 向希はあははと声を上げて笑った。向希が笑うと安心する。

「向ちゃん、向こうに帰っても一人で泣いちゃダメよ。夜中とか、やめてね。泣きたくなったら呼んで。壁ぶち破って駆けつけるから」
「……有ちゃん、ちゃんとドアから来て」
「もう! そのくらいの意気込みだって」
「あはは」

 いつもよりよく笑う向希に、向希と父が昨日話したことは向希にとっても良い時間だったのだと思う。男同士にも必要だったのかもしれない。私と母のように。

 いつの間にか、けたたましい蝉の声が無くなっていた。時々、遅く出てきた蝉やつくつくぼうしが鳴いているくらいだ。

「夏が終わるなあ」
 向希がそう呟いた。

 ――翌朝、祖母は眠そうだった。

 夕べは遅くまで祖父と話が弾んだようだった。

「おばあちゃん、遅くまで何喋ってたの?」

 私たちはずっと邪魔している自覚はあったので、台所で話に入ることはしなかった。

「何か、お父さんたちを見てると若い頃を思い出してしまって、昔話をね」
 祖母はふふと笑った。その様子から、楽しいひとときだったに違いなかった。

 祖父が仕事に行くと、祖母は声のトーンを下げて言った。

「実はね、おじいちゃんとおばあちゃんも結婚を大反対されたの」

 昔話は、父母のことかと思っていたらもう少し前の昔話だったらしい。

「おじいちゃんはお見合いで結婚する予定だったんだけど、おばあちゃんと恋愛して結婚するって言い出したものだから、おじいちゃんの親族に大反対されて、四面楚歌状態で嫁いだの。結婚したらおじいちゃんも構ってくれないし。成勲が悪いことをしたらおばあちゃんのせいにされて、良いことをしたら、ここの家のお陰だって。うんざりしてた。ところが、おじいちゃんが結婚する予定だった女の人が実はとんでもなくて。金遣いは荒いわ、男と逃げるわ。そしたら勝手におばあちゃんの評価が上がってね、あの時は散々言ったくせに、今はそんなことすっかり忘れて『あなたは嫁いで来たときから評判が良かったもの』って、言い出すのよ。周りの人なんて適当。腹が立っちゃう」

 理想の家族の裏側を見た気がして、私も向希も苦笑いをした。

「おじいちゃんはおじいちゃんで、あの時、見合い相手が嫌だったって言ったから、おばあちゃんは逃げ道に使われたんだと思ってた。そしたら今になって、『お前をもらうと決めていた』とか言い出して。それを早く言ってくれてたらしんどい思いもしなかったのにって、昨日怒った」
「あー……」
「成勲の方がよっぽど気が利くわ!」

 私たちは頷けなかったが、向希は「親の経験もね、学びにします」と自分のことのように、頭をさげていた。

「だから、お父さんには好きな子と結婚させてあげようっておじいちゃんと決めていたのだけど、駄目ね、実際そうなると頭に血が上っちゃって。だって、もう、良しとするところが無かったのよ」

 一瞬、母のことかと血の気が引いたが、その前に連れてきた女性だと気がついた。向希が複雑な表情を浮かべたが、致し方ないという頷きで祖母に同意した。祖母も向希の母親は母だと思っているのだ。

「圭織ちゃんにはずっと不便な思いをさせちゃって。ずーっと自分に負い目を感じてる子だった。まだ、ほんの、十八歳。今の有ちゃんと同じくらいだったのよね。もっと甘えさせてあげれば良かったのに、あの子もつらかったでしょうね」

 祖母も私を通して、いつかの母を見ているのだろう。私を可愛がることで母に罪滅ぼしをしているのかもしれない。


「何言ってんの、今、僕たちがこんなにお世話になってるんだから母さんだって十分にばあちゃんに甘えてるよ」

 こういう時、すっと言葉が出てくる向希を頼もしく思う。

 私たちがごく自然に父や母の若い頃を想像できて、それを思い出すと懐かしく思うのは、祖父母の話を聞いたり、父母の話を聞いて作られる、口頭の記憶なのかもしれない。

 その人を知りたい時は、二世代は遡らないといけない。そして、世代を下らなければいけない。色んな人の影響を受けて生きているのだから。

「そうね。寂しくなるわ」
「来年も来るよ。大学生は夏休みも長いから」
「わあ、勉強頑張らないとね」

 茶化すと睨まれてしまった。そして、その件については私も他人事ではなかった。

 時間とは偉大なものである。環境だけでなく、人の気持ちや価値観まで変えてしまうのだから。

 まあ、都合の悪いことは忘れるという身勝手さも時には必要なのかもしれない。自分だって然り気無く誰かを傷つけているのかもしれないのだから。

 つまり、私は向希が失言しても寛大な心で根に持つことはやめてあげようと思う。私は祖母と母の過去からも学習するのだから。うむ。

「とにかく、会話不足なんだよね、みんな。家族とは日々の積み重ねでつくられて、日々の会話で相手の事がわかるんだから」

 向希が父の受け売りを披露した。父が母のことをお見通しなのは、頭がいいからじゃない。ちゃんと母の事を見ているからだ。向希が私の行く先々でタイミングよく現れるのだって、私の一挙一動をよく見ているからだ。私はふふっと笑みが溢れてしまった。
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