三度目の庄司

西原衣都

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エピローグ

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 私たちが、すっかり日常に戻ったある日、向希のDNA鑑定の結果が届いた。

 何も変わらない日々を過ごしていた。私たちが生まれる前から、事実は何も変わっていないのだ。

「有ちゃん、向ちゃん、お弁当」
「はい、ありがとう」
「ありがとう」
「涼しくなったからといって油断しないで、ちゃんと保冷剤……」
「わかった、わかった、わかったってば!」

 母はまだ寝ている。

 家を出ると、向希が追い付いて来た。

「もう、時間ずらしてって言ってるでしょ?」
「……まだ駄目? 高校生活はあと少しなんだよ? このまま他人の振りして過ごすなんて切ないなあ」

 情に訴えてきた向希を一蹴する。

「面倒くさいだけでしょ」

 向希はペロッと舌を出した。
「じゃあ、付き合ってるってことにしたらどう?」

 ジロッと睨むと
「残念!」
 悪びれることなく向希は笑って、私を追い抜いて行った。

 ――夢だったのかな。そう思うくらい一夏一緒に過ごしたのは知らない男の子だった。

 あの向希は、普段はいつもの向希の中に息を潜め、時々出てきては私に愛を語る。

 大学生になれば、社会人になれば、もっと大人になれば俺たちを知る人の方が少ないぞって、囁くのだ。今はもう私もそんなことは気にしていないのだが、恋は時に、奇妙な意地を張らせ、外から見たら滑稽な行動を取らせるのだ。

 だから、今のこれは私の愚行なのだ。


「そう言えば、お母さんも同じ事言ってたよ」
 私は母からのアドバイスを向希にも授けようと思った。

「周りが好き勝手言うのは気にしなくていいってさ。言った方は忘れてるし、年とともに価値観も変わるんだって」
「そうだね。ずーっと関係を続けたい人なんて、稀だからね。それがいいよ」
 向希が意味深な目を向け、私もそれにこたえた。
「そうだね」
「そうそう、有ちゃん。父さんもこれからの俺にアドバイスをくれたんだけど、何て言ったと思う?」
「んー、何だろう。『好きに生きなさい』とか?」
「『避妊はしなさい』」
 私は絶句した。それから、二人呼吸を合わせた。
「「お前が言うなよ」」

「ま、親は自分と同じ失敗を子供にさせたくはないわけだ」
「失敗じゃないよ、向ちゃん」
「まあねー」

 私は時々やってくる、得も言われぬ気持ちに決着をつけれずに、俯いてしまう。そんな時は向希が察しよくやってきて私の隣に座るのだ。
 
 向希は時々、壁にもたれて空を仰ぐ。そんな時は私が抱き締めて、歪んだ顔を包むのだ。

 絵はがきみたいに切り取ったあの夏は私の心に大切にしまってある。私の引き出しを開ける度、コロンと転がるビー玉は、向希のかくし玉。ころころ転がって、どこが本性かわからないけど、向希が急いで大人になって、失ったように見えた子どもに戻してあげるのは、私の仕事だと思っている。

 ああ、それにしても、あの『愛してる』は、何かもう、最高だった。やられちゃったなあと思う。私の体を脳天から撃ち抜いて、思い出すたび感動が胸に押し寄せる。


 私は偶像崇拝者であった。
 うんっと古いおじさんの考えは、私の中の愚像だったのかもしれない。時々思い出す。今も時々、無意識で白いエプロンか白いワンピースのような愚像を追い抜いかける。

 いいのだ、もう。
 父も母もどうなったのか知らない。実は、もし私が大西有希になったとしても、庄司に戻るルートをもう一つ親から独立して確立している。

 でも、いい加減はっきりして欲しい。しっかりとした新しい家具を買おうと思うから。ほんっと、思春期の親を持つ子どもは辛いのだ。

 さぁ、私に三度目の庄司はあるのか、ないのか。

 





 ――――end



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