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最終話
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「そろそろ時間だ。もうすぐ崩れる」とリクは言った。
彼のおかっぱ頭の半分が上にちぎれては下に戻り、下にちぎれては上に戻って揺れていた。後ろからリクの頭の中に手を突っ込んだやつが、リクを上下に動かしているみたいだとマサは思った。
「時間なのか」とマサは言った。なんで俺はそんなつまらないことしか言えないのだろう。
カメコが立ち上がった。そして座るリクに微笑みかけた。
「リク、ありがとう。こうやってスズキ君にも会えた。ずっとあの夕暮れのことを話したかったんだ」
「カメコありがとう。僕もカメコに会えてよかったよ」とリクはうなずいて続けた。
「君と話ができてよかったよ。まあ、楽しい話題じゃなかったけどね。もう人なんか信じられないって話だもんな。なあ、マサもよかっただろ?よかったって結論付けとけよ。なにしろ、これで最後だからな」
「すごくよかったよ。奇跡みたいな一夜だ」とマサは言った。
「マサはすごく表現力がある」とリクは言った。リクは良いタイミングで冗談と言う、とマサは思った。今後の参考にしよう。
「話せてよかったよ」と、体全体が上に下にちぎれながら揺れるリクは、くっきりとした言葉で言った。
「俺もだよ」とマサは言った。
「じゃあそろそろ帰ろうか、おうちに」リクは言った。
そしてマサは立ち上がる。
カメコは「さよなら」とリクに言った。
「さよなら」とリクはもう線香花火にしか見えない手の平をふった。
「じゃあ」とマサはしばらくしてから付け加えた。「さよなら」
カメコと一緒に階段から降りて、建物の敷地を出た。そして車が一台も通ってない通りを渡った。空は月も星も出ていない。雲だって存在していないかもしれない。そこにあるのはただの膜のようだとマサは思った。
「ねえ、スズキ君」とカメコは言った。
街灯もうまく働いてないのか、灯りはついているはずなのに何か暗くてカメコの顔がよく見えない。
「何?」マサは自分の声が掠れているのがわかった。
「わたし、カメコっていう名前、やめるわ」
マサは見えないカメコの顔を必死に見ようとした。でもうまく見えない。そこに顔はあるはずなのに、煙のようにゆらゆら揺れて闇に溶けていって形を掴めないんだ。
「うん、それがいいよ」とマサははっきり言った。聞こえてほしい、彼女に。彼女に相応しい名前を名乗ってほしい。
ヤマハシさん、とマサは語りかけた。そして彼女のフルネームを呼んだ。
彼女の声は、返ってこない。
空から地面に何かが叩きつけられた。風が吹く。
マサが振り向くと、滝の全てが滝壺に落ちてゆくように、ビルが崩れてゆく姿が目に映った。
隣を見ると、誰もいない。丸メガネも、後ろに束ねた髪も。カメコも、ヤマハシさんもどこにもいない。
誰もいない。全てが巨大な穴に落ちてゆく中、自分だけが地上に取り残されていた。
こんな別れって酷すぎないか?
マサは誰かに話しかけた。でも、誰の声もしなかった。
*****
2021年、春。
マサはマスク姿で夕食の買い物にスーパーへ向かった。
感染症の流行がおさまらない中、テレワークが中心となり、マサが会社に出勤するのは月に数えるほどになっていた。
あの不思議なリクとカメコとの夜を過ごした後、半年後にマサは東京に戻った。
”ヤマハシさん”とはあれ以来会っていない。メッセージアプリにも何一つメッセージは来ない。
何度かメッセージを送ろうと思ったけれど、何かがマサの手を止めた。
彼女はもうカメコではない、ヤマハシさんは俺にもう会うつもりはないような気がする、とマサは思った。
あの日。
どうやって家に戻ったかわからなかったが、とにかく朝にはマサは自分の家の、ベッドの上にいた。きちんとルームウェアを着ていた。廃ビルの中で着ていた服は、ソファに無造作に投げたように散らばっていた。なんの匂いもしなかった。ドブの匂いも、光の匂いも。
そしてマサは出勤途中、ひどく驚くこととなった。
あのビルは、全く崩れてはいなかった。
廃ビルは形そのままその場所にあったのだ。
結局のところ、あれは夢だったのか?とマサは首をかしげることもある。
だが、メッセージアプリの中には、”ヤマハシさん”の名前があった。ずっと。その名前は、マサのスマートフォンに現実に存在した。
後からX市支店の社員の話で分かったのだが、マサが東京に戻ってまた半年後の春、あのビルはきちんと解体された。ちゃんと業者が入って何日かかけてきちんと解体されていったそうだ。
今、あの建物の跡はどうなっているのだろうな。とマサは何度も思った。その度に、「でも、リクもカメコもいない。ヤマハシさんは俺に会うことを望んでないだろう」という気持ちが勝っていた。
さらに今は、感染症が原因で移動の自由はない。東京とX市との距離は東京とニューヨークとさほど変わらないように思えた。
スマートフォンのメモ帳に登録した自分の買うべき野菜をチェックしようとしたその時、通知がふっとあらわれた。
その名前を見たマサは急いでメッセージアプリを開く。
そこには写真が一枚だけ。
雑草の伸び放題となった空き地の写真だった。紫の小さな花がそこかしこに見える。この草の高さはきっと、成人男性の膝ぐらいまであるだろうなとマサは思った。
草は自分の伸びたいように伸び、花は自分の咲きたいように咲いている。
それがどこの場所なのかは、すぐにわかった。
油が錆びた機械に巡ってゆくように、マサは頭の中の遠くの声が近づいてくるのをゆっくりと待っていた。
彼のおかっぱ頭の半分が上にちぎれては下に戻り、下にちぎれては上に戻って揺れていた。後ろからリクの頭の中に手を突っ込んだやつが、リクを上下に動かしているみたいだとマサは思った。
「時間なのか」とマサは言った。なんで俺はそんなつまらないことしか言えないのだろう。
カメコが立ち上がった。そして座るリクに微笑みかけた。
「リク、ありがとう。こうやってスズキ君にも会えた。ずっとあの夕暮れのことを話したかったんだ」
「カメコありがとう。僕もカメコに会えてよかったよ」とリクはうなずいて続けた。
「君と話ができてよかったよ。まあ、楽しい話題じゃなかったけどね。もう人なんか信じられないって話だもんな。なあ、マサもよかっただろ?よかったって結論付けとけよ。なにしろ、これで最後だからな」
「すごくよかったよ。奇跡みたいな一夜だ」とマサは言った。
「マサはすごく表現力がある」とリクは言った。リクは良いタイミングで冗談と言う、とマサは思った。今後の参考にしよう。
「話せてよかったよ」と、体全体が上に下にちぎれながら揺れるリクは、くっきりとした言葉で言った。
「俺もだよ」とマサは言った。
「じゃあそろそろ帰ろうか、おうちに」リクは言った。
そしてマサは立ち上がる。
カメコは「さよなら」とリクに言った。
「さよなら」とリクはもう線香花火にしか見えない手の平をふった。
「じゃあ」とマサはしばらくしてから付け加えた。「さよなら」
カメコと一緒に階段から降りて、建物の敷地を出た。そして車が一台も通ってない通りを渡った。空は月も星も出ていない。雲だって存在していないかもしれない。そこにあるのはただの膜のようだとマサは思った。
「ねえ、スズキ君」とカメコは言った。
街灯もうまく働いてないのか、灯りはついているはずなのに何か暗くてカメコの顔がよく見えない。
「何?」マサは自分の声が掠れているのがわかった。
「わたし、カメコっていう名前、やめるわ」
マサは見えないカメコの顔を必死に見ようとした。でもうまく見えない。そこに顔はあるはずなのに、煙のようにゆらゆら揺れて闇に溶けていって形を掴めないんだ。
「うん、それがいいよ」とマサははっきり言った。聞こえてほしい、彼女に。彼女に相応しい名前を名乗ってほしい。
ヤマハシさん、とマサは語りかけた。そして彼女のフルネームを呼んだ。
彼女の声は、返ってこない。
空から地面に何かが叩きつけられた。風が吹く。
マサが振り向くと、滝の全てが滝壺に落ちてゆくように、ビルが崩れてゆく姿が目に映った。
隣を見ると、誰もいない。丸メガネも、後ろに束ねた髪も。カメコも、ヤマハシさんもどこにもいない。
誰もいない。全てが巨大な穴に落ちてゆく中、自分だけが地上に取り残されていた。
こんな別れって酷すぎないか?
マサは誰かに話しかけた。でも、誰の声もしなかった。
*****
2021年、春。
マサはマスク姿で夕食の買い物にスーパーへ向かった。
感染症の流行がおさまらない中、テレワークが中心となり、マサが会社に出勤するのは月に数えるほどになっていた。
あの不思議なリクとカメコとの夜を過ごした後、半年後にマサは東京に戻った。
”ヤマハシさん”とはあれ以来会っていない。メッセージアプリにも何一つメッセージは来ない。
何度かメッセージを送ろうと思ったけれど、何かがマサの手を止めた。
彼女はもうカメコではない、ヤマハシさんは俺にもう会うつもりはないような気がする、とマサは思った。
あの日。
どうやって家に戻ったかわからなかったが、とにかく朝にはマサは自分の家の、ベッドの上にいた。きちんとルームウェアを着ていた。廃ビルの中で着ていた服は、ソファに無造作に投げたように散らばっていた。なんの匂いもしなかった。ドブの匂いも、光の匂いも。
そしてマサは出勤途中、ひどく驚くこととなった。
あのビルは、全く崩れてはいなかった。
廃ビルは形そのままその場所にあったのだ。
結局のところ、あれは夢だったのか?とマサは首をかしげることもある。
だが、メッセージアプリの中には、”ヤマハシさん”の名前があった。ずっと。その名前は、マサのスマートフォンに現実に存在した。
後からX市支店の社員の話で分かったのだが、マサが東京に戻ってまた半年後の春、あのビルはきちんと解体された。ちゃんと業者が入って何日かかけてきちんと解体されていったそうだ。
今、あの建物の跡はどうなっているのだろうな。とマサは何度も思った。その度に、「でも、リクもカメコもいない。ヤマハシさんは俺に会うことを望んでないだろう」という気持ちが勝っていた。
さらに今は、感染症が原因で移動の自由はない。東京とX市との距離は東京とニューヨークとさほど変わらないように思えた。
スマートフォンのメモ帳に登録した自分の買うべき野菜をチェックしようとしたその時、通知がふっとあらわれた。
その名前を見たマサは急いでメッセージアプリを開く。
そこには写真が一枚だけ。
雑草の伸び放題となった空き地の写真だった。紫の小さな花がそこかしこに見える。この草の高さはきっと、成人男性の膝ぐらいまであるだろうなとマサは思った。
草は自分の伸びたいように伸び、花は自分の咲きたいように咲いている。
それがどこの場所なのかは、すぐにわかった。
油が錆びた機械に巡ってゆくように、マサは頭の中の遠くの声が近づいてくるのをゆっくりと待っていた。
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