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鉄張り船
しおりを挟む太田牛一が乗ってきた馬は比較的近くに放置されていた。どうやら信長はここに自分の馬を止めていて、乗り換えたらしい。
「鉄は馬などあるまい? 儂の後ろに乗るがよい」
「は、はぁ……。あのぉ、あっしも信長様について行くんですか?」
「そうなるな」
「しかし、あっしは九鬼嘉隆様の元で働いておりまして……」
信長にとって九鬼嘉隆は息子(信雄)の家臣。つまりは直臣ではない『陪臣』ということになろう。通常、陪臣に対する命令権は持たないはずであるし、信雄の家臣である嘉隆の、さらに家臣である鉄介については言うまでもないことなのだが……。
「諦めよ。上様はそういう御方じゃ」
「は、はぁ……」
たしかに名目上はとにかく、鉄介程度が『右近衛大将』の命令を拒否することなどできるはずもないのだが……。せめて九鬼嘉隆の指示を仰ぎたいと思ってしまう鉄介だった。
「それに、それを言ったら儂だって本来なら丹羽長秀様の家臣。だというのに上様に振り回されておるのだぞ?」
「それは、その……いいんですかい?」
武士とはそういう建前というか決まりを大切にするものだと思っていたのだが。
鉄介の疑問に、牛一は少し笑いながら答えてくれた。
「上様は合理的なお人なのでな」
「合理的……」
「無論、無意味に慣習や信仰を否定したりはしない。そういうのが人々の支えとなっていることも理解されておるからな。――だが、一度『邪魔』だと判断されると、徹底的に排除しようとしてしまう」
「…………」
「だからこそ上様はここまで躍進できたし、ここまで敵も増えてしまった。……おっと、あまり悠長なことをしていては上様に置いて行かれてしまうな。鉄、早く乗れぃ」
牛一がそう言うので、鉄介は牛一の後ろに乗り、京を目指すことになった。なんでも信長が宿として使っている寺があるらしい。
(もう夜も遅いのに、今から京を目指すのか……)
指図を引いていて徹夜をすることはあるが、好き好んでしたいものではない。しかも馬を使っての移動ともなれば疲労度は普段と比べものになるまい。
だが、とてもではないが断れない雰囲気が牛一から発せられていたので、鉄介は何も言うことなく牛一の後ろに乗ったのだった。
◇
明くる日の朝。牛一と鉄介は信長が定宿にしているという妙覺寺に到着した。
なるほど大きな寺ではあるし、一応は塀や堀に囲まれてはいるのだが、『右近衛大将』が泊まるにしてはいささか無防備なように感じられる鉄介であった。
「なに、もはや京周辺で上様の命を狙う不届き者はおらぬのでな」
「はぁ」
そうは言うが万が一の時はどうするのだろうか? 不安になってしまう鉄介であるが、自分よりも遥かに戦に詳しい牛一や信長が考えているのだし、大丈夫なのだろうと納得することにした。修理要員として戦船に乗って開戦を経験したことはあるが、陸の戦はからっきしなのだ。
「――遅い」
信長が待つという部屋に通された鉄介は、そんな不機嫌な声に出迎えられた。
「も、申し訳ございません!」
思わず平伏する鉄介と牛一。
なんという威圧感であろうか。何もしていないのに呼吸が苦しくなり、身体も重くなったような気がする。
もはや声を発することすら難しそうな鉄介であるが、対して牛一はどこか余裕がありそうだ。器が大きいのか、あるいは単に慣れているのか。
「申し訳ございませぬ。しかし、鉄介は船大工。船に慣れてはいても馬は不慣れなものでして」
「…………。……で、あるか」
長く。
長く長く息を吐いてから信長が本題に入った。
「鉄介。毛利の水軍に勝つには、どうすればよい?」
「ははっ」
一層頭を下げてから、鉄介は馬上で纏めていた考えを披露した。
頭の中に浮かぶのは、大坂本願寺を取り囲むように築かれた十の砦。そして、木津川を封鎖していた十一個目の砦・大安宅船。地上の砦と、海上の砦による完全包囲網……。
「基本的な戦術は、先の船軍と同じでよろしいかと。つまりは木津川の河口に船を浮かべて封鎖。本願寺への補給を断ちつつ、寄ってくる毛利の水軍を撃滅すればよろしいかと」
「だが、負けた」
「はい。その通りでございます」
あっさりと肯定してみせた鉄介の様子に、隣で見ていた牛一の方が肝を冷やす。鉄介め、先ほどまでは上様に完全に威圧されていたというのに、船の話になった途端に饒舌になったではないかと。
おのれの領分に対する圧倒的な自信。職人としての判断と誇り。そして何より、仕事のことになると恐怖すら忘れてみせる。
そんな鉄介の様子を、信長はいたくお気に召したようだ。
元々信長は自分に厳しく他人にも厳しい性分だ。武士は武士の仕事をすべきであるし、職人は職人の、農民は農民の仕事をしなければならないと考えている。
だからこそおのれの成すべき仕事をしない人間に対しては怒り狂うし、成敗してしまうことも少なくはない。
だが、逆に、臆することなく自らの仕事をきっちりこなす人間に対しては好感情を抱くようだ。
「ずいぶんと肝が据わっておる。ならば問うが、我らはなぜ負けた?」
「まず一つは、焙烙玉の対策ができていなかったこと。これは延焼対策もそうですが、なにより武士の皆様方が焙烙玉という兵器に慣れておりませんでした」
「ふむ……。何とも情けない様子であったな」
「もう一つは盲船を止められるだけの『力』がなかったこと。あれだけ竹束を敷き詰めては鉄砲の弾も通りませんから、止めるのも難しいでしょう」
「力、であるか……」
信長は自らの顎に手をやり、悩むように視線を下方に落とした。
声を掛けるわけにはいかないし、かといって許しもないのに中座するわけにもいかない。
時間にすればどれほどか。さすがに一刻二刻とは経っていないはずだが、それだけの時が過ぎ去ったと言われても信じられるほどに緊迫した時間であった。
「なんにせよ、焙烙玉を何とかせねばな。炎……。炎であるか……。鉄介、あの盲船のように竹束を敷き詰めれば防火対策になるか?」
「竹、でございますか……。青竹で水分を含んだままなら燃えにくいかもしれませぬが……。乾いてしまえば逆に燃えやすくなってしまうでしょう。毛利の水軍が接近していることを察知し、すぐに竹を準備し竹束を作れるのならば可能かもしれませんが……」
大型の軍船・安宅船の周囲を囲むほどの竹を入手できるものか? しかも事前に準備したのでは水分が抜けてしまうし、毛利水軍接近の報があってからすぐに伐採し、大坂の湊に運び、束にして安宅船たちの周囲に張り巡らせるとなると……。
「難しいか?」
「ははっ、正直に申し上げますれば……」
「くくっ、はっきりと申すのぉ。良き職人である」
処罰を恐れずに断言する鉄介は剛胆であるし、専門家の言葉を受け入れてみせる信長は大器であった。二人の間にはどこか清々しい、『分かっている』雰囲気が漂っている気さえする。
すぐ側でそのやり取りを見せられる牛一からすれば、いつ信長が激高するか分からないのでたまったものではなかったが。
「燃えぬようにする、であるか。おぬしは天板を張れば良いと申しておったな?」
「へぇ。しかし、木の板では燃えてしまいますから天板にも何か対策を考えませんと……」
そう口にする鉄介の頭の中には、一つの考えがある。
しかし、あまりにも非現実的なので口にはしない。できるかどうかも分からないことを『できる』と言ってしまう職人など、ただの如何様師であろう。
「ならば、瓦を敷き詰めるのはどうじゃ?」
「瓦でございますか。たしかに燃えはしないでしょうが、あのとき申し上げましたように船の上部に重さが寄りすぎ、転覆してしまうでしょう。……あとは、木で作った瓦に鉛の板や銅板を張って軽量化をするという手も聞いたことがありますが……」
「鉛に、銅か。たしかにそれなら燃えなさそうじゃな。だが、鉛は銃弾に使うし、銅は銭そのものじゃ。容易には使えぬな……」
「…………」
なんとも。武士だというのにずいぶんと素材の値段や貴重さに詳しそうではないかと鉄介は気になってしまう。
彼が知る由もないことだが、信長の祖父も、父も、熱田や津島という貿易港を手中に収めたことによる経済力を背景にしてのし上がってきた。そんな家に生まれ育ったからこそ、『経済』にも明るいのだろう。
「――ならば、鉄じゃ。船の周りに鉄を張れ」
「て、鉄でございますか?」
鉄介は思わず驚愕の声を上げた。
あまりにも非常識であったから、ではない。――鉄張り船。それは鉄介も天板の防火対策として考えていたものだからだ。
ただし、言うは簡単だが、実現は困難だ。
なにせ鉄とは槍や鉄砲といった武具はもちろんのこと、船を造るときの釘や鎹などにも使うのだ。昨日の戦に負けた織田は海に沈んだ分の鉄砲などを補充しなければならないし、水軍の再建も急務。いくら織田の経済力とはいえ、それらの鉄に加えて鉄張り船用の鉄まで準備できるものだろうか……。
さらに言えば、鉄を板状に加工するのも難しい。それは実家が鍛冶をしてる鉄介にはよく分かった。職人が時間を掛けて薄くのばすことはできるし、船の装飾に使うこともあるが、それを大量に、安宅船の周囲に張れるほどの数を作るとなると……。
「難しいか?」
「はっ、正直申し上げますと――」
「だが、無理ではないのだな?」
「へ、へぇ。一番の問題はどうやって大量の鉄を入手したものか……」
「それは儂が何とかしよう」
「へ、へぇ」
本当に準備できるのか?
などと、信長の力を疑うような発言をすれば首が飛ぼう。であるならば信じるしかない。
「それと問題は鉄をどうやって薄く加工したものかと……」
「それは職人の領分であろう。良きに計らえ」
「は、はぁ」
簡単に言ってくれるものだと不満を漏らしたくなる鉄介であるが、さすがにそこまで頑丈な肝は持っていない彼であった。
いや、信長相手にずけずけと意見している時点で今さらなのであるが。
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