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神仙術士の女
「――俺は、皇帝になる!」
私の幼なじみは、そんな、お偉いさんに聞かれたら処刑されかねない『夢』を語る青年だった。
なにをバカなことを、と万人が思うだろう。
荷運びの日傭取り(日雇い)で糊口を凌いでいる人間がどうやって皇帝になるというのだろう?
いや、彼は間違いなく皇帝の血を引いているけれど、それだけで皇帝になれるほど世の中甘くない。すでに皇后の息子が皇太子に選ばれた今、それを押し退けて次代の皇帝になることはほぼ不可能だろう。
戦乱の世ならそれこそ農民から皇帝に、という夢を見ることもできるとはいえ、幸運なことに我が『大華国』は安寧の世を謳歌している。
結論すれば、バカな男だと思う。
夢と現実の区別がついていない男だと思う。
……でも。
夢を語る彼の目はとてもとても輝いていて。
正直言えば。
私は、その瞳が好きだった。
だからだろう。
私が15歳になったあの日。あのとき。
「――結婚しよう。いつか、俺が皇帝になったら迎えにくる。それまで、待っていてくれないか?」
そんな、唐突にして何の具体性もない話に頷いてしまったのは……。そんな彼の瞳が好きだったからなのだろう。
そして。
結婚の約束をした翌日に彼は突如として仕事を辞め。私の元から離れていき。
五年、十年と彼のことを待ち続けた私は大人になり、それなりの仕事をこなすうちに周りの人間からも頼りにされるようになって……。
いつしか、結婚適齢期を逃した『行き遅れ』になってしまいましたとさ。
……私、あの男を殴っても許されるわよね?
彼は五年前皇帝になったけれど……迎えには来てくれないまま結婚適齢期を過ぎてしまったわけで……。殴っても、許されるわよね?
◇
幼なじみとの約束を律儀に守り、結婚適齢期を逃してしまう。
人によっては『操を立てた』と高評価してくれるかもしれないけれど、当人としてはたまったものじゃない。
特にこの国ではまだまだ『男は外で稼ぎ、女は家を守る』という価値観に縛られている。女の幸せはいい男と結婚し、夫を支え、家を守ること。結婚ができないのならそのような世間一般的な人生を送ることもできないので、自分の生活に必要なお金は自分で稼がなければならない。
「……姉さん、無理しなくても実家の仕事を手伝っていただければ……」
父の後を継ぐであろう弟はそう言ってくれるけれど、いつまでも私(小姑)が実家にいたのでは弟の結婚に差し障る。
もはや一生独身の決意を固めた私(2○歳)は近いうちに実家を離れなければならないわけで。
一人で金を稼ぎ、一人で生きていこうと決めた私が選んだ職業は――神仙術士だった。
◇
「――凜風さん。また会えて嬉しいですヨ」
実家の応接間で。
人懐こい笑顔を浮かべた男性が私に右手を差し出してきた。『握手』という挨拶の一種だ。
『握手』はこの国の西にある海――西洋を越えた先にある『欧羅』では一般的らしいけれど、我が『大華国』においては馴染みの薄い行為だ。
けれど、商売において相手の文化を尊重するのは大切なことなので私は微笑みながら彼の手を握り返した。
彼の名前はディック・ケルトン。
ホリの深い顔や高い鼻、金色の髪からも分かるように『欧羅』の商人だ。はるばる海を越え、片道一ヶ月の道のりを踏破してくる商魂には脱帽するしかないし、商売のために小難しい大華国語を覚えたことには素直に敬意を払うことができる。
ちなみに彼は私のことを『魔女』であると認識しているらしい。
魔女とは欧羅において『魔力』を用い、『魔法』を実現する術者であり云々かんぬん。
元々は不老不死になることを目指していた神仙術士と、黄金を生み出すことを目指していた魔女(魔術師・錬金術士)は根本からして異なる存在なのだけど……。何度説明しても『魔女』という認識になってしまうんだよなぁディックさん。
まぁ私も欧羅から輸入された書物を参考にいくつかの魔法を習得しているから、魔女という評価も間違っていないしね。
彼との認識の違いについてはゆっくりと訂正していくとして、まずは挨拶をしないとね。
「お久しぶりですディックさん。お元気そうで何よりです」
「凜風さんもお元気そうでなりよりですネ。特にその銀髪は益々磨きがかかったようですナ」
私はこの国において、そして欧羅においても非常に珍しい『銀髪』なのだ。
正確に言えば元々黒髪だったのだけど、『仙人』になったら銀に変色していた。理屈はよく分からない。
「お金に困ったら相談してくださいネ。その銀髪なら一房で銀貨200枚出しますヨ」
銀貨200枚と言ったら上級役人の年収に匹敵する。正直自分の髪の毛にそこまでの価値はないと思うのだけど……まぁ蓼喰う虫も好き好きというものなのかもしれないわね。
無論、この国においても『髪は女性の命』であるし、それは行き遅れな私でも変わらないから売り払うことはないけどね。
さて。ディックさんがなぜ私に会いに来たかというと……もちろん商談をするためだ。彼は大商人である私の父や弟と取引をしていて、そのついでに私とも付き合いを持ってくれているのだ。
「凜風さん。今回はいいものが手に入りましたヨ。これはアルフト鉱山で発掘されたダイヤモンドで――」
ディックさんがいくつかの宝石を革袋から出し、机上に広げた。大きさはだいたい華英通宝(銅貨)くらいか。それが全部で十個ある。
もしもこれらすべてが金剛石の原石であれば――その価値は銀貨200枚どころじゃないわね。
まぁ、偽物なのだけど。
本物か偽物かくらい見れば分かるのだ。
食えない男だと思いながら私はディックさんに笑みを向ける。
「質のいい玻璃(ガラス)ですね。これなら偽物とはいえ相応の値段がつくでしょう」
科学技術や医学では欧羅が一歩先んじており、このような透明度の高い玻璃は大華国だと生産できないのだ。必然的に取引価格も高くなる。もちろん、本物に比べれば格安だけれども。
私の言葉を受け、ディックさんが参ったとばかりに軽く両手を挙げた。
「さすが凜風さんですネ。その『瞳』に誤魔化しは通用しませんカ」
瞳。
ディックさんによればこれは欧羅における『鑑定眼』という力らしい。この国の言葉で言えば千里眼。神仙術士――仙人は座りながらにして千里先の出来事を見通すとか何とか。
「その凜風さんの『瞳』を信頼して、今日は見ていただきたいものがあるのですヨ」
「見てもらいたいもの?」
ディックさんからそんな提案があるとは珍しい。……さすがの『鑑定眼』でも他人の心は読まないようにしているので、どういうつもりかはこの時点では分からない。
彼が机の上に置いたのは小さな鉄製の箱。ご丁寧なことに錠前がついている。
軽い音と共に鍵が開けられ、中から取り出されたのは――赤い朱い、红宝石(ルビー)を思わせる鉱石だった。
「…………」
「これは欧羅において『賢者の石』の原材料とされるものでしてネ。多くの魔術師が賢者の石を錬成しようと研究を重ねているのですが、中々うまくいかず。できればこの国の魔女である凜風さんの意見を――」
「――ディックさん」
自分でも驚くほどに低い声が出た。ディックさんも目を丸くする。
「は、はい。何でしょうカ?」
「それを扱うのは、やめなさい」
取引相手への敬語すら忘れ。私は半ば命令していた。
――辰砂。
大華国の辰州で採掘される鉱物。水銀の原料となる素材。
永遠の命。
そんなものを求めた歴代の皇帝は、ろくな知識もない道士の作った水銀(仙丹)を飲み干し、命を落としていった。
そして仙丹を作った道士たちもまた、水銀精製の際に発生する毒によって身体を蝕まれ、命を落とすことになっただろう。自業自得ではあるが、それでも人の命であることに変わりはない。
「あなたが『死』を商品として扱うのなら、もう止めません。止めませんが、二度とここには来ないでください」
「……これは、そんなに危険なものなのですカ?」
「あなたの国で例えるなら、国王の命を三代続けて奪った毒薬。とでも言えば理解しやすいですか。本来の寿命を全うできず、次世代への引き継ぎもままならないまま、国王が次々に早世する。その後の国の混乱は言うまでもありません。民に襲いかかる不幸は想像もしたくありません」
この国が、そうだった。
「…………」
「辰砂。この鉱物は、きちんとした知識を持つものが使えば薬となります。しかし、一つ手段を間違えば猛毒となって使用者と制作者を蝕みます。不老不死? そんな夢物語のために、いったいどれだけの命を奪えば気が済むのでしょう?」
「……ご忠告、痛み入ります。もしも本物ならこの国の皇帝に献上を、と考えていましたが、止めておくことにします」
「えぇ、そうしてくださると助かります。あなたの首が飛びますから」
「ひぇっ」
ディックさんは少し慌てた様子で辰砂を片付け、改めて先ほどの玻璃を取り出した。辰砂はなかったことにして、商取引の続きを始めましょうってことか。
「凜風さん。こちらのガラス玉ですが、一つ銀貨一枚でいかがでしょうかネ?」
我が家の商取引の大部分は父と弟が担っているけど、女性向けの商品は私が担当しているのだ。
「お安いですね」
「サンプル――あ~、この国の言葉だとお試し品、ですかネ? 販路が確保できそうなら、次回からはこっちの値段で願いしますヨ」
ディックさんが差し出してきた紙に書かれた値段一覧は……まぁまぁ妥当な感じだった。こちらとしてはもう少し安くして欲しいけど、欧羅からの輸送費を考えればこんなものだろう。
この品質の玻璃ならば好事家が買ってくれるだろうし、十分利益が出るはずだ。
というわけで取引成立。
その後も玻璃の器や本物の金剛石などを買い付けていき……商談の最後。ディックさんは仰々しく一冊の本を取り出した。
革で装丁された上製本。大華国ではまだ竹簡が主流なので紙の本というだけで大変貴重だ。
題名は、『最新版 回復魔法大全』……?
私もある程度なら西洋の回復魔法を使えるけれど、最新版と銘打つからには私の知らない魔法も載っているはず。正直、とても食指が動くし、ディックさんもそれが分かっているから父のところではなく私のところに持ってくるのだろう。商売の基本はより高く買ってくれる人のところへ、だ。
「こちらリリア・レナードの最新作ですネ」
「え? あのレナード女史の?」
もちろん欧羅に住んでいるという彼女に会ったことはないけれど、彼女の著作から読み取れる知識量と柔軟な発想には目を見張るものがある。そんなレナード女史の最新作となれば是非手に入れたいところだ。
私が反射的に本へと手を伸ばすと……ディックさんが慌てて本を引っ込めてしまった。絶対に渡さないとばかりにキツく抱きしめている。
「ダメですヨ。読みたければ買ってくださいネ。銀貨20枚デス」
銀貨20枚。庶民が半年は暮らせるだけの金額だ。
「いやいや、高い。高いですって。いくらレナード女史の最新作でも……。まずは中身を精査して、その値段にふさわしいか確かめませんと」
「無理です。あなた一度読んだらすべて覚えてしまうでしょう? それで何度騙されたことカ……」
「騙すとは人聞きの悪い。試し読みをして、結果として必要ないと判断しただけですヨ?」
後ろ暗いところがあったせいかディックさんみたく片言になってしまう私だった。
「全部読むのは試し読みとは言いませんネ! 今までの分も含めて銀貨20枚! これ以上は負けませんヨ!」
「ぬぐぐ……」
私は悩んだ。大いに悩んだ。神仙術士としてそれなりに稼いでいる身とはいえ、銀貨20枚とはそう簡単に出せる金額ではないのだ。一般的な家庭が何ヶ月生活できることか……。
でもレナード女史の最新作なんてこれを逃せばいつ手に入るか分からないし、そもそもディックさん以外で輸入してくれるとは思えないし、今までタダ読みしてきた罪滅ぼしと考えれば……。
結局。
私は何とか銀貨18枚まで値引きしてもらって『最新版 回復魔法大全』を購入したのだった。
※第9回キャラ文芸大賞において、こちらの作品が大賞&読者賞のダブル受賞となりました!
応援していただきありがとうございます!
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なにをバカなことを、と万人が思うだろう。
荷運びの日傭取り(日雇い)で糊口を凌いでいる人間がどうやって皇帝になるというのだろう?
いや、彼は間違いなく皇帝の血を引いているけれど、それだけで皇帝になれるほど世の中甘くない。すでに皇后の息子が皇太子に選ばれた今、それを押し退けて次代の皇帝になることはほぼ不可能だろう。
戦乱の世ならそれこそ農民から皇帝に、という夢を見ることもできるとはいえ、幸運なことに我が『大華国』は安寧の世を謳歌している。
結論すれば、バカな男だと思う。
夢と現実の区別がついていない男だと思う。
……でも。
夢を語る彼の目はとてもとても輝いていて。
正直言えば。
私は、その瞳が好きだった。
だからだろう。
私が15歳になったあの日。あのとき。
「――結婚しよう。いつか、俺が皇帝になったら迎えにくる。それまで、待っていてくれないか?」
そんな、唐突にして何の具体性もない話に頷いてしまったのは……。そんな彼の瞳が好きだったからなのだろう。
そして。
結婚の約束をした翌日に彼は突如として仕事を辞め。私の元から離れていき。
五年、十年と彼のことを待ち続けた私は大人になり、それなりの仕事をこなすうちに周りの人間からも頼りにされるようになって……。
いつしか、結婚適齢期を逃した『行き遅れ』になってしまいましたとさ。
……私、あの男を殴っても許されるわよね?
彼は五年前皇帝になったけれど……迎えには来てくれないまま結婚適齢期を過ぎてしまったわけで……。殴っても、許されるわよね?
◇
幼なじみとの約束を律儀に守り、結婚適齢期を逃してしまう。
人によっては『操を立てた』と高評価してくれるかもしれないけれど、当人としてはたまったものじゃない。
特にこの国ではまだまだ『男は外で稼ぎ、女は家を守る』という価値観に縛られている。女の幸せはいい男と結婚し、夫を支え、家を守ること。結婚ができないのならそのような世間一般的な人生を送ることもできないので、自分の生活に必要なお金は自分で稼がなければならない。
「……姉さん、無理しなくても実家の仕事を手伝っていただければ……」
父の後を継ぐであろう弟はそう言ってくれるけれど、いつまでも私(小姑)が実家にいたのでは弟の結婚に差し障る。
もはや一生独身の決意を固めた私(2○歳)は近いうちに実家を離れなければならないわけで。
一人で金を稼ぎ、一人で生きていこうと決めた私が選んだ職業は――神仙術士だった。
◇
「――凜風さん。また会えて嬉しいですヨ」
実家の応接間で。
人懐こい笑顔を浮かべた男性が私に右手を差し出してきた。『握手』という挨拶の一種だ。
『握手』はこの国の西にある海――西洋を越えた先にある『欧羅』では一般的らしいけれど、我が『大華国』においては馴染みの薄い行為だ。
けれど、商売において相手の文化を尊重するのは大切なことなので私は微笑みながら彼の手を握り返した。
彼の名前はディック・ケルトン。
ホリの深い顔や高い鼻、金色の髪からも分かるように『欧羅』の商人だ。はるばる海を越え、片道一ヶ月の道のりを踏破してくる商魂には脱帽するしかないし、商売のために小難しい大華国語を覚えたことには素直に敬意を払うことができる。
ちなみに彼は私のことを『魔女』であると認識しているらしい。
魔女とは欧羅において『魔力』を用い、『魔法』を実現する術者であり云々かんぬん。
元々は不老不死になることを目指していた神仙術士と、黄金を生み出すことを目指していた魔女(魔術師・錬金術士)は根本からして異なる存在なのだけど……。何度説明しても『魔女』という認識になってしまうんだよなぁディックさん。
まぁ私も欧羅から輸入された書物を参考にいくつかの魔法を習得しているから、魔女という評価も間違っていないしね。
彼との認識の違いについてはゆっくりと訂正していくとして、まずは挨拶をしないとね。
「お久しぶりですディックさん。お元気そうで何よりです」
「凜風さんもお元気そうでなりよりですネ。特にその銀髪は益々磨きがかかったようですナ」
私はこの国において、そして欧羅においても非常に珍しい『銀髪』なのだ。
正確に言えば元々黒髪だったのだけど、『仙人』になったら銀に変色していた。理屈はよく分からない。
「お金に困ったら相談してくださいネ。その銀髪なら一房で銀貨200枚出しますヨ」
銀貨200枚と言ったら上級役人の年収に匹敵する。正直自分の髪の毛にそこまでの価値はないと思うのだけど……まぁ蓼喰う虫も好き好きというものなのかもしれないわね。
無論、この国においても『髪は女性の命』であるし、それは行き遅れな私でも変わらないから売り払うことはないけどね。
さて。ディックさんがなぜ私に会いに来たかというと……もちろん商談をするためだ。彼は大商人である私の父や弟と取引をしていて、そのついでに私とも付き合いを持ってくれているのだ。
「凜風さん。今回はいいものが手に入りましたヨ。これはアルフト鉱山で発掘されたダイヤモンドで――」
ディックさんがいくつかの宝石を革袋から出し、机上に広げた。大きさはだいたい華英通宝(銅貨)くらいか。それが全部で十個ある。
もしもこれらすべてが金剛石の原石であれば――その価値は銀貨200枚どころじゃないわね。
まぁ、偽物なのだけど。
本物か偽物かくらい見れば分かるのだ。
食えない男だと思いながら私はディックさんに笑みを向ける。
「質のいい玻璃(ガラス)ですね。これなら偽物とはいえ相応の値段がつくでしょう」
科学技術や医学では欧羅が一歩先んじており、このような透明度の高い玻璃は大華国だと生産できないのだ。必然的に取引価格も高くなる。もちろん、本物に比べれば格安だけれども。
私の言葉を受け、ディックさんが参ったとばかりに軽く両手を挙げた。
「さすが凜風さんですネ。その『瞳』に誤魔化しは通用しませんカ」
瞳。
ディックさんによればこれは欧羅における『鑑定眼』という力らしい。この国の言葉で言えば千里眼。神仙術士――仙人は座りながらにして千里先の出来事を見通すとか何とか。
「その凜風さんの『瞳』を信頼して、今日は見ていただきたいものがあるのですヨ」
「見てもらいたいもの?」
ディックさんからそんな提案があるとは珍しい。……さすがの『鑑定眼』でも他人の心は読まないようにしているので、どういうつもりかはこの時点では分からない。
彼が机の上に置いたのは小さな鉄製の箱。ご丁寧なことに錠前がついている。
軽い音と共に鍵が開けられ、中から取り出されたのは――赤い朱い、红宝石(ルビー)を思わせる鉱石だった。
「…………」
「これは欧羅において『賢者の石』の原材料とされるものでしてネ。多くの魔術師が賢者の石を錬成しようと研究を重ねているのですが、中々うまくいかず。できればこの国の魔女である凜風さんの意見を――」
「――ディックさん」
自分でも驚くほどに低い声が出た。ディックさんも目を丸くする。
「は、はい。何でしょうカ?」
「それを扱うのは、やめなさい」
取引相手への敬語すら忘れ。私は半ば命令していた。
――辰砂。
大華国の辰州で採掘される鉱物。水銀の原料となる素材。
永遠の命。
そんなものを求めた歴代の皇帝は、ろくな知識もない道士の作った水銀(仙丹)を飲み干し、命を落としていった。
そして仙丹を作った道士たちもまた、水銀精製の際に発生する毒によって身体を蝕まれ、命を落とすことになっただろう。自業自得ではあるが、それでも人の命であることに変わりはない。
「あなたが『死』を商品として扱うのなら、もう止めません。止めませんが、二度とここには来ないでください」
「……これは、そんなに危険なものなのですカ?」
「あなたの国で例えるなら、国王の命を三代続けて奪った毒薬。とでも言えば理解しやすいですか。本来の寿命を全うできず、次世代への引き継ぎもままならないまま、国王が次々に早世する。その後の国の混乱は言うまでもありません。民に襲いかかる不幸は想像もしたくありません」
この国が、そうだった。
「…………」
「辰砂。この鉱物は、きちんとした知識を持つものが使えば薬となります。しかし、一つ手段を間違えば猛毒となって使用者と制作者を蝕みます。不老不死? そんな夢物語のために、いったいどれだけの命を奪えば気が済むのでしょう?」
「……ご忠告、痛み入ります。もしも本物ならこの国の皇帝に献上を、と考えていましたが、止めておくことにします」
「えぇ、そうしてくださると助かります。あなたの首が飛びますから」
「ひぇっ」
ディックさんは少し慌てた様子で辰砂を片付け、改めて先ほどの玻璃を取り出した。辰砂はなかったことにして、商取引の続きを始めましょうってことか。
「凜風さん。こちらのガラス玉ですが、一つ銀貨一枚でいかがでしょうかネ?」
我が家の商取引の大部分は父と弟が担っているけど、女性向けの商品は私が担当しているのだ。
「お安いですね」
「サンプル――あ~、この国の言葉だとお試し品、ですかネ? 販路が確保できそうなら、次回からはこっちの値段で願いしますヨ」
ディックさんが差し出してきた紙に書かれた値段一覧は……まぁまぁ妥当な感じだった。こちらとしてはもう少し安くして欲しいけど、欧羅からの輸送費を考えればこんなものだろう。
この品質の玻璃ならば好事家が買ってくれるだろうし、十分利益が出るはずだ。
というわけで取引成立。
その後も玻璃の器や本物の金剛石などを買い付けていき……商談の最後。ディックさんは仰々しく一冊の本を取り出した。
革で装丁された上製本。大華国ではまだ竹簡が主流なので紙の本というだけで大変貴重だ。
題名は、『最新版 回復魔法大全』……?
私もある程度なら西洋の回復魔法を使えるけれど、最新版と銘打つからには私の知らない魔法も載っているはず。正直、とても食指が動くし、ディックさんもそれが分かっているから父のところではなく私のところに持ってくるのだろう。商売の基本はより高く買ってくれる人のところへ、だ。
「こちらリリア・レナードの最新作ですネ」
「え? あのレナード女史の?」
もちろん欧羅に住んでいるという彼女に会ったことはないけれど、彼女の著作から読み取れる知識量と柔軟な発想には目を見張るものがある。そんなレナード女史の最新作となれば是非手に入れたいところだ。
私が反射的に本へと手を伸ばすと……ディックさんが慌てて本を引っ込めてしまった。絶対に渡さないとばかりにキツく抱きしめている。
「ダメですヨ。読みたければ買ってくださいネ。銀貨20枚デス」
銀貨20枚。庶民が半年は暮らせるだけの金額だ。
「いやいや、高い。高いですって。いくらレナード女史の最新作でも……。まずは中身を精査して、その値段にふさわしいか確かめませんと」
「無理です。あなた一度読んだらすべて覚えてしまうでしょう? それで何度騙されたことカ……」
「騙すとは人聞きの悪い。試し読みをして、結果として必要ないと判断しただけですヨ?」
後ろ暗いところがあったせいかディックさんみたく片言になってしまう私だった。
「全部読むのは試し読みとは言いませんネ! 今までの分も含めて銀貨20枚! これ以上は負けませんヨ!」
「ぬぐぐ……」
私は悩んだ。大いに悩んだ。神仙術士としてそれなりに稼いでいる身とはいえ、銀貨20枚とはそう簡単に出せる金額ではないのだ。一般的な家庭が何ヶ月生活できることか……。
でもレナード女史の最新作なんてこれを逃せばいつ手に入るか分からないし、そもそもディックさん以外で輸入してくれるとは思えないし、今までタダ読みしてきた罪滅ぼしと考えれば……。
結局。
私は何とか銀貨18枚まで値引きしてもらって『最新版 回復魔法大全』を購入したのだった。
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