行き遅れた私は、今日も幼なじみの皇帝を足蹴にする

九條葉月

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水銀

「――本音は?」

 ほんの少しばかり緊迫した空気となった。

「おや? 私が隠し事をしていると? もしや太妃様は人の心が読めるのですか?」

「怪しげな神仙術士の女と一緒にしないで欲しいわね。哀家のはあくまで経験からくる推測よ。――嘘をついている人間。誤魔化しをしている人間。そういうのはよく分かるわ」

「さすが太妃様。見事な慧眼でございます」

「そう? お前は『人間』という区分でいいのかどうか不安だったのだけど」

「……一応は人間でございますし、『凜風』という名前もございますが?」

「そう。じゃあ凜風。あなたはどんなつもりで行動するのかしら?」

「そうですねぇ。中々に言語化が難しいのですが……。恩返し、とでも申しましょうか」

「恩返し? 凜風に恩を与えた覚えはないけれど?」

「えぇ、その通り。ですが太妃様は私の幼なじみと言いますか、不肖の教え子と言いますか、可愛い弟分にずいぶんと優しくしていただいたようで」

「…………」

「いくら梓宸が先帝の血を引いていて、いくら戦が強かろうと、なんの政治的後ろ盾もない男など排除してしまえばいいのです。実際、この国にはそういう例がたくさんありました。戦場の英雄や軍師として称えられた人間が、権謀術数渦巻く宮中に絡め取られ、暗殺されることなど」

 なにせ梓宸は後宮を追い出された側妃の息子で、『皇帝』になるための勉強なんて何もしてこなかった人間なのだからね。いくら私が最低限の学を叩き込んだとはいえ、政治問答や君主論などの帝王学はまるで足りないし。貴族や官僚からすれば『野蛮な田舎者』でしかなかったでしょう。

「……そうね。あの子・・・は本当に、何の後ろ盾もなかったものね。読み書き計算ができたからまだ良かったとはいえ……」

 ため息をつく太妃様だった。不肖の教え子は彼女にもずいぶんと迷惑を掛けたらしい。

 しかも皇帝になってからも張さんに『雷を落とされ』続けたみたいだし。それだったら多少資質がなかろうと幼少期から専門の教育を施されてきた実子を皇帝にして、自らが裏で操った方が楽だったはずだ。

 だというのに太妃様は梓宸に『皇帝』としての資質を見て。実子すら排除し、新たなる皇帝に賭けてくださったのだ。

「太妃様は我が弟分を義理の息子として受け入れ、政治的な権力をゆっくりと委譲させ、『賢帝・大華国第九代皇帝劉宸』にしてくださったのです。恩返しの一つでもしなければならないでしょう」

「……あの子に皇帝としての使命を押しつけ、他の女との子作りをさせたのは私だけど? 凜風はそれでも恩返しをするというのかしら?」

「――皇帝なのですから、複数の女と子供をもうけるのは当然でしょう」

 私は浮気野郎を軽蔑するし、同時に、皇帝陛下がそういうもの・・・・・・であると理解している。ただ、心と頭が別の方向を向いているだけのこと。浮気野郎を足蹴にすることと、皇帝や太妃様を恨むのは別問題だ。

「……面白い女だこと。それで? 子猫の依頼を受けた凜風は、どうやって哀家を救うというのかしら?」

「それはもちろん、」

 部屋の中を真っ直ぐに進み、太妃様とこちらを仕切る御簾を目指す私。

「た、太妃様にそれ以上近づくな!」

 忠誠心溢れる侍女長さんが私を止めようとしたけれど。逆に侍女長さんの動きが止まってしまった。不思議なこともあるものだ。

 遠慮なく御簾を開け、太妃様の前へ。

 ――ずいぶんと痩せ細った人だった。

 狂った夫に代わって国政を差配し、邪魔な人間は容赦なく排除して。そんな『太妃様』の持つ心象イメージとはかけ離れた弱々しいお姿だった。

「では、失礼して診察しちゃいますね。――うーん、消化器と腎臓にずいぶんと負担が掛かっていますが、まぁ問題はないでしょう。水銀を飲むのを止め、ゆっくりと毒素を排除していけば回復しますよ」

「それを望まない、と言ったら?」

「…………」

「凜風は、子猫からの依頼をどうやって達成するつもりなのかしら?」

「そうですねぇ」

 太妃様の前を横切り、設置されていた家具へと移動。引き出しを開けると、蓋がされたたくさんの玻璃(ガラス)製の小瓶が並べられていた。

 そのうちの一つを手に取ってみると、中には銀色に輝く球体の物質が入れられていた。小瓶を振ると、流れるように揺れ動く。

 金属であるのに、液体。
 常識を越えた物質。
 本来であれば超高温に熱しなければ溶けないはずの金属が、常温で液体であるという奇跡。

 ――水銀。

 伝統的に辰砂の持つ『朱色』は魔除けの効果があったり幸運をもたらすとされる特別な色だった。さらには生命の象徴である血液の色を連想させて。

 そんな朱色の物質から、摩訶不思議な性質を持つ水銀が生み出される。

 しかも、辰砂から水銀へと変化したあと、硫黄を加えることでまた辰砂に戻ることは『永遠』の循環を連想させたという。

 そんな辰砂と水銀は、道士でなくとも神聖視してしまっても不思議ではないでしょう。

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