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学舎編 一
副将戦のいざこざ
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「どっこいしょ」
目を瞑っていた号左は、聞き覚えのある声がすぐ近く前方から聞こえて、パッと瞼を開いた。暫く目を瞑っていたからか陽気がやけに眩しく見え、目の前に居る人物の顔がぼんやりとしか見えなかったが、暖かな日差しと桜の花弁が降り注ぐ中に、僅かな冷気が漂い始めた事で相手の正体を確信した。次第に日差しに慣れていく視界の真ん中には、扇子を畳んで手のひらに軽く打ち付けている雁尾が居た。
「雁尾殿…」
「副将戦に出る事にしたよ。別に対戦順に並べとは言われていないから。いいよね?」
厨房係に自分の要求の正当性を問う雁尾。同調を求められていると理解しているが、麒麟や号左等他の師達が居る手前、中々すぐに返事は出来ない板挟みの状況を察した号左が、自身の本心からの意向も乗せた助け舟を出した。
「…並び順については話しておりませんでしたね。私はどの方でも作法は変わりませんので、お好きにしていただいたら。それに、雁尾殿のお点前を眼前で拝見できる機会はまずありませんから、私としてもお相手できるならば嬉しいです」
「号左殿!」
雁尾の言い分を安易に了承するような発言に対し、今度は麒麟の方が咎める声を上げる。
「いいってさぁ~?」
「ぐるるる…」
茶会中静かであった雁尾だが、この時に限って態々煽る様な態度で憎たらしい物言いをする。それを受けて麒麟は獣の威嚇に似た低い唸り声を出し、キッと雁尾を睨んだ。仲が良いとは言えない両名の間に流れる空気に、茶会に参加している神様候補達の顔色に不安が混じり始める。まさかこの麗らかな小庭で、神と麒麟との闘争が…と、そんな事が頭に過る。しかし、美しい桃色の花弁が血に染まる事は無かった。
「まあまあ御二方とも落ち着きなさって。こんな良い日和に素晴らしい景色の中、刀傷沙汰なんてェ無粋も無粋!粋な男は、眉間にキッと皺を寄せた後にゃァ、ニッと笑って男前を見せるもんさァ」
「おい、おっさん!今取り込み中だって…!」
一瞬即発の空気の中に割り込んできたのは、遠くで勝負の行方を見守っていた柳元と、茶道勝負が行われている席に向かっていきなり歩き出した柳元を追って来たナジュの二人だった。ナジュは周囲に「悪い、悪い」と言いながら、柳本の袖を引き、元の場所に戻ろうと促すが、柳本はずんずんと先に進み、雁尾と号左の間にドカリと座った。見知らぬ者の登場に雁尾は首を傾げて、号左は「ナジュ?」と不思議そうに名を呼んだ。雁尾は後ろでおろおろとしているナジュの方を見ずに尋ねる。
「今大事な勝負の途中なんだけれど、何しに来たの?誰?」
「こ、こいつは……えっと、そこらのおっさんで……ほら、帰るぞ!」
雁尾に目を付けられてはまた面倒な事になると身に染みているナジュの歯切れは悪い。
「あっしは茶道の心得なんかあったもんじゃァねえですが、“粋”…ってのには少々覚えがありましてね?折角、雅な方々の雅な勝負が見られるってんで、楽しんで拝見していたんですが、好い所で決着を拝めずご破算になるなんてイケズな事されたら堪らない。だからこうしてあっしが出しゃばって来たってェ訳ですよ。霜座の神様も、麒麟様も、神様候補の分際でお歴々間に割って入ったあっしの顔を立てて、勝負を見せちゃくれませんかねェ」
柳元は、麒麟や他の師達、神様候補達の前で堂々と語りかけた。言いたい事を言った後も、一切の怖気なく普段通りの笑みを浮かべているこの草臥れた男を、ナジュは初めて凄いと思った。
目を瞑っていた号左は、聞き覚えのある声がすぐ近く前方から聞こえて、パッと瞼を開いた。暫く目を瞑っていたからか陽気がやけに眩しく見え、目の前に居る人物の顔がぼんやりとしか見えなかったが、暖かな日差しと桜の花弁が降り注ぐ中に、僅かな冷気が漂い始めた事で相手の正体を確信した。次第に日差しに慣れていく視界の真ん中には、扇子を畳んで手のひらに軽く打ち付けている雁尾が居た。
「雁尾殿…」
「副将戦に出る事にしたよ。別に対戦順に並べとは言われていないから。いいよね?」
厨房係に自分の要求の正当性を問う雁尾。同調を求められていると理解しているが、麒麟や号左等他の師達が居る手前、中々すぐに返事は出来ない板挟みの状況を察した号左が、自身の本心からの意向も乗せた助け舟を出した。
「…並び順については話しておりませんでしたね。私はどの方でも作法は変わりませんので、お好きにしていただいたら。それに、雁尾殿のお点前を眼前で拝見できる機会はまずありませんから、私としてもお相手できるならば嬉しいです」
「号左殿!」
雁尾の言い分を安易に了承するような発言に対し、今度は麒麟の方が咎める声を上げる。
「いいってさぁ~?」
「ぐるるる…」
茶会中静かであった雁尾だが、この時に限って態々煽る様な態度で憎たらしい物言いをする。それを受けて麒麟は獣の威嚇に似た低い唸り声を出し、キッと雁尾を睨んだ。仲が良いとは言えない両名の間に流れる空気に、茶会に参加している神様候補達の顔色に不安が混じり始める。まさかこの麗らかな小庭で、神と麒麟との闘争が…と、そんな事が頭に過る。しかし、美しい桃色の花弁が血に染まる事は無かった。
「まあまあ御二方とも落ち着きなさって。こんな良い日和に素晴らしい景色の中、刀傷沙汰なんてェ無粋も無粋!粋な男は、眉間にキッと皺を寄せた後にゃァ、ニッと笑って男前を見せるもんさァ」
「おい、おっさん!今取り込み中だって…!」
一瞬即発の空気の中に割り込んできたのは、遠くで勝負の行方を見守っていた柳元と、茶道勝負が行われている席に向かっていきなり歩き出した柳元を追って来たナジュの二人だった。ナジュは周囲に「悪い、悪い」と言いながら、柳本の袖を引き、元の場所に戻ろうと促すが、柳本はずんずんと先に進み、雁尾と号左の間にドカリと座った。見知らぬ者の登場に雁尾は首を傾げて、号左は「ナジュ?」と不思議そうに名を呼んだ。雁尾は後ろでおろおろとしているナジュの方を見ずに尋ねる。
「今大事な勝負の途中なんだけれど、何しに来たの?誰?」
「こ、こいつは……えっと、そこらのおっさんで……ほら、帰るぞ!」
雁尾に目を付けられてはまた面倒な事になると身に染みているナジュの歯切れは悪い。
「あっしは茶道の心得なんかあったもんじゃァねえですが、“粋”…ってのには少々覚えがありましてね?折角、雅な方々の雅な勝負が見られるってんで、楽しんで拝見していたんですが、好い所で決着を拝めずご破算になるなんてイケズな事されたら堪らない。だからこうしてあっしが出しゃばって来たってェ訳ですよ。霜座の神様も、麒麟様も、神様候補の分際でお歴々間に割って入ったあっしの顔を立てて、勝負を見せちゃくれませんかねェ」
柳元は、麒麟や他の師達、神様候補達の前で堂々と語りかけた。言いたい事を言った後も、一切の怖気なく普段通りの笑みを浮かべているこの草臥れた男を、ナジュは初めて凄いと思った。
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