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第四章 捜査・情報収集

第8話

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安由雷と悠真は、事件当日に吉川志季が夜食を買いに来た、焼き立てパンの店「レモンマーメイド」のイートインに、向かい合って座っていた。

二人の前にはホットコーヒーと、この店自慢のカレーパンが二つ、トレイの上で湯気ゆげを上げていた。
安由雷は、ビル管理室を出てからは、一言も口を利いていなかった。いつになく険しい顔をしていた。


「まったく、今の若いものは理解ができませんよね」
と、悠真が、コーヒーにシュガーを大さじで三杯入れてかき混ぜた。

「いや、ちがうな。理央ちゃんの方がずっと若いのに、僕よりゼンゼンしっかりしているから、若いからと言うのは違うな……」
理央とは、安由雷の高校二年生の妹である。
悠真に妹の相談相手になってほしいと、時々安由雷に呼ばれて話をするのだが、先輩時明の扱い方やゲームのギルドの事など、もっぱら相談をしているのは悠真の方だった。

安由雷は下を向いたままで、聞いているのか聞いてないのか分からないが、悠真は話を続けた。
「そうだ、先輩。今度、理央ちゃんに、次を持ってきてと伝えてもらえませんか」
安由雷は下を向いたまま。

「先輩、……先輩!」
「ん?」と、安由雷が、悠真の声にやっと気が付いて顔を上げた。

「理央ちゃんから借りた二十巻までは読んだので、続きを持って来てほしくて……」
「なんの話だ?」安由雷は、悠真の会話に、思考がついて行けて無かった。

「今、理央ちゃんに漫画を借りていて、あー『エロイカより愛をこめて』と言う、すっごい昔の漫画なんですけど、その続きを貸してほしくって」
と、悠真が焼きたてのカレーパンを頬張った。

「エロイカ……か、分かった」
と、安由雷が面倒くさそうに答えると、少し冷めかけたコーヒーをブラックのままで一口飲んだ。

『エロイカより愛をこめて』とは、母親が学生時代に好きだった少女漫画で、理央も小学生の頃に全巻を読んで、かなり影響を受けていたのを覚えている。
たしか、『将来は何になりたいか』と言うテーマに『インターポールの情報員になって、美術品窃盗犯を追いかけて、世界中を駆け回りたい』と言う作文を書いて、何かの賞をもらっていた。
たしか主人公のグローリア伯爵には英語の口癖があって、理央から聞いたが忘れてしまった。


「だけど、先輩はいいですよね」
と、悠真が、自分のカレーパンを二口で食べ終わると、トレイの上のもう一つを見つめながら言った。

「ん?」
「あの片耳ピアスくんが、言ってたじゃないですか」

「尾藤か?……なにを」
と、安由雷が、悠真の視線の先をチラッと見た。

「パンを買う前なら変更は聞くけど、買った後なら無視するって。だけど、僕もよく先輩のホカホカ弁当を買いに行かされて、から揚げ追加とかの電話が買い終わった後に来ても、また店に戻って、僕はちゃんと買ってくるでしょ」

「あ~、そ~だな。なんでだ」
「だって買ってこないと、先輩、ぼくのを取るじゃないですか。ぼくだって、したいですよ」
と、悠真が言ったときに、安由雷の顔色が変わった。

(―――買う前は有効で、買った後は無効に)
安由雷が、長いまつ毛の目をゆっくりと閉じた。

(そういうことか!)
安由雷の頭の中で、思考をせき止めていたものが、跡形もなく砕け散る音がした。


「いいぞ」と、安由雷が微笑んだ。

「え?」と、悠真が首を傾げる。

「もう一つ、食べていいぞ」

「え、いいんですか、やった!」と、悠真が大きな口を開けてカレーパンを頬張った。

バディの助言。事件解決のご褒美の『この店自慢のカレーパン』はうまかった。
悠真が食べ終わるのを待って、二人は隣のビジネスビルへと戻って行った。

安由雷の中で、今回の事件の全ての結論が出た。
そして、悠真の中にも、別の結論(動く密室殺人の犯人は第一発見者で、凶器は海鳥が運んで行った)が出ていた。

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【これで、この殺人事件を真相に導くための情報は、すべて開示されました】
 ―――アナタは、もう犯人が判りましたか!?
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