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7 アレクシス・ティアンの誤算
しおりを挟むアレクシス・ティアンはいつものように馬車で学園に向かっていた。
身体の調子はいつになくいい。昨夜も一週間前と同じように婚約者の妹であるクリスティアナと熱い夜を過ごしてアレクシスは気分爽快だった。
「今日は何をして虐めてやろうか。僕の愛おしい婚約者に」
そろそろ令嬢たちを差し向けてもいいかもしれない。自分を巡って起こる争いを横で見るほど、楽しいものはないだろう。
黒い笑みを浮かべて、アレクシスは馬車の窓から見える景色を眺めた。
――アレクシス・ティアンは生まれた時から恵まれていた。
ティアン侯爵家はヴァンハート王国の西にある肥沃な山岳地帯を治める領主で、土地と気候に恵まれた農産物の出荷で莫大な収入を得ている名家である。
両親は愛ある結婚を果たし、そんな恵まれた家庭の次男として生まれたティアンは美貌で知られる両親の良いところを受け継ぎ、類まれなる美貌を持つ少年として育った。
その顔で僅かに微笑むだけで年頃の少女は頬を染め、恥じらう。手練手管を使わずともその顔だけで女を虜にする。
そんな環境で育ってきたのだ。天使と呼ばれた少年は、やがて自分は特別な存在なのだと思い込むようになったことは仕方のないことなのかもしれない。
そんな少年時代を経て、更なる成長を遂げた彼はその美貌にますます磨きをかけ、アレトラス学園へと足を踏み入れた。
そこは天国のような場所だった。歩けば令嬢たちが自分に熱い視線を送り、それに返すように微笑んでやれば黄色い悲鳴が上がる。
まるで自分が世界の中心にあるかのような優越感。
アレクシスはますます持て囃され、生来の明るい性格と、その甘いマスクで瞬く間に社交界での憧れの存在にまでなった。
その頃には慢心しきっていたアレクシスはそれでも満足しなかった。
もっと自分を、自分だけを見てくれる存在が欲しい。
そんな考えを持つようになった彼はある時、両親から縁談を打診されていると連絡を受けた。
相手はロアンヌ侯爵家の令嬢。ロアンヌ侯爵家には美貌で知られる少女クリスティアナがいたが、相手が打診してきたのはその姉セシルウィアの方だった。
物言わぬ人形。滅多に表情を表さず、何を考えているのか分からない闇のような紫の瞳と、灰のような銀髪を持つ、実に冴えない娘。
――なんだ。無愛想な姉の方じゃないか。
アレクシスは内心がっかりしたが、両親は非常に喜んでいた。
「あのロアンヌ家からの打診。これとない好条件じゃない。是非受けてみるべきよ!」
「そうだ。しかも先方からのご指名だ。とても光栄なことだぞ!」
父と母の興奮した声に、相手は同じ家格の侯爵であるのに何を畏まっているのだろう、と疑問に思いつつもあまりに二人がうるさいのでアレクシスは折れてしまった。
とりあえず会ってみることにしたのだ。
そして初対面の日。
アレクシスはやはり心の底から意気消沈した。
両家は挨拶もそこそこに、早々に二人きりにして去ってしまった。静けさに包まれる室内。しかしセシルウィアはただ俯いてモジモジするのみで、何も言葉を発そうとしない。
人に囲まれ、話題を振らなくとも常に話しかけられるせいで受け身であることに慣れきっていたアレクシスは、段々イライラしてきた。
「――君は、つまらない女だな」
つい、口をついて出た本音。
最初はまずいと思ったが、相手は物言わぬ人形。感情を持たない人形のような娘なのだ。心配することもあるまいと思い直す。
「……ごめんなさい」
アレクシスの言葉に返すように、セシルウィアは小さくそう呟く。よく見ると小さな手はぎゅっと固く握られ、肩は僅かに震えていた。
「何を話せばいいのか、分からなくて……。ずっと、憧れだった貴方に、初めて会えたから……」
そう小さく零したセシルウィアに、アレクシスは目を見張る。
――物言わぬ人形と言われる彼女が、僕に好意を抱いている?
ずっと熱い視線を送り続けられていたことで、人からの好意に敏感になっていたアレクシスはすぐに気づいた。
物言わぬ人形にも、セシルウィアにも、人の心はあるのだと。
そしてそんな彼女が自分を好きだと言う。
その瞬間、アレクシスは自分でもよく分からない黒い感情が芽生えたのを感じた。
何事にも関心を示さないはずの彼女が、僕に意識をむけている。
それは、これまで以上にない優越感をアレクシスの中にもたらした。
この瞬間、アレクシスの中にはセシルウィアに対する醜い執着欲が生まれていたのである。
「生憎僕は引く手あまただ。僕の婚約者を名乗りたいなら、相応しくなってもらわないといけない。分かるかい?」
天使と評される笑顔に悪魔のような内心を抱えて、アレクシスはセシルウィアに問いかける。
途端にセシルウィアは絶望したような表情になってアレクシスに追いすがった。
その表情をアレクシスは今でも忘れられない。
彼女が自分だけを見ている。彼女が見ることを許されるのは、自分だけ。
歪んだ執着が、アレクシスの心を支配していた。
「僕に相応しくあること。それが婚約者に求める条件だ」
――そして僕だけが彼女を貶めることを許される。彼女が愛するのは僕だけだし、彼女がその瞳に写すのも僕だけだ。
セシルウィアがアレクシスに執心するように、アレクシスもまた、セシルウィアに歪んだ執着心を抱いていた。
「それができるのなら、君は僕の婚約者だ。――君は、僕のものだ」
アレクシスはこの瞬間からセシルウィアに歪んだ愛を向けていた。
そんな歪んだ関係性は、セシルウィアの恋の盲目ぶりが冷めたことから終わりを迎える。
それどころか寧ろ手酷い仕返しを食らうことになるとは。
自分が思い描いていたものとは違う、とんだ誤算が生まれていることに、この時のアレクシスはまだ知る由もなかった。
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