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おまけSS「薬指の指輪」
しおりを挟むその日ティフォは、映画というものを見ていた。地球の娯楽の一つであるらしい。
ティフォは太平洋に浮かぶ小島で暮らしながら、地球の文化をもっと知りたいと、インターネットでの模索を続けていた。そのなかで映画という存在を知ったのだった。
3Dホログラムを見慣れたティフォには、どうも違和感が残る奥行きの感じられない平面的な映像で、ストーリーも作り物であることが一般的らしい。役者と呼ばれる見知らぬ人間の架空の言動を見て、地球人は泣いたり笑ったりするようだ。
それがティフォには不思議な行動に思えた。
それでもインターネット上の数多の映画情報を見るにしたがって、地球人はこの稚拙な作り物がとても好きなのだと理解した。
ティフォは間接的にでもムームの育ってきた文化を知りたいと、空いた時間でせっせと映画鑑賞にいそしむようになった。幸いなことにどの国の映画でも、英語の字幕さえあればティフォにも理解ができる。分からない文化については、さりげなくムームが教えてくれたりもした。
分かりにくいかもしれないが、ムームは優しい。
ムームは興味のない映画でも、ティフォの触手に腰かけて映画鑑賞につき合ってくれるのだ。
ティフォは、ムームと二人で一つのことを共有するこの映画鑑賞の時間を、とても大切に思った。すぐに映画が好きになった。そして人気の恋愛映画なるものを見まくった。
文化の違うムームに、好意を伝える地球式の方法を、映画から学ぼうと思ったのだ。
ティフォに許された行動範囲は狭い。
それでも小さな島のなかの小さな森に、こっそり入った。小島に自生する色とりどりの花を摘んで、映画みたいにひざまずいて花束を渡したかったのだ。
しかし自作の花束は、綺麗にはほど遠い仕上がりだった。映画のなかの花束とは決定的になにかが違う。
人間のたった二本しかない手は、驚くほどに器用だ。それに比べて触手生命体の手足ときたら、数が多く丈夫なだけで不器用なものだった。
しょんぼりと肩を落とすティフォと、それから触手のなかの植物の塊を見て、ムームはしばらく考えてからにやりと笑った。
ティフォの作った不格好な花束を、ムームはひょいと取り上げる。
「あ、待って、それはゴミみたいなもので」
『俺にくれるんだろ?』
「うっ。でも、でも、失敗作だから」
『俺の、だな?』
ムームは花束らしき物体から、潰れていない花をなんとか探しだし、その一輪を引き抜いた。
『花なんてなんとも思わなかったが、お前にもらう花はかわいいと思う。でも、もう採ってこなくていい。次は咲いているのを、一緒に見ようか』
ムームはそう話しながら、ハイビスカスに似た赤い花に、チュッと音を立てて唇を寄せた。そして、その花をティフォに手渡すのだった。
その仕草のかっこよさに、ティフォは膝から崩れ落ちた。触手に膝はないけども、もうこれは概念の話だ。ムームはかっこいい。映画のなかの役者なんかより、よほどかっこいいのだ。
自分ばかりがムームをどんどん好きになっていくようで、ティフォは触手をくねらせて拗ねた。
それからもティフォは、ムームのかっこよさにハートを射貫かれながらも、負けじと地球式の愛情表現を映画から学び、実践に移し続けた。
熱烈なラブレターだって書いた。
押して引くという恋の駆け引きは嘘をついているようで実践に移せなかったが、よく分からないなりに壁ドンもやった。アゴくいだってやった。
頭を撫でるのはいつもの行為すぎて気付いてもらえなかったが、大抵はムームが肩を振るわせ笑っておしまいだった。
そもそも一緒に映画を見ている時点で察しがつくというものなのだが、ムームは一生懸命なティフォを見て、あえて気付かないフリをしていたのだ。
最初はムームも、使い古されたありきたりな手法を真面目に吟味し、真剣に真似をするティフォを、かわいいなと思っていた。しかし、映画を一つ見るごとに一つ行動を起こす律儀なティフォを見て、次はなにをしてくれるのだろうかと、ムームは面白くなってしまったのだった。
それに対し、いっかな好意が伝わらないティフォは焦っていた。
こうなったらアレしかない。地球人のたった十本しかない指のなかでも、特別な指に輝くアレ。そう、指輪だと、ティフォは決意した。
映画のなかでも、最後の感動的な場面で登場しがちな小さな輪っか。渡された相手が、喜びに泣きながら受けとるような不思議で特別なプレゼント。ムームが、あのムームが、泣きながら指輪を受けとったら……。
ティフォは想像をした。想像だけでえも言われぬ喜びがわき上がった。
こうなったら手に入れるしかない。しかしこの小島で指輪を手に入れるのは至難の業だ。
ティフォは考えた。嘘はつきたくない。でも、欲しい……っ!
『で、なんでいまさら、地球の通貨が必要なんだ?』
「えっとぉ、どうしても、買いたいものがあって」
『通貨があってもこの島には店がない。しかし、お前はこの島から出られない。つまり必要がないということだ。欲しい物は俺が買ってやる。言え。なにが欲しい?』
「でも、私が自分で買うことに意義があるんだ」
しどろもどろになりながらも、ティフォは頑なに口を割らない。なにをそこまで秘密にして買うべきものがあるのかと、ムームは考えた。
そこでムームは、昨日見た映画のワンシーンを思い出す。
『おい。指輪なら、いらんぞ』
「ふえっ? な、なんで、じゃなかった、違うよ! ゆ、ゆ、指輪なんて知らないよ? でもでも、どうしていらないの? あくまで知的好奇心による調査の一環として聞いてるだけだけど、なんで?」
分かりやすく動揺するティフォの触手に、ムームは指をからめた。
『必要ない。お前は、俺の指にだけ指輪をはめるつもりか? お前の触手のどこに指輪をはめられる? あれは揃いの物を身につけることに、意味がある』
「そうか……。私は、人間じゃないから、触手に装飾はつけられない……。そうだ! 私にも、人間の腕を移植すれば」
『そんな必要はない。お前はそのままでいい。他の誰でもない、俺が、そう望んでいるんだ。分かるな?』
それでもティフォは、名残惜しそうにいじらしく薬指に触手をからめている。
ムームは数秒の逡巡のあと、ティフォの耳元でささやいた。
『あんな作り物じゃなくて、俺の体に直接、お前の物だってしるしをつければいい。お前に噛みつかれると、俺の躰が喜ぶようになるくらい、たくさんだ』
びたびたと暴れだした触手に、ムームは躰をあけ渡す。こうしてムームの体中に、ティフォの深すぎる執着の跡が刻まれることになるのだった。
ムームは隠すことなく、噛み跡をさらす。
我に返ったティフォが赤面するほどの、情事の跡だ。人間が見れば、触手生命体に襲われたと思われかねない噛み跡だった。
それでもムームは、ベッドの中で淫らにねだる。毎夜の戯れの蓄積は、左手の薬指に、赤々とした傷跡を残した。
化け物と、化け物じみた自分を縛る誓いの証にふさわしいと、ムームはひっそりと噛み跡をなでた。
これはまだ家族になる前の、二人の秘めごと。
これが、ムームの誓いの指輪。
(おしまい)
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