【完結】糸と会う〜異世界転移したら獣人に溺愛された俺のお話

匠野ワカ

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62.オーニョさんの赤い糸

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『虫のように追い払われたのは、初めての経験だな』



 楽しげに笑っている甘い声が、頭に響く。



 声に聞き覚えがある。

 ――うん。思い出した。夢じゃないなら、俺、こっちの神さまに会ったんだった。
  


『す、すいません。ちょっと記憶が混乱してて』


 慌てて立ちあがろうとする俺を、オーニョさんが押しとどめる。


 というか大きな前足で軽くおさえられるだけで、俺なんて簡単に動けなくなるのだ。
 重いよオーニョさん。

 でもその肉球はとても魅惑的です。

 肉球で圧死とか、老衰を超える幸せな死因のぶっちぎり第一位だよね。
 ご褒美じゃん?



『よいよい。そのまま座っていなさい。まだ横になっていてもいい。ユーキにはちょっと無理をさせてしまったようだからね』

『いえ。……えっと、俺の記憶? でしたっけ? ちゃんと、覗けましたか?』

『ああ、見せてもらったよ。悪かったね』 

『いえいえ、ぜんぜん。むしろ面白くもないものを見させてしまったと思うので、こちらこそ申し訳ないです』

『辛かったろう。こちらではゆっくり過ごすといい』 



 たくさんの金色の糸が、俺の頭や頰を甘やかすように撫でていく。

『……俺、ちょっとどこか変なのかもしれないです。
 たしかに死ぬほど辛かったはずなのに、こっちに来てから、なんかこう人ごとというか、嫌だったなぁくらいにしか思えなくて。向こうのことを、思い出すこともあんまりなくて。
 何よりも、それを今まで疑問に思ってもいなかったんです』


 とっくに俺の頭は壊れてしまっていて、この今あるすべてが狂った俺の妄想だったら……と考えて、ふるりと震えてしまった。


 俺の震えに気付いたオーニョさんは、俺の腕の下に頭を突っこんで、励ますようにぐいぐいと頭をすり寄せた。

 そのたびに俺の体は大きくぐらぐらと揺れるのだ。

 オーニョさんの体の大きさにふさわしい力加減ってものがあると思うんですけど。
 しかし俺の取るに足らない小さな文句は、オーニョさんの最高の毛並みによって霧散してしまうのだった。

 どさくさ紛れにしっかりと魅惑の毛並みを堪能していた俺は気付いてしまった。



 オーニョさんの体から、細い糸がたくさん伸びているのだ。

 その糸はオーニョさんの毛並みとよく似た赤色で、その大半が俺に向かって伸びていた。

 オーニョさんの糸は、しきりに俺に絡まり、つつき、撫でている。



 こんなのが見えるのも、この金色の糸の力なのかな。
 俺からも、こういう糸って出ているのかな。

 そう思いながら俺はじっと自分の手を見た。


 すると、薄く、ほぼ透明な糸が一本、見えたのだ。

 俺の糸は、ふよふよとあっちにいったり、こっちにいったり、頼りなく揺れている。



『ユーキの心が、自分を守ろうとしているんだよ。無理に思い出す必要はない。無いほうが幸せな記憶なら、私の力でその記憶だけ閉じることもできるからね』

 アキュース神さまの言葉に、俺は首を横に振る。

『忘れちゃ駄目な気がします。俺、自分が、卑怯ひきようで弱い人間なんだって、忘れちゃいけないから』

『何を……』

『神さまは全部、見たんですよね?』



 沈黙が返ってくる。沈黙は、つまりは肯定だろう。

『俺は、日本画家になりたかった。何を犠牲にしてでも。本当に、小さなころから絵が好きだったから。
 だから教授を、心底からは拒めなかったんだと思うんです。教授もそれを理解していたんでしょうね。俺は大切なものを間違えた。絵を描けていたら、それだけで幸せだったのに。
 自分の欲望に負けて、選択を間違えて、友達を失って。きっと、自分のことしか考えていないバチがあたったんです』


『ユーキ! ユーキは何も悪くない!』



 それは聞きなれた声だった。

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