56 / 122
56
しおりを挟む
それこそ最初――虎のアルディさんをブラッシングしたときは、前世の記憶を思い出したばかりで、妙に現実感がなくて、まあ夢だし大丈夫でしょ、なんて気楽に考えていたから、怖くなかった。
でも、今は前世の記憶が、というよりは、第二騎士団の皆を信頼しているから怖くないのだ。
自らブラッシングを望んでいるから暴れない――というのはもちろんそうだけど、わたしが怪我をしないように爪を出さなかったり、気を使ったりしてくれていた。
そんな人たちを怖い、なんて思うわけがない。
「全然、怖くないです」
ただ、その、『信頼している』ということを口に出すと、今はなんだか嫌味っぽくなってしまうので、わたしはただ、そう答えた。
「――オルテシア嬢は不思議な人だね」
……褒められているんだろうか、それ。
「皆、何もしなくても、猛獣と同じ姿をしているってだけで、怖いって、僕を――僕らを、避けていたのに」
「――……」
獣化は、ただ姿が変わるだけ。中身は変わらない。
それなら、周りから、何もしていないのに、見た目だけで判断され、怖がられ避けられるのは、悲しいことだっただろう。
わたしだって、見た目で判断されてきた人間だから、少しだけ気持ちは分かる。……まあ、わたしは、何もしないで着飾らないからこそ、馬鹿にされていたわけなんだけど。
「――……格好いいではないですか、虎」
髪留めを貰ったとき、可愛いと言ってもらえて、すごく嬉しかったから。同じように褒めようと思って、口にしたら、アルディさんは、きょとんとした後、思わず、と言った風に破顔した。「なあに、それ」なんて、言いながら。
――あ。やっと笑った。
わたしが怪我をしたときから、ずっと難しい顔をしていたアルディさん。わたしが怪我をした原因が自分にもあると、自らを責めていたのかもしれない。
じっと彼の笑顔を見ていると、アルディさんはなぜか慌てたように口元を隠した。
「……ごめん」
「なぜ謝る必要が……?」
全然、謝罪の意味が理解できなくて、わたしは思わず食い気味に聞いてしまった。
少し迷っている素振りを見せていたアルディさんだったが、わたしが本気で理解できていないのが伝わったのだろう。
「…………き、牙が見えちゃうから」
気まずそうに目線を逸らしながらアルディさんが言って、ようやくわたしも気が付いた。そういえば、いつも穏やかな表情をしているけど、大口を開けて、とか、歯を見せて、とか、そういう笑い方をしているところを見たことがない。
「獣化してなくても、牙ってあるものなんですね?」
「人によるかなあ。人の姿でも牙があるのは僕だけじゃないけど……怖がらせるでしょ」
今までずっと気にして、見せないようにしてきていたのだろう。……笑ってくれたことが嬉しくて、わたしは牙を見逃してしまったわけだけど。
「怖くない、って言ったばかりではないですか」
わたしは気にしない、という意味を込めて、そう伝える。わたしも、大口を開けて笑うのは下品でみっともない、という教育を受けて育っている。好きに笑っていた前世を思い出すと、そうやって生きるのが、いかに大変か、気が付いてしまったのだ。
「え……、あ……」
深い意味はなかったのだが、アルディさんは顔を真っ赤にしてしまった。なんだかすごく……恥ずかしい。妙に甘い空気が漂っている。
そんなことを考えていると、「めぇ」と、抗議するような鳴き声が聞こえてきた。完全に手が止まっていたので、話をしていないでさっさと続きをしろ、ということだろう。
確かに、久々に来ることができたのに、雑談ばかりしていたらブラッシングが終わらない。いつぞやの、夜までかかった日ほどの人数はいないが、今日もそこそこ獣化している人がいるから、あんまりだらだらやっていると夕方までに終わらないかもしれない。
「わ、すみません」
わたしは軽く謝って、ブラッシングの続きをするのだった。
でも、今は前世の記憶が、というよりは、第二騎士団の皆を信頼しているから怖くないのだ。
自らブラッシングを望んでいるから暴れない――というのはもちろんそうだけど、わたしが怪我をしないように爪を出さなかったり、気を使ったりしてくれていた。
そんな人たちを怖い、なんて思うわけがない。
「全然、怖くないです」
ただ、その、『信頼している』ということを口に出すと、今はなんだか嫌味っぽくなってしまうので、わたしはただ、そう答えた。
「――オルテシア嬢は不思議な人だね」
……褒められているんだろうか、それ。
「皆、何もしなくても、猛獣と同じ姿をしているってだけで、怖いって、僕を――僕らを、避けていたのに」
「――……」
獣化は、ただ姿が変わるだけ。中身は変わらない。
それなら、周りから、何もしていないのに、見た目だけで判断され、怖がられ避けられるのは、悲しいことだっただろう。
わたしだって、見た目で判断されてきた人間だから、少しだけ気持ちは分かる。……まあ、わたしは、何もしないで着飾らないからこそ、馬鹿にされていたわけなんだけど。
「――……格好いいではないですか、虎」
髪留めを貰ったとき、可愛いと言ってもらえて、すごく嬉しかったから。同じように褒めようと思って、口にしたら、アルディさんは、きょとんとした後、思わず、と言った風に破顔した。「なあに、それ」なんて、言いながら。
――あ。やっと笑った。
わたしが怪我をしたときから、ずっと難しい顔をしていたアルディさん。わたしが怪我をした原因が自分にもあると、自らを責めていたのかもしれない。
じっと彼の笑顔を見ていると、アルディさんはなぜか慌てたように口元を隠した。
「……ごめん」
「なぜ謝る必要が……?」
全然、謝罪の意味が理解できなくて、わたしは思わず食い気味に聞いてしまった。
少し迷っている素振りを見せていたアルディさんだったが、わたしが本気で理解できていないのが伝わったのだろう。
「…………き、牙が見えちゃうから」
気まずそうに目線を逸らしながらアルディさんが言って、ようやくわたしも気が付いた。そういえば、いつも穏やかな表情をしているけど、大口を開けて、とか、歯を見せて、とか、そういう笑い方をしているところを見たことがない。
「獣化してなくても、牙ってあるものなんですね?」
「人によるかなあ。人の姿でも牙があるのは僕だけじゃないけど……怖がらせるでしょ」
今までずっと気にして、見せないようにしてきていたのだろう。……笑ってくれたことが嬉しくて、わたしは牙を見逃してしまったわけだけど。
「怖くない、って言ったばかりではないですか」
わたしは気にしない、という意味を込めて、そう伝える。わたしも、大口を開けて笑うのは下品でみっともない、という教育を受けて育っている。好きに笑っていた前世を思い出すと、そうやって生きるのが、いかに大変か、気が付いてしまったのだ。
「え……、あ……」
深い意味はなかったのだが、アルディさんは顔を真っ赤にしてしまった。なんだかすごく……恥ずかしい。妙に甘い空気が漂っている。
そんなことを考えていると、「めぇ」と、抗議するような鳴き声が聞こえてきた。完全に手が止まっていたので、話をしていないでさっさと続きをしろ、ということだろう。
確かに、久々に来ることができたのに、雑談ばかりしていたらブラッシングが終わらない。いつぞやの、夜までかかった日ほどの人数はいないが、今日もそこそこ獣化している人がいるから、あんまりだらだらやっていると夕方までに終わらないかもしれない。
「わ、すみません」
わたしは軽く謝って、ブラッシングの続きをするのだった。
353
あなたにおすすめの小説
【完結】たれ耳うさぎの伯爵令嬢は、王宮魔術師様のお気に入り
楠結衣
恋愛
華やかな卒業パーティーのホール、一人ため息を飲み込むソフィア。
たれ耳うさぎ獣人であり、伯爵家令嬢のソフィアは、学園の噂に悩まされていた。
婚約者のアレックスは、聖女と呼ばれる美少女と婚約をするという。そんな中、見せつけるように、揃いの色のドレスを身につけた聖女がアレックスにエスコートされてやってくる。
しかし、ソフィアがアレックスに対して不満を言うことはなかった。
なぜなら、アレックスが聖女と結婚を誓う魔術を使っているのを偶然見てしまったから。
せめて、婚約破棄される瞬間は、アレックスのお気に入りだったたれ耳が、可愛く見えるように願うソフィア。
「ソフィーの耳は、ふわふわで気持ちいいね」
「ソフィーはどれだけ僕を夢中にさせたいのかな……」
かつて掛けられた甘い言葉の数々が、ソフィアの胸を締め付ける。
執着していたアレックスの真意とは?ソフィアの初恋の行方は?!
見た目に自信のない伯爵令嬢と、伯爵令嬢のたれ耳をこよなく愛する見た目は余裕のある大人、中身はちょっぴり変態な先生兼、王宮魔術師の溺愛ハッピーエンドストーリーです。
*全16話+番外編の予定です
*あまあです(ざまあはありません)
*2023.2.9ホットランキング4位 ありがとうございます♪
家族から邪魔者扱いされた私が契約婚した宰相閣下、実は完璧すぎるスパダリでした。仕事も家事も甘やかしも全部こなしてきます
さら
恋愛
家族から「邪魔者」扱いされ、行き場を失った伯爵令嬢レイナ。
望まぬ結婚から逃げ出したはずの彼女が出会ったのは――冷徹無比と恐れられる宰相閣下アルベルト。
「契約でいい。君を妻として迎える」
そう告げられ始まった仮初めの結婚生活。
けれど、彼は噂とはまるで違っていた。
政務を完璧にこなし、家事も器用に手伝い、そして――妻をとことん甘やかす完璧なスパダリだったのだ。
「君はもう“邪魔者”ではない。私の誇りだ」
契約から始まった関係は、やがて真実の絆へ。
陰謀や噂に立ち向かいながら、互いを支え合う二人は、次第に心から惹かれ合っていく。
これは、冷徹宰相×追放令嬢の“契約婚”からはじまる、甘々すぎる愛の物語。
指輪に誓う未来は――永遠の「夫婦」。
出稼ぎ公女の就活事情。
黒田悠月
恋愛
貧乏公国の第三公女リディアは可愛い弟二人の学費を稼ぐために出稼ぎ生活に勤しむ日々を送っていた。
けれど人見知りでおっちょこちょいのリディアはお金を稼ぐどころか次々とバイトをクビになりいよいよ出稼ぎ生活は大ピンチ!
そんな時、街で見つけたのはある求人広告で……。
他サイトで投稿しています。
完結済みのため、8/23から毎日数話ずつラストまで更新です。
ちょっと不運な私を助けてくれた騎士様が溺愛してきます
五珠 izumi
恋愛
城の下働きとして働いていた私。
ある日、開かれた姫様達のお見合いパーティー会場に何故か魔獣が現れて、運悪く通りかかった私は切られてしまった。
ああ、死んだな、そう思った私の目に見えるのは、私を助けようと手を伸ばす銀髪の美少年だった。
竜獣人の美少年に溺愛されるちょっと不運な女の子のお話。
*魔獣、獣人、魔法など、何でもありの世界です。
*お気に入り登録、しおり等、ありがとうございます。
*本編は完結しています。
番外編は不定期になります。
次話を投稿する迄、完結設定にさせていただきます。
死に戻りの元王妃なので婚約破棄して穏やかな生活を――って、なぜか帝国の第二王子に求愛されています!?
神崎 ルナ
恋愛
アレクシアはこの一国の王妃である。だが伴侶であるはずの王には執務を全て押し付けられ、王妃としてのパーティ参加もほとんど側妃のオリビアに任されていた。
(私って一体何なの)
朝から食事を摂っていないアレクシアが厨房へ向かおうとした昼下がり、その日の内に起きた革命に巻き込まれ、『王政を傾けた怠け者の王妃』として処刑されてしまう。
そして――
「ここにいたのか」
目の前には記憶より若い伴侶の姿。
(……もしかして巻き戻った?)
今度こそ間違えません!! 私は王妃にはなりませんからっ!!
だが二度目の生では不可思議なことばかりが起きる。
学生時代に戻ったが、そこにはまだ会うはずのないオリビアが生徒として在籍していた。
そして居るはずのない人物がもう一人。
……帝国の第二王子殿下?
彼とは外交で数回顔を会わせたくらいなのになぜか親し気に話しかけて来る。
一体何が起こっているの!?
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
転生からの魔法失敗で、1000年後に転移かつ獣人逆ハーレムは盛りすぎだと思います!
ゴルゴンゾーラ三国
恋愛
異世界転生をするものの、物語の様に分かりやすい活躍もなく、のんびりとスローライフを楽しんでいた主人公・マレーゼ。しかしある日、転移魔法を失敗してしまい、見知らぬ土地へと飛ばされてしまう。
全く知らない土地に慌てる彼女だったが、そこはかつて転生後に生きていた時代から1000年も後の世界であり、さらには自身が生きていた頃の文明は既に滅んでいるということを知る。
そして、実は転移魔法だけではなく、1000年後の世界で『嫁』として召喚された事実が判明し、召喚した相手たちと婚姻関係を結ぶこととなる。
人懐っこく明るい蛇獣人に、かつての文明に入れ込む兎獣人、なかなか心を開いてくれない狐獣人、そして本物の狼のような狼獣人。この時代では『モテない』と言われているらしい四人組は、マレーゼからしたらとてつもない美形たちだった。
1000年前に戻れないことを諦めつつも、1000年後のこの時代で新たに生きることを決めるマレーゼ。
異世界転生&転移に巻き込まれたマレーゼが、1000年後の世界でスローライフを送ります!
【この作品は逆ハーレムものとなっております。最終的に一人に絞られるのではなく、四人同時に結ばれますのでご注意ください】
【この作品は『小説家になろう』『カクヨム』『Pixiv』にも掲載しています】
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる