上 下
15 / 39
第三章 魔獣の住まう山脈

①悪夢

しおりを挟む
 夢を見ていた。
 夢の中、俺は少年の姿だった。

 故郷の町、姉の結婚式の日がせまっていた。
 その直前まで、姉と喧嘩していたのを妙にはっきりと覚えている。
 よその人間に姉を取られるようで、スネていたんだろう。

 このままでは姉と口を聞かないまま、よその家に行ってしまう。
 おさな心にそう気づいた俺は、町の近くの山まで、姉の好きだった野イチゴの実を取りに一人で出かけていた。
 仲直りのしるし、もっとカッコつけて言えば、結婚式の贈り物のつもりでもいた。
 けど、実を革袋いっぱいに詰めて町に戻った俺は、異変に気づいた。

 町の方角が赤く燃えていた。
 そして、風に乗って甲高い悲鳴が、いくつも、いくつも聞こえてくる。
 無我夢中で駆けた。
 夢の中だけに、いつの間にか俺は燃え盛る町の中にいた。

「父さん、母さん、姉さん!」

 朝出かけるときはいつもと変わらなかった町並みが、わずかのあいだに一変していた。
 ほうぼうに火の手が上がり、道にはがれきが散乱し、家屋は見る影もなく崩れている。
 そして、絶え間なく上がる悲鳴と、無造作に転がる誰かの遺体。血と贓物、ちぎれた四肢が散乱する。
 それをあざわらうような、妖魔の上げるけたたましい鳴き声。

 俺は、自分の家があったはずの場所にたどり着いた。
 だが、そこにはがれきの山があるばかりで、父も母も見当たらなかった。
 ただ、がれきの下敷きになり、額から真っ赤な血を流した姉の姿だけがあった。

「姉さん……姉さん!」

 俺は必死でがれきをどけようとしたが、幼い子どもに持ち上がるものではなかった。

「マハト……逃げて」

 それが最後に聞いた姉の声だった。
 直後、姉のいた場所は魔族の放った魔術によって、爆発した。

「姉さん! 姉さぁぁぁん!! うわああぁぁぁ」

 絶叫する間に、俺の姿は幼子から変容していた。
 勇者隊の隊長である、戦士の姿に。
 気づくと俺は腰の剣を抜き、町を襲う魔族に斬りかかっていた。

「行け、魔族たちを一人残らず殲滅せんめつしろ!」

 俺は勇者隊のみなを指揮し、戦火の燃える町を駆ける。
 妖魔や魔族を見つけては、手当たり次第斬り伏せた。
 怒りとともに、全能感が全身に満ちていた。

 だが――、不意に肩に激痛を感じ、俺は振り向いた。
 さっきまで俺とともに戦っていたはずの勇者隊のみなが、魔族と肩を並べ俺を取り囲んでいた。
 俺の肩には矢が刺さっている。

「みんな、どうして……」
「だからおまえは甘いんだよ、マハト」

 副官ヴェルクが唇を歪ませてあざ笑う。魔族たちも、彼そっくりの嘲笑を浮かべていた。
 一転、絶望感が俺を襲う。
 魔族に殺された町の者たちも、戦死した勇者隊の一員も、みなが俺を責め立てた。
 そして、抵抗できない俺の身体を魔族たちが切り刻む。

「やめろ、やめてくれ!」

 痛みにどれだけ懇願しても、彼らは手を止めなかった。
 全身が灼熱の炎に焼かれたように熱い。
 そして、俺に引導を渡すように、深紅の鎧と兜をまとった魔族が、俺にゆっくりと近づいてくる。

「暁の魔将……!」

 鎧の魔族は、大剣を俺に突きつける。
 そして、兜をゆっくりと脱いだ。
 その下の顔は――、

***

 目を見開く。
 つかのま、ここがどこで、今がいつか分からなかった。

「目覚めたか、マハト?」

 誰かの呼びかける声に視線を向け、

「……魔族!」

 その姿に身体がこわばった。
 反射的に、手が腰の鞘をさぐる。
 だが、眠りにつく前に長剣は腰から外し、脇に置いていた。
 それに気づき……だんだんと、俺の意識は現実へと引き戻される。
 ようやく、頭が現状を認識しはじめた。

 たき火を挟んで、向こう側の倒木に腰かけるイブナの姿。
 辺りはまだ薄暗く、夜は明けていない。
 俺たちは魔獣グリフォンの住まうバルモア山脈のふもと、小さな林の中で野宿をしていた。
 イブナが火の番の交代を申し入れたのを受け、俺は仮眠の態勢に入っていた。そして、いつの間にか、完全に寝落ちしていたようだ。

「すまん、寝ぼけていた」

 俺はきまり悪げに、言いつくろう。

「かまわん。おまえのうなされる声を聞けば、どんな夢を見ていたのか、察しがつく」

 イブナはそう言って小さく笑った。
 たき火の陰影のせいか、その微笑はさみしげなものに見えた。
 
 夢うつつとはいえ、仲間と言ったはずの相手に敵意を向けた……。
 ひどい自己嫌悪の念が湧きあがってくる。

「すまなかった」

 もう一度、あらためて頭を下げる。

「言ったはずだ。妹が助かったならこの首を差し出してもかまわない、と」
「そんなものは望まない、とも言ったはずだ」

 そう答えたものの、動悸はまだ収まっていなかった。
 夢の中の光景。そのほとんどは、現実の記憶のままだった。
 久しく忘れていたはずの、故郷の記憶が胸によぎる。
 イブナの顔を直視できなかった。

「悪夢ならわたしもよく見る」

 独りごとのように、イブナがぽつりと言う。

「妹のために立った戦線とはいえ、ともに戦ったものたちに思い入れがないわけではない。わたしの采配の誤りで死なせた部下たちが、いまだにわたしを責める。毎夜のようにな」
「よく分かる」

 たき火のはぜる音が、夜闇に響いた。
 イブナは上を見上げた。
 つられて俺も空に目を向ける。
 星の多い夜だった。

 死者の魂のようにも見えた。

「マハト」
「なんだ?」
「我ら魔族を恨む思いに、無理に封をする必要はない」
「そんなこと……」
「憎しみの念は理屈では消えない。わたしも同じだ。この大陸に侵略したのは我らのほう。そんなことは百も承知だが、おまえたちヒト族に恨みを抱く、胸の内の昏い想いはどうしようもない」

 俺は動悸の続く、自身の胸に手を当てた。
 イブナの言う通りなんだろう、と思う。

 けれど、俺が殺されかけたのは、かつての仲間たちによってだった。
 イブナの妹を犠牲にしようとしたのも、同族たちだ。
 種族の違いだけが、すべてではない。

 なら、どう考えればいい?
 その一つの道筋は、この魔族の姉妹の命を救った先に、見つかるような気がした。

「なあ、イブナ。妹の話を聞かせてくれないか」
「なぜ?」
「なんとなくだ。これから救おうとする命のことを考えたいのかもしれない」

 わずかに間があった。

「いいだろう。それがおまえの気のまぎれになるのなら……」

 再び口を開いたイブナの声は、落ち着いたものだった。

「あれは、姉のわたしから見ても変わったやつだ。ずっと床にふせっていたせいかもしれない。いまでもよく覚えているのは――」

 ぽつり、ぽつりとイブナの口から語られる彼女の妹――シャンナの話に耳をかたむける。
 イブナ自身、誰かに語って聞かせたかったのかもしれない。
 ひとたび思い出を語ると、彼女の言葉は次から次へとあふれだした。

 そうするうちに、夜の闇が、うっすらとしらみはじめた。
 
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

王国公認ホストクラブ 【完結】

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:44

しーちゃん

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

ひと夏の輝き

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

トランスファは何個前? Watch your step.

キャラ文芸 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

七色の紅い虹

エッセイ・ノンフィクション / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

処理中です...