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風太郎の旅立ち編
嵐が来たりて
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陽が今日も傾く。青年は自分と家族の家となっている街外れの二階建ての木造アパートを見上げる。登るたびに軋む階段。建て付けの悪い扉。ヒビの入ったかつては白塗りであったと思われるアパートの壁。
外れかかった牛乳受けの箱。最後に純粋に飲むためだけに牛乳を飲んだのはいつの日の事だっただろうか。
短くて黒い髪の青年はそんな事を考えながら、外れかかっている軋む階段を登っていく。
青年ーー獅子王院風太郎はそれまで被っていたニット帽を外して汗を拭う。
今日一日分の疲労が階段の上に落ちていく。
風太郎は昭和30年代における模範的な勤労少年であった。だが、一見した彼の風貌は気にいる人間が多いかもしれない。
と、言うのも体型は日々の過酷な労働により引き締まっていたし、顔も見る人が見れば格好が良いという言う顔である。何より、黒くて短い髪をキチリと整えているのが爽やかだという印象を与える所以と言えるかもしれない。
風太郎の職場の中にも居る風太郎の同世代いわゆる『金の卵』の少女の中にも風太郎を好んでいる人がいるのも事実である。
が、当の風太郎としてはどうでも良い事である。彼が工場という半ば閉鎖的な環境で働くのはたった一つの理由にあるからだ。
風太郎は相当の年季の入ったアパートの扉を開く。
「おーい、帰ったぞ~」
風太郎が無気力な一言を発するのと同時に、一人のおかっぱに赤いスカートに白いシャツの少女と風太郎と同じ髪型をした短パンに白いシャツの少年が明るい声で風太郎を出迎えた。
風太郎は玄関まで自分を迎えに来た妹と弟の頭を撫でて笑うと、三畳一間のアパートの中央に置かれた買い物鞄に向かう。
風太郎は鞄を開くのと同時にそれを持って流し台のみが付いた台所へと向かう。
幼い妹と弟の分も料理を作るのは長男の役目だ。風太郎は包丁で料理を作りながら一人で笑う。
両親を亡くし、家を手放して三人で暮らしてはいるがこの暮らしも辛くはない。
現に今は弟と妹と助け合って暮らしている。弟と妹は自分が留守の間に遊びにも行かずにお使いに行ってくれる。
それが風太郎は嬉しかった。今も二人は自分を助けてくれている。ならば、次は自分が二人を助ける番だ。
二人を大学に行かせるまで働こう。二人が大学に行ける様に二人の生活の面倒を見よう。
泡沫の夢。砂上の楼閣。人はそういうかもしれない。いや、あまり経済的に豊かではない自分たち一家を見たら確実に他人はそう嘲笑うだろう。
だが、風太郎にとってそれは何よりも大切な夢だったのだ。
風太郎が幸せな夢に浸りながら、夕食の野菜を切っていると突如、扉が飛ばされてそこに斧を持って息巻いた老人の姿が見える。
間違いない。老人は隣の部屋の男だ。普段から、奇声を発しているロクでもない男ではあるが、一体何をするつもりなのだろう。
風太郎が念のために二人を逃がそうと包丁を置いて近寄ろうとした時だ。
老人は上機嫌な様子で笑い出し、まだ幼い妹と弟の二人の元へと向かう。
風太郎は老人の目的を察し、老人の体にしがみついたが、直後に老人とは思えない程の怪力によって壁へと叩き付けられてしまう。
壁に叩き付けられた直後も風太郎はただ、弟と妹の安否のみを案じて叫ぶ。
「英夫!清子!逃げろ!」
弟と妹は自分の名前が叫ばれるのと同時に目の前の事態が正常ではないと判断し、不安に駆られたのだろう。
真っ直ぐに倒れた風太郎の元へと駆け寄って来ようとしたが、その道中に老人の足によって乱暴に蹴られて風太郎同様に壁に叩き付けられてしまう。
その後はエヘエヘと笑う老人の手による凄惨なショーの幕開けとなった。泣き叫ぶ幼い英夫の頭が割られ、そこからペンキの様に赤い液体が壁や畳へと飛ぶ。
それを見た清子は逃げようとしたのだが、老人に手によって英夫と同じ運命を辿ってしまう。
風太郎は「やめろ!」と何度も叫んだ。だが、老人は承知しようとしない。助けに行こうとも体が動かない。
と、言うのも体が震えており、足が空くんで立てないという自分の体であるのにも関わらずに自分の体ではないかの様な奇妙な錯覚に彼自身が支配されていたからである。
いや、風太郎の脳が目の前で起きた惨劇に頭が付いていかずに、凍り付いていたと言うべきだろうか。本当にどうすれば良いのだろう。
風太郎は血に覆われた安っぽい畳や土壁の光景が信じられずにいた。そして、目の前から迫ってきた白いシャツを着た禿頭の老人を眺める。白い毛が頭の周囲に淋しく生えている程の毛の男はケタケタと笑いながら、自分に向かって手に持っていた血塗れの斧を振り下ろす。
風太郎は殺されるかと思って両目を瞑ったのだが、それよりも前にその老人に向かって一本の刃物が突き刺さっている事に気が付く。
唖然とした様子の孝太郎の前に老人を押し倒す形で顔だけでも食べていけるという確証を持つ程の美しい顔を持つ白いセーラー服に紺色の長いスカートを履いた若い少女が推し入ってきた。
少女は唖然としている風太郎の腕を掴むと、大きな声で叫ぶ。
「早くッ!早く逃げてください!あの男がこれ以上の惨劇を起こす前にッ!」
だが、動けない。頭では分かっていても、風太郎は目の前で大切な妹と弟を殺された悲しみによって動けずにいた。
痺れを切らしたのか、美しい顔の少女は風太郎を平手打ちして、
「早くしなさいッ!これ以上、あの女の刺客が来る前にッ!」
『刺客』?目の前の少女は何を言っているのだろう。自分の家は確かに戦前は大きな地主であったらしいが、GHQの農地改革により、全ての農地を手放し、東京へと移り住んだらしいから、狙われる様な金も無い。自分自身も弟や妹もごく平凡な人間である。
そんな自分たちを誰が狙うのだろう。あの女とは誰なのだろう。疑問のために、風太郎の頭が凍り付いていると、少女がもう一度平手打ちを喰らわせる。
「もう時間がありません!これ以上、強力なーー」
「あ、危ない!」
風太郎は背後で先程の狂った老人がもう一度起き上がった事に気が付き、長い黒髪の少女に教えた。
少女は踵を返して剣を左斜め下から振り上げて老人の持っていた斧を防ぐと、そのまま老人を斬りつけた。
風太郎は思わず両目を瞑ったのだが、不思議と妹や弟の時と同様に血は飛んで来ない。
恐る恐る目を開けると、そこには光に包まれた老人の姿。
信じられない光景を眺めていると、そのまま老人は光に包まれて昇天していく。
目の前に現れた少女はその様子を暫くの間は眺めていたのだが、直ぐにもう一度風太郎の方を振り向いて、丁寧に頭を下げて、
「申し遅れました。私の名前は斑目綺蝶と申します。あなたを本日お迎えに上がりましたが、来るのが遅く、妹さんや弟さんを……申し訳ありませんでした」
綺蝶と呼ばれた少女は風太郎の手を掴むと、襖を開けて安アパートの階段を降りていき、この下町には似ても似つかない高級車の中に風太郎を乗せる。
風太郎を押し込めるのと同時に、彼女は自分より少しだけ年上だと思われる青年に向かって言った。
「直ぐに出てください。目的地は分かってますね?」
「分かっているさ」
黒塗りの高級車は下町の悪路の上でガタガタと動きながら走っていく。
風太郎が弟、妹の三人と過ごしていた安アパートが遠くなっていく。
風太郎は天国の雲を思わせる様な居心地の良いソファーに揺られながら、これまでの出来事を回顧していく。
自分は本来なら何の心配もいらない大地主の家で産まれ、何の不自由もなく過ごす筈であった。
だが、GHQの農地改革により、土地を召し上げられ、東京に移り住む事となり、何とか15の歳までは自分は勉学に励む事が出来たのだが、両親が列車事故で死亡するのと同時に自分は学校を辞めなくてはならず、工場で働きながら幼い妹と弟を養ってきた。
それなのに、その妹と弟まで失ってしまっては自分の存在意義などないではないか。
いっそ死にたい気分であった。だからこそ、彼はせがむ。
「た、頼む。オレに短刀を……短刀をッ!貸してくれ!」
涙ながらの懇願。最早、この世に未練などない男の心の底からの願い。
だが、少女は敢えて無視をする。それどころか黙って風太郎を抑え付けてシートに座らせる。
二時間ばかり車に揺られた後に、風太郎を乗せた車は東京郊外の大きな茅葺の屋根の家の前に辿り着いていた。
「着きましたよ。獅子王院さん。もしーもーし?」
綺蝶は風太郎を揺り起こそうとしたが、風太郎は起きない。ただぼんやりと目の前の聳え立つ座った巨人の様に大きな家を眺めていた。
風太郎は半ば強制的に車から降ろされると、綺蝶に手を繋がれて屋敷の中へと連れ込まれる。
扉を開くと大きな玄関が彼を出迎えた。風太郎は萎縮した様子で靴を脱いでいたが、痺れを切らしたと思われる蘭子の手により、家へと連れ込まれていく。
家の中、玄関を真っ直ぐに突き進み、左側の部屋の中に入ると、彼の目の前には囲炉裏と藁の円形の座布団が四つ置かれており、風太郎はそのうちの一つに座らされた。
彼のその目の前に綺蝶が座り、風太郎に向かって様々な事を喋っていく。
風太郎は当初、彼女の口から出た言葉が信じられずにいた。それはそうだろう。迷信など殆どない筈の昭和の時代に生きる少女の口から出たのはあの老人の死体に取り憑いていた怨霊と呼ばれる存在や人間や動物、更には物に憑依する形で化け物となり、人に害をなす妖鬼をこの世から祓う対魔師。通称、『怨霊殺し』の存在などだったのだから。
加えて、彼の耳を疑わせたのは自分がその対魔師に一番相応しい存在だという事であった。
風太郎は当然根拠を問う。すると、綺蝶は黙って金色に輝く黄金の太刀を彼の前に差し出す。
それを風太郎が受け取るのと同時に、彼の頭の中にこの太刀が体験してきたであろう一千年の間の戦いの歴史が頭の中に入っていく。
彼はその歴史の重さに耐え切れずに思わず太刀を手放す。
太刀が冷たい床の上を滑っていくのと同時に、綺蝶が問い掛ける。
「分かりましたね?これが我々があなたを呼んだ理由です。あなたはこの太刀に魅入られたたった一人の男、忌々しい悪霊どもをこの世から滅するただ一人の人間なんですよ。それが昨日、天照大神の導きによりお分かりになり、我々は今日、あなたを探しに来たんですよ」
綺蝶の口ぶりと自分が今いる屋敷の存在と、囲炉裏の背後に存在するテレビから彼女がその『怨霊殺し』即ち対魔師の中でもかなりの高位の地位にいる事が分かる。
テレビは弟と妹がいくら渇望しても手に入らなかった雲の上の存在であり、かつての家ではお大臣と渾名される大きな家に住んでいた一家が一台、先程まで住んでいたアパートに至っては周りの人間は誰も持つ事が出来なかった物だ。
それを彼女は同い年だというのに持っていた。
それに、周りに両親や祖父母がいる気配も見えない。
風太郎が疑念を持っていると、綺蝶はニコリと微笑んで、
「獅子王院さんが察した通りです。私は対魔師即ち『怨霊殺し』達の中でもかなり高い地位に居る身です。ですから、今後は私が居る限りは怨霊なんかに手出しをさせたりはしませんよ」
その時の綺蝶の笑顔に風太郎は思わずに身震いしてしまう。
風太郎は今後の自分の命運を考えて苦笑いしていく。
外れかかった牛乳受けの箱。最後に純粋に飲むためだけに牛乳を飲んだのはいつの日の事だっただろうか。
短くて黒い髪の青年はそんな事を考えながら、外れかかっている軋む階段を登っていく。
青年ーー獅子王院風太郎はそれまで被っていたニット帽を外して汗を拭う。
今日一日分の疲労が階段の上に落ちていく。
風太郎は昭和30年代における模範的な勤労少年であった。だが、一見した彼の風貌は気にいる人間が多いかもしれない。
と、言うのも体型は日々の過酷な労働により引き締まっていたし、顔も見る人が見れば格好が良いという言う顔である。何より、黒くて短い髪をキチリと整えているのが爽やかだという印象を与える所以と言えるかもしれない。
風太郎の職場の中にも居る風太郎の同世代いわゆる『金の卵』の少女の中にも風太郎を好んでいる人がいるのも事実である。
が、当の風太郎としてはどうでも良い事である。彼が工場という半ば閉鎖的な環境で働くのはたった一つの理由にあるからだ。
風太郎は相当の年季の入ったアパートの扉を開く。
「おーい、帰ったぞ~」
風太郎が無気力な一言を発するのと同時に、一人のおかっぱに赤いスカートに白いシャツの少女と風太郎と同じ髪型をした短パンに白いシャツの少年が明るい声で風太郎を出迎えた。
風太郎は玄関まで自分を迎えに来た妹と弟の頭を撫でて笑うと、三畳一間のアパートの中央に置かれた買い物鞄に向かう。
風太郎は鞄を開くのと同時にそれを持って流し台のみが付いた台所へと向かう。
幼い妹と弟の分も料理を作るのは長男の役目だ。風太郎は包丁で料理を作りながら一人で笑う。
両親を亡くし、家を手放して三人で暮らしてはいるがこの暮らしも辛くはない。
現に今は弟と妹と助け合って暮らしている。弟と妹は自分が留守の間に遊びにも行かずにお使いに行ってくれる。
それが風太郎は嬉しかった。今も二人は自分を助けてくれている。ならば、次は自分が二人を助ける番だ。
二人を大学に行かせるまで働こう。二人が大学に行ける様に二人の生活の面倒を見よう。
泡沫の夢。砂上の楼閣。人はそういうかもしれない。いや、あまり経済的に豊かではない自分たち一家を見たら確実に他人はそう嘲笑うだろう。
だが、風太郎にとってそれは何よりも大切な夢だったのだ。
風太郎が幸せな夢に浸りながら、夕食の野菜を切っていると突如、扉が飛ばされてそこに斧を持って息巻いた老人の姿が見える。
間違いない。老人は隣の部屋の男だ。普段から、奇声を発しているロクでもない男ではあるが、一体何をするつもりなのだろう。
風太郎が念のために二人を逃がそうと包丁を置いて近寄ろうとした時だ。
老人は上機嫌な様子で笑い出し、まだ幼い妹と弟の二人の元へと向かう。
風太郎は老人の目的を察し、老人の体にしがみついたが、直後に老人とは思えない程の怪力によって壁へと叩き付けられてしまう。
壁に叩き付けられた直後も風太郎はただ、弟と妹の安否のみを案じて叫ぶ。
「英夫!清子!逃げろ!」
弟と妹は自分の名前が叫ばれるのと同時に目の前の事態が正常ではないと判断し、不安に駆られたのだろう。
真っ直ぐに倒れた風太郎の元へと駆け寄って来ようとしたが、その道中に老人の足によって乱暴に蹴られて風太郎同様に壁に叩き付けられてしまう。
その後はエヘエヘと笑う老人の手による凄惨なショーの幕開けとなった。泣き叫ぶ幼い英夫の頭が割られ、そこからペンキの様に赤い液体が壁や畳へと飛ぶ。
それを見た清子は逃げようとしたのだが、老人に手によって英夫と同じ運命を辿ってしまう。
風太郎は「やめろ!」と何度も叫んだ。だが、老人は承知しようとしない。助けに行こうとも体が動かない。
と、言うのも体が震えており、足が空くんで立てないという自分の体であるのにも関わらずに自分の体ではないかの様な奇妙な錯覚に彼自身が支配されていたからである。
いや、風太郎の脳が目の前で起きた惨劇に頭が付いていかずに、凍り付いていたと言うべきだろうか。本当にどうすれば良いのだろう。
風太郎は血に覆われた安っぽい畳や土壁の光景が信じられずにいた。そして、目の前から迫ってきた白いシャツを着た禿頭の老人を眺める。白い毛が頭の周囲に淋しく生えている程の毛の男はケタケタと笑いながら、自分に向かって手に持っていた血塗れの斧を振り下ろす。
風太郎は殺されるかと思って両目を瞑ったのだが、それよりも前にその老人に向かって一本の刃物が突き刺さっている事に気が付く。
唖然とした様子の孝太郎の前に老人を押し倒す形で顔だけでも食べていけるという確証を持つ程の美しい顔を持つ白いセーラー服に紺色の長いスカートを履いた若い少女が推し入ってきた。
少女は唖然としている風太郎の腕を掴むと、大きな声で叫ぶ。
「早くッ!早く逃げてください!あの男がこれ以上の惨劇を起こす前にッ!」
だが、動けない。頭では分かっていても、風太郎は目の前で大切な妹と弟を殺された悲しみによって動けずにいた。
痺れを切らしたのか、美しい顔の少女は風太郎を平手打ちして、
「早くしなさいッ!これ以上、あの女の刺客が来る前にッ!」
『刺客』?目の前の少女は何を言っているのだろう。自分の家は確かに戦前は大きな地主であったらしいが、GHQの農地改革により、全ての農地を手放し、東京へと移り住んだらしいから、狙われる様な金も無い。自分自身も弟や妹もごく平凡な人間である。
そんな自分たちを誰が狙うのだろう。あの女とは誰なのだろう。疑問のために、風太郎の頭が凍り付いていると、少女がもう一度平手打ちを喰らわせる。
「もう時間がありません!これ以上、強力なーー」
「あ、危ない!」
風太郎は背後で先程の狂った老人がもう一度起き上がった事に気が付き、長い黒髪の少女に教えた。
少女は踵を返して剣を左斜め下から振り上げて老人の持っていた斧を防ぐと、そのまま老人を斬りつけた。
風太郎は思わず両目を瞑ったのだが、不思議と妹や弟の時と同様に血は飛んで来ない。
恐る恐る目を開けると、そこには光に包まれた老人の姿。
信じられない光景を眺めていると、そのまま老人は光に包まれて昇天していく。
目の前に現れた少女はその様子を暫くの間は眺めていたのだが、直ぐにもう一度風太郎の方を振り向いて、丁寧に頭を下げて、
「申し遅れました。私の名前は斑目綺蝶と申します。あなたを本日お迎えに上がりましたが、来るのが遅く、妹さんや弟さんを……申し訳ありませんでした」
綺蝶と呼ばれた少女は風太郎の手を掴むと、襖を開けて安アパートの階段を降りていき、この下町には似ても似つかない高級車の中に風太郎を乗せる。
風太郎を押し込めるのと同時に、彼女は自分より少しだけ年上だと思われる青年に向かって言った。
「直ぐに出てください。目的地は分かってますね?」
「分かっているさ」
黒塗りの高級車は下町の悪路の上でガタガタと動きながら走っていく。
風太郎が弟、妹の三人と過ごしていた安アパートが遠くなっていく。
風太郎は天国の雲を思わせる様な居心地の良いソファーに揺られながら、これまでの出来事を回顧していく。
自分は本来なら何の心配もいらない大地主の家で産まれ、何の不自由もなく過ごす筈であった。
だが、GHQの農地改革により、土地を召し上げられ、東京に移り住む事となり、何とか15の歳までは自分は勉学に励む事が出来たのだが、両親が列車事故で死亡するのと同時に自分は学校を辞めなくてはならず、工場で働きながら幼い妹と弟を養ってきた。
それなのに、その妹と弟まで失ってしまっては自分の存在意義などないではないか。
いっそ死にたい気分であった。だからこそ、彼はせがむ。
「た、頼む。オレに短刀を……短刀をッ!貸してくれ!」
涙ながらの懇願。最早、この世に未練などない男の心の底からの願い。
だが、少女は敢えて無視をする。それどころか黙って風太郎を抑え付けてシートに座らせる。
二時間ばかり車に揺られた後に、風太郎を乗せた車は東京郊外の大きな茅葺の屋根の家の前に辿り着いていた。
「着きましたよ。獅子王院さん。もしーもーし?」
綺蝶は風太郎を揺り起こそうとしたが、風太郎は起きない。ただぼんやりと目の前の聳え立つ座った巨人の様に大きな家を眺めていた。
風太郎は半ば強制的に車から降ろされると、綺蝶に手を繋がれて屋敷の中へと連れ込まれる。
扉を開くと大きな玄関が彼を出迎えた。風太郎は萎縮した様子で靴を脱いでいたが、痺れを切らしたと思われる蘭子の手により、家へと連れ込まれていく。
家の中、玄関を真っ直ぐに突き進み、左側の部屋の中に入ると、彼の目の前には囲炉裏と藁の円形の座布団が四つ置かれており、風太郎はそのうちの一つに座らされた。
彼のその目の前に綺蝶が座り、風太郎に向かって様々な事を喋っていく。
風太郎は当初、彼女の口から出た言葉が信じられずにいた。それはそうだろう。迷信など殆どない筈の昭和の時代に生きる少女の口から出たのはあの老人の死体に取り憑いていた怨霊と呼ばれる存在や人間や動物、更には物に憑依する形で化け物となり、人に害をなす妖鬼をこの世から祓う対魔師。通称、『怨霊殺し』の存在などだったのだから。
加えて、彼の耳を疑わせたのは自分がその対魔師に一番相応しい存在だという事であった。
風太郎は当然根拠を問う。すると、綺蝶は黙って金色に輝く黄金の太刀を彼の前に差し出す。
それを風太郎が受け取るのと同時に、彼の頭の中にこの太刀が体験してきたであろう一千年の間の戦いの歴史が頭の中に入っていく。
彼はその歴史の重さに耐え切れずに思わず太刀を手放す。
太刀が冷たい床の上を滑っていくのと同時に、綺蝶が問い掛ける。
「分かりましたね?これが我々があなたを呼んだ理由です。あなたはこの太刀に魅入られたたった一人の男、忌々しい悪霊どもをこの世から滅するただ一人の人間なんですよ。それが昨日、天照大神の導きによりお分かりになり、我々は今日、あなたを探しに来たんですよ」
綺蝶の口ぶりと自分が今いる屋敷の存在と、囲炉裏の背後に存在するテレビから彼女がその『怨霊殺し』即ち対魔師の中でもかなりの高位の地位にいる事が分かる。
テレビは弟と妹がいくら渇望しても手に入らなかった雲の上の存在であり、かつての家ではお大臣と渾名される大きな家に住んでいた一家が一台、先程まで住んでいたアパートに至っては周りの人間は誰も持つ事が出来なかった物だ。
それを彼女は同い年だというのに持っていた。
それに、周りに両親や祖父母がいる気配も見えない。
風太郎が疑念を持っていると、綺蝶はニコリと微笑んで、
「獅子王院さんが察した通りです。私は対魔師即ち『怨霊殺し』達の中でもかなり高い地位に居る身です。ですから、今後は私が居る限りは怨霊なんかに手出しをさせたりはしませんよ」
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