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船橋事変編

獅子王院風太郎の長い夜

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風太郎は地面の上を起き上がろうとするものの、体をあの太った男の足によって抑えられて動けなくなってしまう。
「く、クソッタレ……体が重い。動かなねぇ。全身を鉛で抑えられてるみてぇだ」
風太郎は太刀を握ってその場から脱出しようとするが、それはあの男が許さない。
男が化け物に変異していない所を見ると、どうやら、男は人間の体の中に妖鬼が居着いている憑依型らしい。
風太郎が地面の上で彼を睨んでいると、彼は聞いてもいないのに自分の過去を話し始めていく。
「オレは江戸の時代に名を馳せた力士でな。当時はお忍びで大奥の人や幕府の奉行様がオレの試合を見に足を運んでいたんだ」
彼は遠く過ぎ去った時代を夢見ているに違いない。彼の遠い目は既にない江戸の街を見ているに違いない。
そんな遠い目をしながら、彼は回想を続けていく。
彼が人間であった頃の名前は普通の名前の他に、電電という四股名を持っていたらしい。
だが、風太郎はそれ程までに強い力士ならば、今の世に伝わっていてもおかしくはないのにどうして語られていないのだろうか。
そんな事を考えていると、不意に彼の顔が曇っていく。
そして、そこはあまり話したい場所ではなかったのだろうが、勇気を振り絞って小さな声で話していく。
彼は当時、人気の絶頂にあり、そこに応援と称して近付いたある男が居た。
「主の腕を見込んで頼みがあるのだ。あの忌々しい紀伊の坊主を殺してもらいたいのだ」
そう、彼は尾張のある男から、次期将軍候補を殺してほしいと頼んだのだ。
だが、電電はあくまでも力士。そんな暗殺は出来ないと断り、背中を向けて立ち去ろうとしたのだが、それがいけなかった。
彼は不意に背中を大きく横一文字に斬られて地面の上に倒れていく。
「ぐっ、何を……?」
侍はいつもの人懐っこい笑顔ではなく、氷河の中の氷の様に冷たい視線で見下ろしながら言った。
「気の毒じゃが、主にはここで死んでもらう」
あまりにも唐突な発言。そして、幾らこのために近付いてきたとはいえ、電電と彼との間には確かな信頼関係とまでは言わずとも、随分と仲良く暮らせてきていた筈であり、時には一緒に屋台に入り、蕎麦を啜ったりもしていた。
そんな電電を彼は実にあっさりと、それも簡単に切り捨てた。
まるで、要らなくなった魚を廃棄するかの様にいとも簡単に。
彼は血を流しながら、彼が自分を斬ったという事実を否定すべく、目を閉じて架空の世界へと逃げ込む。
だが、それでも男はそんな電電の期待など知ることも無く、無言で刀を大きく振り上げていく。
電電は目を閉じてはいたが、刀が空を切る音は耳にまで届いたために、何となく彼がトドメを刺そうとしている事だけは分かった。
彼は死を覚悟して両目を閉じたのだが、何故だか刀は飛んでこない。彼が恐る恐る目を開くと、そこには首を地面の上に落とした先程の侍の姿。
首と胴が完全に泣き別れている姿は長らく泰平の世を謳歌してきた電電にとってはこの世の地獄としか見えない光景であった。
彼は力士であるのにも関わらず、助けを求めて目の前へと手を伸ばした時だ。
彼の前に槍斧を持った小柄な女性が現れる。
彼女は致命傷を負った電電の前にしゃがみ込むと、彼の耳元で尋ねる。
「ねぇ、死にたくなぁい?」
それを聞いた電電は必死に首を縦に動かす。少女は電電の必死の様子から彼が嘘を言っているのではないと判断すると、彼の首元に人差し指を突き刺す。
電電は体の中に異物が、何やら違うものが入ってくる感覚に耐えられずに絶叫する。
だが、次第にその中に入ってきたものが自分の中の何処かに落ち着いた事を確認する。
「成功ねぇ、あたしがぁ、見たところによると、あなたは妖鬼でも姿を変えられたい方ねぇ。けれども、あなたにはいや、今のあなたにはあたしに打たれる前とは比較にならない程の力が充満している筈よぉ」
彼女はそう言うと、彼に向かって笑顔を浮かべると、また彼女の身長以上の槍斧を抱えて夜の江戸の街の中へと消えてしまう。
それから、直ぐに彼の元に男と同じ尾張藩の藩士だと思われる武士たちが現れて、電電に向かって刀を向ける。
電電はその時に自分の心の内から溢れる力の事を思案していく。
それから先は簡単だった。彼は力士時代に培った技術を利用して追っ手である尾張藩の藩士たちを皆殺しにしていく。
そして、今度は自らの犯した罪から逃れるために、江戸の町から逃げてそのまま行方をくらませていく。
彼が次に江戸の町に姿を見せたのは丁度、浦賀の沖合で黒船騒動が起きた頃だという。
「あの時の年号はそうそう、嘉永だった!嘉永元年の頃だよ!あの年にオレはぁ、あのお方から仕事を頼まれたんだ。思えば、そこからだな、オレが24魔将として数えられるようになったのは」
懐かしい徳川の時代に想いを寄せている彼に向かって風太郎は皮肉を口に出す。
「成る程、長々とオレにこんな事を聞かせて何を言いたかったのかと思えば、所詮は昔は良かったと自慢したかっただけかよ。情けない話だな。玉藻紅葉直属の親衛隊である24魔将とやらは過去に縋る事しかできない臆病者か?」
それを聞くなり、彼は施設の地面の上に倒れていた風太郎の胸ぐらを掴み上げて、倒れた彼を必死になって揺さぶっていく。
「て、テメェ!今、なんて言いやがった!もう一変言ってみやがれ!ぶち殺すぞ!」
「気に入らなかったか?なら、何回でも言ってやるよ。お前は過去の時代に縋り付くみっともない馬鹿だと言っているんだ」
電電はそれを聞くと、風太郎を平手で打つ。
地面の上を転がっていく風太郎。だが、彼は急いで彼を追い掛けて、彼の上空から平手打ちを喰らわせていく。
風太郎は寸前の所で太刀斜めに構えて、男の平手打ちを防ぐ。
電電はまたしても自分の平手が太刀に受け止められる事を意識すると、もう一度、顔を紅潮させて何度も何度も強く風太郎の太刀を強く叩いていく。
だが、風太郎の太刀は折れない。それどころか、逆に電電の手から血を流していっている。
「おれの太刀はお気に召したか?亡霊野郎……なら、今度はこっちの番だぜ!」
風太郎はそう叫ぶと、両手に込めていた太刀の力を強めていく。
そして、最後に自身の破魔式まで付けていく。
すると、風太郎の太刀から生じる冷気に電電の平手が纏わりついていく。
電電はやむを得ずに、風太郎に向けていた右手の平手から炎を出していく。
風太郎は咄嗟に電電から刀を離して、彼の前から距離を取っていく。
彼は冷や汗を流しながら、感じた。心の底から。
彼の扱う魔獣覚醒と自分の破魔式との相性の悪さを。
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