上 下
12 / 135
第一部『悪魔と人』

最上志恩の場合ーその②

しおりを挟む
志恩は戦闘が終わった後に元の姿へと戻り、よろめきながら家へと戻っていく。
初陣はまず上々というべきだろう。今は何も考えたくはない。志恩は自分の部屋に戻ると、そのまま自分の部屋に用意されている寝台の上に大の字になって寝転ぶ。
志恩が両目を閉じるたびに思い浮かんでいくのは自身がこの力を得るまでの出来事である。

それまでの境遇を一言で表すのならば『最悪』の一言に尽きる。
彼の姉の行った所業があまりにもひどかったのか、はたまたいい歳をしてヒーロー番組を見ている志恩の事が嫌いだったのか、そのいい歳をしてヒーロー番組を観ている幼稚な人物に成績で負けていた事への裏返しであるのかはわからない。
ともかく志恩は酷いいじめに遭っていたのだ。
最初のいじめと呼ばれる行為が彼の身に降り掛かったのは彼の姉の逮捕が決まった翌日の教室で扉を開いた時に志恩に浴びせられた一言であった。

『人殺しの弟は来るなよ!』

クラスの中心人物から発せられたこの言葉をきっかけに志恩に対する悪口や嫌がらせなどが始まっていく。
いじめている対象の反応が薄かったのがつまらなかったのか、次には物を隠したり、その隠した物に中傷文を書いた物をゴミ箱に入れたり、上履きに画鋲を入れたりという直接的なものへと変貌していく。

「お前のお父さんとお母さんとお前、本当は血が繋がってないんだってな?」

「でも、こいつ、お姉ちゃんとだけは血が繋がっているらしいよ」

「うわ、マジヤバい奴じゃん。そんな奴は絶対、お姉ちゃんと同じ理由で、人を殺すって」

こんな会話が僕の前で繰り広げられるのもしょっちゅうである。
学校どころか、通っている街の学習塾でも同じような事が繰り広げられるので、志恩は辟易してしまう。
塾のテキストに中傷文を書いたり、靴を隠したり、そんなどうしようもない嫌がらせが続いた。
真っ当に抗議もできない。虐められても泣くばかりの日々。
一人で、ベッドの上に座り、膝を折り、涙を流すのはあまりにも辛い。

だが、一番辛いのは夕飯の時刻である。
話題は明るい方へともっていこうとするのだが、どうしても家族の中に思い浮かぶのは家の塀や壁。それに郵便ポストに送られる中傷や嫌がらせのメールの類の事なのだろう。
それに電話やファックスには夕食時だろうとひっきりなしに嫌がらせの通知が来るため、否が応でも頭の中に浮かぶのだろう。
そんな中で、今の父は気弱ながらも懸命にやっているように思われる。

「なぁ、このほうれん草のおひたしなんだけどさ、すごく美味しいよ」

「……ありがとう。でも、不味いのにお世辞で誉めてくれなくてもいいのよ」

今の母はすっかりと気落ちしてしまっているらしい。なにせ、姉のせいで、殺人犯の一家となってしまい、近所からは村八分の状態になってしまい、通っていた稽古事やパートの類は全て出禁になってしまったのだから。
スーパーだけは一応例外ではあるらしいが、そこでも買い物に行く度に白い目で見られてしまうらしい。
今の父もそうで、とてもではないが、会社には居られないらしく、近々の退職を考えているらしい。

それでも、これから控えている民事裁判で戦うための費用やただ一人残された息子を養うための費用もあり、退職を考えるつもりはないらしい。
志恩は村八分の状態を抜け出した一年後に人生で二度目の村八分を味わう羽目になるとは思いもしなかった。
昨年まで、志恩と姉は鳥取のある村の大きな家で生まれ育ち、そこでは、名家といってもいいほどの地位と邸宅を持っていたものの、状態としては今のような村八分の様な状態を周囲の人たちからは受けていた。

家の前にゴミを撒かれたり、塀や壁に落書きをされたり、村の施設の出入りを禁止されたりという状況が昨年までであったのだ。
だが、村人たちは誰も惚け、自分たちが村八分にしている家に畑や土地、山などを借りに来るのだから、それは驚きである。
姉がその際に地面に撒かれたゴミを相手に投げ付けたり、挑発めいた言葉を取っていたのも事態を悪化させた原因なのかもしれない。

遠い日に意識を向けていた志恩は今の母親によって、強制的に意識を現在の最上家の食卓へと引き戻されてしまう。

「志恩!引っ越しましょう!このままこの家を捨てて逃げるのよ!」

「逃げるってどこへ?」

「どこか遠くの場所よ!北海道でも沖縄でもどこでもいいの!悪評が立たない場所に!」

「む、無茶を言うなよ。第一、この家のローンはどうするんだ?」

口を挟んだのは志恩ではなく夫であった。

「ローン!?ローンですって!そんなのこの家を売っぱらった金で返せばいいでしょうッ!」

志恩の今の母は感情に囚われていた。激昂し、周囲の物や人に当たるのは悪い癖だろう。
いっそのこと、ヒステリーと形容した方がいいかもしれない。
そのまま物に当たり散らそうとしたところを父が平手打ちで止める。

「な、何をするのよ!」

「落ち着くんだッ!この家を売って逃げたところで世間の評判はどこまでも追いかけて来るんだぞッ!」

普段は温厚で家族に手を挙げないような人が怒ったのだから、これで母も落ち着く筈。
そう思われたが、それは養母の怒りという名の炎に油を注ぐ行為になってしまったらしい。
養母は養父の胸ぐらを掴み、反対に今の父を怒鳴りつけた。

「黙ってよッ!元々あたしはあんな奴を置いておくのが嫌だったんだッ!志恩が何を言ったって、引き取らなかったり、追い出さなかったりすればよかったじゃん!でも、あんたが引き取る。見離さないって言ったからこんな事になったんだよッ!」

妻の激しい剣幕に身じろぎする養父。だが、養母は話を止めない。声を荒げながら話を続けていく。

「いいよねッ!事勿れ主義ってというのはッ!どんな方法をとっても自分は絶対に損をしないんだからッ!でも、肝心な時にはそんなものはクソの程にも役に立たないって事がわかったでしょ!?」

今の母はそのまま今の父を勢いよく突き飛ばすと、そのまま自室へと戻っていく。
志恩は謝罪の言葉を述べる養父に手を貸すと、そのまま母の後を追って、自分の部屋へと戻っていく。
自室の勉強机の上で暫くは勉学に励んでいたのだが、いまいち気乗りはしない。

志恩が退屈紛れに鉛筆を利き手の指を使って回していると、背後から声が聞こえた事に気が付く。
振り向くと、そこにはヒーローを模したビニールの人形が自分の意思で喋っているではないか。
ヒーローの人形は目を丸くしている僕に向かって問う。

「なぁ、キミは英雄ヒーローになりたくはないか?」

「ぼくが?それはなりたいよ。なって……今の状況を変えたい。今のお父さんとお母さんを助けたいし、お姉ちゃんを止めたいんだ」

「お姉ちゃんを止めたいというと、キミは最上真紀子が死んでいない事を理解しているのか?」

「肉親の勘って奴かな。この世でただ一人の血を受けた人間だからこそわかるものもあるんだ。お姉ちゃんは殺される側にいる弱い人間じゃないよ。すごい力を持った悪人だよ」

「お前は姉が悪人である事を肯定するのか?」

「うん、でもそういう人も救うのがヒーローだと思うんだ。お父さんとお母さんを助けて、英雄ヒーローになる。それは変わらない。ぼくのただ一つの願いだ」

「わかった。その願いの三割を先に叶えさせてもらおう。それで契約は成立だ」

志恩は迷う事なく首を縦に動かす。すると、どうだろう。それまでは棚の上に置いてあった特撮ヒーローの人形から一つの影が飛んだかと思うと、僕へと向かって真っ直ぐに突っ込んでくるではないか。
志恩はその影が自分の中へと入っていく事に気が付く。
途端に異物を排除するための吐き気が込み上げてきたのだが、僕は懸命にそれを抑えていく。

胸も鎖か何かで締め付けられているかのように苦しく、椅子の上から落ちて地面の上で悶絶していたが、やがて、その影が僕と同化するのと同時に吐き気も抑え付けられている感触も消え、後には清々しい気持ちだけが残った。
今の志恩はどうやら被り物をしているらしく、視界が少しばかり悪い。
志恩が視線を彷徨わせていると、窓に映る自分の姿を見た。そこには、今の自分がどれ程までに異様な状況に置かれているのかを理解した。

手足の先端から腹まで肌色のタイツに覆われている他は胸部がサバンナの動物を思わせるようなふわふわの手触りのいい毛皮に覆われている事を彼は理解した。
そして、顔は馬の被り物のようなもので
全身を覆われているらしい。
手には三叉の槍のようなものを持っている。

「これがぼくの姿?」

「その通り、ウロボスの戦闘体型だ。サタンの息子同士が戦う召集がかかれば、キミはこの姿で戦う事になる」

正直に言えば、志恩は自身の変身した姿にほんの少しではあるが落胆の感情を感じていた。
というのも、志恩が変身した姿はヒーローというよりも悪人に近かったからだ。
だが、どの様な姿であっても関係ない。戦いを止める事で、志恩は一歩、英雄ヒーローに近付けるのだから。
しおりを挟む

処理中です...