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第一部『悪魔と人』

文室千凛(せんり)の場合ーその①

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夜の街の中二人の異形の人体が戦い合っている姿に私は驚きを隠しきれない。
というのも、文室千凛ぶんしつせんりがとある人から『最上真紀子殺し』を依頼されて後をつけた際にその『最上真紀子』が異様な姿へと変貌してしまったからだ。しかも相手は手配中の殺人犯である雛瀬梨奈ではないか。
彼女が物陰に隠れながら戦いを眺めていると彼女の標的ターゲットである最上真紀子の方が押しているではないか。

旧式の自動拳銃や古いギャング映画などで見る丸い弾倉のついた機関銃が戦いを有利に進めたのだろうか。いや武器の性能以上に畏怖すべきなのは最上真紀子の戦闘センスにあるだろう。
通常ならば不利に働くはずであろう遠距離タイプの武器で相手を押していたのだから。
その後にもう一人の少女と押し問答の末に交戦し始めたのを見て、彼女の足は無意識のうちに走り始めていた。
手にあった仕込刀を抜いて、二人の間に割って入る。

「なんだぁ、テメェは?」

「あたしの方こそ聞きたいな。貴様は何者だ?」

「……通りすがりの刺客というところかな?」

「へっ、なにをほざいてやがる。一丁前に……ん?待てよ。よく見りゃあ、テメェは『サタンの息子』じゃあねぇな。軍服も鎧も着てねぇし、何より兜を付けてねぇ」

千凛は『最上真紀子』の言葉に対し、仕込刀の剣先を突き付けながら答えた。

「『サタンの息子』という言葉に聞き覚えはないが、貴様に死をもたらす人間という事だけは確かだな」

「へっ、抜かしやがる!」

真紀子は丸い弾倉の付いた機関銃の銃口を突き付けながら叫ぶ。
引き金が引かれ、銃弾が私に向かって飛び交う。
千凛は避けたつもりであったが、避ける際に銃弾が掠めたらしい。
千凛の腕から一匹の赤い蛇が動いていくかのように血が地面の上へと垂れていく。

「おいおい、どうした威勢がいいのは口だけかよ?」

少女の声をした怪物がその銃口を向ける。
千凛が慌てて地面の上に落とした刀を拾い上げようとした時だ。不意に自分の方に銃口を向けていた化け物が慌ててその場を飛び退く。
予想外の動作に一瞬だけ目を開いたのだが、すぐに彼女がその場を飛んだのかを理解した。

もう片方の怪物が手に持っていたレイピアで先程まで彼女が立っていた場所へとその先端を突き刺したのである。
彼女は慌ててレイピアを引っこ抜くと、そのままそれを宙へと振りながら、もう片方の化け物と睨み合う。

「今の攻撃で貴様の息の根を止めようとしたんだがな……」

「テメェの殺気なんぞみえみえなんだよ!」

彼女はそう叫ぶと、少女に向かって機関銃の銃口を向けた。そして次の瞬間には引き金を引いて彼女を蜂の巣にしていく。
だが彼女は脇へとそれた事で事なき事を得たらしい。

「危なかったな。もっとも、その調子だとあと少しってところかな?」

「……誰がッ!」

もう一人の蛇の鎧に兜を纏った方が悪態を吐く。そして地面の上から起き上がるのと同時に『最上真紀子』と思われる灰色の軍服の女に向かってレイピアを突き刺していく。
だが、『最上真紀子』は寸前のところでレイピアを交わし、そのまま彼女の底へと潜り込み、彼女の腹に古い型の拳銃の銃口を突き付ける。
銃口を体に突き付けられた際に感じるヒヤリとした感触のために彼女は口も利けないに違いない。

千凛は負傷した腕を抑えながらも危機に陥った少女の元へと向かっていく。
それは殺し屋としての任務とは関係がない人としての義憤感からである。

「……その子を離せ……最上真紀子ッ!」

それを聞いた『最上真紀子』がもう片方の少女を蹴り上げ、代わりに私に向かってその銃口を突き付けていく。

「……なんで、テメェ……あたしの名前を知ってんだ?」

「名前こそ偽名だが、その顔は一度見たら忘れない……さぁ、一度だけ聞くぞ、お前が薬を打った女性たちをどこにやった!?答えろッ!最上真紀子ッ!」

「テメェに答える義務はねぇッ!」

激昂した彼女はそのまま軍靴の踵で私の腹を思いっきり蹴り付けた。
蹴り付けた彼女は荒い息を吐きながら、こちらへと向かってくる。

「なんで、あたしの事を知ってるんだ……生かしちゃあおけねぇ。この場で殺してやる」

殺される。彼女が銃口を私へと向けた時に殺し屋としてはあるまじき失態を犯した。千凛は恐怖感から両目を閉じてしまったのだ。
咄嗟の恐怖心を抑える鍛錬というのは積んでいたというのに、彼女の銃口を見るのと同時にそんな思いなど消し飛んでしまう。
だが銃声が鳴り響く事はなかった。というのも、背後でもう一人の少女が発砲の直前に『最上真紀子』の体へとしがみ付き、彼女を転倒させたからだ。

少女はそのまま馬乗りになり、『最上真紀子の兜を強く殴打していく。
今ならば……。千凛は勝利を確信し『最上真紀子』に向かって斬りかかろうとした時だ。
不意にもう片方の少女の体が止まったかと思うと、脇腹を抑えながら倒れていくではないか。
千凛が目を見張っていると、ゆっくりと起き上がった『最上真紀子』がまるで何処かの刑務所の看守の様に掌の上で銃尻を叩いているではないか。
その得意そうな顔をみた瞬間に彼女がどんな戦略を取ったのかを理解した。

(銃尻だッ!銃尻であの少女の脇腹を殴り付けたんだッ!)

ちょうど少女に対し『最上真紀子』が私が心の中に感じたのと同じ説明を行なっていた。
あの女の顔が兜に隠れて見えないのがもどかしい。千凛は刀を握り締めながら、彼女の隙を待った。
傲慢であり油断のある彼女の事だ。何処かで隙を見せるに違いない。

千凛が確信に近いものを得ていると、予想通りに彼女はもう一人の少女を痛ぶり始めたではないか。
もう一人の少女に夢中になっている隙を狙えば……。
千凛が動いた時だ。突然千凛の足に激痛が迸っていく。千凛は言葉にならない悲鳴を上げながら地面の上に倒れ込む。
すると、『最上真紀子』がもう片方の少女の脇腹をもう一度強く蹴り付けた後にこちらに向かってくるではないか。

「成る程、あんたも中々しぶといらしい。あのタイミングであたしを殺そうとするなんてな」

「……まさか、全部見抜いていたというの?」

「あたしはあの短い時間でちゃーんと計算したのさ。あの蛇女をなぶっている間にあんたが向かって来るっていうのはさぁ」

真紀子が自身の側頭部を人差し指でコツコツと指す真似をしながら得意げに言い放つ。

「……あたしが襲おうとしなかったらどうするつもりだったんだ?」

「そりゃあないな。あんたの目は漫画とかでよく見る危険な人間の目だよ。そういう奴が怪我を理由に引き下がるとは思えねーからな」

どうやら根拠は『漫画』であったらしい。こんな理由で殺し屋が逆に殺されてはたまらないな。
千凛は銃口が突き付けられる瞬間に一人で自嘲した。
ここらで幕を引かせてもらおう。私が観念した時だ。

千凛の頭の中に一つの声が鳴り響いていく。
その声に反応して辺りを見渡すと、そこは先程までの夜の街の端ではなく、見慣れぬ異空間であった。

「こ、ここは!?」

千凛が声を荒げると、その空間からは恐ろしい竜の首が姿を表す。どうやらその竜の首がこの空間の主の正体であるらしい。唖然とした表情の私を他所にその竜は話を続けていく。

「我が名はロンウェー。修辞学と言語を司る悪魔にして、契約者に使い魔を与える存在であるッ!」

何やら仰々しく言っているが、千凛には今の状況もこの怪物の言っている事もわからない。
最も先程の状況も意味が不明といえば不明であるのだが、少なくとも今の状況よりは断然理解できる。
痛くなる頭を他所にロンウェーなる怪物は話を続けていく。

「文室千凛……お前は選ばれたのだ。このゲーム……ルシファー行う我々によるゲームの参加者としてッ!」

「それってどういう意味?」

「つまるところ、お前には悪魔と契約する権利が与えられたのだ」

千凛が信じられないと言わんばかりに両目を開いたから向こうもそれ相応の対応を行ったのだろう。
引き続き低い声で千凛に契約を迫っていく。

「お前には殺し屋として培った腕がある……加えてこの力があれば『最上真紀子』を殺す事など容易いッ!」

『最上真紀子』を殺す事ができる。この一言が私の理性を吹き飛ばした。あの会話で私は察したのだ。
あの女は生きていてはいけない女である、と。人の生き血を啜り平気で笑っていられる女。苦しんでいる人を放っておいてのうのうとベッドの上で眠れる女。
苛々したという理由で人を襲う罪悪感のかけらも感じない女。
ヒルかコウモリか何かに生まれ変わる筈だったのに手違いで人間に生まれたそれが『最上真紀子』なのだ。

千凛は迷う事なく契約に応えた。同時に竜が一本の影へと変化して千凛の体の中へと入り込む。
その瞬間に千凛は違和感を感じ、吐き気を覚えたのだが、やがてそれは時間と共に引いていき、自身の体がそれと一体化をしたのを確認できた。
気が付くと自身の両手に巨大な真四角の縦と先端が二又に分かれている巨大な剣を握っている事に気がつく。
おまけに元の仕込み刀は腰に下げられているというおまけまで付いていた。

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