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第二部『箱舟』

最上真紀子の場合ーその⑦

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「動くな、テメェら誰に頼まれてここに来た」

真紀子が銃を突き付けた事により夜中に鍵をこじ開けて侵入した三人の賊たちは真紀子を殺すために寝室へと忍び込んだのだが、この時真紀子はたまたま奥の部屋で書類仕事をしていたために彼らの目論見は外れる事になった。
全員が地味なジャージを着用しており、動きやすい格好で工作のために侵入したというのは火を見るよりも明らかである。真紀子はたまたま起きていち早くに物音に気付いたからよかったものの、もしこの日志恩を泊めずにベッドの上で眠っていたとすれば賊に何かしらの事をされていたかもしれない。
いいや、この際自分の事はどうでもいい。問題は志恩である。万が一真紀子が足音に気が付かなければ志恩が最愛の弟が穢らわしい賊の手にかかって死んでいたかもしれないのだ。それが許せなかったのだ。自分以外の人間が弟を害する事が許せなかったのだ。
なので侵入した賊にはそれ相応の応対を行う事にしたのだ。
乱暴に片腕を締め上げ、その背中に拳銃を突き付けたのである。

「テメェら三合会の連中か?それともユニオンの野郎どもか?どこの所属かハッキリしやがれッ!」

未だにその正体を喋ろうとしない相手に業を煮やした真紀子は更に強い力で腕を締め上げていく。

「ァァァァァ~!!」

「痛いか?もっと痛くしてやる事だってできるんだぜ、あたしはKGBにおける拷問術を知っているんだ」

その言葉を聞いて侵入者の一人が逃げ出そうとしたが扉は閉まっており、逃げ出す事は不可能である。
男が必死に扉を叩いている所に真紀子がのしかかり、その背中の背後にピタリと銃口を突き付ける。

「動くなつったろ?聞こえなかったのか?」

「わ、わかった!た、頼むからやめてくれ……」

男の言葉を聞くと、真紀子は黙って男の髪を強く握り締めて相手を扉に向かって強く打ち付けていく。
扉に正面からぶつかって額から血を流す男を引き摺り、寝室に連れて行くと、真紀子は腕を組みながら銃口を向けた。

「さてと、テメェらがどこの誰なのかを教えてもらわねぇとならねぇ。とっとと教えた方が身のためだぜ。KGBの拷問を受けたくはねぇだろ?」

真紀子のドスを利かせた声を聞いて、その中の一人が恐怖に耐えきれずに涙を流しながら自白したのであった。

「た、頼む!私はまだ死にたくないんだッ!た、助けてくれ……」

「じゃあ、お前らがどこの所属なのかをハッキリと言え」

真紀子の言葉に恐怖したその男性はポケットにしまっていたと思われるバッジを取り出して、真紀子に見せた。

「……やはりテメェら箱舟会の連中か……汚ねぇ手を使いやがるな。このボケナスどもがッ!」

この時真紀子は激昂していたが、それでも怒りに任せてバッジを床に叩き付けるような愚行を犯す事はなかった。口とは対照的に手は冷静になってポケットの中にそれをしまう。
それが終わると、彼は箱舟会の一人に対して拳銃を握ったまま強く殴り付けた。
男の口から前歯が飛び出した。男は血が溢れる口を抑えてその場で悶え苦しんでいた。

「さてと、もっともっと詳しい事を話してもらわねーとな。だが、その前にここは手狭だからちょっと広いところに行こうか」

真紀子はいやらしい笑みを浮かべながら自身のスマートフォンを操作して、部下を呼び寄せた。真紀子の呼び出しを受けた黒服の男たちはジャージ姿の男たちを乱暴に引っ張って専用の部屋へと向かっていく。

「あたしが行くまでそいつら縛りあげとけ、いいかッ!絶対に殺すなよッ!」

黒服の男たちは丁寧に頭を下げると、そのまま男たちを小突きながら部屋を後にした。
真紀子は拳銃を仕舞うと、そのまま徹夜の疲れを癒すためにシャワー室へと向かう。
シャワーを終えて服をいつも着用している絹のスーツへと着替え終えると、そのまま志恩のための朝食を作りに向かう。
真紀子はスクランブルエッグにカリカリに焼いたベーコンという組み合わせのメインディッシュを作り上げると、その後にグリーンサラダを作り、締めに買い置きのフランスパンを出した。
真紀子は事務所に使っている部屋に匿っていた志恩を迎えに行った。

志恩は襲撃があったためかすっかりとやつれきっていた。
やむを得ない。太ってしまうが、志恩の分の食事は自分で食べてしまうか……。
真紀子が志恩の分のスクランブルエッグに手を伸ばそうとした時だ。志恩が自分の目の前に置かれたスクランブルエッグを夢中になって食べ始めた。そればかりではない。グリーンサラダを平らげ、出されたフランスパンを全て食べ終えたのであった。

「ごちそうさまでした」

志恩は両手を合わせて食事を平らげた。

「あぁ、待てよ。食後に紅茶でも飲んでいかないかい?食事の後は口をゆすがねーと歯に悪いぞ」

志恩は暗い表情のまま紅茶を啜っていくのであった。

「で、だ。遅くなったけれど、昨日はなんであんなに暗い顔をしていたんだい?」

「……実は塾でまたテキストを隠されちゃってさ、それだけじゃあないよ。お手洗いに行った隙に鞄を汚されちゃったんだ。……それでぼく悲しくなっちゃって」

「ったく、胸糞悪いな。堂々とあたしに悪口を言えばいいのに、どうして関係のない志恩にそんな嫌がらせをするのかねー」

真紀子は呆れたような口調で言っていたが、志恩の表情は未だに沈んでいた。
昨夜の事を思い出してナーバスになってしまっているのかもしれない。
真紀子は昨夜のヒーロー然とした志恩の態度も好きだが、こうした沈んだ表情の志恩を見るのも好きだった。
真紀子がそのまま志恩を励まそうとした時だ。不意に自宅の呼び鈴を鳴らす音が聞こえた。

「はい、菊岡ですけど」

真紀子は表向きの名前を名乗り、扉の向こうの配達員に応対した。

「すいません。宅急便なんですけど、菊岡秀子様のお宅で間違いありませんよね?」

「はい、そうですけれど」

「菊岡様にお荷物が届いておりまして、よかったらハンコかサインをいただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

「……わかりました」

一応は自分のところに来た荷物である。受け取らないわけにもいくまい。
真紀子が事務所から判子を手に取り、玄関に受け取りに向かった。
真紀子は宅配員を労う言葉を述べながら扉を開けると、不意に目の前でダンボールが切り開かれ、そのまま腹に強烈な一撃を食らって悶絶してしまう。
そして、その隙を利用して男の手によって強制的に部屋から引き摺り出されてしまった。

「ゴホッ、ゴホッ、テメェなにもんだ?」

「コクスンがお呼びだ。至急支部まで来てもらおうか」

「嫌だと言ったら?」

真紀子は素早く拳銃を作り出し、それを突き付けながら質問を返した。

「ここで死んでもらう事になるな」

男は真紀子に拳銃を突き付けられている状況であるにも関わらず平然とした顔で言ってのけた。

「このイカレポンチがよくンな事を言えるもんだぜ。大体今の状況をわかったんのか?」

「わかっていないのは貴様の方だ。最上真紀子。今このマンションを我々の同志が包囲している。私一人を殺しても無数の同志が押し寄せてくるのだ」

「成る程、さっきの奴らは斥候か偵察ってところか……或いは第一の準備ともいうべきかな?そいつでカタがつけばよし、そうでなければ第二の作戦として自分たちが向かう。しかしなんで……あたしの名前を知っているんだ?」

「探偵に調査してもらってな。お前の事は調べ済みだ」

「……成る程、全部お見通しってわけか?だが、その前に大事な事を忘れてるぜ」

「大事な事だと?」

「さっきのあんたの仲間はあたしの部下の手によって拉致られたって事をよォ!」

それを聞いて男の顔に僅かに動揺が走る。
だが、すぐに勝ち誇った様な笑みを浮かべた。

「バカか?今頃は別の同志が車を尾行している……我々に抜かりはない」

「そうか、それはよかったなッ!」

真紀子は勢いよく立ち上がると、そのまま男を拳銃で射殺した。
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