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第三部『終焉と破滅と』

神通恭介の場合ーその⑩

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宿敵である筈の最上真紀子と共闘して、訳の分からない男を追い払ってから、恭介はますます希空に好かれる様になっていたのである。
折角の雪が降るクリスマスイブの日。恭介はその日は特に予定もなく、サタンの息子たちを招集するゲームも起きそうになかった事から、家で一日を過ごそうかと考えていたのだが、突然の希空からの電話が掛かってきたのである。

『おはよう。お兄さん!』

電話の向こうから明るい声が聞こえてきた。恭介は思わず両肩を強ばらせながら電話の向こうの相手に答えた。

「あぁ、おはよう。それで、今日はどんな用事かな?」

恭介はなるべく自然な形で応対しようとしていたのだが、なぜか向こうの機嫌が悪くなり、恭介の耳に不機嫌な声が届いたのであった。

『どんな用事でもいいでしょ?そうだ。お兄さんには話してなかったね。私にくだらない質問を投げ掛けて、死んじゃったボディガードの男の話』

恭介はその言葉を聞いて全身を震わせていく。と、同時に自らの非を認めて謝罪の言葉を述べていく。
すると、機嫌が戻ったのか、明るい声を上げて答えた。

『よかった。わかってくれたんだね。少なくとも今日のところはお兄さんを大阪湾の溝の中に沈めなくてよかったよ」

明るい声であったが、その話はどこまでも物騒であった。恭介は思わず足を後方へと下がらせてしまう。同時に恭介は部屋の壁にぶつかり、その痛みのために悲鳴を上げてしまう。
それが希空にも伝わったのだろう。電話口の向こうから心配する声が聞こえた。

「だ、大丈夫だよ、おれがうっかりしてただけだから……」

『そう?ならいいけど、今日のデート来れる?怪我がひどかったらいい病院に連れて行くけど』

いつの間に『デート』が決まったのだろう。恭介としては困惑するしかないのだが、向こうが決めたのだからもうこれは確定なのだろう。恭介は貴重な休日が失われた事について抗議の言葉を述べる事もできずに了承する事しかできなかった。彼は声を震わせながら叫ぶ。

「も、勿論!今日のデートにはちゃんと行くよ!ところで今日のデートって何時からだっけ?」

『今日のデートは午後のニ時からだよ。大阪中心部の駅にある『ゲルニュート』の南口支店で待ち合わせね。忘れないでよ』

「あ、あぁ、勿論……ちゃんと行くよ」

恭介は細く弱々しい声で告げたが、またしても電話の向こうの相手の声が低くなる。

『何その態度?本当に行きたいの?』

「も、勿論だよ!あんたとのデートほど楽しいものはないからな!」

『フフッ、ならよかった』

そう言って電話は切られた。恭介が慌てて鞄の用意をしていると、階下から声が聞こえてきた。

「恭介、ご飯よー」

母親の呼ぶ声である。恭介は遊びに使うための斜め掛けバッグを持って慌てて台所へと降りていくと、そこには母親が作ったと思われる昼ごはんが並んでいた。卵かけご飯に浅利とキャベツが入った味噌汁、鯖の味噌漬け、ほうれん草の胡麻和え、そして母親特性の砂糖を使った卵焼きが並んでいた。

「おお、美味しそうじゃん」

「でしょ?気合を入れて作ったんだから」

母親は得意そうな顔を浮かべて言った。恭介はここにある昼食を片付けてからいく事にしたのである。恭介は鯖焼きを切って口に入れ、その後に卵かけご飯をかきこむ。恭介はその美味さに感動していた。

「ありがとう。母さん……しかし、母さんのご飯ってこんなに美味しかったんだな」

「何変な事を言ってんのよ。あたしのご飯が美味しいのは当たり前でしょ」

母親はそう言って優しく笑いかけた。恭介はご飯を食べる手でその母親の顔を観察していく。幼い頃から自分を育んで守ってくれた微笑み。これまで世間のあらゆる事から自分を守ってくれた微笑みであった。あの悪魔たちの殺し合いを通して世間の様々なことを見てきた恭介だからこそ実感できた。
恭介は食事を終えると、そのまま食器を台所へと運び、慌てて玄関から駅に向かって走っていく。
電車の中へと乗り込むと、電車に揺られながら暇潰しのための本を開いていく。

それはかつて恭介が美憂の関心を買うために購入した時代小説であった。ようやく最終章まで読み進めたのである。恭介は電車に揺られている時間をその読書に充てる事に決めた。四月頃に買ったこの本も今年中には読み終える事ができるのだ。本当にめでたい。
恭介はようやくその侍が最後にとある藩に仕官が決まり、かつて別れた筈の婚約者を迎えにいった場面で電車が着いた事に気が付いた。
『ゲルニュート』に辿り着くと、そこでは優雅にコーヒーを嗜んでいる希空の姿が見えた。
希空は恭介の姿を見ると、無邪気に手を振って、自分を迎え入れた。

「ちょっと、遅いよー。お兄さん。私コーヒー飲んで待ってたんだからね」

「す、すまん!電車が遅れたもんで」

「……ふーん。まぁいいけど」

希空は関心がなさそうな様子で残ったコーヒーを啜っていく。
それからコーヒーカップを置くと、立ち上がっていく。

「じゃあ、お兄さん。私の分のコーヒー代払っておいてね」

「えっ!?」

困惑する恭介に対して、希空は当たり前だと言わんばかりの調子で話を続けていく。

「だってそうでしょ?お兄さん遅れたんだもん」

恭介は苦笑しながらそれを了承し、希空の分の代金を払う事になった。
恭介がその後に鞄から自身の携帯電話を開くと、そこには2時の十分前であった。

(ちくしょう、わかってはいたけど、やっぱり理不尽だ)

恭介は下唇を噛み締めながら店員に紙幣を渡したのであった。
ゲルニュートの入り口の前で待っている希空は手を振って、恭介を迎え入れたのである。
二人が合流して外に出ると、希空は可愛らしい笑顔を浮かべながら恭介に自分の腕を絡ませていく。それから自身の胸を擦り寄せて可愛らしい笑みを浮かべながら言った。

「この前のデートではお兄さんをあんな怖い目に遭わせちゃってごめんね。でも、そんな私のためにお兄さんは手伝ってくれて嬉しかったなぁ」

「ど、どういたしまして……」

恭介は頭をかきながら礼の言葉を述べていく。

「だから、今日は裏表のない純粋なデートだよ。楽しんでね」

世間ではクリスマスという事だけあって、どこもかしこもクリスマスの飾り付けが施されていた。手を振るサンタクロースにあちこちに飾り付けられたクリスマスツリーやクリマスグッズなどは見ていて胸が躍った。
純粋なデートという事だけはあり、恭介も胸が躍った。無論彼は常に姫川美憂一択であるし、彼女以外の女子と付き合いたいとも思わない。

だが、こうして楽しげな表情で希空とデートをするのは悪い気分ではなかった。
本当はもっと怖い存在であるというのにどうしてこんな心持ちになってしまうのだろう。
サンタクロースの帽子を買ったり、クリスマスツリーと共に写真を撮ったりする彼女の姿を見るたびに恭介は少しだけ自分の気持ちが穏やかになっていくのを感じた。
だが、ある一つの電話が鳴った時彼女はそれまでの楽しげな態度から一転して恐ろしい悪魔の様な女へと変貌したのである。

「ハァ!?伊達の奴に侵入された!?あんた何やってんの!?」

周りの人の視線が集中するくらいの大きな声であった。けれども、彼女は周りの人の態度など気にする事なく電話の向こうの相手への叱責を続けていく。

「もう……そういうのはいいからッ!クソ、あんたに任せたんだから責任はあんたが負いなさいよ!私?私は今忙しいんだからッ!落ち着いたら一報を入れなさいよッ!」

希空は一方的に電話を切ると、再び笑顔を浮かべて恭介の元へと駆け付けていく。

「ごめんねー。うちの使えない部下がやらかしちゃってさ、それでわざわざ応対しなくていけなくてさ……」

「い、いや、いいんだよ……それより次はどこを見て回ろうか?」

恭介は実感した。やはり天堂希空は恐ろしい、と。
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