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第三部『終焉と破滅と』

真行寺美咲の場合ーその②

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美咲は暫くの間は嘔吐と違和感に苦しんでいたが、次第にその痛みが引いてくると奇妙な感覚に陥った。それは先程の悪魔を胃の中に収めてしまったのだという満足感である。同時に美咲は一体感に包まれた。突然の事に美咲はどうすればいいのかと頭を悩ませていた。すると、自分の中へと入ってきた悪魔が声を掛けてきたのである。

悪魔の話によれば美咲は“サタンの息子”となりゲームに参加する資格が与えられたらしく、そのために願いを最初に三割、後に七割を叶えるという形で参加すると持ち掛けたのであるが、美咲はあまり乗り気ではなかった。
というのも、殺し合いをするというゲームの根幹そのものが彼女の意を削いだのである。殺し合いのゲームというのは自分が相手を殺すか、さもなくば相手に自分が殺されるかの二択なのだ。もしくは殺す事を選んだのだとしても腕が未熟であるのならばその際に殺されかねない。
だから美咲は選んだのだ。自分は戦いを棄権するという選択肢を。
それを宣言した時、悪魔は問い掛けた。

(お前、正気か?ゲームを棄権するとどんな事が起こるのか……)

「あなたは召集に呼ばれない悪魔だったよね?だったら私が棄権してもいいはず。そんなサタンの息子がたくさんいるって話をあたしは知ってるよ!」

その一言に悪魔は沈黙で応えた。美咲は沈黙を同意と見做したのだ。
以後、悪魔は美咲の方針に口を出さなくなった。悪魔との契約で何が変わったというわけでもない。あれ以来も自分にとって無意味な日々が続いていくのである。
相変わらず、ギャルは同級生の姫川美憂に絡み続けている。

「なぁ、みんなも姫川が嘘吐いてるって思うよな?」

「思う!思う!」

「あたし絶対姫川って嘘を吐いてるって思うよ」

「あいつは平気で嘘を吐くしね。おまけに人に暴言まで吐くからね」

美憂が無視をして本を読んでいく中で、周りの女子たちのテンションがヒートアップしていき、クラス中に女子たちによる姫川美憂弾劾の合唱の声が上がっていく。

「嘘吐き!嘘吐き!嘘吐き!」

姫川美憂を弾劾する言葉が上がっている中で、美咲は黙っていた。
ここで自分が黙る事で美咲は自分の立ち位置を示したかったのだが、やはりギャルから無言の圧力を掛けられては同調をせざるを得ない。
こんな自分が心底から情けなく思えた。乾いた笑いを出しながら美憂を煽っている自分をあの時の悪魔が見たら心底から笑うに違いない。
その日美咲が肩を落としながら通学路を歩いていると、目の前に四角い眼鏡をかけたツーブロックのいかにも学者と言わんばかりの風貌をした男が美咲に声を掛けた。

「やぁ、美咲くん。よかったら今日は私の研究室に来てくれんかね?少しだけキミと話をしたい事があるんだ」

悪魔学の権威である長晟剛に頼まれれば断れる人間などいない。加えて、美咲にとっても長晟剛は恩人といえる人間であったのだ。
幼い頃から剛とは父親を通じて親交があったし、何より父親が死んでから美咲は彼にお世話になりっぱなしであった。
剛が真行寺母娘との交流を深めていったのは死体安置所に安置された父親の死体に血相を変えた彼が涙を流しながら駆け付け、その死体に縋っていた頃からであった。

彼は頼りにしていた夫を亡くして、途方に暮れて漠然とする母親に対して喪主の役割を手伝い、次に母親に大学事務員の職を斡旋して職を与えたのである。
そればかりではない。民事訴訟の費用を算出し、最上家から賠償を引き出す事に成功したのである。
以後も母親のメンタルケアに努め、頻繁に自宅を訪れ、母娘のケアを行う。
その甲斐もあってか、母親は徐々に元気を取り戻しつつあった。
なので、これ程までにお世話になった真行寺美咲が彼の研究室を訪れるのは当然だといえた。
真行寺美咲が部屋を訪れると、そこは多くの資料で一杯になっており、足の踏み場もなかった。
その光景に唖然としていると、剛が美咲の表情に気が付いたのか、部屋を片付け、資料置き場になっていた長椅子に美咲を座らせたのである。

「さてと、待たせたね。今からお茶でも淹れようか?」

「…‥いいえ、結構です。それよりもどうして今日私を呼んだのかをお聞かせください」

「……単刀直入に言おう。キミは“サタンの息子”となっているね?」

その言葉を聞いて美咲は言葉を失ってしまう。彼女は自分が隠している最大の秘密に気付かれた瞬間に対して、驚きを隠し切れなかったのである。
「……単刀直入に聞き過ぎてしまったらしいな。よろしい。では質問を変えよう。キミは悪魔と契約しているね?」
「……してません」
美咲は声を振り絞って反論の言葉を浴びせたものの、微かな声で逆に剛に確信を与えてしまったのである。
剛はそんな美咲を一瞬鋭い目で睨んだものの、ここは安心させる方が重要だと判断したのか、優しい声で言った。

「別に私はキミを責めているわけではない。キミがサタンの息子になったからなんだというのか、私は別にそんな事は知った事ではない。ただ事実を認めてほしいだけなんだ」

美咲はその問いに小さく首を縦に動かす。

「よろしい。ではもう一つキミが契約した悪魔の事を教えてくれんかね?」

「あ、悪魔の事ですか?」

「あぁ、悪魔だ。キミは悪魔と契約する際に悪魔がその名前を名乗っただろう?その名前を教えて欲しいんだ」

「……ごめんなさい。覚えてません」

美咲の言葉に嘘はない。剛はそれを腕を組みながら見つめていたが、美咲の態度から本当であると確信したらしい。
剛が途方に暮れていた時だ。不意に剛の脳裏に声が聞こえてきた。

(……我はそこにいるあやつと契約した悪魔よ。名前はベルフェゴール。悪魔学とやらを専攻するお主にならわかるだろう?)

剛は首を縦に動かす。それから剛はベルフェゴールと交渉を続けていく。
無論、ベルフェゴールは美咲が契約した悪魔であり、剛が契約した悪魔ではない。だが、彼は悪魔学の権威であり、その道の研究に生涯を捧げ続けてきた男である。
ベルフェゴールと彼が対話する事は容易な事であった。ベルフェゴールからみても事勿れ主義で、受け身な美咲よりは剛と話をする方が楽しいと考えたのだろう。
以後、美咲はベルフェゴールを連れて剛の研究室へと不定期に通っていったのである。剛はそこでベルフェゴールから様々な事を聞き出したのである。

彼によればこのゲームのルールとしては参加者の三割の願いを叶えた後に優勝者に残りの七割を渡すというものであるという事、ゲームで死亡してもその死体は現実に残り続けるという事などを聞き出したのである。
続いて、剛は文献から読み解いて疑問が残っていた事をベルフェゴールから聞き出していく。
剛はそれから人類が悪魔と共に過ごしてきたのだという事を知る事になったのである。

「……信じられない。人類の発展が全て悪魔によるものであったなんて……」

(信じたくないのも当然であろう。だが、お主らの発展というのは全て、ゲームの参加費用。もしくは個人契約による悪魔の使役によってもたらされたものなのだ)

「……それは嘘だな」

剛は自身の脳裏に向かって問い掛ける悪魔たちに向かって吐き捨てた。

「……お前たち悪魔は嘘を吐いて、人を騙し、人と神との繋がりを断たせようとしているッ!蛇に化けてアダムとイブを騙して、知恵の果実を食わせた時から何も代わっていないッ!そうだろ?)

(フフッ、見事な考察だ。面白いぞ、我はそういう考察を吐き捨てるものは嫌いではない。では、特別に褒美にいいものを見せてやろうではないか)

ベルフェゴールはそう吐き捨てると、剛の背後に一個の望遠鏡を投げ捨てる。

「……これは?」

(我々の最終計画が覗ける望遠鏡だよ。面白い考察を聞かせてくれた礼だ。教えてやろう。近いうちに我々がこちらに進出するための扉なのだよ。それは我々はそれを『地獄への入り口インフェルノ』と呼んでいる)

この時以来剛の中にベルフェゴールの語る地獄への入り口インフェルノを観察するという日課が加わったのである。
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