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第三部『終焉と破滅と』

姫川美憂の場合ーその12

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美憂は改めて最上真紀子の凄さを思い知らされた。まず、彼女は天堂グループの幹部の一人の家に押し入り、家族の命と引き換えに幹部に持ち株を自分に譲る様に記させる。それから幹部が逃げられない様に東京から大阪のパーティーにまで誘い込み、逃げられない様にする。
例のお淑やかな口調で脅迫するのだから真紀子も中々の役者である。
美憂は真紀子の部屋で基本的な書類仕事を行いながら考えていく。
深夜のアルバイトをフリーランスの営業から真紀子の個人秘書に変えてからというものの、いい事尽くめだ。
まず、暗黒街の顔役である真紀子から支払われる給料は莫大なものであったし、
時間も多く取れる様になったのだ。今まで一週間のうち六日間は全て相手との会食であったのに対し、三日に一回の割合で家族との食事が取れる程に。家族との食事はどんなご馳走よりも美味いというが、それは本当であった。美憂は得意な料理を母に振る舞ってそれで母を勇気付けていた。
父親の死んだ後に母を支えられるのは自分だけであると考えたのだ。美憂は懸命に弱った母を支えていた。
ただ罪悪感の様なものはあった。やはり大恩ある仲間たちを裏切ってしまったというのは大きかった。時折寝る前にチクチクと針の様に突き刺さっていく。
それでも自分は復讐がしたかった。父を殺した希空に。絶対の独裁者を気取って日本に君臨する仇に。

無論今までの仲間は誰も美憂の決定に賛同の意志を示そうとはしない。美憂としてはその思いをわかってもらいたかったという一面もあり、その点が本当に辛かった。
ただ、その中でも恭介が味方になってくれたのは大きかった。恭介は秀明と志恩の両名を、またはあのアンバランスなサタンの息子を相手にしたとしても怯まなかったし、何よりレディに仕える騎士の様に忠実であった。
美憂と恭介、それから真紀子。この三人によるコンビネーションは最高のハーモニーを奏でていたといってもいいだろう。
美憂はその度に大きく溜息を吐く事になる。今の自分は悪役そのものではないか。時代劇で幼い頃に憧れた医者にして剣客の主人公に捨て台詞を吐かれて、叩き斬られる側の人間である。
自分はいつからこの様な人間になってしまったのだろう。美憂はつくづく自分という人間が嫌になってしまった。
美憂がそんな陰鬱な気分で書類仕事をしていた時だ。不意に真紀子から声を掛けられた。

「おい、次の先生との会食なんだけどな、先生たっての希望でお前も来てほしいんだってよ」

「あたしもか?」

「あぁ、そン時の衣装だけど、用意するから緑色か赤色のどっちがいいかってよ」

「和服か?それとも洋服か?」

美憂が特段感動した姿を見せる事もなく問い掛けた。

「うちは和服で接待しねーよ。洋服だ。赤い色のドレスか、緑色のドレスどっちがいいかって聞いてるんだ」

「……緑」

美憂は一瞬だけ考えた後に思い付いたように回答を述べた。

「あいよ」

真紀子はにべもない様子で答えた。
こんな風な事務的とされる会話以外は滅多に口にしない。勤務時間外では滅多に口を聞いたりはしないし、休日はお互いにノータッチという有様である。
それでも、お互いにゲームや天堂希空の打倒の計画を実行する際には息の合ったコンビネーションを見せたりするのだから大したものである。
美憂が家族を人質に取り、真紀子が拳銃で幹部を相手に脅迫を行う。
そんな最低のコンビなのだ。その一方で美憂は幸福感に包まれていた。
父親を殺された怒りを向けられたのが大きかったのだろう。
そんな美憂が真紀子の事務所兼自宅から自身の家に帰るための道のりを急いでいた時だ。
ふと、目の前に人影が出てき事に気が付く。いや、人影などというものではない。はっきりとした人が電柱から姿を表したのである。
電柱から姿を見せたのはかつてのクラスメイトである真行寺美咲であった。
幽霊の様にスッと現れたので、美憂は思わず肩をすくめてしまったが、すぐに腕を組みながら美咲を見下ろす。

「で、わざわざあたしに何の用だ?」

「……今からでもいい。やり直して……ゲームで戦うのは悪魔たちの思う壺。それこそ人類が滅亡しちゃう」

「あんたは滅亡してほしくないと思っている。けど、滅亡してもいいとあたしは思っている。話し合いは平行線というところかな?」

「平行線?違う。それはあなたが一方的にあなたが私を拒絶しているだけ」

「人類社会が営まれていく限り、希空の様な奴らが生まれる。そしてあいつに泣かされても金と権力の力で揉み消される。どこでもそうだ。だから、あたしはいっそ悪魔たちに滅ぼされてもいいと思ってる」

それを聞いた美咲はじっと美憂を見つめていた。だが、その決心がいかに固いかを悟ると、軽く首を横に振って吐き捨て様に言った。

「……もう何を言っても無駄なんだね」

「その通りだ。わかったらさっさとーー」

美憂が全てを言い終わる前に真行寺美咲の体が大きく変化していく事に気が付いた。単なる変化ではない。それは幾度もサタンの息子へと変貌してきた美憂だからこそわかる現象である。
真行寺美咲が武装したのである。彼女の鎧は一見するとブレザーの制服の様に見えた。外側は制服の背広を思わせる様な形で紫色が塗られており、その内側はブラウスを思わせる様に塗られていた。

首元は赤いネクタイというところだろうか。足はスカートの様であるが、その下は他の女性のサタンの息子たちが履くような黒色のタイツ姿となっている。
意外にも手に持っている武器はこれまで見てきた誰よりも強力な武器であった。
鎖鎌という武器に美憂は思わず圧倒されてしまったが、自身も武装を施し、軍服に兜という格好になったのである。
先手を打ったのは美憂の方である。地面の上を飛び上がったかと思うと、レイピアを放っていく。レイピアの先端が幾度も幾度も美咲を狙っていくが、美咲は動じる気配は見せない。彼女は鎖鎌の鎖を振り回したかと思うと飛び上がった美憂の足を絡めて地面の上へと叩き付けたのである。

美憂が悲鳴を上げて地面の上に叩き付けられていく。その瞬間を逃す事なく美咲は鎖を引っ張り美憂を自分の元へと引き摺っていく。
この時に兜越しに見えたのは闇の中で光る美咲の鎖鎌。
殺される。美憂の本能が告げた。だが、それでも泣き声を上げなかったのは彼女の本来の気の強さにあるからだろうか。
美咲は漁師が朝に掛かった魚を砂浜で取るような調子で鎖を引っ張っていき、そのまま美憂を自分の元へと引き寄せた。
煮るな焼くなり好きにしたらいい。美憂は心の中でやけ気味になってそう考えていたが、生憎と、美咲は美憂を煮たりもしなかったし焼いたりもしなかった。
代わりに鎖を夜の闇の中で月の光に照らして、その刃の鋭さを象徴するかの様に言った。

「お願いです。姫川さん。復讐なんてちっぽけな事に囚われないで、私やみんなで地球や人類を救いましょう」

「……それだけ聞くと怪しげな新興宗教団体みたいだな。いいや、本当に新興宗教団体そのものだ。ウォルター・ビーデカーが信者を洗脳する際に言った言葉そのままじゃあないか」

美憂はウォルター・ビーデカーの事件でただでさえ世間と乖離ができつつあった新興宗教団体が本格的に世間から指を指され始めた事を思い出し、兜の下で思い出し笑いを行う。
美咲はそんな美憂の態度に怒りを感じたのか、鎖に込める力を強くしていく。

「私だって父を殺した最上真紀子が憎くないかと言われたら嘘になります。けど、人は復讐の垣根を乗り越えられますッ!お願いです。私とーー」

「断る」

美憂は躊躇いもなく言い放った。幾ら頼まれたとしても、或いは幾ら脅されていたとしても美憂としてもこれだけは譲れない一線であり、譲渡する事などできなかったのだ。
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