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滅びの序曲は奏でられた

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「断る。ケルス、お主が何を言っておるのかわかるか?お主は実の血を分けた弟を捕らえようと殺そうとしておるのだぞ」

唖然とした様子で答えられないマルスに代わって答えたのは彼の唯一の臣下であるフロレスであった。
一国の王太子に向かってケルスと呼び捨てにする姿勢を聞いて兵士たちは気を良くしなかったが、ケルスはそんな兵士たちを宥めてフロレスに答えた。

「キミは私の事を誤解している様だな。私は何も弟を殺そうなどとは思うていない。ただ腹を割っての話をしたいだけだ」

ケルスは毅然とした様子で答えた。

「腹を割っての話し合いだと?どの口が抜かすのだ。私は知っているのだぞ。お前がその弟を処刑しようとした事をッ!」

フロレスはあくまでも弟思いの兄という態度を貫くケルスに対して険しい口調で言い返したのだった。

「違うッ!」

ケルスはあくまでも否定の言葉を返す。そこに迷いはない。

「何が違うッ!」

フロレスは大きな声でケルスの言葉を遮った。

「私がマルス様をお助けしなければ貴様はエレクトラの甘言に乗って自身の王太子の地位を脅かす邪魔な弟を嗜虐しようとしておったに違いないッ!」

「そんなものは全て推論でしかあるまいッ!たかだか騎士の分際で何を抜かす!」

「私はマルス様の剣となり盾となり生涯にわたる忠誠をその気高き御身に誓った身ッ!それを単なる騎士とは何事かッ!」

まさしく一触即発の状態である。フロレスもケルスもお互いに怒りに身を任せと動こうとしていた。その時だ未だに信じられないと言わんばかりの顔でマルスが兄に向かって尋ねた。

「……本当なのか?兄さん?本当にあんたがオレを殺そうと」

「馬鹿なことを言うなッ!オレはお前を助けてようとしてるんだぞ!」

「正直に答えてくれ、王太子になるのに双子の弟は邪魔だった……そう言いたいんだろう?」

「違うッ!」

ケルスは躊躇うことなく否定の言葉を叫んだ。

「じゃあ、パウロの奴はなんなんだ!どうしてあいつをオレが居る牢屋に向かわせた!?」

「それは魔道士のエレクトラが勝手にやった事で……」

ここに来てケルスは初めて口を篭らせてしまう。そして間の悪い事にここに来てようやくその魔道士のエレクトラがやって来たらしい。
彼女はケルスとマルスとの間に降り立つと、その杖の先端をマルスに突き付けながら言い放つ。

「ええ、そうよ。これは私が勝手にやった事よ。けどね、王太子殿下は止めようともしなかった。それは覚えておきなさい」

エレクトラの口元が歪む。妖艶な笑みが彼女の口元に浮かぶのとマルスが心底から信じられないと言わんばかりに両目を見開くのは殆ど同じタイミングであったといってもいい。
やがて彼の両肩は落ちて、顔は絶望の色で彩られていく。

「ほ、本当なのか?本当に兄さんがオレを……」

「違うッ!オレはーー」

「何が違うッ!」

言葉を遮ったのはフロレスである。彼女は大きな声を上げてケルスの言葉を強制的に打ち消したのだった。
彼女はそのままケルスに対して斬りかからんばかりの鋭い目で睨み付けている。
だが、そんな彼女の憎悪は次第にエレクトラに向けられていく。
というのも、彼女が挑発を始めたからだ。

「いやぁねぇ、この恐ろしい小娘はご主人様が貶されたからってここまで怒るのね」

「黙れ、悪女め。大方、貴様はその下品な体でケルスを誘惑したに相違なかろう。そしてその体を使ってそのままケルスを操り人形にしようと目論んだのか?」

「あら怖い。飼い犬って野蛮ねぇ~すぐに人様に向かって牙を剥けたがるんですもの」

元々二人は仲が悪い。それはかつての王子の派閥争いにも大きく影響していた。王宮にいた頃は麺と向かい合えば罵り合いになる事も珍しくはない。
今回の罵り合いもその一端として行われた様なものである。
だが、今回はフロレスの方が有利であったらしい。彼女の一言にエレクトラは普段は発する事のない低い声を発し、樫の木の杖の先端を城壁に待機していた蜘蛛の怪物に向かって突きつけた。

「やりなさい。そしてこの小娘を一足先に地獄へと叩き落としてやるのよッ!」

エレクトラの一言を聞いて蜘蛛の怪物は城壁を移動しながらフロレスの元へと移動していく。そしてフロレスの近くへと辿り着くなり、蜘蛛の糸を吐いて彼女を拘束しようと試みる。
だが、それはマルスが許さない。彼はフロレスを突き飛ばすと、そのまま剣を振り上げて襲ってくる蜘蛛の糸を叩き斬って地面の上に落とす。
そして、そのまま地面を蹴って蜘蛛に立ち向かっていく。
惜しむべき事はその蛮勇に彼の剣が応えなかった事にあるだろう。剣の先端は城壁へと深々と突き刺さっていき、彼がそれを抜いた瞬間に彼は蜘蛛の怪物の糸によって自由を奪われてしまった後であった。

「やったわ!そのままそいつを殺しなさい!」

蜘蛛の怪物は歓喜の表情を浮かべる魔女の言葉に応える様に器用に足を用いて糸に拘束されたマルスを手繰り寄せている。このままではマルスが蜘蛛の餌になってしまう。フロレスが危機を感じた時だ。突然、怪しげな光が近くの城壁から発せられていき、その場にいる全員の視界を奪っていく。
気が付いた時、マルスは蜘蛛の糸の拘束から解き放たれていた。そればかりではない。彼の手には王宮にある筈の剣が握られているではないか。
あり得ない事に一同が呆然としていると、再び光が『悪魔の城』の中を包み込む。それは眩い光と評される程の煌びやかな光でもなければ、先程発せられた赤い光でもない。漆黒のそれも夜の闇の様な深い闇を感じさせられる闇であったのだ。光が晴れていくのと同時に全員がマルスの手に握られているものに気が付く。

マルスが握っていたのは王宮にあった剣ではなく、禍々しい柄のある赤い剣身のあるサーベルであったのだ。
一同がそのサーベルに唖然としていた時だ。ただ一体、先程の蜘蛛の怪物だけが奇声を発してマルスへと襲い掛かってくるではないか。蜘蛛の糸による攻撃もなければ、八本の足を駆使しての攻撃でもない。
ただ、がむしゃらに突っ込んでくるという先程までの怪物からは考えられない光景であったのだ。マルスはその怪物の頭に冷静にサーベルを突き刺したのである。
その表情に迷いはない。そして赤い血で袖が濡れるのにも関わらず、ゆっくりと怪物の頭からサーベルを引き抜いていく。マルスの顔に服に赤い血が飛び散っていくが、彼がその事について何も感じる事はない。いつも通りに敵を倒したと感じるだけなのだ。
だが、それでもその蜘蛛の姿が徐々に人の、それも実の父の姿へと変われば流石に彼も顔色を変えた。

「ば、バカな!?父上!?そんな……どうしてあなたが?」

動揺する彼とは対照的に父ガレスは落ち着いた声で言葉を返す。

「……余は乞われたのだ。エレクトラに……マルスを止めるために『悪魔の城』を訪れた際に怪物の姿になってくれとな……」

「父上、あぁ、血が止まらない……どうしてだ!?知っておったのならば私はあなたにこの様な事をせずに済んだというのに……」

マルスは涙を流しながら後悔の言葉を叫んだものの悔やんでも遅かった。敬愛していた筈の父から溢れ出る血は止まらない。夥しい量の血が溢れ返っていき、抱き締めようとする彼の体全体を赤く染め上げていた。
そんな息子に対してガレスは弱々しく微笑んだのである。

「……お前がここまで育ってくれたのは嬉しいぞ。きっと余が死ぬのは運命であったのだ」

「何を仰られます!誰か!誰かッ!国王を……父を助けてくれッ!」

悲痛な声に嘘はない。それでも赤く染め上がった彼の顔が兵士たちの足を躊躇わせた。その間もマルスは意識を失おうとしていた父に向かって問い掛け続けていた。
そんな息子の頬を優しく撫でた後に涙を拭った後にガレスは優しい声で慰める様に言った。

「案ずるな。お主は魔王ではないぞ……魔王ならばその様に泣く事もないのだからな。これで余は安心して死ねる……世界は滅びぬだとな……」

「父上ッ!」

涙混じりにマルスは父親を呼び掛けたのだが、とうとう国王ガレスは息を引き取った。問題はその後である。しばらくの間は目の前で起きた光景が信じられずに目を丸くする兵士たちであったが、エレクトラの叱咤激励によって立ち直っていくのだった。

「あなた達何をしているの!?あの男はこの国の国王を殺したのよ!それだけじゃあないわ!実の父親を殺したのよ!生かして帰すんじゃないわよ!」

「黙れッ!元々は貴様が魔法でガレスを替えて戦わせたからであろうがッ!騙されるでないッ!国王殺しはこの悪女だッ!」

父親の亡骸を抱えて空を虚な目で眺めているマルスの代わりに言葉を返したのはフロレスである。
彼女は剣を抜き、その先端を突き付けながら兵士たちに向かって語り掛けたのである。

「この女こそが国王を戦わせて、死に至らしめたのだッ!許してはならぬのはマルス様ではなく、そこにいてケルスを操らんとしているその悪女であるぞ!」

「違うわ!悪女はあの女の方よ!聞いてちょうだい!私は確かに至らぬ点もありましたわ……けれども、このカリプス王国を痛む気持ちだけは偽物ではありません!お願いです!信じてちょうだい!」

エレクトラは陳勝にも涙を流しながら部下の兵士たちに向かって訴え掛けていくのであった。おまけに嘘泣きが上手いので周りの人たちはすっかりと騙されてしまっていた。
おまけに騙されたのは兵士ばかりではない。聡明である筈のケルスが先程まではあんなに躊躇っていた弟に対して剣を構えて向かっていくではないか。その目に迷いはない。弟の前で弧を描いたかと思うと、手に持っていた剣をケルスに向かって大きく突き上げていく。
マルスは突き上がったケルスの剣を顔を逸らす事で交わしたのだが、ケルスが容赦する気はないのはその表情からも明らかであった。彼は憎悪の炎で燃えたぎる瞳を向けながら何度も何度も剣を振っていくのである。
マルスは新たに得たサーベルを用いて兄の剣を防いだが、その兄は聞く耳を持たずに攻撃を仕掛けてくる。

「待て!やめてくれ、聞いてくれ!兄さん!」

「黙れッ!貴様よくも父上を……その命で償え!魔王ッ!」

その一言はマルスからそれまでの兄弟としての情を捨て去るのに十分であったといえた。
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