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神からの警告

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「殿下、ご報告申し上げますわ。私が放った二体の使い魔は両者とも死体で発見されたという事にございます」

「それは間違いないのか?」

ケルスの問い掛けに魔道士エレクトラは首を縦に動かす。その真剣な顔から察するに虚偽の報告などという事は考えられない。
と、なれば本当に自身の実の弟がエレクトラの放った人ならざる使い魔を葬ったという事となる。その瞬間ケルスは身震いを感じた。弟の存在が急にひどく恐ろしいものに感じられたのだ。
パウロが王宮の地下牢にて哀れな死体となって見つかったという報を聞かされてからずっと抱いていた正体不明の気持ちの悪い思いの正体がわかった気がする。
一方でケルスはまだマルスを大切な弟だと思っていた。時間経てば分かり合えるという思いはまだ消えていない。
何処かで実の弟と腹を割って話し合う事ができれば変わると考えていた。

エレクトラはケルスの心の中に生じているその感情についてとっくの昔に知っていたそんな考えは蜜の様に甘いものだというのに聡明な王子は弟への愛の深さのために未だに気が付いていないらしい。
ここは一肌を脱いでケルスにマルスの危険性を分からしめるしかあるまい。
エレクトラは部屋の中で国の歴史の本に目を通すケルスを放って国王の寝室へと向かう。

寝室には国王ガレスが安楽椅子に座って娯楽用の推理小説を読んでいる姿が見られた。寝る前の息抜きに小説を読むというのはどうやら親から子に受け継がれた慣習なのだろう。
通常時ならばともかく現在の様な非常事態ならば国王が本を読むのを邪魔してもいいだろう。エレクトラは寝室の扉を開き国王に声を掛けた。声を掛けられるとすぐに本を閉じたのはやはり名君というべきだろうか。
ガレスは扉を開けたエレクトラを見つめると真剣な顔で問い掛けた。

「何用じゃ?」

「……陛下にお願いしたき儀がありまして参りました」

「お願い?それは?」

「近いうちに王国の果てにある悪魔の城に出向いて欲しゅうございます」

「悪魔の城だと?」

ガレスはエレクトラのその単語を聞いた瞬間に体が固まってしまった。というのも、彼にとって悪魔の城というのはあまりにも恐ろしい場所を示す言葉であったからだ。悪魔の城は宮殿から東に数十キロという距離にあり、そこは大昔に建造された城であるというのに今でも城として利用できる程の強度と装備とを兼ね備えていたからだ。
大昔に建造されたのにも関わらず未だに城として利用ができるその城を人々は恐れたのだ。おまけに現代の技術ではその城と同じ様なものを建造しようとしても真似する事もできない。故に人々はその城を『悪魔の城』と呼んでいるのだ。
現在において城は観光用の城としか用いられておらず、多くの人は大昔の事など知る由もなく純粋なアトラクションとして楽しんでいるのだが、ガレスにとってはその様なものが建っている場所というだけで恐ろしかったのだ。それだけの理由で拒否もできた。ましてやそんな場所に国王が行く必要もないのだ。故にガレスは断る事もできた。
だが、有無を言わせないエレクトラの強く光った瑠璃色の瞳が国王から拒否権を剥奪させたのだ。ガレスは素直に項垂れた。

「……日時は追ってお伝え致しますわ。それではおやすみなさいませ。陛下」

エレクトラはドレスの両裾を摘み淑女らしく丁寧に挨拶を述べた後に部屋の前から去っていく。
ガレスは彼女が去るのを待って推理小説の続きを読もうと試みたが手が震えて動かない。ガレスはエレクトラが恐ろしくて仕方がなかった。『悪魔の城』で自身がどんな目に遭うのかわかったものではないのだ。
ガレスは許されるのならば許されたい気持ちであった。













「……『悪魔の城』か」

琥珀色の鞘に収められ上等の剣を腰に下げ、この前の様な山番の男の服をしたマルスが一人呟く。

「えぇ、太古の昔に作られたと言われる城にございます」

「この城に魔王の正体を探る手掛かりがあるというのだな?」

「はい、マルス様」

二人は幸いな事に正体を割られてはいない。手配書が届いていないのは王の慈悲というべきだろうか。
そういった理由で二人は堂々と訪問客で溢れる『悪魔の城』の中へと入る事ができたのだ。
『悪魔の城』と呼称はされているが、建築されたのが大昔というだけあって城自体はキチンとした造りであった。
石の城壁が聳え立っており訪問者を威圧している。その周りには水で満たされた堀が敷き詰められており、侵入者を畏怖させる仕組みとなっている。
大きな城壁に囲まれた城の中に入ってみると中は意外とシンプルな造りなのだ。城の中は意外な事に何もない。他の観光客の話から察するにあの城壁の中に居住スペースと防御スペースが備わっているのだろう。
実際に中には城壁の中に入る梯子の様なものが備わっており小さな子供などが楽しそうに梯子の上を登っている。観光を楽しんでいる親子の姿を見ているとこちらまでも嬉しくなってしまう。
思わずマルスが頬を緩めていると、背後にいたフロレスが心配そうな顔をしながら尋ねる。

「いいや、なんでもない」

どうにかマルスは平静を取り繕って『悪魔の城』の中を見学していく。
特段変わったところはない。それは城壁の外も中もそうだった。強いていうのならば観光客用に掲げられた魔王の肖像画くらいであろうか。この魔王の肖像画にはおどろおどろしい姿をした魔王の元に多くの魔物たちが跪く姿が描かれている。その背景にあるのは世界の滅亡の光景。解説書によればそれは想像上の破滅を描いたものであるらしく、全能の神やその神が遣わした救世主に対するアンチテーゼとして描かれたものとされている。
だが、マルスはこの絵の本当の意味を知っていた。これは絵の作者が示した全能の神や救世主に対するアンチテーゼなどではないという事を。
この絵の作者が示したかったのは今の時代の作家が宗教画として純粋に描くものと同様のものであったのだ。
恐ろしい神話を闇に葬ったからこそ、この解説書に書かれている嘘を看破できたといってもいい。
マルスはもう一度魔王の絵を見つめてみた。やはりその絵は人を惹きつける何かがある。まるで自身がその絵の世界に行ったかの様な錯覚に陥るのだ。
あまりにも素晴らしい光景にマルスが見惚れていた時だ。城壁の外から子供の悲鳴が聞こえてきた。
慌ててマルスが駆け出していくと、城の中では巨大な蜘蛛の怪物が城のあちこちを這いずり回っているではないか。

フロレスが剣を抜いて蜘蛛の怪物と相対しているものの、やはり彼女では相手にもなるまい。マルスは慌てて自身の剣を抜いて蜘蛛の怪物に向かって切り掛かっていく。
蜘蛛の怪物はマルスの姿を見かけるとなぜか、一瞬だけ動きを止めたものの、すぐにこちらに向かって飛び掛かってきたではないか。マルスは剣を盾にして蜘蛛の特攻を防いだが、蜘蛛は剣の向かい側で大きな声を上げながらマルスを威嚇していく。
あまりの攻撃に足を下がらせていくマルスに対して蜘蛛の怪物は言った。

「マルスよ。お前にもう帰る場所はないのだ。お前が帰るべき場所はあの世だけだ。魔王となり多くの人々を殺す前にここで死んでくれ」

「断る。魔王になるなどというのはあくまでも推測に過ぎない」

その馴れ馴れしい怪物の無礼を咎める事もなくマルスは淡々と答えた。

「どうしても断るというのか?」

「しつこいな。悪いがオレは死ぬ気などさらさらないよ」

「……そうか」

蜘蛛の怪物は残念そうに呟くと、そのまま八本の足を使ってマルスの体を拘束していく。

「これでは剣も使えまい。大人しくあの世にいくのだ」

「そうはさせぬッ!」

拘束されたマルスの代わりに答えたのは彼の唯一の臣下であるフロレスである。彼女は蜘蛛の怪物の空いた背後に向かって大きく斬りかかったのである。
並の相手であるのならば勝利への執着が邪魔をして致命傷を負っていたに違いない。フロレスにとって不運であったのはこの怪物が並の相手ではなかった事である。怪物は自身の身に危機を感じるとすぐさま蜘蛛の糸を城壁へと飛ばし、距離を取っていく。
そして、今度は安全地帯から蜘蛛の糸を吐いていき二人に向かって攻撃を喰らわしていく。二人は必死になって蜘蛛の糸を防いだもののやはり剣に糸が付いてしまう事には変わらない。落とすのにも時間がかかる。蜘蛛の怪物はそれも算段に入れていたに違いない。動けなくなった二人のうち蜘蛛の怪物は迷う事なくマルスに向かって襲い掛かった。
マルスは剣を振って蜘蛛の怪物を迎え撃たんとしたが、剣の刃を引っ張っていた糸が邪魔をして怪物には後一歩のところで届かない。マルスは悔しそうに下唇を噛み締めたが、それも今のところは意味をなさない。今の彼にできる事は地面の上に囚われた自身の体を少しでも動かし、馬乗りになる蜘蛛の怪物を引き離す事にあった。

怪物はそんなマルスの考えを先に読んだらしい。マルスの体を蜘蛛の糸で拘束し、彼の動きを封じるとそのまま真上からマルスを喰おうと試みていく。
マルスは自身を喰らい尽くそうとせんばかりに蜘蛛の攻撃を首を左右に動かす事でしか対処できなかった。
怪物との戦いで彼が生まれて初めての死を覚悟した時だ。真横からフロレスが走り蜘蛛の怪物の体を真横から蹴飛ばす。
蹴りという衝撃を受けた怪物はマルスの前から引き離されていって城の中を転がっていく。そしてそのまま城壁の上に再び様子を窺っている。
フロレスは蜘蛛の怪物に構う事なく、未だに蜘蛛の糸の一部が取れない剣の中でも糸が付着していない箇所を用いてなんとかマルスを捕らえていた蜘蛛の糸を切っていく。

「すまぬ。礼を言うぞ」

「何を言いますか!いかなる時もあなた様の盾となり剣となると誓うたのは私でございます!」

フロレスがマルスを助け上げてその場から逃れようとした時だ。騒ぎを聞き付けたと思われる王国の兵士たちが城の中へと駆け込んでいく。

「市民どもの報告にあった蜘蛛の怪物というのはこいつの事か!?」

「待て、エレクトラ様はこの怪物は殺さなと仰られていたぞ。殺すのはマルスとフロレスだけだそうだ」

大声で話す兵士の言葉を聞くにどうやらエレクトラは自分たちの行動の先というのを読んでいたらしい。
恐らく日時などは魔法を使って特定したのだろう。場所の方も魔王の疑いをかけられている自分たちならば来ると予測して前々から張り込んでいたに違いない。
あの悪女ならばやりかねない。フロレスが悔しそうに拳を握り締めていた時だ。
マルスが兵士たちに向かって叫んだ。

「お前たち、誰に向かって槍を向けておる!退け!」

「黙れッ!マルス!魔王の分際でまだカリプス王国の王子を気取っておるのか!」

「退けというのがわからぬのかッ!」

マルスは凄みを見せた。地面が震えんばかりの大きな声で叫び返したので、殆どの兵士たちは動揺して動けない。
元より持っていた王子としての気品が、尊厳が彼らを怯えさせたのだろう。このままマルスの意のままに事は運ぶと思っていたのだが、その兵士たちをかき分けてある人物が現れた瞬間に形勢は逆転した。兵士たちは自分たちが従うべき相手が現れて歓喜したし、何よりその人物が現れた事によってマルス自身を大きく動揺させたのだ。
その人物は兵士たちの前に立つとマルスに向かって言った。

「久し振りだな。マルス」

「に、兄さん……」

「マルス。兄からの頼みだ。ここで囚われの身となってくれ」

マルスに衝撃が走った。兄ケルスの登場は雷が落ちたかの様な衝撃であったに違いない。耐え切れずにマルスは足をふらつかせていくのだった。
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