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魔王の陰謀

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悍ましい姿をした魔王の親衛隊を見て最初に叫んだのは国境に近い山で木こりとして林業に携わる男性であった。野山にて不要な木を切り、その日の薪を売りに出そうとしていた時に山の真下に控える異形の軍団の姿に気が付いたのである。

「こ、こりゃあ大変だ……は、はように王様に知らせねぇと」

こうして魔王の親衛隊とその軍隊が国境付近に軍を進めた事が発覚したのである。当然ケルスは抗議の言葉を伝えたが、魔王側は聞く耳を持たない。
そのためカリプス王国側も国境付近に防衛隊を送る羽目になったのだが、戦いが行わればこちら側が負けるのは目に見えてわかる。

「……マルスの奴め、考えおったな」

「いかがなされますか?敵の目的は恐らくこちら側に手を出させる事にありましょう。まさかむざむざ魔王の手にのるあなた様でもありますまい」

ケルスは黙って首を縦に動かす。

「我々としてはこのまま国境付近で睨み合うのが得策だと思われますが……」

「それも当分の間だけの話であろう?まさかこのまま永遠に睨み合いを続けるわけにもいくまい」

「その通りでございます。どこかで魔王に手をひかせなければいきませぬ。その場合の問題はーー」

「世界のほぼ全てを手に入れた魔王が我ら如きの国のいう事を大人しく聞くかという事であろう?」

「その通りでございます」

フィリッポはにべもなく同意の言葉を述べた。
二人で報告の書類を片手に意見を交換しあっている時だ。扉を激しく叩く音が聞こえたかと思うと、血相を変えた大臣が扉を開けて入ってきた。

「た、大変です!陛下!国境付近に集まった魔王の親衛隊が山の測量を始めました!」

「な、何ィィ!?」

大臣は『山の測量』とだけ述べたが、軍隊が測量を行えばそれは単なる測量ではなくなる。許可もなく相手の土地に侵入し、山の測量を行うというのは侵入した際の経路を調べる事に他ならない。
それを聞いたケルスは憤慨して立ち上がっていく。

「我らを馬鹿にしおったなッ!もはや勘弁ならぬッ!」

「で、ですが、軍を動かせばこちらの負けでございます!ここは一つ厳重な抗議を述べるというのは?」

ケルスはその提案を聞いて正気に戻ったのか、先程よりは落ち着いた口調で答えた。

「わかった。だが、覚えておれ魔王め……」

王弟ケルスの指示によって厳重な抗議が魔王軍の元へと届いたものの、魔王はその抗議文を鼻で笑いカリプス王国に対して断固無視という態度を貫いたのである。抗議文を届けた使者が一日や最悪一週間も帰らなくてもそれは届いていないだけであると思ったかもしれない。
だが、一ヶ月という月日は長過ぎた。その上使者がボロボロになって帰ってきたのならば王国側が怒るのも無理はない。
ケルスは玉座の間に向かって女王にその事を進言したのだが、女王は呆れた様な溜息を吐くばかりであった。

「……流石は魔王というべきね、私たちをいかにして怒らせようとしているのかを熟知しているわ」

「感心している場合ですか!陛下!ここは一つ陛下の魔法で私をーー」

「お馬鹿さんねぇ。ねぇ、坊や考えとご覧なさいよ、あなたを送ったところで何が変わるというの?」

「魔王と一対一の決闘をーー」

「魔王がそれを承諾すると思って?少しは落ち着いたらどうなの?」

「魔王が我が国の民をその毒牙にかけようとしているのです!王族として我が国に生きる民を守るのは義務でありましょう!?」

「落ち着きなさいよ、お馬鹿さん。今の国王は私なのよ。あなたがこのカリプス王国の国王だったのは8年前の一週間かそこらでしょ?」

それは嘲るような口調であり、責任を問われる形で王位を奪われた自身への皮肉であったに違いない。ケルスは目の前の玉座で安寧を貪る簒奪者を余程殴ってやりたかったのだが、そんな事をすれば捕らえられるのは自分である。
下手なことをすれば今の身分まで女王に剥奪されかねない。なのでいくら恥辱を受けたとしても耐えなければならないのだ。ケルスは拳を強く震わせながら玉座の間を後にして部屋の上で山積みになっていた報告書に目を通しに向かう。

ケルスの心の内で煮えきれない思いが燻っていた。消化不良ともいうべき思いが未だに残っている。そんな中で行う仕事はお世辞にも心地の良いものではなかったのだが、それでも王族としてやらなくてはなるまい。
ケルスがそんな思いを抱えて仕事を行う日々が二ヶ月ほど続いた時だ。抗議文を無視された事に対して何も行動に移さなかったためか、魔王はますますいい気になったらしい。今度は複数の兵士が山を越え、国境の町で乱暴を働くようになったという。

「おのれ……こちらが下手に出ておればいい気になりおって……」

ケルスが怒りのままに危ない言葉を叫びそうになった時だ。それを慌ててフィリッポが止める。

「お、お待ちくだされ!軍隊などを送れば魔王の思う壺にございまする!」

「では、どうせよと言うのだ!?それ以外に国境付近の民を守護する方法などあるまい!?」

「殿下が自ら行かれるのはどうでしょう?いかに敵国の兵士とて相手国の王弟を無闇に攻撃したりはしない筈でしょう」

「……おれの身をわざわざ危険な場所へ晒し出せというのか?」

フィリップは躊躇う事なく首を縦に動かす。それを聞いたケルスは黙ってフィリップを見つめていたが、やがて彼の手を取って真剣な顔を浮かべて言った。

「……わかった。やってみよう。作戦がうまくいくかどうかはわからぬがな」

フィリッポは丁寧に頭を下げると、国境付近異動の準備を整えていく。
そして、女王には自らが「護衛」として付き従う事を宣言したのであった。
こうしてケルス王弟は自ら国境付近へと乗り込み、乱暴行為の鎮静に乗り出したのであった。
だが、帝国の兵士たちは次々と降りて乱暴を起こしていくので、幾ら取り締まりを続けてもキリがない。
更に一週間も経てば兵士たちも怖れなくなってきたのか、ケルスに対して明確な悪意ある行動をとる事が多くなってきた。
ある時などはすれ違い様に露骨に肩をぶつけられたが、それでも彼は寛容な笑顔を浮かべてスルーしたのであった。
だが、耐えきれなくなったのはある少女が帝国兵の起こす事件に巻き込まれた事であった。犠牲者となった少女は街一番の大きな商家の娘であった。屋敷の中へと強盗に入った帝国兵に抗議をした父親を守るために立ち塞がり、帝国兵によって殺されたのであった。

この事件の事を聞いたケルスは事件を起こした帝国兵をその場で処断。有無を言わさずの斬首刑に帝国は抗議文を送ったが、ケルスはこれを封殺。逆に事件を世界各地に公布するように伝え、魔王支配における弊害を声高に叫んだのである。
この事件を機にケルスの中から和平という考えは消し去っていた。頭の中にあるのは侵略者の撃退と魔王打倒の一念であった。
街の中で彼は剣をかざし、大きな声で反魔王の演説を叫んでいく。

「諸君ッ!我々このままでいいのか!?魔王の軍は我々の生存圏を脅かし、罪なき少女の命を容易く奪ったッ!まさしく化け物であるッ!世界に葬られた神話には魔王が世界を滅ぼすと書いてあるッ!このまま魔王にしたがっていれば、このまま突き進むのは我々の滅亡であるッ!諸君はそれでいいのか!?」

ケルスの特技は演説である。かつて王であった時期に披露した立派な演説は今も人々の記憶に残っている。その彼が拳を振り上げて反魔王の旋風を叫んでいるのである。人々が乗らないわけがない。
理性を失った人々は拳を突き上げ、魔王打倒を叫んでいく。
ケルスの言うがままに人々は略奪に現れた帝国兵を追い返し、ある時には倒しさえした。
これに対して兵の命が損なわれたと帝国は抗議の書面と使者を送ったが、ケルスはこれを突き返したのだった。
反魔王運動が高まっていくにつれて笑いが止まらくなっていくのは魔王マルスの方であった。

「フッフッ、あの調子であるのならば奴らは容易く我々に攻撃を仕掛けるであろうな」

魔王は自身の力で作り出した『遠眼鏡』と呼ばれる遠くの景色を意のままに見る事ができる筒状の道具から目を離すと側に控えている兵士に向かって告げた。
兵士はそれに対して頭を下げるばかりであり、返事を返そうともしない。
それを詰まらなく思ったものの、口には出さずに再びかつての兄の様子を見守るのであった。後は城にいる姉を名乗る簒奪者さえ同意すればケルスは軍を動かすに違いない。自称女王の決意を固めさせるためにマルスはある策を封じたのであった。
マルスの作戦は女王エレクトラに女王の地位を降り、その地位を正統な王である自身に渡せと請求するものである。
勿論、こんな要求がうまくいく筈がない。そもそもマルスは既に王位請求権など8年前に実の父にして先先代の国王であるガレスを殺してしまった際に剥奪されているのだ。本当の目的はエレクトラを刺激して軍を動かさせる事にあったのだ。
マルスの目論見通りにエレクトラは激昂し、弟ケルスの元に大軍を護衛の名目で送ったのである。マルスはエレクトラの激昂した理由に因縁をつけ、国境付近に集める軍隊の数を更に増加させたのである。

こうして後一歩というところまできたところに起こったのだが、国境付近を守る王国側の兵士が混乱して錯乱状態に陥り、帝国兵に向かって矢を放った事件である。
無論、この兵士がこの様な事件を引き起こしたのには偶然ではない。マルスが事前に仕込んでいたのだ。悍ましい親衛隊を配置し、その異形の、それも人類からすれば背筋を凍らせてしまうような恐ろしい姿を夜ごとに見せただけではなく、挑発がてらに攻撃を行い、警備の兵士たちの身の安全を脅かしたのも効果があったに違いない。
こうして両軍の武装衝突は入念なマルスの陰謀によって引き起こされたのであった。
かくして、マルスとケルスの両名による決戦はケルスにとっては予想外の、マルスからすれば計算通りのやり方で開始された。両者の軍は国境近くの山付近でそれぞれ武器を構えて睨み合っていた。暫くの沈黙が続いたが、やがて両軍共にそれぞれの大将の乗る馬が兵士たちの前に姿を現して、演説を行っていく。
先行はマルスからであった。彼は一列に並んだ自国の兵士たちを一瞥した後に剣を引き抜き、それを宙に掲げていく。剣身が太陽の光に反射して輝き、それがケルス自身の顔を消し、その様子がケルスの演説を引き立たせる事となった。

「諸君!これは我々人類の存亡を賭けた決戦であるッ!我が軍の兵士の勇気ある行動が我らを善と悪との最後の決戦へと導いたのであるッ!」

「諸君!カリプス王国の指導者は知性のないバカどもであるッ!奴らは我々の懸命の努力にも関わらず、不要な戦を仕掛けて、我々の生を止めさせようとしているのだッ!その様な暴挙が許されてはなるまいッ我がたちよ!立ち上がれ!武器を取れッ!我々の手で理想の世を掴み取ろうではないかッ!」

両者ともに小さくも人々に揺さぶりをかける様な演説を終えると、そのまま互いに敵軍に向かって剣先を突き付けて叫ぶ。「突撃ッ!」と。
両軍の騎兵が蹄の音を鳴らし、地面の上を踏み鳴らしていく。同時に歩兵たちが駆ける音が轟く。そして両軍の兵士たちが声を上げてぶつかっていく。
ここに二度目の魔王の軍隊とカリプス王国による戦闘が開かれる事になったのだ。
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