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兄弟合間見える

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戦闘が始まり、暫くの時間が経ち、戦闘が膠着状態へと落ち着いた時ケルスは前の時と同様に敵の大将を討って、相手の退却を狙う手に出た。彼の標的はかつての弟マルスのみである。中央に少ない味方と共に突っ込んだかと思うと、そのまま中央にいるマルスの元へと向かって行ったのである。

「出てこいッ!マルスゥゥゥゥゥ~!!」

多くの敵を斬り伏せながら、ケルスは本陣へと単騎のみで突っ込むのであった。この時のケルスの顔に浮かんでいたのは執念のみだ。この一念だけで彼は自軍に対して圧倒的な数を誇る魔王の軍隊を薙ぎ払い、本陣の中へと突っ込んだのである。本陣に突っ込むのと同時に力尽きたのであろう。馬が足を崩してケルスは宙の上へと投げ出されていく。
それでも、無様な姿を見せずに宙の上で自ら弧を描き、地面の上に着地したのは英雄と評されてしかるべきであろう。
本陣には戦場用と思われる臨時の簡素な木の玉座に座るマルスは双子の兄の予想外の登場を称賛し、手を叩いた。その後に微笑を浮かべて、

「フッ、ようやく来たか。ケルス」

と、息を切らした兄とは対照的な余裕のある態度で出迎えた。

「当たり前だろう。オレは貴様を斬り刻むまでは死ぬつもりはないのだ」

「なれば、このオレ自らが貴様の要望通りに貴様を斬り刻んでやろう。だが、その前に……」

マルスは指を鳴らし、背後に控えていたと思われる怪物を繰り出す。
片方は人の頭と体に蛇の尾を持つナーガと呼ばれる怪物であり、もう片方は人の頭と体に馬の足を生やしたケンタウロスとされる怪物である。
ナーガは両手に鋭利な槍を、ケンタウロスは殺傷性の高い棍棒を備えていた。

「こやつらは?」

「オレの親衛隊の一員だよ。親衛隊の中でも有能な奴らでね。オレの護衛を任せてあるんだ。なぁ、ケルス……優秀なお前ならばこいつらに勝てるだろう?」

「あぁ、その間に貴様が逃げるつもりさえなければな」

「安心しろ、おれは逃げも隠れもせぬ。こうして玉座の上で貴様の戦いを見守ってやろう」

「……その言葉忘れるなよ」

ケルスは剣を構えるのと同時に走り出し、そのまま飛び上がって迸る剣撃を魔王の護衛である二体の部下に向かって繰り出していく。
剣撃をまともに喰らったナーガは悲鳴を上げて地面の上へと倒れ込んだが、ケンタロウはギリギリのところで回避したらしい。臀部に切り傷がその証拠である。
それでも傷を付けられた分の借りは返すつもりであるらしい。激昂しながら棍棒を振り回してケルスの元へと向かっていく。だが、その動きは今のケルスには止まって見えた。ケルスは棍棒を寸前のところで回避し、そのまま飛び上がったかと思うと、がら空きとなっていたケンタウロスの脇腹を大きく斬り付けたのである。脇腹から大きな血を噴き流したケンタロウは慌てて両手で脇腹を抑えようとするも、大量の出血は治まる様子を見せない。ケンタロウは動揺して大きく足を踏み鳴らしていたが、次第に血の気が引いていき、助けを求めたのか或いは許しを求めに来たのかはわからないが、魔王の玉座の前で事切れたのであった。

「これで終わりだ」

ケルスは簡易的な玉座の上でケンタロウの死体を眺めているマルスに向かって剣先を告げながら言った。
それを聞いてマルスは黙って立ち上がり、サーベルを鞘から抜いた。

「その覚悟やよし、この場で決着を付けようではないか」

「同感だ。この機を逃しては魔王と救世主が決着を付ける機会は永遠に訪れないであろうからな」

「この戦いに勝った方が世界の命運をわけるのだ。救世主が勝ち、光が世界を包むか、このオレ、魔王が勝って闇が世界を包むか……それが決まるのだ」

マルスの目に躊躇いはない。その目は真っ直ぐにケルスだけを見つめていた。ケルスも同感である。この時の彼に見えていたのはマルスだけであった。
かつての兄を、弟を決戦の前に両者がそどの様な思いを抱えて見ていたのかはわからない。
だが、思えば数奇な運命である。というのも、二人は幼い頃から共に過ごしてきた双子の兄弟であり、ほんの8年前までは仲も良く優秀なガレス王の跡継ぎとして期待されていた存在であったのだ。

あの剣のお告げが、いいや追放されたかつての王宮魔道士が告げた不吉な予言さえなければ今こうして双子の兄弟同士が世界の命運をかけて決闘を行う事などあり得なかったに違いない。
そんな二人であったが、ようやく決闘のために動いたらしい。まず先にマルスの方がサーベルを真上から振り下ろしケルスの頭を真っ二つにしようと試みる。
マルスはそれを剣を真上に構えて弾き、そのまま返す刀でマルスに向かって斬りかかっていく。
ケルスはその刃を自らの剣身を上へと突き出し、かち合わせることで己の身の上に剣が直撃する事を防いだのである。
このままでは埒が明かないと判断したのか、ケルスは剣を一度引き、もう一度構え直していく。
今度は打ち合いが始まった。剣と剣とがぶつかり合う際に生じる金属音が鳴り響き、両者の剣の間に火花が生じて散っていく。

「フッフッフ、なぁ兄上……昔から剣の腕だけはオレの方が上だったな?どうだい?このままオレに一思いで殺されてしまうというのは?」

「断る。オレだけならば確かにお前に殺された方がいいかもしれんが、残された人の事を考えるとオレは死ねんのだ」

「……そうか、なぁ兄上よ、あんたがそこまでして人類を……世界を守る理由があるのか?」

「なんだと?」

その問い掛けにケルスに動揺が走る。そして更なる動揺を与えるためか自らの考えを述べていく。

「考えてもみろ、人類はこれから増え続ける。今こそまだその数は少ないだろうであろうが、このまま数が増え続ければ人類はやがて制限なく増えていき、この世界をその圧倒的な数でこの世界を蝕んでいくだろうッ!そうなる前にオレがこの人類を統制し、それを防ぐッ!どうだ、悪い考えではあるまい!?」

「それはお前の勝手な決め付けだろうがッ!」

ケルスは大きく剣を左斜め上に振り上げて、マルスを弾き飛ばすとそう叫んだ。
そして、そのまま剣を振り回しながらマルスを叩き斬らんとばかりに剣を振り回していく。だが、あくまでもマルスは平静を装いながら剣を交わしていく。
そして、余裕のある表情を浮かべながらケルスの剣を自らの剣で受け止めるたかと思うと、そのままケルスを自らの足で蹴り飛ばす。
蹴り飛ばされて地面の上を転がり、大の字になったケルスの上に馬乗りになり、その首元に自らの剣を突き付けながら言った。

「決め付けではない。人類が愚かな事は歴史が証明しておるではないか」

マルスは歴史上の悲惨な例を述べ、人類の愚かさをくどくどと語っていくが、それでもケルスは動揺する様子は見せない。それどころか眉一つ動かしていない。この瞬間がマルスの命取りになったといえばそうに違いない。或いは熱烈に語り過ぎるあまりにその顔を近付け過ぎたのが主な要因であるかもしれない。
ケルスはマルスの頭に自らの頭をぶつけて、一瞬ではあるものの彼の視界を奪い、そのまま背中を掴んで反対にマルスを地面へと組み伏せたのである。
マルスは慌てて起きあがろうとしたのだが、ケルスがその前に剣身をケルスに突き付けた事により勝負は逆転した。

「これで形成逆転だな?その上でお前に先程の問い掛けに答えよう。“人はやり直せる”これがオレの答えだ。お前だって例外じゃないさ。やり直せない人間なんていないんだ。よかったらでいい。オレとやり直せないか?」

「……それはなんの本の知識だ?兄上?」

マルスは皮肉たっぷりにかつての様に『兄上』と言い放つ。だが、ケルスは気にする事なく話を続けていく。

「本の知識じゃない。オレ自身が思う事さ……さぁ、やり直そう」

「クックッ、おめでたい人だ。本ばかり読んでいて、或いはお勉強のし過ぎで頭がでっかくなってしまったのか知らんが、あんたの頭はでっかちだ。こうと決めたらそうだと信じて動かない」

「……何が言いたい?」

「簡単な話さ、あんたはその言葉に反論が浴びせられるとは思ってもないだろ?」

その言葉を聞いてケルスの表情が微かに動揺したのをマルスは見逃さなかった。この心の隙間を逃さないマルスではない。彼は一気に反論の言葉を畳み掛けていく。

「“本人は変われても、周りの人は変えられない”世界の常識はこれさッ!仮に加害者が変わったとしても、被害を受けた人は忘れないんだよ、兄上。過去の仕打ちを、過去に自分がどの様な目に遭ったのかをなッ!」

「ち、違う!きっとその人が変わったんだったら被害を受けた人もーー」

「自分自身が殺されてもか?」

その言葉を聞いた途端にケルスは押し黙ってしまう。その瞬間にマルスは先程ケルスがしたのと同じ様に背中を掴んで投げ飛ばし、そのまま地面の上に捩じ伏せていく。
その上に馬乗りになり、剣を突き付けながら言った。

「無理だろ?そうなんだよ。自分が酷い目に遭ったというのに相手を許すなんて無理なんだよ……オレがあんたを許せない様にな、兄上……」

ケルスは確実に感じた。マルスが最後に溢した『兄上』という言葉には皮肉の意味が込められていなかったという事を。
同時に自分の顔の上に一粒の涙が落ちたという事も。部下に見えないから彼は自身の本音を吐露してみせたのだろう。
皮肉のない『兄上』という言葉と一粒の涙がその証といえる。同時にケルスは直感した。弟を魔王に変えてしまったのは自分自身のせいである、と。
あの時エレクトラのいう事を黙認せずに明確に反対していれば、弟はここまで追い込まれなかったのではないか。
無論、その代償に殺されてやるわけにはいかない。代わりにケルスはマルスの頬に優しく手を触れて、そのまま優しく撫でていくのであった。

「……なんのつもりだ?」

「お前もオレもまだ小さかった頃の話だよ、お前は幼い頃怖い夢を見るたびにこうしてオレのベッドの中に潜り込んできたな」

「……めろ」

「覚えとるか?あの雷が降ったの日の夜……怖くて寝れないと部屋の扉を叩いてーー」

「やめろと言っているんだッ!」

マルスは全てを忘れて思いのままに叫んだ。
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