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第五章『例え、激闘が起ころうとも、旋風が巻き起ころうとも、この私が竜となり、虎となり、全てをお守り致しますわ』
思い出の糸車はずっとあなたのもの
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その晩、庶民に扮して王都の街を訪れていたヒューゴは心ゆくまでにクライン王国最後の晩を楽しんでいた。
酒場をはしごし、馴染みの店の前を訪れていく。
しかし、それでも最後に足を運んだ先はやはり駆除人ギルドであった。
駆除人ギルドの扉を開くと、そこにはカーラやレキシー、クイントン、ギルドマスターにヴァイオレットといういつもの面々が顔を揃えていたのである。
「なるほど、お馴染みの面々が勢揃いってわけか」
ヒューゴは感心したように言った。
「その通り、お前さんにアンリナ一世を仕留めた報酬を渡してやろう」
ギルドマスターはそう言ってバーカウンターの下に用意していた金が入った袋を取り出す。
ヒューゴは口角を上げて、
「確かに」
と、懐の中に報酬として渡された袋を仕舞い込んだのである。
ヒューゴは懐に仕舞い込んだはずの袋をなぜか、もう一度バーカウンターの前にある椅子の上に腰を掛け、そのまま金の入った袋を金貨の上に置いたのである。
「今日はオレに奢らせてくれよ」
「あら、珍しいですわね。ヒューゴさんが奢ってくださるなんて」
カーラは感心したように言った。
ヒューゴはカーラの言葉に右目の瞼を閉じ、いたずらっぽい表情を浮かべながら笑ってみせた。
「へへ、最後の夜だからな。これくらいは奢らせてくれよ」
「ありがとう。ヒューゴさん」
カーラは愛らしい笑みを浮かべる。その何気ない仕草がヒューゴの胸を打った。
王として認められた日、フィンに向かって宣言した通りだ。自分はまだカーラのことが好きなのだ。カーラの笑みを見るたびに自身の胸の内に大きな高鳴りが生じるのがその証拠である。この意見に関しては誰にも否定はさせたくない。
ここまで振り返ったところで自分の気持ちに嘘偽りはない。ならば、はっきりというべきだ。自分は明日になればオルレアンスへと旅立つ身であるのだから。
今この瞬間こそ自身が長らく抱えていた恋の思いを伝える絶好の機会であるのだ。天が自分に対してそうした機会を与えてくれているように思えてならなかったのだ。
そう決めたヒューゴはカーラのグラスの中へと蜂蜜酒の入った瓶を注いでいく。
いつも通りに酒を入れられたはずであるのだが、ヒューゴは考え事に夢中になっていたせいもあり、酒が溢れかえるまでの量をグラスの中へと入れてしまっていた。
その様子を見たカーラは意外だと言わんばかりに目を丸くしていた。
「どうしたんですの?ヒューゴさんらしくもない」
満杯にまで入ったグラスにカーラは慌てて口をつける。精一杯に酒が吹きこぼれないように努力している姿がヒューゴにはまたいじらしく見えた。
ヒューゴは頭を掻きながら言い訳を取り繕うとしたが、その瞬間に思い直したのであった。
「実はですね、おれがこうしたことをしてしまったのには深いわけがあるんですよ」
「深いわけ?それはどういうことですの?」
「それはーー」
ヒューゴが理由を話そうとした時だ。酒場の扉が開き、マチルダ・バロウズの姿が見えた。
マチルダは息を切らしていたものの、すぐに呼吸を整えていく。恐らく、今日でヒューゴが立ち去ると聞いて、絶対にここへ寄るということを感じ取っていたのだろう。
屋敷を抜け出して走ってきたに違いない。
その後にはヒューゴの元に駆け寄り、懐から指輪を取り出す。
銀色の飾り気のない地味な指輪である。これは大貴族が相手への求婚に使う由緒ある指輪であった。
ヒューゴが自身に起きた出来事が信じられずに目を白黒とさせていると、マチルダはヒューゴの前に頭を垂れ、その手を取り、手の甲の上へと口付けを落としていく。
「……オルレアンス王国人民の守護者、ヒューゴ・ド=ゴール陛下。私は初めて出会った時よりあなた様をお慕い申しておりました。しかし、私はクライン王国バロウズ公爵家の令嬢、対するあなた様はオルレアンス王国の国王……釣り合うことがないことはわかっております。ですが、その上で申し上げさせていただきます。陛下、どうか私と婚約を結んでいただけないでしょうか?」
求婚を求める言葉を聞いていたヒューゴはすっかりと固まってしまっていた。まるで、石像のように固まってしまっていたことが印象的である。
その後も言葉が出てこなかったのか、しばらくの間はまじまじとした様子で相手を見つめていた。
だが、なんとか正気を取り戻してマチルダを見つめ直したのである。
「……キミの言葉通り、喜んでというわけにはいかない。おれもキミも立場がある。それに……おれには好きな人がいるんだ」
ヒューゴの視線がカーラへと向かっていく。その姿を見たマチルダは指輪を落として泣き叫んでいく。
同時に彼女は理解した。自分にとっての初恋が終わってしまった瞬間を。生まれて初めて芽生えた恋の花が枯れてしまったことを。自分にとって永遠の王子様が自分の前から立ち去ってしまったということを。
本来であるのならば貴族の令嬢が泣くなど考えられないことだ。とりわけバロウズ家においては人前で涙を見せることは恥だとされている。
それでも彼女は泣かずにはいられなかった。
初恋が破れたということはそれほどまでに大きいことであったのだ。
ヒューゴはそんなマチルダを優しく慰めていたのである。
傍目から見ればヒューゴとマチルダの組み合わせはカーラから見ては魅力的な組み合わせに見えた。
少なくとも表面上は理想の組み合わせのように思われた。
カーラはそんな二人に対して優しく優しい酒を勧めたのである。
「カーラ、これは?」
「私からの奢りですわ。お二人様がとても素敵な組み合わせに思えたものですから」
二人は顔を見合わせて笑みを浮かべていた。マチルダの目は赤く腫れていたものの、それでも涙を見せることはなかった。
マチルダは自分にとって憧れの存在であったカーラから『素敵な組み合わせ』と褒められたことが何よりも嬉しかった。
二人は朝まで酒を啜りながら肩を寄せ合っていたのである。
その様子をどこかカーラは寂しげな目で見つめていた。
その隣にいたレキシーもどこか複雑な目でヒューゴを見つめていた。
そして青空が広がり、それによって隠れていた太陽が顔を晒し、窓の外から朝の光が差し込み、人々に活性力を与える時間帯になった頃に二人はようやく席を立ち上がったのである。
「本日は私のためにお付き合いいただき誠にありがとうございます。陛下との最後のお酒、本当に楽しゅうございましたわ」
「……こちらこそ、求婚を受け入れることができずに申し訳なかった」
「いいえ、私の方こそ……それでは失礼致します。陛下、どうか今後もお元気で……」
マチルダはそう言って頭を下げると、振り向きもせずに酒場を後にしたのである。
ひどく寂しげな背中からは悲恋の形そのものが表されていたように思える。
ヒューゴもそろそろ時間になったのか、席を立ち上がろうとした時だ。
レキシーによって腕を引っ張られ、強制的に席の上へと座らされてしまう。
「な、何をするんですか!レキシーさん!」
ヒューゴは咄嗟に抗議の言葉を叫んだが、レキシーは無視して話を続けていく。
「ねぇ、ヒューゴ。西に向けての旅の帰りにあたしが言った言葉を覚えてるだろ?」
ヒューゴの脳裏にはレキシーの言葉が思い浮かんでいく。
多くの湯気が立ち昇る天然の温泉。その湯上がりに散歩をしている時にレキシーと交わした言葉である。
あの時、確かにレキシーは温泉近くのためか、妙に水気を帯びた暗い木々が続く道の真ん中で、自分を手助けするという旨を語っていた。
その言葉を聞いた時にヒューゴはどこか嬉しかったのが覚えている。
レキシーは自分の味方なのだ、という事実はヒューゴにとって何よりも心強い支えとなっていたのだ。
そのレキシーが今クライン王国を立ち去ろうとしているヒューゴに対して相手を射抜かんばかりの鋭い視線で睨んでいることに気が付いた。
つまり、それは早く自分にとっての想いを伝えろということに他ならなかった。
そうだ。何を躊躇うことがある。
ヒューゴは目の前で事態が飲み込めずにぼんやりとしているカーラに向かって大きな声を張り上げて、自身の思いを語っていく。
「カーラ・モルダー男爵夫人ッ!いいや、カーラ!おれはあんたのことが好きだッ!ずっとあんたと一緒に恋をしたいと思っていたんだッ!」
カーラは最初は言葉の意味が理解できずにいたようで、小首を傾げていたが、すぐに意味を理解して両頬を林檎のように赤く染め上げていく。
この時、レキシーの隣で酒を啜りながら二人の様子を見つめていたクイントンが恨めしげな目でヒューゴを睨んでいたが、レキシーがクイントンの腕をつねったことによって余計な言葉が入ることはなかった。
「そ、それは……わ、私と」
「その通りだッ!マチルダの求婚を蹴ったのはあんたが原因なんだッ!頼むッ!おれと付き合ってくれよッ!」
カーラは困惑していた。まさか、ヒューゴから愛を訴え掛けられるとは思いもしなかったのだ。
カーラにとってのヒューゴはあくまでも大事な仲間。時たまに軽口を言い合い、時には背中を預けて戦い合うもっとも頼りになる存在。それがヒューゴであったのだ。
ヒューゴからの求婚を受けて、当惑しているカーラに対してレキシーがヒューゴを助勢すべく酒の入った杯を片手に真横から応援の言葉を飛ばす。
「いいよ、ついでにあんたも足を洗いな。そろそろ潮時なんだよ。オルレアンスの王妃っていうのも悪くはないと思うよ」
「私が……王妃?」
王妃。それは世界中の女児が幼い頃には憧れる存在であり、夢にしていく存在である。煌びやかなドレスを身に纏い、綺麗な頭飾りを髪の上に飾り、薄くはあるけれども上品な化粧を顔に纏わせ、社交界で微笑みを向ける王様に並ぶ国の象徴として現在は多くの人々が認識している。
カーラも幼い頃、ベクターと婚約者として結ばれる前までは、歳を重ねていくにつれて王妃に課せられる辛い現実を知るまでは王妃という存在に強く憧れていたのを覚えている。
その自分がこの場の返答次第では王妃となるのだ。
だが、一度はフィンからの求婚も断っている身だ。今更ヒューゴからの申し出を受けても良いものなのだろうか。
カーラは背後で黙々と酒を啜るレキシーを見やっていく。
この時レキシーは敢えて無愛想な声で突き放すように言った。
「あたしのためなんて理由はいいよ、あんたが何を選べば幸せになるかを選べばいい。あたしには止める権利もないからねぇ」
これによってレキシーを言い訳に逃げることは出来なくなった。カーラはどうしたら良いのかと心を迷わせていた。
それでも迷うカーラにクイントンが発破をかけていく。
「お嬢様、はっきり返答をなさいませ。誰に遠慮することもありません。お嬢様が行きたいと思う道をお選びになられればよろしいのです!」
カーラはその言葉に対して動揺を隠すことができなかった。
だが、それでも単なる情の問題以上に道徳的な問題がカーラの選択肢を狭めようとしていた。
それは害虫駆除人とは言いつつも、多くの人を冥界王の元へと送った自分にそんな幸運があってもいいものかと思案していたのだ。
「悩んでるんだろ?わかるよ、けどさ、どうせ冥界王に魂を食われるんならさ、今生きている間は幸せになってもいいんじゃあないかな?」
ヒューゴはカーラの心境を見透かしていたらしい。これで道徳という言い訳もできなくなった。
あとはカーラの気持ち次第である。いつまでも悩んでいたかったが、それはできない。着実に朝というものは迫ってきている。
ヒューゴにも準備がある。そろそろ屋敷に戻らなくてはならない。
確実な答えを出さなねばならないのだ。しっかりと自分の意見を伝えなければヒューゴにも迷惑が掛かってしまう。
頭ではわかってとても結論は出てこない。それでもなんとかして悩み抜いた末に出した結論は否定の言葉であった。
ヒューゴからのオルレアンス王国国王からの求婚を蹴った理由であるが、やはりカーラとしてはヒューゴを愛する人として見ることができないというものであった。本来であるのならば王妃になれる機会などあるはずがないのに、カーラはそれを断った。
そのことについて、カーラは懸命に謝罪した。それでもカーラの心の中においてはヒューゴという人物は自分にとって大事な仲間であるという心持ち以上の心境へと至ることはなかったのだ。
ヒューゴはカーラからの言葉を聞くと、半ば気落ちしたように両肩を落としていた。
ハハと乾いた笑いさえ口から漏れていた。当たり前だろう。自分を心から慕っているというクライン王国有数の門閥貴族の令嬢であるマチルダからの求婚を蹴ってまで、カーラを慕っているということを伝えたのに、肝心のカーラからは明確な拒絶の言葉を言われてしまったのだから。
乾いた笑みの次に出たのは涙である。両方の瞳から滝のように透明の涙が溢れていくのだ。
出たのは涙ばかりではない。嗚咽の声も同時に出た。ヒューゴの姿からは見ていて気の毒になるほどの憔悴した様子が見受けられた。
だが、ヒューゴは無理矢理自身の両目を袖で拭うと、無理に笑って見せたのである。
「振られてしまったのなら仕方がありませんね。あなたとオルレアンスに行くことはもう二度とできないでしょうけど、どうか、お元気でいてくださいね」
ヒューゴから出た言葉には心よりの気遣いが込められている。それは例えるのならば自分は愛する人に振り向いてはもらえなかったものの、それでもまだ心の片隅には好きだという感情が残っている。そんな哀れな男から送るせめてもの贈り物であったともいえるだろう。
ヒューゴはそのまま立ち去ろうとしたが、扉をくぐる前に何を思い立ったのか、不意に立ち止まり、カーラの方を向くと叫んだのである。
「カーラッ!よかったら帰る前に見送りに来てくれないかな?」
「わ、私が?それはよろしゅうございますけれども、またどうして?」
「おれ、糸車が欲しくてさ。見送りの時にきみが使っている糸車を持ってきてもらいたいんだ。最後の我儘として聞いてくれよ」
糸車とはまた妙なものを欲しがるものだ。カーラはその意味が分からずに呆然としていると、ヒューゴは優しい笑みを浮かべながら糸車をどんな目的で使うのかを語っていく。
ヒューゴはカーラから貰った糸車を趣味として使うつもりでいた。
それで時たまにカーラやクライン王国をと想いながら過ごしたいというヒューゴの我儘であった。
カーラはその我儘を快く了承するのであった。それは哀れみからであったのか、それとも長らく時を過ごした仲間へのせめてもの手向けであったのかは当のカーラ本人にも分からなかった。
こうして、ヒューゴ・ド=ゴールは祖国オルレアンス王国の国王として人民を守護するため駆除人ギルドを脱会したのであった。
そして、その日の朝、ピエール・メレンザ将軍やクライン王国からの護衛兵に囲まれながらクライン王国の王都を立とうとした時だ。
カーラが約束の通り、糸車を差し出したのである。今回の謀反計画の一端を担うカーラであったので、メレンザ将軍も止めることはせずに黙認していた。
護衛の兵士たちには手を出すなとさえ厳命していた。
ヒューゴは表面上は一度しか会ったことがない男爵夫人に糸車を渡されて困惑する演技を見せてみたが、苦笑をする真似をしながら受け取ったのである。
この時に互いの心と心では密かにさようならを言い合っていたのである。
ヒューゴは糸車を受け取った後、何を言うこともなく前を向いて王都を、クライン王国そのものを立ち去っていくのであった。
恐らく、もう二度と会えぬであろうその背中をカーラは見送りっていたのである。このままカーラはヒューゴとの別れを引き摺り、しばらくは何も手が付かないものであるかと思われた。
だが、その夜カーラはまたしても屋敷を抜け出していたのだ。
前回抜け出した目的は必ず思い出の深い場所としてゴーネが経営する酒場を訪れるであろうヒューゴを待ち伏せするためであったが、今回の目的は久し振りの害虫駆除である。ヒューゴを酒場から見送った後にギルドマスターによって久し振りに執り行う駆除がその目的であった。
ギルドマスターによれば警備隊や自警団の感心はオルレアンス王国に釘付けになっており、すっかりと駆除人ギルドのことを忘れてしまっただろうという見通しによって久し振りに裏のコネクションを利用して仕事を取り入れたのである。
その久し振りに行う駆除の記念するべき標的は夜ごとに民家のゴミを荒らし、窃盗行為を繰り返すゴミ漁りのジョニーという男であった。
この男は警備隊や自警団を言いくるめてゴミ回収を行い、人々に対して嫌悪を与えているばかりか、自身が警備隊の上層部との繋がりがあることを利用して抗議した男を冥界王の元へと送っていた極悪人である。
そればかりではない。男は回収したゴミから民家に住む人々の弱みを握り、人々を脅していた卑劣漢でもあったのだ。
許してはおけない。カーラはそんな正義感じみた決意を秘めながらゴミ漁りのジョニーが出る場所を探していた。
ギルドマスターからは住宅が密集している場所にジョニーが出るという話を聞いていたが、なかなか見つからない。
カーラが半ば絶望した表情を浮かべながら溜息を吐いていると、ふとどこかから小さな灯りが溢れていることが引っ掛かった。
一体、なんなのであろうか。カーラが気になって光を追っていくと、そこには小さなランプを持参していたと思われる荷車の上に置いて、ゴミ漁りを夢中になって漁っている小太りの男の姿が見えた。
この男で間違いはあるまい。肩に手を掛けて、強制的に自身の方を向かせたのである。
「なんだ、お前は?」
男が振り向いた。肥大した鼻や巨大な太い眉毛が特徴のなんとも気持ちの悪い顔が確認できた。
例えるのならば砲丸か何か固いものを顔の真ん中に喰らってそのまま元に戻らなかったような顔をしていた。
それでもカーラは負けることなく、精一杯の笑顔を浮かべながら応対を行う。
「あら、失礼致しましたわ。私の名前はカーラ、カーラ・モルダーと申しますわ。男爵夫人を務めおりますの。以後お見知り置きを」
「男爵夫人?ふん、嘘をつけ、だいたい、人が熱心に活動しているところを邪魔しやがって、おれは気を害した。法的な処置をとらせてもらうぞ」
男は鼻息を荒くしながら言った。どこまでも醜悪な顔と体型だ。カーラの目には嫌悪感の色さえ映っていた。
だが、敢えてここは笑顔で応じることにした。カーラは貴族夫人が浮かべるのに相応しい上品な笑みを携えながら話を続けていく。
「まぁ、そう仰らないでくださいな。ゴミ漁りのジョニーさん」
この一言が効いたらしい。
「な、なんだと!おれは猟師のジョニーだッ!バカにするなッ!」
と、ジョニーは自身の体型に屈することもなく、拳を振り上げながらカーラの元へと向かっていく。
余程、『ゴミ漁り』という二つ名で呼ばれたことが悔しかったのだろう。
だが、そんな男の意思など知るはずがない。カーラはその拳を受け止めたかと思うと、そのまま男の右腕を掴み、地面の上へと叩き付けたのである。
困惑する男が頭を押さえているところにカーラは強烈な鳩尾を喰らわせたのである。
夜が明けるまで時間は長い。たっぷりと楽しませてもらおうではないか。
カーラは気絶した男を男が使っていた荷車の中に載せると、山の奥へと運んでいくのである。
このような卑劣な男には『血吸い姫』がきつい仕置きを食らわせてやらねばならないのだ。
カーラはそんなことを考えながら荷車を引いていく。男はその後にどうなったのかを知るのは『血吸い姫』ことカーラ・モルダーのみである。
翌日の夜にギルドを訪れると、ギルドマスターが歓喜の声を上げながらカーラを迎え入れた。
「いやぁ、助かったよ!あの野郎、実は多くの人を脅迫していたらしくてね。今日の朝にも哀れな家庭を脅迫するつもりだったらしい」
ギルドマスターが歓喜の声を上げて出迎えた。
「あら、そんな方でしたのね。ならば、駆除させていただいて成功でしたわ」
カーラはどこか済ました表情で酒を啜りながら答えていく。
「しかし、今回も恐ろしい仕置きをしてくれたみたいだね。まさか、形すら発見されないなんてね」
「あら、あのお方はそうなって当然のお方でしてよ、あのお方の脅迫のせいでどれだけの家庭が壊れてしまったか……」
「まぁ、ヒューゴの一件を気にすることなく、お前さんが仕事に専念できたようでよかったよ」
「えぇ、私は腕利きの駆除人ですもの、終わってしまったことは一々引き摺りませんのよ」
それでも、グラスを見つめるカーラの表情はどこか暗かった。
ギルドマスターがなんと声を掛けたらいいのかと困惑していた時だ。
扉を開いてレキシーが入ってきた。
「マスター、あたし、強めの酒飲みたい気分なんだけど、いい?」
レキシーはいつもより機嫌が良さげであった。大方、今日の診療に顔の良い男でもきたのだろうと、カーラは推測していた。
「しょうがねぇな。これ飲んだら早く依頼を引き受けてくんなよ」
ギルドマスターはそんなレキシーに何をいうまでもなく、どこか困ったように眉を八の字にしながら酒を手渡すのであった。
「あいよ!」
レキシーはギルドマスターから渡された強めの酒を飲み干し、袖で口元を拭うと、依頼の話に入っていくのである。
話によればレキシーが担当する次の標的は悪徳医者であるらしい。
医者でありながら金儲けばかりを考えて、しまいには密輸業者と結託して麻薬を垂れ流すような悪徳医者だそうだ。
話を聞く限りはなかなか大変そうに思えた。それ故にカーラは助け舟を出したのである。
「もし、よろしければ私もお手伝いして差し上げましょうか?お義母様」
カーラは親しみを込めた呼び方でレキシーに向かって提案を投げ掛けた。
「いいよ、いいよ、そんな奴くらいあたしの毒で瞬時に仕留めてやるさ。大丈夫だって」
レキシーは屈託のない笑みを浮かべていたものの、言葉の端からは不安が滲み出ていた。
やはり、ここは手助けをした方がよかろう。
カーラはもう一度、今度は強い口調で駆除の手助けを申し出たのである。
義娘にここまで強く言われれば流石のレキシーも折れるより他に仕方がなかった。
レキシーはギルドマスターから前金を受け取ると、カーラにその前金の一部を手渡す。
こうすることで駆除の分担作業を行うことに同意の意思を示したことになる。
ギルドマスターは二人の取り決めが結ばれたことを確認し、ここで依頼者から仕入れた興味深い話を二人に向かって語っていく。
「実はな、今回の駆除には前回『ジャッカル』との抗争の際に囚われたお姫様が関わっていてな」
ギルドマスターの話ぶりから察するにその『お姫様』というのは菓子店の奉公人であるアメリアのことで間違いないだろう。
ここで、カーラの顔つきが変わった。両目の目つきが鋭くなっていく。まるで、相手を威嚇する猛禽類のようであった。『ジャッカル』によって無関係の人間が巻き込まれてしまったことを思い出したのだろう。
「……その話、詳しくお聞かせ願えませんか?」
ギルドマスターは首を縦に動かす。そして、二人にとっても因縁が深い話が再び浮かび上がっていくことになったのだ。
あとがき
本日は投稿が翌日となってしまい誠に申し訳ございません。本日は色々と不都合なことが重なってしまい、期日中に提出することができませんでした。
皆様に心よりお詫びを申し上げます。
ただ、私としましても私生活の方でただならぬ事情があったり、何をやってもうまくいかないというジレンマなどが蔓延り、また、用事の方を最優先に進めたために原稿への取り組みが遅くなったりという事情が重なってしまい、このような時間帯になってしまいました。
今回の話も心血注いで作ったということだけは伝えさせていただきます。
酒場をはしごし、馴染みの店の前を訪れていく。
しかし、それでも最後に足を運んだ先はやはり駆除人ギルドであった。
駆除人ギルドの扉を開くと、そこにはカーラやレキシー、クイントン、ギルドマスターにヴァイオレットといういつもの面々が顔を揃えていたのである。
「なるほど、お馴染みの面々が勢揃いってわけか」
ヒューゴは感心したように言った。
「その通り、お前さんにアンリナ一世を仕留めた報酬を渡してやろう」
ギルドマスターはそう言ってバーカウンターの下に用意していた金が入った袋を取り出す。
ヒューゴは口角を上げて、
「確かに」
と、懐の中に報酬として渡された袋を仕舞い込んだのである。
ヒューゴは懐に仕舞い込んだはずの袋をなぜか、もう一度バーカウンターの前にある椅子の上に腰を掛け、そのまま金の入った袋を金貨の上に置いたのである。
「今日はオレに奢らせてくれよ」
「あら、珍しいですわね。ヒューゴさんが奢ってくださるなんて」
カーラは感心したように言った。
ヒューゴはカーラの言葉に右目の瞼を閉じ、いたずらっぽい表情を浮かべながら笑ってみせた。
「へへ、最後の夜だからな。これくらいは奢らせてくれよ」
「ありがとう。ヒューゴさん」
カーラは愛らしい笑みを浮かべる。その何気ない仕草がヒューゴの胸を打った。
王として認められた日、フィンに向かって宣言した通りだ。自分はまだカーラのことが好きなのだ。カーラの笑みを見るたびに自身の胸の内に大きな高鳴りが生じるのがその証拠である。この意見に関しては誰にも否定はさせたくない。
ここまで振り返ったところで自分の気持ちに嘘偽りはない。ならば、はっきりというべきだ。自分は明日になればオルレアンスへと旅立つ身であるのだから。
今この瞬間こそ自身が長らく抱えていた恋の思いを伝える絶好の機会であるのだ。天が自分に対してそうした機会を与えてくれているように思えてならなかったのだ。
そう決めたヒューゴはカーラのグラスの中へと蜂蜜酒の入った瓶を注いでいく。
いつも通りに酒を入れられたはずであるのだが、ヒューゴは考え事に夢中になっていたせいもあり、酒が溢れかえるまでの量をグラスの中へと入れてしまっていた。
その様子を見たカーラは意外だと言わんばかりに目を丸くしていた。
「どうしたんですの?ヒューゴさんらしくもない」
満杯にまで入ったグラスにカーラは慌てて口をつける。精一杯に酒が吹きこぼれないように努力している姿がヒューゴにはまたいじらしく見えた。
ヒューゴは頭を掻きながら言い訳を取り繕うとしたが、その瞬間に思い直したのであった。
「実はですね、おれがこうしたことをしてしまったのには深いわけがあるんですよ」
「深いわけ?それはどういうことですの?」
「それはーー」
ヒューゴが理由を話そうとした時だ。酒場の扉が開き、マチルダ・バロウズの姿が見えた。
マチルダは息を切らしていたものの、すぐに呼吸を整えていく。恐らく、今日でヒューゴが立ち去ると聞いて、絶対にここへ寄るということを感じ取っていたのだろう。
屋敷を抜け出して走ってきたに違いない。
その後にはヒューゴの元に駆け寄り、懐から指輪を取り出す。
銀色の飾り気のない地味な指輪である。これは大貴族が相手への求婚に使う由緒ある指輪であった。
ヒューゴが自身に起きた出来事が信じられずに目を白黒とさせていると、マチルダはヒューゴの前に頭を垂れ、その手を取り、手の甲の上へと口付けを落としていく。
「……オルレアンス王国人民の守護者、ヒューゴ・ド=ゴール陛下。私は初めて出会った時よりあなた様をお慕い申しておりました。しかし、私はクライン王国バロウズ公爵家の令嬢、対するあなた様はオルレアンス王国の国王……釣り合うことがないことはわかっております。ですが、その上で申し上げさせていただきます。陛下、どうか私と婚約を結んでいただけないでしょうか?」
求婚を求める言葉を聞いていたヒューゴはすっかりと固まってしまっていた。まるで、石像のように固まってしまっていたことが印象的である。
その後も言葉が出てこなかったのか、しばらくの間はまじまじとした様子で相手を見つめていた。
だが、なんとか正気を取り戻してマチルダを見つめ直したのである。
「……キミの言葉通り、喜んでというわけにはいかない。おれもキミも立場がある。それに……おれには好きな人がいるんだ」
ヒューゴの視線がカーラへと向かっていく。その姿を見たマチルダは指輪を落として泣き叫んでいく。
同時に彼女は理解した。自分にとっての初恋が終わってしまった瞬間を。生まれて初めて芽生えた恋の花が枯れてしまったことを。自分にとって永遠の王子様が自分の前から立ち去ってしまったということを。
本来であるのならば貴族の令嬢が泣くなど考えられないことだ。とりわけバロウズ家においては人前で涙を見せることは恥だとされている。
それでも彼女は泣かずにはいられなかった。
初恋が破れたということはそれほどまでに大きいことであったのだ。
ヒューゴはそんなマチルダを優しく慰めていたのである。
傍目から見ればヒューゴとマチルダの組み合わせはカーラから見ては魅力的な組み合わせに見えた。
少なくとも表面上は理想の組み合わせのように思われた。
カーラはそんな二人に対して優しく優しい酒を勧めたのである。
「カーラ、これは?」
「私からの奢りですわ。お二人様がとても素敵な組み合わせに思えたものですから」
二人は顔を見合わせて笑みを浮かべていた。マチルダの目は赤く腫れていたものの、それでも涙を見せることはなかった。
マチルダは自分にとって憧れの存在であったカーラから『素敵な組み合わせ』と褒められたことが何よりも嬉しかった。
二人は朝まで酒を啜りながら肩を寄せ合っていたのである。
その様子をどこかカーラは寂しげな目で見つめていた。
その隣にいたレキシーもどこか複雑な目でヒューゴを見つめていた。
そして青空が広がり、それによって隠れていた太陽が顔を晒し、窓の外から朝の光が差し込み、人々に活性力を与える時間帯になった頃に二人はようやく席を立ち上がったのである。
「本日は私のためにお付き合いいただき誠にありがとうございます。陛下との最後のお酒、本当に楽しゅうございましたわ」
「……こちらこそ、求婚を受け入れることができずに申し訳なかった」
「いいえ、私の方こそ……それでは失礼致します。陛下、どうか今後もお元気で……」
マチルダはそう言って頭を下げると、振り向きもせずに酒場を後にしたのである。
ひどく寂しげな背中からは悲恋の形そのものが表されていたように思える。
ヒューゴもそろそろ時間になったのか、席を立ち上がろうとした時だ。
レキシーによって腕を引っ張られ、強制的に席の上へと座らされてしまう。
「な、何をするんですか!レキシーさん!」
ヒューゴは咄嗟に抗議の言葉を叫んだが、レキシーは無視して話を続けていく。
「ねぇ、ヒューゴ。西に向けての旅の帰りにあたしが言った言葉を覚えてるだろ?」
ヒューゴの脳裏にはレキシーの言葉が思い浮かんでいく。
多くの湯気が立ち昇る天然の温泉。その湯上がりに散歩をしている時にレキシーと交わした言葉である。
あの時、確かにレキシーは温泉近くのためか、妙に水気を帯びた暗い木々が続く道の真ん中で、自分を手助けするという旨を語っていた。
その言葉を聞いた時にヒューゴはどこか嬉しかったのが覚えている。
レキシーは自分の味方なのだ、という事実はヒューゴにとって何よりも心強い支えとなっていたのだ。
そのレキシーが今クライン王国を立ち去ろうとしているヒューゴに対して相手を射抜かんばかりの鋭い視線で睨んでいることに気が付いた。
つまり、それは早く自分にとっての想いを伝えろということに他ならなかった。
そうだ。何を躊躇うことがある。
ヒューゴは目の前で事態が飲み込めずにぼんやりとしているカーラに向かって大きな声を張り上げて、自身の思いを語っていく。
「カーラ・モルダー男爵夫人ッ!いいや、カーラ!おれはあんたのことが好きだッ!ずっとあんたと一緒に恋をしたいと思っていたんだッ!」
カーラは最初は言葉の意味が理解できずにいたようで、小首を傾げていたが、すぐに意味を理解して両頬を林檎のように赤く染め上げていく。
この時、レキシーの隣で酒を啜りながら二人の様子を見つめていたクイントンが恨めしげな目でヒューゴを睨んでいたが、レキシーがクイントンの腕をつねったことによって余計な言葉が入ることはなかった。
「そ、それは……わ、私と」
「その通りだッ!マチルダの求婚を蹴ったのはあんたが原因なんだッ!頼むッ!おれと付き合ってくれよッ!」
カーラは困惑していた。まさか、ヒューゴから愛を訴え掛けられるとは思いもしなかったのだ。
カーラにとってのヒューゴはあくまでも大事な仲間。時たまに軽口を言い合い、時には背中を預けて戦い合うもっとも頼りになる存在。それがヒューゴであったのだ。
ヒューゴからの求婚を受けて、当惑しているカーラに対してレキシーがヒューゴを助勢すべく酒の入った杯を片手に真横から応援の言葉を飛ばす。
「いいよ、ついでにあんたも足を洗いな。そろそろ潮時なんだよ。オルレアンスの王妃っていうのも悪くはないと思うよ」
「私が……王妃?」
王妃。それは世界中の女児が幼い頃には憧れる存在であり、夢にしていく存在である。煌びやかなドレスを身に纏い、綺麗な頭飾りを髪の上に飾り、薄くはあるけれども上品な化粧を顔に纏わせ、社交界で微笑みを向ける王様に並ぶ国の象徴として現在は多くの人々が認識している。
カーラも幼い頃、ベクターと婚約者として結ばれる前までは、歳を重ねていくにつれて王妃に課せられる辛い現実を知るまでは王妃という存在に強く憧れていたのを覚えている。
その自分がこの場の返答次第では王妃となるのだ。
だが、一度はフィンからの求婚も断っている身だ。今更ヒューゴからの申し出を受けても良いものなのだろうか。
カーラは背後で黙々と酒を啜るレキシーを見やっていく。
この時レキシーは敢えて無愛想な声で突き放すように言った。
「あたしのためなんて理由はいいよ、あんたが何を選べば幸せになるかを選べばいい。あたしには止める権利もないからねぇ」
これによってレキシーを言い訳に逃げることは出来なくなった。カーラはどうしたら良いのかと心を迷わせていた。
それでも迷うカーラにクイントンが発破をかけていく。
「お嬢様、はっきり返答をなさいませ。誰に遠慮することもありません。お嬢様が行きたいと思う道をお選びになられればよろしいのです!」
カーラはその言葉に対して動揺を隠すことができなかった。
だが、それでも単なる情の問題以上に道徳的な問題がカーラの選択肢を狭めようとしていた。
それは害虫駆除人とは言いつつも、多くの人を冥界王の元へと送った自分にそんな幸運があってもいいものかと思案していたのだ。
「悩んでるんだろ?わかるよ、けどさ、どうせ冥界王に魂を食われるんならさ、今生きている間は幸せになってもいいんじゃあないかな?」
ヒューゴはカーラの心境を見透かしていたらしい。これで道徳という言い訳もできなくなった。
あとはカーラの気持ち次第である。いつまでも悩んでいたかったが、それはできない。着実に朝というものは迫ってきている。
ヒューゴにも準備がある。そろそろ屋敷に戻らなくてはならない。
確実な答えを出さなねばならないのだ。しっかりと自分の意見を伝えなければヒューゴにも迷惑が掛かってしまう。
頭ではわかってとても結論は出てこない。それでもなんとかして悩み抜いた末に出した結論は否定の言葉であった。
ヒューゴからのオルレアンス王国国王からの求婚を蹴った理由であるが、やはりカーラとしてはヒューゴを愛する人として見ることができないというものであった。本来であるのならば王妃になれる機会などあるはずがないのに、カーラはそれを断った。
そのことについて、カーラは懸命に謝罪した。それでもカーラの心の中においてはヒューゴという人物は自分にとって大事な仲間であるという心持ち以上の心境へと至ることはなかったのだ。
ヒューゴはカーラからの言葉を聞くと、半ば気落ちしたように両肩を落としていた。
ハハと乾いた笑いさえ口から漏れていた。当たり前だろう。自分を心から慕っているというクライン王国有数の門閥貴族の令嬢であるマチルダからの求婚を蹴ってまで、カーラを慕っているということを伝えたのに、肝心のカーラからは明確な拒絶の言葉を言われてしまったのだから。
乾いた笑みの次に出たのは涙である。両方の瞳から滝のように透明の涙が溢れていくのだ。
出たのは涙ばかりではない。嗚咽の声も同時に出た。ヒューゴの姿からは見ていて気の毒になるほどの憔悴した様子が見受けられた。
だが、ヒューゴは無理矢理自身の両目を袖で拭うと、無理に笑って見せたのである。
「振られてしまったのなら仕方がありませんね。あなたとオルレアンスに行くことはもう二度とできないでしょうけど、どうか、お元気でいてくださいね」
ヒューゴから出た言葉には心よりの気遣いが込められている。それは例えるのならば自分は愛する人に振り向いてはもらえなかったものの、それでもまだ心の片隅には好きだという感情が残っている。そんな哀れな男から送るせめてもの贈り物であったともいえるだろう。
ヒューゴはそのまま立ち去ろうとしたが、扉をくぐる前に何を思い立ったのか、不意に立ち止まり、カーラの方を向くと叫んだのである。
「カーラッ!よかったら帰る前に見送りに来てくれないかな?」
「わ、私が?それはよろしゅうございますけれども、またどうして?」
「おれ、糸車が欲しくてさ。見送りの時にきみが使っている糸車を持ってきてもらいたいんだ。最後の我儘として聞いてくれよ」
糸車とはまた妙なものを欲しがるものだ。カーラはその意味が分からずに呆然としていると、ヒューゴは優しい笑みを浮かべながら糸車をどんな目的で使うのかを語っていく。
ヒューゴはカーラから貰った糸車を趣味として使うつもりでいた。
それで時たまにカーラやクライン王国をと想いながら過ごしたいというヒューゴの我儘であった。
カーラはその我儘を快く了承するのであった。それは哀れみからであったのか、それとも長らく時を過ごした仲間へのせめてもの手向けであったのかは当のカーラ本人にも分からなかった。
こうして、ヒューゴ・ド=ゴールは祖国オルレアンス王国の国王として人民を守護するため駆除人ギルドを脱会したのであった。
そして、その日の朝、ピエール・メレンザ将軍やクライン王国からの護衛兵に囲まれながらクライン王国の王都を立とうとした時だ。
カーラが約束の通り、糸車を差し出したのである。今回の謀反計画の一端を担うカーラであったので、メレンザ将軍も止めることはせずに黙認していた。
護衛の兵士たちには手を出すなとさえ厳命していた。
ヒューゴは表面上は一度しか会ったことがない男爵夫人に糸車を渡されて困惑する演技を見せてみたが、苦笑をする真似をしながら受け取ったのである。
この時に互いの心と心では密かにさようならを言い合っていたのである。
ヒューゴは糸車を受け取った後、何を言うこともなく前を向いて王都を、クライン王国そのものを立ち去っていくのであった。
恐らく、もう二度と会えぬであろうその背中をカーラは見送りっていたのである。このままカーラはヒューゴとの別れを引き摺り、しばらくは何も手が付かないものであるかと思われた。
だが、その夜カーラはまたしても屋敷を抜け出していたのだ。
前回抜け出した目的は必ず思い出の深い場所としてゴーネが経営する酒場を訪れるであろうヒューゴを待ち伏せするためであったが、今回の目的は久し振りの害虫駆除である。ヒューゴを酒場から見送った後にギルドマスターによって久し振りに執り行う駆除がその目的であった。
ギルドマスターによれば警備隊や自警団の感心はオルレアンス王国に釘付けになっており、すっかりと駆除人ギルドのことを忘れてしまっただろうという見通しによって久し振りに裏のコネクションを利用して仕事を取り入れたのである。
その久し振りに行う駆除の記念するべき標的は夜ごとに民家のゴミを荒らし、窃盗行為を繰り返すゴミ漁りのジョニーという男であった。
この男は警備隊や自警団を言いくるめてゴミ回収を行い、人々に対して嫌悪を与えているばかりか、自身が警備隊の上層部との繋がりがあることを利用して抗議した男を冥界王の元へと送っていた極悪人である。
そればかりではない。男は回収したゴミから民家に住む人々の弱みを握り、人々を脅していた卑劣漢でもあったのだ。
許してはおけない。カーラはそんな正義感じみた決意を秘めながらゴミ漁りのジョニーが出る場所を探していた。
ギルドマスターからは住宅が密集している場所にジョニーが出るという話を聞いていたが、なかなか見つからない。
カーラが半ば絶望した表情を浮かべながら溜息を吐いていると、ふとどこかから小さな灯りが溢れていることが引っ掛かった。
一体、なんなのであろうか。カーラが気になって光を追っていくと、そこには小さなランプを持参していたと思われる荷車の上に置いて、ゴミ漁りを夢中になって漁っている小太りの男の姿が見えた。
この男で間違いはあるまい。肩に手を掛けて、強制的に自身の方を向かせたのである。
「なんだ、お前は?」
男が振り向いた。肥大した鼻や巨大な太い眉毛が特徴のなんとも気持ちの悪い顔が確認できた。
例えるのならば砲丸か何か固いものを顔の真ん中に喰らってそのまま元に戻らなかったような顔をしていた。
それでもカーラは負けることなく、精一杯の笑顔を浮かべながら応対を行う。
「あら、失礼致しましたわ。私の名前はカーラ、カーラ・モルダーと申しますわ。男爵夫人を務めおりますの。以後お見知り置きを」
「男爵夫人?ふん、嘘をつけ、だいたい、人が熱心に活動しているところを邪魔しやがって、おれは気を害した。法的な処置をとらせてもらうぞ」
男は鼻息を荒くしながら言った。どこまでも醜悪な顔と体型だ。カーラの目には嫌悪感の色さえ映っていた。
だが、敢えてここは笑顔で応じることにした。カーラは貴族夫人が浮かべるのに相応しい上品な笑みを携えながら話を続けていく。
「まぁ、そう仰らないでくださいな。ゴミ漁りのジョニーさん」
この一言が効いたらしい。
「な、なんだと!おれは猟師のジョニーだッ!バカにするなッ!」
と、ジョニーは自身の体型に屈することもなく、拳を振り上げながらカーラの元へと向かっていく。
余程、『ゴミ漁り』という二つ名で呼ばれたことが悔しかったのだろう。
だが、そんな男の意思など知るはずがない。カーラはその拳を受け止めたかと思うと、そのまま男の右腕を掴み、地面の上へと叩き付けたのである。
困惑する男が頭を押さえているところにカーラは強烈な鳩尾を喰らわせたのである。
夜が明けるまで時間は長い。たっぷりと楽しませてもらおうではないか。
カーラは気絶した男を男が使っていた荷車の中に載せると、山の奥へと運んでいくのである。
このような卑劣な男には『血吸い姫』がきつい仕置きを食らわせてやらねばならないのだ。
カーラはそんなことを考えながら荷車を引いていく。男はその後にどうなったのかを知るのは『血吸い姫』ことカーラ・モルダーのみである。
翌日の夜にギルドを訪れると、ギルドマスターが歓喜の声を上げながらカーラを迎え入れた。
「いやぁ、助かったよ!あの野郎、実は多くの人を脅迫していたらしくてね。今日の朝にも哀れな家庭を脅迫するつもりだったらしい」
ギルドマスターが歓喜の声を上げて出迎えた。
「あら、そんな方でしたのね。ならば、駆除させていただいて成功でしたわ」
カーラはどこか済ました表情で酒を啜りながら答えていく。
「しかし、今回も恐ろしい仕置きをしてくれたみたいだね。まさか、形すら発見されないなんてね」
「あら、あのお方はそうなって当然のお方でしてよ、あのお方の脅迫のせいでどれだけの家庭が壊れてしまったか……」
「まぁ、ヒューゴの一件を気にすることなく、お前さんが仕事に専念できたようでよかったよ」
「えぇ、私は腕利きの駆除人ですもの、終わってしまったことは一々引き摺りませんのよ」
それでも、グラスを見つめるカーラの表情はどこか暗かった。
ギルドマスターがなんと声を掛けたらいいのかと困惑していた時だ。
扉を開いてレキシーが入ってきた。
「マスター、あたし、強めの酒飲みたい気分なんだけど、いい?」
レキシーはいつもより機嫌が良さげであった。大方、今日の診療に顔の良い男でもきたのだろうと、カーラは推測していた。
「しょうがねぇな。これ飲んだら早く依頼を引き受けてくんなよ」
ギルドマスターはそんなレキシーに何をいうまでもなく、どこか困ったように眉を八の字にしながら酒を手渡すのであった。
「あいよ!」
レキシーはギルドマスターから渡された強めの酒を飲み干し、袖で口元を拭うと、依頼の話に入っていくのである。
話によればレキシーが担当する次の標的は悪徳医者であるらしい。
医者でありながら金儲けばかりを考えて、しまいには密輸業者と結託して麻薬を垂れ流すような悪徳医者だそうだ。
話を聞く限りはなかなか大変そうに思えた。それ故にカーラは助け舟を出したのである。
「もし、よろしければ私もお手伝いして差し上げましょうか?お義母様」
カーラは親しみを込めた呼び方でレキシーに向かって提案を投げ掛けた。
「いいよ、いいよ、そんな奴くらいあたしの毒で瞬時に仕留めてやるさ。大丈夫だって」
レキシーは屈託のない笑みを浮かべていたものの、言葉の端からは不安が滲み出ていた。
やはり、ここは手助けをした方がよかろう。
カーラはもう一度、今度は強い口調で駆除の手助けを申し出たのである。
義娘にここまで強く言われれば流石のレキシーも折れるより他に仕方がなかった。
レキシーはギルドマスターから前金を受け取ると、カーラにその前金の一部を手渡す。
こうすることで駆除の分担作業を行うことに同意の意思を示したことになる。
ギルドマスターは二人の取り決めが結ばれたことを確認し、ここで依頼者から仕入れた興味深い話を二人に向かって語っていく。
「実はな、今回の駆除には前回『ジャッカル』との抗争の際に囚われたお姫様が関わっていてな」
ギルドマスターの話ぶりから察するにその『お姫様』というのは菓子店の奉公人であるアメリアのことで間違いないだろう。
ここで、カーラの顔つきが変わった。両目の目つきが鋭くなっていく。まるで、相手を威嚇する猛禽類のようであった。『ジャッカル』によって無関係の人間が巻き込まれてしまったことを思い出したのだろう。
「……その話、詳しくお聞かせ願えませんか?」
ギルドマスターは首を縦に動かす。そして、二人にとっても因縁が深い話が再び浮かび上がっていくことになったのだ。
あとがき
本日は投稿が翌日となってしまい誠に申し訳ございません。本日は色々と不都合なことが重なってしまい、期日中に提出することができませんでした。
皆様に心よりお詫びを申し上げます。
ただ、私としましても私生活の方でただならぬ事情があったり、何をやってもうまくいかないというジレンマなどが蔓延り、また、用事の方を最優先に進めたために原稿への取り組みが遅くなったりという事情が重なってしまい、このような時間帯になってしまいました。
今回の話も心血注いで作ったということだけは伝えさせていただきます。
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