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第六部『鬼麿神聖剣』

天魔衆との対決ーその12

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羽倉教の教祖、出雲五葉には秘策があった。彼女は時雨誠一郎、室井善弥の二名とは異なり、まだ本格的な妖魔術の姿を見せていない。
つまり、相手に自分はどのような妖魔術を使えるのかが分からないという状況が彼女にとっての一番の武器になるのだった。
先程の妖魔術も勿論、彼女の魔法の一つであったが、それでも全てではない。
彼女の妖魔術の凄さは本格的な“武器”を使える事にあると言っても良いだろう。
五葉ははやる気持ちを抑え、顎から下にかけて鉄扇を振るっていく。
孝太郎は顎を引き、五葉の攻撃を防ぐ。顎を引いた彼は次にもう一度頭上から刀を振り下ろし、彼女の頭を狙おうとしていたらしい。
無論、そんな事はさせない。
彼女は武器である筈の鉄扇を放り投げ、刀をそれに合わせている隙に、その場から逃げていく。
それから、二人は一定の距離を保ちながら睨み合っていく。
彼女がどうやって次の攻撃を仕掛けてやろうとか考えていると、彼は刀を両手で構えて、その刃を突きつけながら、
「お前の武器は無くなった。投降すればオレも命までは取らない」
彼女は目の前の赤い肌の男からその言葉を聞くなり、おかしくなり腹の底から笑いたいという衝動に駆られてしまう。
そして、耐えられなくなったのか、大きく声を上げて、嘲笑の声を上げていく。
「ハッハッ、本気で言っているの?あたしがあなたに屈するとでも?」
五葉は可愛らしいビー玉のように丸い瞳を細めて、彼を強い目線で睨む。
孝太郎はその形相の凄まじさに思わずたじろいでしまう。
それを見るなり、彼女はもう一度大きな声で笑っていく。
五葉は孝太郎の元へと駆け寄り、彼の懐の中に潜り込むのと同時に、両手を刀に変えて、彼の心臓を狙う。
孝太郎は咄嗟の出来事に判断が遅れてしまったのだろう。急所にその刃物が突き刺さる事だけは避けられたが、彼の右肩に五葉の腕が変化した刀が突き刺さってしまう。
孝太郎は悲鳴を上げて地面に倒れてしまう。
それを見た龍一郎は忍刀を構えて、慌てて彼の目の前へと駆け付ける。
無論、五葉は彼にもその刃を向けるが、孝太郎にとってその攻撃が予想外だったのに対し、龍一郎にとっては予想の範疇だったのがその後の行動を分けたのだろう。
彼の刀は持ち手が時たま、下方に下がりながらも、何とか五葉の腕を弾き返すことに成功したらしい。
五葉は小さな悲鳴を上げて、背後によろけてしまう。
龍一郎は右手で刀を構えつつ、孝太郎を抱き起こす。
彼は震える声で赤い肌の青年に向かって叫ぶ。
「孝太郎さん!しっかり!お願いします!ここであなたが殺されたらどうなるんですか!?」
だが、孝太郎は少年忍者の問い掛けには答えない。傷のためか虚な目で空を眺めていた。
返答が無い事に焦りを感じたのか、少年は涙を流しながら、彼を揺り起こしていく。
左肩を揺さぶられる中で、右肩にもその揺れが伝わったのだろう。
彼は激痛のために、空想上の世界から元の世界に引き戻されてしまう。
「すまない……今のオレはもう戦えん……だから、あいつの処理はお前に任せても良いか?」
「勿論!必ずあんな奴、オレが必ず仕留めてみせるよ!」
「それを聞いて安心したよ」
孝太郎は右腕を震わせながら、真上へと持ち上げていく。
持ち上がった右腕を見て、龍一郎は孝太郎の意図を察した。
彼は自身の左手で拳を作り、彼の拳と優しく交わさせる。
「後は任せてよ……必ず、天魔衆をこの手で討ち取ってみせるッ!」
龍一郎はそう言って両手で刀を握り、五葉の元へと向かう。
五葉は少年に負けじと、手を刀に変えた両腕を振って迎え撃つ。
刀と文字通りの手刀が金属音を立ててぶつかり合う。
空中から振られた二本の刀を彼は一本の刀だけで受け止め、火花が散るまで、その刀を重ね合わせていたが、何とか二本の刀を弾く事に成功する。
弾かれたために、五葉は一瞬ふらつきを覚えたが、直ぐに足を踏み留めて、もう一度龍一郎に斬りかかっていく。
二本の刀と一本の刀とが交じり合う形になるかと少年忍者はこの時に予測していたのだろう。
だが、彼の予想は悪い意味で裏切られる形になってしまった。
なんと、出雲五葉は彼に近付くのと同時に、全身を刀に変えて、彼に向かって来たのだから。
全身を刀にする妖魔術など彼には想像も付かなかったに違いない。
彼は足を大きく後退させ、受け止められる距離でようやく自身の刀を使って受け止める。
だが、全身を刀にしつつも、腕を剣に変えたものはそのまま使えるらしく、腕を伸ばし、彼の心臓を狙う。
その上、刀は先程とは異なり、前方も後方も尖った形となって襲ってきていた。
哀れなる少年は全体が刃物と化している女性の攻撃を受け止めておかねばならないだけではなく、二人の間に空いた僅かな距離から攻撃を仕掛ける二本の刀を避けなければならなかったのだ。
だが、龍一郎はここに来て機転を思い付く。落とし穴を仕掛ける子供のようにワクワクとした気分にはなれなかったが、それでも目の前の状況を打開できると考えると、彼の心の中の興奮は止まらなかったらしい。
だが、彼はあくまでも冷徹な表情を貫き、作戦を決行していく。
自身の妖魔術でもう一度隙間から繰り出された剣の尖っていない中心の箇所を糸で絡ませ、そして、剣を掴んだ糸を思いっ切り引っ張り、次に糸で彼女の腕を掴み、それから、腕を彼女が変化している大きな刃へと向ける。
糸に操られた二本の剣は本来だったのならば、彼女の大いなる武器になっていたに違いない。
だが、糸に操られた刀は逆に彼女を襲い、彼女の命を奪う結果となってしまったのだった。
五葉は大きな悲鳴を上げて、地面に倒れてしまう。
彼女の今の姿は先程までの全身を武器にした姿ではない。両眼の脇腹に重傷を負った単なる少女でしかなかった。
彼は地面に伏せている少女を見下ろす。
トドメを刺すでも、話しかけるでもなく、ただ黙って見つめている彼の姿が気になったのだろうか、出雲五葉はかすれた声で、
「今のあなたの機転は見事だったわ、こんな状況では無かったら、あなたを教団に正体したいくらいよ……」
「そいつはどうも……最も、きみの教団に入るつもりなんて更々無いけどね」
「アハハ、きついわね……」
五葉はここで傷が悪化したのだろうか、血の混じる咳を出す。
「もうあたしはダメね。助からないわ……」
「だろうね。羽倉教も恐らく、今日で壊滅だろうね」
「……でしょうね。羽倉教もお終い、あたしの命もお終い。困ったな……こんなんじゃ、あの世でお父さんとお母さんに会った時になんて言えば良いのか分からないや」
五葉は口から血を、両目から涙を零しながら静かに眠るように目蓋を閉ざす。
その様子を龍一郎は静かに眺めていた。
そして、彼はあの世に旅立った彼女のために、両眼を閉ざし、手を合わせた。
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