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第七部『エイジェント・オブ・クリミナル』

終わるのはお前か、オレかーその⑩

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「待て!この野郎!」
孝太郎は突然、袁高俅が戦意を失い、背中を向けて走り去ったので、刀から拳銃へと持ち替えて彼を追いかけていく。
東京国際会館の球形の会場の中を追う中で、やがて待機を命じた聡子を除く仲間たちや他の警察官や警備員と合流して彼の元に追い付く。
もう一人、暴れている男がいるらしいので全員とはいかなかったが、それでもかなりの数ではある。
この調子ならばあの男を始末する事など造作もないだろう。
孝太郎はそう考えて手に持っていた自動拳銃の銃口を向ける。だが、警察官や警備員に包囲されても、孝太郎から銃を向けられても尚、彼は動じる気配は見せない。
いや、それどころか、彼は高笑いを始めていく。狂ったような笑み。その比喩が今の彼を表すのに一番似つかわしい。
どうして、彼はこんな状況であるのに笑っていられるのだろうか。
孝太郎の頬を冷たい風が触っていく。妙に冷たい風は孝太郎の頬の気温を少しばかり下げると同時に、彼が袁に向けていた銃さえも下させてしまう。
何故かは分からない。ただ、恐ろしい予感だけが彼の脳裏に疼く。
袁は孝太郎が銃を下ろす姿を目撃したに違いない。彼はそれを合図に再び青龍刀を構えて孝太郎の元へと突っ込む。
その最中に孝太郎の周りにいた警備員や警察官。或いは少し出遅れて孝太郎自身も拳銃を構えたが、男は意に会する事なく拳銃を構えた面々を時代遅れの武器で襲撃していく。
しかも、その勢いと斬撃は通常の剣のそれとは大きく異なった。彼が右手に持つ日本刀に比べれば小さな刀は咄嗟に刀を出す暇さえも与えずにまるでプリンを包丁で跳ね飛ばすかの様にあっさりと人の首を跳ね続けていく。
廊下や天井に首を胴と強制的に別れさせた事により、別れた箇所から赤い液体が飛び散っていく。滝の様に勢いよく流れ出た複数人の赤い液体のために、辺りはまるで赤い汁の出る果物を汚く食い散らかした時の様に赤い汁が点になって飛んでいく。
いや、下手をすれば雨が降った時に道端に出来る水溜りがそのまま赤い色に置き換わった時の様なものが廊下の上に生成されていく。
日本ではあり得ない残酷な光景。孝太郎は惨劇の渦中にいながら、かつて見た大昔のマフィアを扱った映画の事を思い出す。
あの映画でマフィアの制裁により、血を流した市民たちの姿。
だが、今、自分の仲間や警備の面々から血が流れ出ているという事実は未だに孝太郎の中では受け止められない事実。
日本でしかも、24世紀という魔法も科学も共に発展したこの時代にそんな前時代的な虐殺が事が起きたとは到底信じられない。
だが、目の前に起きている事は空想でもなければ夢でもない。ましてや魔法を見せられているわけでもない。
それは孝太郎の頬に飛び掛かった温かく赤い人間の証拠が教えてくれていた。
ならば、自分は死んでいった仲間のために何をするべきだろう。いや、何をするのは既に明白ではないのか。
孝太郎は時に拳銃を放つ前に、時に拳銃を放とうとする警備員や警察官の人差し指を落とし、悲鳴を上げる彼らを情け容赦なく跳ね飛ばすあの男を止める事が先決だと考えた。
孝太郎は異空間の武器庫から刀を取り出す。先程までは違和感もなく握れていた刀が今はやけに重く感じてしまう。
プレッシャーという奴だろうか。それとも、上手く出来なかった時の不安の重圧に押し潰されているとでも言いたいのだろうか。
まだ、始まってすらいないのに。孝太郎は両手で刀を強く握って未だに虐殺を続ける袁に向かって大きく刀を振っていく。
当初こそ孝太郎の接近に気付けなかった袁であったが、刀が目の前にまで振りかぶられるのと同時に慌てて青龍刀を戻し、それを盾にして刀を防ぐ。
両者の刃と刃がぶつかり、打ち合っていく。その際に金属同士がぶつかる独特の音が響き、それを合図にそれまで詰め寄っていた警官や警備員たちはその場を離れて少しばかり安全な場所で距離を保ちながら、両者の戦いを見守っていく。
「さてと、中村孝太郎くんだったな。あの時の続きをしたいんだろ?奇遇だったな。オレもそう思っていたところさ、あんな雑魚どもばかり殺し飽きてたところなんでな!」
「生憎だが、オレはお前を殺すつもりはないぜ、お前が警察官を殺した罪はちゃんと生きて償ってもらうからな!」
「ふん、馬鹿なのか!こんな殺し合いの最中にそんな甘い事を言うとは思わなんだぞ!」
孝太郎のポリシーとも呼べる言葉をあっさりと否定した袁高俅。いや、彼の場合は……。
孝太郎は先程、ポリシーを否定された屈辱からか、彼自身に纏わる重要な単語。急に今、思い出した言葉を大きな声で叫ぶ。
「馬鹿じゃあないぞ、エドガー=袁!!」
孝太郎の口から彼の国際指名手配名が飛んだ瞬間にエドガー=袁こと袁高俅の表情に明らかな焦りの感情が垣間見えた。
口から動揺の言葉が出ないのは口に発すれば今以上に体が動揺してしまうからだろう。
内心では『ヤバい』という様な言葉を使いたいに違いない。いや、使いたい衝動をギリギリで抑えているには違いない。
孝太郎はこの好機を逃す事なく彼の元へと踏み込む。
この一歩は大きい。彼の斜め下から刀を振り上げていく。
勿論、狙うのは腹だけ。心臓までは斬るつもりはない。
そんな孝太郎の攻撃の真意を察したのだろう。彼は青龍刀を用いて孝太郎の刀を弾く。
そして、その勢いに乗り、彼の首元に青龍刀を突き付ける。
「……何処からオレの情報を仕入れた?」
孝太郎は答えない。その問いに答えれば即座に首を飛ばされるのが分かっているから。だが、それでも彼は執拗に尋ねていく。
「何処からエドガー=袁の情報を仕入れた?答えろ!」
執拗に迫る彼の目には狂気が存在する。もし、ここで答えなければ彼は何の躊躇いもなく自身の首を跳ね飛ばすだろう。
孝太郎の首を冷や汗が伝っていく。
だが、どのみち殺されるのなら吐かない方が得策かもしれない。
「……誰が教えてやるものか、どうしても聞きたければ、オレを離してお前の魔法の情報を教えろ」
これは嘘ではない。孝太郎の本音。心の底からの訴え。それを聞いた袁はギリギリと歯を鳴らしていく。
恐らく、今頃どうしようかと真剣に悩んでいるに違いない。
折角、得た好機を手放し、使用している魔法の事を教えるか、はたまたこのまま孝太郎の首を落としてしまうのかを。
孝太郎は悩むという隙が生じた彼の股間に対して思いっきりケリを喰らわせた。
常人の様に泣き叫んだりはしなかったものの、短い悲鳴を上げてその場に崩れてしまう。
孝太郎はそれを見計らってその場を離れた。
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