君のために出来ること

トオノ ホカゲ

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7.保健室での攻防

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  夏休みが終わり九月に入ると、居座っていた暑さも次第に収まって来る。それと引き換えにやって来たのは、ほっと息をつく安らかな秋のひととき――などではなく、ひとりの少々困った生徒だった。

「……面白い?」
「ん? 何がですか?」
 パソコンを睨んだまま呟くと、俺の机の横に陣取った一之宮が不思議そうな声をあげた。
「だからさあ、毎日毎日俺の横顔眺めて、楽しい?」
「う~ん、なかなか面白いですかね。先生ってときどきすごい変な顔するから」
「はあっ⁉︎」
 あまりの言いぐさに横目でにらむと、一之宮は実に楽しそうに笑う。
「ほら、そんな顔ですよ」
「お前なぁ……」
 思わずため息が漏れた。
 六歳年下に揶揄われる二十三歳。二の句が継げないとはこのことだ。

 あの夜の一件以降、一之宮はよく保健室にやって来るようになった。怪我や体調不良で来るわけではない。用事もないのに来るのだ。
 大抵保健室には誰かしらの生徒がいるものだが、そんなときは部屋の隅にあるソファに座って静かに漫画を読んだりスマホを見ていたりする。誰もいなくなった途端、いそいそとパイプ椅子を俺の机の横に置くのだ。そして仕事をする俺の様子をずっと眺めている。
 一之宮は不愛想な人間だとばかり思っていたから、これほどまでに懐かれるとは正直意外だった。そして同時にわかったのが、彼は案外素直な人間だったということだ。
 一之宮はあれからすぐ、例の夜のバイトをすっぱり辞めたのだ。そしてお世話になっているケースワーカーの人に、秘密でバイトをしていたことを報告したそうだ。
 収入申告をしていなかった分は、例え高校生のアルバイトでも生活保護費の不正受給となり、全額返還を求められてしまう。そのことに父親は激怒したというが、それでも『申請をしていなかったバイト代の分も生活保護費の分も、きちんと返納しました』と報告してくれたときの彼の顔は、すっきりしたものだった。
 人間いきなり変わることは出来ないが、彼がすこしでも前を向いてくれるならこれ以上に喜ばしいことはない。

 ちなみに夏休みの間は、海の家で焼きそば焼いていたらしい。
 きっと海でもさぞやモテたことだろう。こんがり小麦色に焼けてギリシャ彫刻ぶりに磨きがかかった一之宮を眺めながら俺は思う。

 会わなかった一か月の夏休みの間に一之宮はさらに身長が伸び、心なしか肩幅も広くなった。きっとかなりハードなバイトだったのだろう。体つきが前よりもがっしりしたような気がする。制服のシャツごしにでも、胸のあたりが分厚くなったのがわかるほどだ。
 今でこんなにイケメンなんだから、きっと十年後にはすげえいい男になってんだろうな……。
 会ってみたいような、会ってみたくないような。そんなことをつらつらと考えていた俺は、ふと一之宮の髪の毛が目に入った。

 襟足の髪がひと房、ぴんと跳ねている。寝ぐせだ。ふっと笑いが漏れ出た。いくら大人ぶってても、まだまだ子どもなのだ。
「おいお兄さん、ここ跳ねてんぞ」
 手を伸ばし寝ぐせの部分を指で掴むと、一之宮が「えっ」と椅子の上で態勢を崩した。パイプ椅子から落ちそうになり、俺は慌てて彼の腕を支える。
「うわっと。あぶな……」
 一之宮の端正な顔がすぐ前まで迫り、至近距離で目が合った。数秒見つめあう。

 ……あれ、一之宮の目ってよく見ると一重じゃないな、奥二重なんだ。
 驚きに見ひらいた一之宮の瞳を見つめながらそんなことをぼんやり考えていると、一之宮の耳がじりじりと赤くなった。あれ? と思う間にも肌の上の朱色は頬のほうにまで広がっていく。見る見るまに真っ赤になっていく彼に、俺は急に心配になった。

「一之宮、どうした? 顔赤いぞ?」
 もしかしたら熱があるんじゃないだろうか。
 俺は手を伸ばし、一之宮の額に触れようとした。しかし慌てた様子で立ち上がった一之宮に阻まれてしまう。明らかに挙動がおかしい。
 俺はデスクの上から体温計をとり、差し出した。
「熱測るから脇にこれ挟んで。脈も取ってみるから手はこっちにくれ」
 一之宮の右手を取ろうとしたが、後退られる。
「だ、大丈夫です」
「え? でも顔も赤いし」
「大丈夫です、ほんっとに大丈夫なんで」
 言いながら一之宮は部屋の奥のソファの方に逃げていってしまう。
「そうか……?」
 相変わらず顔は赤いままだったが、俺はしぶしぶ体温計をもとの場所に戻し、自分の椅子に座りなおした。
 一之宮はといえば、ソファに陣取りなおし傍らに置いた漫画を読み始めている。もうこれ以上は追及するなということなのだろう。
 俺は首を傾げながらパソコンに再び向き直った。

 トントン、と扉がノックされたのはそのときだった。
「鶴見先生、来週の面談のことだけど……」
 顔を出したのは土屋だ。土屋は話しながら入ってきたが、ソファでくつろぐ一之宮に見てわずかに目を瞠った。そして俺の顔を目を細めて見る。あまりの気まずさに、俺は目を逸らした。

 実は先日の一之宮とのやりとりをそれとなく土屋に伝えたら、『いち生徒に踏み込み過ぎだ』と大目玉を食らったばかりだったのだ。それは結構なマジギレで、さすがの俺もごめんなさい次からは気をつけますと謝った。
 だが正直に言えば、同じ状況になったら同じ行動をする自信がある。きっと土屋も俺の性根を知り尽くしているからこそ、こんなけん制と疑いの目で見てくるのだ。

「お……、おう、来週の面談の生徒だよな? 予約が一件入ってる」
 土屋の視線に冷や汗をかきながら、俺は机から立ち上がり、面談記録のファイルを手渡す。さっと目を通した土屋は、「了解」と頷いた。
「それじゃそういうことでよろしく……」
 話はそそくさと切り上げようとしたが、そうはいかなかった。
「鶴見先生、ちょっといいでしょうか」
 土屋にちょいちょいと手招きされて、俺はカーテンの奥へと誘導された。嫌な予感がする……と身構えた瞬間、いきなり土屋の腕がぐわっと俺の首に回ってきた。所謂ヘッドロックというやつだった。

 思わずぐえっと変な声を上げた俺に、土屋が顔を近づけてくる。
「――んで、千草。お前この前の俺の話聞いてたか? 必要以上に生徒に深入りすんなって言ったよな? なーにしれっと仲良くなっちゃってんの?」
 顔は笑っているのに、声は極寒の響きだ。マジギレ再来である。土屋の腕の力が強くなり、喉がぐぐぐっと締め付けられる。
「き、聞いてたってっ……だから、はな、して……」
「ほんとか? お前はいっつもいっつも人の話聞かないで一人で突っ走るから、俺が毎度尻ぬぐいしてたよな。本当にわかって言ってんのか? あ?」
 小さな声でコソコソしゃべりながらも、土屋は実に的確に俺の喉に圧をかけてくる。
「うわ、ギブギブギブ……!」
 ……も、だめだ。

 と窒息しかけたとき、ふっと土屋の腕が離れた。俺は助かったとばかりにはふはふと息を存分に吸い、そして目をあげて驚いた。
 いつのまにやって来たのか、一之宮がすぐ横に立っていた。しかも土屋の腕を掴んでいる。
「先生が苦しそうなんで辞めてください」
 一之宮はまっすぐに土屋を睨んで言った。
 俺は一之宮の表情の険しさに驚いたのだが、土屋の切り替えは早かった。腕を掴まれたまま、ずいっと一之宮のほうに顔を寄せて微笑んだ。
「こんにちは、一之宮くん」
「……」
 一之宮は無言で土屋の腕から手を離した。いきなり自分の名前を呼ばれて驚いているのか、訝し気に土屋を見ている。俺は慌てて説明を加えた。
「い、一之宮、この人はこの高校に来てもらっている心理カウンセラーの土屋さん」
「土屋です。月、水、金と高校に来ているので、もし困ったことがあったら相談してね。あ、ちなみに僕と千草先生は十年来の友達なんだよ。今も虐めてたわけじゃなくて、少しふざけてただけだから心配しなくていいよ。ね、千草?」
「そうそう、そうなんだよ! な、土屋!」
 俺はあははと笑って頷いたが、一之宮は眉を寄せて土屋をじっと見ている。無表情だ。というかほとんど睨みつけている。
 土屋の唇がわずかに綻んだのが見えた。
 嫌な予感がする。コイツがこんな顔をするのは、ろくでもないことを思いついたときしかない。
 変なこと言いやがるんじゃないだろうな。俺が心配でハラハラする中、一之宮の顔をじっくり眺めながら土屋が口を開いた。

「一之宮くんは最近保健室によく来るのかな? 千草先生と仲がいいみたいだけど」 
「そんなことあなたに関係ありますか?」
 一之宮がするどく言い返す。
 土屋は一之宮の敵意を余裕の表情で受け止め、にこやかに笑う。
「もちろん関係ないよ。でももし悩みがあるなら、ぜひ僕に相談してほしいなと思ってね。千草先生は保健室の先生で、相談は僕の専門なので」
「だとしてもあなたに話したいとは思いません」
「なら千草先生ならいいってこと?」
「信頼できるひとじゃないと相談できませんから」
「じゃあ僕とも信頼関係を作ろうよ」
「嫌です」

 ……なんなんだろう、こいつら。
 俺は痛み始めた眉間を揉みほぐし、首を振った。
 まるで子供の喧嘩だ。どうして一之宮は初対面の相手に突っかかっているのだろう。土屋も土屋だ。どうしてそんなに楽しそうに怒っている相手を構うんだ。意味が分からない。
 俺は仕方なく二人の間に入り、一之宮を引き寄せた。
「一之宮はそろそろ帰ったら? 俺これから保健委員会の集まりあるからさ」
 俺がそう言うと、一之宮は少し唇を尖らせた。
「知ってます。だからここで待ってるんですけど」
「え?」
 わけがわからず、首を捻った。
「俺、保健委員になりましたよ。これからもお願いしますね、千草先生?」

 ――え、何だって⁉


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