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おバカ貴族と銀髪の空賊
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鼻を突く消毒液のツンとした臭いと、どこか遠くで鳴り響く鐘の音。
マリエが意識の泥の中から這い上がった時、最初に視界に入ったのは、病室の無機質な白い天井だった。
「……うっ……。私、生きてる……?」
全身を走る鈍痛。
墜落の瞬間の、あの内臓が浮き上がるような浮遊感が脳裏をよぎる。
死を覚悟した。あの高さから投げ出されれば、肉の塊となって散るのが運命だと諦めていた。
だが、マリエの体は清潔なシーツに包まれ、柔らかいベッドの上に横たわっている。
ふと、窓際に気配を感じ、マリエは重い首を巡らせた。
「……あ」
マリエの呼吸が止まった。
逆光を背に立ち、窓枠に腰を下ろして腕を組んでいるのは、この世のものとは思えないほどに「精緻な造形」をした美少女だった。
月夜に溶け込むような、漆黒のゴシックドレス。
白磁の肌を縁取る金糸の髪は、沈みゆく太陽を反射して神聖な光の輪を形成している。
そして何よりマリエの心を射抜いたのは、理性の底に隠れた温かみを帯びたアメジストの双眸。
それは慈悲深き聖女のようであり、また不思議と父性のようなものすら感じた。
(……綺麗。お人形さん、みたい……)
マリエは自分が死んで天国に辿り着いたのかと本気で疑った。だが、その「天使」が口を開いた瞬間、幻想は粉々に打ち砕かれる。
「ようやく眼を覚ましたか。寝すぎだこの戯《たわ》け」
凛としていながら、どこか少年特有の硬さを残した涼やかな声音。
少女は困惑しながら、カサルの姿を視線でなぞる。
「……貴女、が……私を?」
マリエは不思議そうに訊くと、カサルは彼女の似顔絵が乗っている手配書を見る眼を、ほんの数度上にあげた。
「礼は不要だ。貴族の務めを果たしたまでのことだからな。……だが、我がココにいる理由はただ一つ。コレをどこで見つけた?」
カサルがドレスの袖から取り出したのは、マリエが命よりも大切に握りしめていた「球体」。
鈍く、妖しく脈動する異端核だった。
それを見た瞬間、マリエの瞳に渇望の炎が灯り、痛む体も目の前の美少女への敬意も忘れ、彼女はシーツを蹴り飛ばして手を伸ばした。
「返して……! それ私の……ッ!」
カサルは紙一重で身をかわし、異端核を遠ざけた。
彼の瞳がさらに細められる。それはマリエが過去に何度となく体験した、実験体のモルモットでも見るような観察眼だった。
「……必死だな。なぜそれほどまで、コレを欲しがる? 亡命の資金か? それとも裏の競売にかけるつもりか?」
カサルは慎重に言葉を選ぶ。
彼女がどういった素性でこの異端核を手に入れたのか、探る必要があった。
泥棒と言えど、異端核を盗みだすとなればそれなりの危険が伴う。
カサルはそこまでする理由がこの異端核にあるとも思えなかった。
「違う……! それがあれば……私も、魔女になれるから……!」
マリエは祈るように叫んだ。
手首の細い脈が激しく打つ。
彼女にとって魔女になることは、単なる力への欲求ではない。
泥を啜って生きてきた自分を根底から書き換えるための、唯一の救済なのだ。
───だが、カサルは一瞬呆気にとられ、そして残酷にほくそ笑んだ。
「よすんだな。……お前のような絶望の計算式も理解できない無知に教えてやろう。この等級の核では、お前は魔女にはなれん」
カサルはそう突き放すように異端核と少女を交互に見定めながら断言した。
「……どういうこと? 貴女、何か知っているの?」
少女の言葉にカサルは深い溜息をついた。
多くの人間がイラっとするような、挑発や侮辱の意味を多分に含んだ嘲笑の代わりにつかれる溜息だ。
言葉にせずとも「そんなことも知らないのか」と「しょうがないから教えてあげよう」という二つの言葉が聞こえてくるかのような吐息だったが、彼女の目の輝きが消えることはない。
むしろ好奇心に薪をくべられたように、彼女は瞬きもせずに彼の次に吐かれる言葉を待ちわびているようでもあった。
それには流石のカサルも動揺して、逆にペースを握られまいと眉を顰め、手配書を持った腕を組みながら、片目を閉じて訊いた。
「だいたい我の話を聴いてどうする。どうせお前は死刑だ。国が所有する兵器を盗み、逃げたのだからな。……法の歯車がまもなくお前を磨り潰す。それまで大人しくしていろ」
少しはビビったかなぁと、カサルはそっぽを向いた状態からチラリと彼女を見るが、なぜか彼女の頬は紅潮していて、クスリでもキメているみたいにご機嫌だった。
「死刑……。ふふ、そんなことどうでもいいよ」
マリエはそう言って自嘲気味に口角を上げる。
彼女の瞳に宿っているのは、死への恐怖を完全に凌駕した、純粋で狂気じみた「渇望」のみ。
ゆえに紡がれる言葉は懺悔などではなく───
「だったら……どうせ死ぬなら、最後に教えて? どうして私は魔女になれないの? ねぇ、どうして!?」
───と、言った具合の探求心からくる情熱的なアプローチだった。
(コイツはちょっと変な輩だな……)
マリエの必死の懇願にカサルは少し引いていた。
───しばしの沈黙。
やまぬ熱視線に耐え兼ねたカサルは根負けして、冥土の土産を彼女にやることにした。
「異端核への適合率は等級に反比例する。その核は六等級……適合率はおよそ一万分の一だ。それ以外は出来損ないの化物になるか、反応すら起きずに内臓を焼かれるか、どちらかに当たる。……この意味が分かるな?」
「一万分の一……。でも、それじゃあ数が合わない。街にいる魔女たちは?」
「……それが一万分の一を引き当てた、運の良いやつらだ」
カサルの言葉には魔法そのものに対する軽蔑と、それを選別するシステムへの憎悪が混じっていた。
同時に初めて道化ではなく心からの本音を漏らしたことで、彼女はカサルが嘘を言っていることが分かった。
しかしそれ以上カサルが情報を話すことはないだろうと悟ると、彼女は少しでもカサルのことを知ろうと、話題を探った。
「待って……! じゃあ最後に一つだけ……! 貴女の名前を教えて!」
背後からの懇願。
カサルは扉に手を掛けたまま、一度だけ足を止めた。
振り返った彼の瞳に、夜の闇が落ちる。
「……この地の領主の息子だ。それぐらいは覚えておけ」
カサルは黒いスカートを鮮やかに翻し、以後は一度も振り返ることなく病室を後にした。
バタン、と重厚な木の扉が閉まる。
残された静寂の中で、マリエは呆然と呟いた。
「領主の……息子? 息子って……男の子?女の子じゃなくて?」
脳内を巡るのは、先ほどの冷徹な声音。傲慢なまでの知性。
そして、ドレスの裾から覗いていた、細いけれどもしなやかな「少年」の体躯。
マリエの頬が、熱くなる。
今まで数多の宝石を盗んできた空賊の少女。だが、今この瞬間に彼女の心臓を盗んだのは、さっきまで目の前にいた不機嫌な「王子様」だった。
「男の子だったんだ……。すっごく可愛かったな……思わず見惚れちゃった……でもなんで女の子の恰好してるんだろう?」
死刑が迫っているというのに、マリエの唇からは、場違いなほど甘い吐息が漏れた。
「ふふふ……これって、運命の出会いかも。私の方が年上だよね? だったら私がお姉さん?─── もっと、もっとお話ししたかったなぁ……」
マリエは楽しげに独りごちると、シーツの下でカチャリと小さな音を立てた。
彼女の両手首を繋いでいたはずの頑丈な金属製の錠前が、まるで玩具のように外れて滑り落ちる。
彼女の手には、何処からか取り出した一本のピンクのヘアピンが形を変えて握られていた。
「さてと。……まずはこのお部屋を出て……あの子を追いかけないとね」
マリエは悪戯っぽく、そして最高に不敵な笑みを浮かべると、音もなく窓から夜の闇へと身を躍らせた。
マリエが意識の泥の中から這い上がった時、最初に視界に入ったのは、病室の無機質な白い天井だった。
「……うっ……。私、生きてる……?」
全身を走る鈍痛。
墜落の瞬間の、あの内臓が浮き上がるような浮遊感が脳裏をよぎる。
死を覚悟した。あの高さから投げ出されれば、肉の塊となって散るのが運命だと諦めていた。
だが、マリエの体は清潔なシーツに包まれ、柔らかいベッドの上に横たわっている。
ふと、窓際に気配を感じ、マリエは重い首を巡らせた。
「……あ」
マリエの呼吸が止まった。
逆光を背に立ち、窓枠に腰を下ろして腕を組んでいるのは、この世のものとは思えないほどに「精緻な造形」をした美少女だった。
月夜に溶け込むような、漆黒のゴシックドレス。
白磁の肌を縁取る金糸の髪は、沈みゆく太陽を反射して神聖な光の輪を形成している。
そして何よりマリエの心を射抜いたのは、理性の底に隠れた温かみを帯びたアメジストの双眸。
それは慈悲深き聖女のようであり、また不思議と父性のようなものすら感じた。
(……綺麗。お人形さん、みたい……)
マリエは自分が死んで天国に辿り着いたのかと本気で疑った。だが、その「天使」が口を開いた瞬間、幻想は粉々に打ち砕かれる。
「ようやく眼を覚ましたか。寝すぎだこの戯《たわ》け」
凛としていながら、どこか少年特有の硬さを残した涼やかな声音。
少女は困惑しながら、カサルの姿を視線でなぞる。
「……貴女、が……私を?」
マリエは不思議そうに訊くと、カサルは彼女の似顔絵が乗っている手配書を見る眼を、ほんの数度上にあげた。
「礼は不要だ。貴族の務めを果たしたまでのことだからな。……だが、我がココにいる理由はただ一つ。コレをどこで見つけた?」
カサルがドレスの袖から取り出したのは、マリエが命よりも大切に握りしめていた「球体」。
鈍く、妖しく脈動する異端核だった。
それを見た瞬間、マリエの瞳に渇望の炎が灯り、痛む体も目の前の美少女への敬意も忘れ、彼女はシーツを蹴り飛ばして手を伸ばした。
「返して……! それ私の……ッ!」
カサルは紙一重で身をかわし、異端核を遠ざけた。
彼の瞳がさらに細められる。それはマリエが過去に何度となく体験した、実験体のモルモットでも見るような観察眼だった。
「……必死だな。なぜそれほどまで、コレを欲しがる? 亡命の資金か? それとも裏の競売にかけるつもりか?」
カサルは慎重に言葉を選ぶ。
彼女がどういった素性でこの異端核を手に入れたのか、探る必要があった。
泥棒と言えど、異端核を盗みだすとなればそれなりの危険が伴う。
カサルはそこまでする理由がこの異端核にあるとも思えなかった。
「違う……! それがあれば……私も、魔女になれるから……!」
マリエは祈るように叫んだ。
手首の細い脈が激しく打つ。
彼女にとって魔女になることは、単なる力への欲求ではない。
泥を啜って生きてきた自分を根底から書き換えるための、唯一の救済なのだ。
───だが、カサルは一瞬呆気にとられ、そして残酷にほくそ笑んだ。
「よすんだな。……お前のような絶望の計算式も理解できない無知に教えてやろう。この等級の核では、お前は魔女にはなれん」
カサルはそう突き放すように異端核と少女を交互に見定めながら断言した。
「……どういうこと? 貴女、何か知っているの?」
少女の言葉にカサルは深い溜息をついた。
多くの人間がイラっとするような、挑発や侮辱の意味を多分に含んだ嘲笑の代わりにつかれる溜息だ。
言葉にせずとも「そんなことも知らないのか」と「しょうがないから教えてあげよう」という二つの言葉が聞こえてくるかのような吐息だったが、彼女の目の輝きが消えることはない。
むしろ好奇心に薪をくべられたように、彼女は瞬きもせずに彼の次に吐かれる言葉を待ちわびているようでもあった。
それには流石のカサルも動揺して、逆にペースを握られまいと眉を顰め、手配書を持った腕を組みながら、片目を閉じて訊いた。
「だいたい我の話を聴いてどうする。どうせお前は死刑だ。国が所有する兵器を盗み、逃げたのだからな。……法の歯車がまもなくお前を磨り潰す。それまで大人しくしていろ」
少しはビビったかなぁと、カサルはそっぽを向いた状態からチラリと彼女を見るが、なぜか彼女の頬は紅潮していて、クスリでもキメているみたいにご機嫌だった。
「死刑……。ふふ、そんなことどうでもいいよ」
マリエはそう言って自嘲気味に口角を上げる。
彼女の瞳に宿っているのは、死への恐怖を完全に凌駕した、純粋で狂気じみた「渇望」のみ。
ゆえに紡がれる言葉は懺悔などではなく───
「だったら……どうせ死ぬなら、最後に教えて? どうして私は魔女になれないの? ねぇ、どうして!?」
───と、言った具合の探求心からくる情熱的なアプローチだった。
(コイツはちょっと変な輩だな……)
マリエの必死の懇願にカサルは少し引いていた。
───しばしの沈黙。
やまぬ熱視線に耐え兼ねたカサルは根負けして、冥土の土産を彼女にやることにした。
「異端核への適合率は等級に反比例する。その核は六等級……適合率はおよそ一万分の一だ。それ以外は出来損ないの化物になるか、反応すら起きずに内臓を焼かれるか、どちらかに当たる。……この意味が分かるな?」
「一万分の一……。でも、それじゃあ数が合わない。街にいる魔女たちは?」
「……それが一万分の一を引き当てた、運の良いやつらだ」
カサルの言葉には魔法そのものに対する軽蔑と、それを選別するシステムへの憎悪が混じっていた。
同時に初めて道化ではなく心からの本音を漏らしたことで、彼女はカサルが嘘を言っていることが分かった。
しかしそれ以上カサルが情報を話すことはないだろうと悟ると、彼女は少しでもカサルのことを知ろうと、話題を探った。
「待って……! じゃあ最後に一つだけ……! 貴女の名前を教えて!」
背後からの懇願。
カサルは扉に手を掛けたまま、一度だけ足を止めた。
振り返った彼の瞳に、夜の闇が落ちる。
「……この地の領主の息子だ。それぐらいは覚えておけ」
カサルは黒いスカートを鮮やかに翻し、以後は一度も振り返ることなく病室を後にした。
バタン、と重厚な木の扉が閉まる。
残された静寂の中で、マリエは呆然と呟いた。
「領主の……息子? 息子って……男の子?女の子じゃなくて?」
脳内を巡るのは、先ほどの冷徹な声音。傲慢なまでの知性。
そして、ドレスの裾から覗いていた、細いけれどもしなやかな「少年」の体躯。
マリエの頬が、熱くなる。
今まで数多の宝石を盗んできた空賊の少女。だが、今この瞬間に彼女の心臓を盗んだのは、さっきまで目の前にいた不機嫌な「王子様」だった。
「男の子だったんだ……。すっごく可愛かったな……思わず見惚れちゃった……でもなんで女の子の恰好してるんだろう?」
死刑が迫っているというのに、マリエの唇からは、場違いなほど甘い吐息が漏れた。
「ふふふ……これって、運命の出会いかも。私の方が年上だよね? だったら私がお姉さん?─── もっと、もっとお話ししたかったなぁ……」
マリエは楽しげに独りごちると、シーツの下でカチャリと小さな音を立てた。
彼女の両手首を繋いでいたはずの頑丈な金属製の錠前が、まるで玩具のように外れて滑り落ちる。
彼女の手には、何処からか取り出した一本のピンクのヘアピンが形を変えて握られていた。
「さてと。……まずはこのお部屋を出て……あの子を追いかけないとね」
マリエは悪戯っぽく、そして最高に不敵な笑みを浮かべると、音もなく窓から夜の闇へと身を躍らせた。
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