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お店経営編
第二章 116話『静かなる戦いの終結4』
しおりを挟む――暗い。
深い、深い海の底に沈んでいくような感覚だった。
重力はなく、音もない。闇が一面に広がり、己の輪郭すら曖昧になる。まるで、自分という存在が世界から削ぎ落とされていくかのようだった。
視界は黒く染まり、呼吸の感覚もない。痛みも、熱も、寒さもなかった。ただ、ぽつんと意識だけがそこに浮いていた。
――ここはどこだろう。私は、何をしていたんだっけ。
答えは返ってこない。けれど、その沈黙の中に、何かがゆっくりと浮かび上がってくる。
はじめは微かな光だった。
次に音――遠くで誰かの声がする。それは誰かを呼ぶ声だった気がするが、耳の奥でこだましては消えていく。掴もうとすればするほど、その言葉は霧のように手からすり抜けてしまった。
胸の奥に微かなざわめきが生まれた。寂しさとも、焦りともつかぬものが、心の中でじわりと広がっていく。
誰かが、呼んでいる気がする。けれど、自分の身体がどこにあるのか分からなかった。手を伸ばしたつもりでも、そこには何もなかった。
沈む。沈む。どこまでも、深く。
それでもその闇の中に、光はあった。揺れる火のような、誰かの記憶だった。
――ああ、そうだ。これはあの時の記憶だ。
まず浮かんできたのは、この大陸に来て始めてスキルを使って、そこから色々あって冒険者のパーティーに参加して迷宮遺跡・ララバイというダンジョンを攻略した事だ。
最初はパーティーを組んでいた3人が酔っており、その状態で懇願された私は、押しに負けて断る事が出来ず、不本意ながらついて行った。
しかしそこで、酒の席で情けないと思っていた英雄達の本来の姿を見た。
様々な魔法を操って敵を一気に片付けるケイさん。
いざという時は攻撃、いざという時は防御。常に周囲の警戒を怠らないギーラさん。
そして、そんな2人のサポートを受けて敵を打ち倒すエルミナさん。
ダンジョンに入ってからエルミナさんは重症を負ったが、私の作った回復薬をたまたま持ってきており、それによって事なきを得た。
あの時は本当に彼女が死んでしまうんじゃないかって焦ったけど………こんな今の私でも、エルミナさんは許してくれるのかな。
そしてそこから逸れていたケイさん、ギーラさん、フィーちゃんと合流して、最深部にいたとてつもない力を持った魔物と激しい戦闘を繰り広げたんだった。
ギーラさんが重症を負って、その事で臆してしまったケイさんをエルミナさんが説教に近い言葉で彼女を奮い立たせた。
そして無事、全員の力を合わせる事でその魔物を撃破し、目当ての『エーテリアの灯』を手に入れて、私はその報酬からお店を開いたんだ。
それが私の、この大陸で一番大きかった出来事だ。
本人に言うと面倒くさいのでもう口にはしないが、私にとってエルミナさんは、人生の中でも初めて出来た人間の友達だった。
次に浮かんだのは―――メイさんの事だ。
彼女とはとても不思議な出会い方をした。
街に帰ってみたら街全体を巻き込むような規模で市場のようなものがやっており、その催しの一つとして、特定の食材を手に入れて脱出する『収穫祭』なるものがあった。
私は参加する気は特に無かったのだが、巻き込まれる形で参加する事になってしまった。
なんとなくルールを把握した私は、近くにいたローザさんという街の住人の方と一緒に優勝を目指した。
しかし、とある連絡を受けた事で、収穫祭の方向性は変わっていく。
収穫祭を主催していた人が、サバイバル部門に参加していない人達を眠らせ、誘拐して奴隷として他国へと売っていたのだ。
常に人手不足なこの大陸ではかなりの需要があり、大陸全土で行われてきたにも関わらず、ほとんどが黙認されていた。
方法としては、サバイバル部門などに参加する屈強な人は作戦には邪魔なだけな為、主催者のスキルによって別空間へと飛ばされる。
そして残った戦闘能力の低い一般市民を眠らせ、その隙に街から運び出す。
これにより人がいなくなり、ゴーストタウンと化した街がいくつもでき、人がこつ然と消えたと噂にまでなっていた。
そんな収穫祭で、私とメイさんは出会った。
最初は敵だった。メイさんは敵側の雇われの殺し屋で、余計な事を喋ったりする人を消していっていた。
森の中で始まる私とメイさんの激闘。
斬り飛ばされる私の腕。圧倒的な力量と技術の差。正直な話、私は敗北を覚悟した瞬間が何度もあった。
だが最終的にローザさんが、私の斬り飛ばされた腕を使用して鋭利な岩の砲弾を作り出し、それをメイさんの腹部に放った事でなんとか勝利した。
死にそうだったメイさんを、私は回復薬をかける事で助けた。
あの時はなんて言ったかな……。あ、そうだ。奇跡がどうとか言ったんだっけ。
本当はただ目の前で人が死ぬのが嫌でたまらなかっただけなのに、何故か見栄を張ってそれっぽい事を言っていたんだ。
まぁ、メイさんにならそれくらいお見通しかも知れなかったけど。
そしてその次に思い浮かんだのはフィーちゃんだった。
ある日、お店の準備を外でしていた私の所にフィーちゃんが丁度街の散歩から帰ってきた。
いつも通りおかえりと伝えようとして振り返ると、とんでもない数の猫ちゃんを連れて帰ってきていた。
よく見るとその猫ちゃん全員が女の子のようで、フィーちゃんは面倒そうな顔をしていたけど、どこか得意げでもあった気がした。
彼と出会ったのはこの大陸に来てからすぐの事だった。
右も左も分からず、とりあえずたどり着いた街、スターター。
そこに何故か祖母の家があり、手持ちのお金のほとんどを使って購入してしまい、お金を稼ぐ為にスキルを使った商売を思いついた。
その最初の段階として、素材集収にクヌフ森林へと向かった。
そしてそこでフィーちゃんと出会った。
出会い方はまぁ、いいものとは言えなかったかもしれない。
何せ、私が森で採集していた素材達を狙って襲ってきたからだ。
と言っても、当時私が持っていた素材は食用がほとんどなく、薬の原材料がほとんどだった。
つまり、あのまま持っていかれていたとしても、フィーちゃんのお腹は満たされなかった。
まだその事をフィーちゃんには伝えていないけど。
彼にも多く助けられた。
こんな頑固で面倒な私に、一番長く一緒にいてくれていた。
愛想を尽かしそうなタイミングなど何度もあったに違いない。
だけどフィーちゃんは変わらず、ずっとそばにいてくれた。頼れる人のいなかった私にとって、心の拠り所になっていた。
……帰ったら、いつもより美味しいご飯を出してあげようかな。
最後に思い出したのも……私の掛け替えのない友人。
少し困った性格をした人だけど、やる時はやる人だと収穫祭の時に分かった。
フィーちゃんが呼びに行って、私へと連絡をくれなかったら今頃、スターターは無人の街と化していただろう。
カイドウさん―――。
そういえば収穫祭以降に起きた遺品修理を終えた後、フィーちゃんはよくカイドウさんの所に顔を出していた。
カイドウさん自身も、たまにスターターに来てはお店に遊びに来てくれた。
その度に困った発言をして、フィーちゃんとメイさんがそれを制して、私が困ったように笑う。
そんな日常が続くと思っていた。
だけど……私はそんな日常を守れなかった。
カイドウさんが、ククルセイの聖騎士の攻撃で瀕死の重傷を負った。
回復薬や自然治癒を阻害する魔法は解除できたが、脳への負担が大きく、回復薬がないとカイドウさんはいつ目を覚ますか分からない状況だった。
だが、ザストルクにあった回復薬やリヴァルハーブは街の人を治療するのに使って、城や他の街には何故か回復薬が無かった。
もしかしたら、これもククルセイの作戦の一端で、いわゆる兵糧攻めのような事だったのかもしれない。
……カイドウさん。
私のやった事を聞いても、彼は私を嫌わないだろうか。
私は彼のそばにいて、恥ずかしくない人間なのだろうか。
いや、この疑問が出るにはあまりに遅過ぎたかもしれない。
もう何十人も殺した。
躊躇無く、ただ目の前に立った敵を斬り裂いて、破裂させた。
衝動的だったかもしれない。
カイドウさんを傷つけられて、頭に血が上って、冷静な判断ができなかったのかもしれない。
もしかしたら戦争以外の方法があったかもしれない。
戦争なんて、望んでやるべきではないハズなのに、私は自ら戦争へ赴く事を口にしてしまった。
役に立たないと思っていたスキルを、人の役に立てる為に使っていたのに、人を殺す為に利用するとは私自身も思っていなかった。
――けれど。
それでも、誰かが泣いているのを見て、私は胸が苦しくなる。
誰かが傷ついているのを見て、どうしても放っておけない。そんな性分だったはずなのに、私はいつの間にか――人の命を重さではなく、敵か味方かの分類で見分けるようになってしまっていた。
あの時、私は何も考えず、ただ目の前の敵を殺した。
仲間を、カイドウさんを守るためにと自分に言い聞かせながら、私の心はどこかで喜んでいた気がする。
復讐の為に人を殺す理由を得て、正当化できる機会を――待っていたような気さえする。
……いやだ。そんな自分を、私は認めたくない。
けれど、否応なく、その記憶は私の胸に焼き付いている。
『優しさ』と『怒り』は表裏一体。
大切な人を傷つけられた時、人はどこまで『優しく』いられるのだろう。
あの夜、私は星も見えない空の下で、血にまみれた手を見つめていた。
誰にも見せられないその手で、私は――これからも歩いていかなければならない。
それでも。
それでも、私は。
――帰りたい。
だらけてるフィーちゃんに、からかって笑うメイさんに、困ったように頭をかくカイドウさんに。何より、まっすぐな目で私を見てくれるエルミナさん達に。
会いたい。
私には、帰る場所がある。
許してもらえなくても、私はそれでも、帰りたい。
私という人間が、たとえ歪んでしまったとしても。それでも、私の存在が誰かの支えになれるのなら――。
――私は、生きて帰る。
暗闇の中で、光がはっきりと形を成した。
それは私が見た、仲間たちの笑顔だった。
手を伸ばした。 今度こそ、何かが触れられた気がした。
――もう一度、あそこへ。
意識が、ふわりと浮かび上がる。
どこかで誰かが、私の名前を呼んでいた。
やがて黒が淡くなり、視界に色が―――戻り始めた。
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