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雷鳴は思わぬ方角へ
第三章 30話『『元』究極メイド、足を震わす』
しおりを挟む「ふむ、数百年振りの地上だな」
言葉を発した瞬間、大地が震えるような感覚を覚えた。
そこにいてはいけない、いるハズのない、いていい訳がない。そんな存在が目の前に立っている。
……いや、もはや立ってすらいなかった。足元を見ると地面に足がついておらず、何もない場所で空中に留まり続けている。そんな事を出来る人物を、アミナは知らなかった。
「さぁ!!女神アルダナ!!私に女神の力を授けてちょうだい!!」
不意にハスカートが大きな声で懇願した。
彼女の目的は魔人会の権能の一部を奪う事と、女神アルダナから力を与えてもらう事。
恐らくカナタからアルダナについて聞かされていたハスカートは、権能を完璧に奪えなかった時に備えて、女神を復活させる算段を立てていたのだ。
女神を復活させる条件。
それは、アミナが2回目の死を体験する前に、グラッツの姿をしていたハスカートが放った言葉。
『貴女も、血の紋の礎となりなさい』
その言葉通り、アルダナを復活させる条件として、大量の流血―――つまり、村人の虐殺が必須条件となってくる。
カナタの日記にはそう記されており、アミナはそれをメイに頼んで阻止したのだが……迂闊だった。
……まさか、魔物の血肉でも血の紋が完成してしまうとは……。カナタさんの日記には記されていなかったからその可能性を考えられなかった……!!
静かに唇を噛むが、状況は変わらない。
そしてアミナやハスカートの事など意識の外にあるかのように小屋の中を見回すと、アルダナは再び口を開いた。
「少し狭いな」
そう呟いた瞬間―――アミナもハスカートも吹き飛ばされ、小屋の周辺は一気に更地と化した。
小屋は勿論粉々になって吹き飛び、小屋があった場所は小高い丘になっていたハズなのに、周辺一体が真っ平らな平地となっていた。
土に汚れた体を起こしてアミナはアルダナの方を見る。
今のは……一体……!!
目の前で何が起きたのか理解できずにいると、そこに地面を這いずる形で、ハスカートが再びアルダナへと近寄る。
「素晴らしい!!流石女神と言われるだけはある!!さぁ、早く私に――女神の力を!!!!」
言葉を徐々に強めて言った。
ハスカートの言葉がようやく届いたのか、アルダナは赤い目だけをハスカートに向けた。
「誰だ貴様は。我を蘇らせたのはハルファスかと思っていたが、どうやら違うようだな」
ハスカートを見下ろしながら呟いた。
ハルファスとはカナタの日記に記されていた、魔人会最高幹部の天魔六柱の一柱。『幻理』という幻に関連する名を冠している。といった情報しか、今のところはない。
だが数百年振りの地上だとアルダナが言っていたのを聞くに、そのハルファスという人物も数百年以上生きている可能性がある。
したがって、天魔六柱の全員がその可能性を孕んでいるという訳だ。
「私は、貴女に力を授けてもらう為に貴女を復活させた!あの人の文献にはこう書かれていた。『星界より墜ちし遠き律の残響は、封ぜられし深縁の座より顕現し、来たるべき収束の前兆に呼応して、器たる者へと傾斜する。時の澱みに触れる者、その掌に兆しは集い、識を超えた環は巡る。』と……」
自身が読んだ文献の一説を暗証してみせる。
一体どれだけその文献を読んだのか、それだけで執念深さと力への固執を感じさせる。
「『封ぜられし深縁の座より顕現し』はこの地に復活する事を示し!『器たる者へと傾斜する』というのは、復活させた者へ力を授けるという暗示!!さぁ!!早く私の体に、貴女の力を!!!」
先程までアミナに敗北して絶望していた態度とは一変。清々しい程に生き生きとしており、その目は、眼前にまで迫った野望の達成を歓喜している顔だった。
すると、アルダナは律儀にハスカートの話を聞いていたが、一つ息を吐くと、口を開いた。
「くだらんな」
「……は?」
「だから、くだらんと言ったのだ。我が封印されてから何年経った後の書物の話をしている。どこぞの阿呆が我に理想を押し付け、書き記したに違いないな」
ハスカートの期待を一蹴するような言い方をする。
という事は、アルダナにそんな能力はない……?とアミナは心の中で呟く。
「そ、そんな……私の十数年は……一体……」
もう我を失う程の怒りで癇癪を起こしたりはしないようだ。
深すぎる絶望や失望は、怒りを通り越して無力感へと変わる。彼女はきっとそういった状態なのだろう。
俯いて膝から崩れ落ちているハスカートを見て、アルダナは少し口角を上げた。
「だが、我を復活させた事、大儀であった。我の力は授けてやれんが、我の魔力を分け与えよう」
そう呟いて、人差し指から何か液体のようなものをハスカートへと垂らした。
それが頭に落ちたハスカートは、頭に液体が落下した瞬間に、とてつもない断末魔をあげ始めた。
耳を劈くような絶叫が、更地と化した森に木霊した。
「ア゛ッ――ア゛ア゛ア゛アアアアアアアアァァァッ!!」
嗄れた声が喉の奥から掻き毟るように漏れ出す。声にならない声。
理性の欠片も残らない、ただ焼け付くような苦痛と恐怖に支配された咆哮だった。
「グ……アァァア……ガ……アアアアアアアァァ!!」
体が痙攣し、背中を弓なりに反らせて仰け反る。骨がきしみ、関節が外れたようにぎこちない動きを見せながら、彼女は地面を這う。
爪が砕けても、指先を石に擦り付けながら、ただ逃れようともがいていた。
「ィイッ……ィギィィイイイイィィィ!!ア゛ア゛ア゛アアアアアア!!」
眼球が潰れそうなほどに見開かれ、唇はよだれと血で泡立ち、声は喉の奥で潰れてなお続く。
肉の焼ける匂いが教会の中に立ちこめる。皮膚の下で何かが蠢くような音すら響き出し、彼女の全身が軋み始める。
「オ゛……ッガ……アァァアアアアアアア!!」
その音は悲鳴というよりも、もはや人間の喉が出せる限界を超えた獣の遠吠えに似ていた。
壊れた歯を噛み砕き、舌を噛み切る直前まで叫び続ける。
床に倒れ込んだ体がびくびくと跳ね、筋肉が勝手に引き攣っている。
耳からは赤黒い液体が流れ、鼻腔を伝って血と泡とが溢れ出した。
それでも声は止まらない。いや、止められない。
「ァアアアアアァァアアアアアアアアアアアアッ!!!」
限界を超えた絶叫。咽び、咆え、呻き、泣き、喉を裂いてなお絞り出される悲鳴の連続。
その声はまるで、魂そのものが断ち切られ、破裂していく過程を音にしたかのようだった。
叫びが止んだのは、ほんの一瞬の静寂だった。
あれ程喉を裂き、声帯を焼き切るほどに断末魔を上げ続けていたハスカートの身体が、動きを止めた。
石のように硬直し、うつ伏せのまま痙攣もせず、血と唾液の混じった液体にまみれて、床に沈黙する。
アミナはその姿を見て、一瞬目を細めた。息絶えたのか。
いや、それならば……それならば、この凄絶な魔力の渦はなんなのだ。
圧があった。重力が増したような空気の重たさが、アミナの肺を圧迫する。
目の奥に針が刺さるような鈍痛と、耳の鼓膜を震わせる振動。
魔力に敏感ではないはずの彼女ですら、吐き気すら催すほどの何かがこの空間を侵食していた。
その時――
ミシ、ミシミシ……ッ、ピキィ……!
骨がきしむ音がした。ハスカートのものだ。
床に伏していたはずのその身体が、ぎこちなく、しかし確実に持ち上がる。
「――……ッ」
アミナは無言で後退った。背骨がひとりでに持ち上がっていく。
まるで、吊るされた操り人形のように。腕がねじれ、関節が反転しながらも繋がってゆく。
人間の骨格では有り得ない角度で、しかし奇妙にまとまりのある動きで、ハスカートは立ち上がった。
その皮膚はどす黒く変色し、あちこちが裂けては再構築されるように蠢いている。
目は赤黒く濁り、しかしその奥に喜悦の光が、狂気じみた光が宿っていた。
「……ふ、ふふ……ふ、あああ……ああアアア……来た……ッ、これ……これよ、これこそ……!」
乾いた喉から漏れる声は、嬉々として震えていた。
肉が破れ、背中が裂ける音がした。ブチブチ……ッ!と生臭い音を立て、そこから不恰好な翼が突き出た。
それは何かの獣の皮を繋ぎ合わせたような、縫い目だらけの醜悪な翼。翼膜は赤黒く、虫食いだらけのように穴が空き、時折そこから瘴気のような魔力が漏れている。
ハスカートは狂ったように笑いながら、床を蹴った。
ゴッ!という爆音と共に跳躍したその姿は、まるで弾丸のように天井を突き抜けそうな勢いで飛翔し、
――次の瞬間、ツギハギの翼を広げ、月明かりの夜空へと向かって舞い上がった。
「はは……はははははははははははは!!力よッ!これが……これがあの連中の上に立つ力よォォォォ!!」
甲高い咆哮をあげながら、ハスカートは夜の彼方、ゼゴット村の方角へと、一直線に飛び去っていった。
その後ろ姿を見送るしかないアミナは、あまりの圧に、膝が自然と落ちていた。
息が、詰まる。
呼吸ができない。全身を包む魔力の圧が、肺を締め付ける。心臓を握り潰されそうな恐怖があった。
――これが、神の力。
そう、理解せざるを得なかった。
「……な、何を……彼女に、何をしたんですか!!」
震える声を絞り出す。自分でも感情の輪郭が見えないまま、しかし口が勝手に叫んでいた。
そんなアミナを横目で見るように、アルダナはゆっくりと振り向く。
結膜が黒く染まったその目が、まるで時間を止めるように冷たい光を帯びていた。
「……我の魔力を、くれてやったまでの事。望んだのはあの者だ」
「っ……!」
「だが、ただの人間が、我の魔力に耐えられるはずもなかろう。いずれ自我は崩壊し、完全なる魔と化す。理も理性も、全ては失われる。――すでに兆しはあるようだがな」
声は冷ややかで、むしろ哀れみのような響きさえあった。
それを聞いたアミナの中で、怒りが湧いた。
恐怖の裏にある、これ以上放っておけば取り返しのつかない何かを直感した。
「さて、我にはやるべき事がある。さらばだ、人間の小娘」
そう呟いてアルダナは空中へと飛び上がる。
その時には銅像にあったような翼は無く、それでも宙に浮かび上がっていた。
アルダナは飛ぶ方角を決めようと何かを見定めている。
すると突然、アルダナの頬にとてつもない衝撃が与えられる。
「―――」
全く意に介していない様子で頬に撃ち込まれた物を見た。
それは鋭利な石で、アルダナの頬に触れた瞬間に粉々になったのを見ると、凄まじい速度で飛んできたのがよく分かる。
足に力を込めて、立ち上がる。小さく息を吸い、目の前の存在をまっすぐに見据えた。
「……こんな危険な力を持っている人を、ここから出す訳にはいきません」
その言葉に、アルダナは一拍置き、口元を歪ませた。
「――この我を、人間呼ばわりか、小娘」
ぞわり、と空間が波打つ。
周囲の風景が歪み、空気が震えた。
床に黒い紋章が浮かび上がり、アルダナの周囲に巻き起こる風圧が、小屋の瓦を吹き飛ばす勢いで荒れ狂う。
アルダナは、戦う気だ。
次の瞬間、アミナは剣の柄を握りしめ、地面を蹴り、目の前のそれと対峙することを選んでいた。
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