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4.朔夜の出来事
1-2.生繭の憑き物士
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深い、深い...
水底の景色ってきっとこんな感じ。
白っぽい陽光が、視界のはるか上で、ぼんやり、ゆらゆらと揺れて__
見渡す周囲はぐるりと闇の中。
外の世界の音は、ぼわんぼわんと聞こえにくく響いて
目を閉じれば眠りの世界に、どこまでも落ちて行ける。
「私、何をしていたんだっけ?」
独り言はトンネルの中のように響いて虚ろに抜けて誰に届くこともなく。
それでも、まあいいやなんて思うほどに、意識を保つことが気だるい。
「そういえば、あの、黒い蝶々...どうなったかな」
あの日は、ローカルテレビでインタビューを受けていた神主見習いさんを見に行こうと、友達グループに誘われて、深見神社まで行ったんだ。
普段ならそんな誘いにはついていかないんだけど...
私の一つ下の歳で、お家が神社をやっているんだとしても、もう将来を決めて学業と家業の手伝いを両立させているのって凄いなって、純粋な好奇心でその誘いに乗った。
なかなかお目当ての神主見習いさんに会えなくて、バイトの時間の子がいたから、そのまま現地解散になった。
他の子はそのまま近場のモールで服とかを買いに行くらしかったけど、私は家に帰ることにしたんだ。
バスに揺られて、ちょっとだけ酔ってしまったから、家に入る前にちょっとだけ庭へ行くことにした。
ふと、アネモネの植えてある辺りで、
地べたで羽を休ませている真っ黒な揚羽蝶を見つけた。
可哀想だなって思ったけど、触るのは躊躇われてどうしようか?って思ってから...それから...
「思い出せないなぁー」
――あ、遠くで薫くんの声が聞こえる?
小さいころからの幼馴染で、活発な薫くん。
同い年なのにお兄さんみたいに、グイグイ引っ張ってくれるからいつも後ろをついて歩いてた。
時々、私の部屋に遊びに来てくれて、でも、私の部屋には男の子の好きそうなオモチャはないのに、ドールハウスでのおままごとでも、嫌がらず楽しそうに遊んでくれた。
中学校に上がる前くらいから、友達に「好きなんじゃん?」とか言われたけど、恋愛とかそういう好きと違くて...パパに向ける感情に近いかな、安心感というか...任せておけばOKみたいな信頼感。
それにべったり甘えて、なにかというと頼ってしまう。
このままじゃダメだとは分かってても、その楽さについ流されている日々。
家と、学校、限られた友人、薫くん...私の世界に在るのはたったそれだけだ。
「ねぇ、今日はいつにも増してぼんやりしてるけど、大丈夫なの?」
「あ、えっと、うん、いつも通り」
薫くんの声で、意識が徐々に水面へと引き戻されていく。
そうだ、今、学校に行く途中だった。
そう、あの黒い蝶々を見たという記憶から、徐々に私の記憶は細切れになっていっている。
ぼんやりしてて、気づくと2~3時間立っていたなんてざらにあって、
酷い時なんか、気づいたら一日経っていたなんてこともある。
「だめだなぁ...もうすぐ受験始まるのにね、このままじゃヤバイかも」
「小春だったら入試の最中寝てるとかありえるかもなぁ…気を付けろよ」
「流石にそれはないよー...たぶん、ね」
”それはない”って言ってみて、本当に?私、本当に大丈夫なのかな?って不安になる。
だって、今さっきだって...意識、ほとんどなかった。
(病気、なのかな?テレビでそんなのやってた気がする)
でも、だったらなおさらこの時期に親や薫くんに心配かけたくないなって思う。
受験が終わったら、相談しようって決めて黙っていることにしたんだ。
「”たぶん”なのかよ、がんばれよー?同じ高校に入るんだろ」
「同じ高校がいいよー、がんばるっ」
そう、薫くんと同じ高校に入れるまでは頑張るんだから。
薫くんは、小さいころから警察官か消防士になりたいって言ってた。
今も、たぶんその夢は変わってない。
だから、高校を卒業しちゃったら、流石に進路は別々だから...
せめて、高校までは一緒に居たいなぁ。
そんなことを考えていられたのも、初めのうちだけだった。
更に意識のない日が続いて、ふと、気づいたら私__
「私、なにしてるの?」
手には、同じクラスの三谷さんの上靴。
向かっている先は、グラウンドの端っこ。
そこにはフェンスが張ってあって、誤って側を流れる用水路に落ちたりする事故を防げるようになっている。
そのフェンスの一部がめくれていて、私...三谷さんの上靴、そこに突っ込もうとしてた。
「ダメ、ダメだよ?どういう事?」
幸い人目がなかったから、慌てて上靴を胸に抱え込んだ。
下駄箱まで走って戻って、人気がないことを確認してから、そっと彼女の靴箱に上履きを戻した。
心臓がバクバクと音を立てた。
意識が戻らなかったら、私、あのまま上履きを落としてた?
なんで、三谷さん?
その答えはなんとなく分かる気がした。
薫くんの事が好きらしいって噂で聞いたことがある。
卒業までに告白するらしいって事も...
(私、それがイヤだったのかな?無意識であんなコトしちゃうくらいに?)
それからはなるべく意識は保っていようと思った。
好きな事や、集中しているときは意識を持っていられることが多かったから、なるべく楽しいことを考えて過ごすことにした。
そのせいで、会話に薫くんが登場する頻度が増えて、周りにも言われたけど、自分でも自分の世界
の狭さに改めて驚いた。
でも、意識が外れると、私、悪いことをしちゃいそうになって怖かった。
例えば、自分の陰口をうっかり聞いちゃった時なんか、言ってた子たちの鞄の前で、紙パック入りのジュースを握りしめてたりした。
多分、鞄の中に中身をぶちまける気だったんだとおもう。
自分が、自分を信じられなくなっていって、どうしようもなく怖かった。
自分の知らないもう一人の自分が、体を支配していく感覚。
春が来て、無事、高校に合格してからも
結局、私は誰にもその事を言えないままでいる。
いつものように、朝、薫くんは迎えに来てくれて、いつもの調子で片手を軽くあげるんだ。
「おー、おはよ」
「おはよう、薫くん…寝ぐせついたまんまだよ」
「別にいいじゃん、しばらくすれば分かんなくなるんだから」
いつものように、後頭部にハネた寝ぐせ。
その辺りを手櫛で掻いて、「イジるなよ」って苦笑いする。
今日は、なんだか今までの悩みをスルッと言えそうだったから口を開いてみる。
「あのさ…私ね、何があっても味方でいてくれる薫くんの事、本当に大事でさ…だから、これからも、何があっても”私”のこと信じてくれる?」
「はぁ?何の話し?ってか…どういう事?」
唐突に切り出された話だったから、薫くんは訳が分からなかったと思う。
本当は、私の中に別の誰かがいて、その人格?に支配されそうで怖いって言いたかった。
一気に全部、この心の不安ごと、全部吐き出してしまいたい。
でも、たぶん、きっと薫くんでも受け止めきれないんじゃないかなって思ってしまった。
思ってしまうと、言葉にすることができず、喉の辺りで言葉はつっかえた。
「んー、なんでもない。忘れて!変な事言った、ごめんね」
「なんだよー、気になるじゃん」
「いいの、なんか、ふっとね…思っただけだから」
えへへ…って笑ってごまかして、今は真っすぐに薫くんを見ることができない。
涙が薄く滲んできて、このままだとマズい、泣いちゃうって思った。
(えっと、何か…ないかな。別の話題、ええっと)
パッと目に入ったのはリューココリーネって花。
「あ…この花ね、私の好きな花なんだ。花言葉は”信じる心”とか”あたたかい心”なんだけど、ひとつの茎に何個か一緒に花が咲くでしょ?それが家族みたいでほっこりする――って、興味ないな?その顔は」
ふーん、と言いながらも目線は別の何かを探して、こちらを向いてない。
「もう、いいよ、学校行こう」
「なんだよ、ちゃんと聞いてたって、リュー…」
「リューココリーネだって、ほら、聞いてないでしょ?もういいよ。えーっと、なんだっけ?昨日話してた、薫くんの新しい友達の話、聞きたいなぁ」
他愛のない毎日が、ぜんぜん他愛なくなくて、一日一日がこんなに大事なんだって思う。
私が、私のままで居られるのはあとどのくらいなんだろう?
その予想は当たって、気づけば私、凄く嫌な子になってる。
薫くんの話題を誰かが出すだけでイラついて、”私のモノに触るな”なんて気分になってしまう。
それが私自身の感情なのか、私を支配する誰かの気持ちなのかは分からないけど。
「ねえ、偉そうにマウントとってくるヤツってアンタ?」
久しぶりに意識の水面へと浮上したと思ったら、いきなりそんな言葉が降ってきた。
何のことかわからず、「え?」って聞き返すと、肩を押されてバランスを崩す。
「いきなり何するの…?」
「はぁ?アンタこそ、いきなり他人の会話に割って入って、他人のメンタル傷つけていいと思ってるわけ?!」
「__ごめん、意味が分からない」
「うっわ、サイテー。自分のやったことが、どんだけ人を傷つけたかもわからないんだ?アンタみたいなのが、幼馴染って岩城も苦労してんだろうね」
なんで薫くんの名前が出てくるんだろう?
この子はなにに怒ってて、私は何をしたんだろう?
こちらの様子に、ますますヒートアップした様子で彼女はまくし立てる。
「綾子の事、傷つけたでしょって言ってるの!」
「アヤコ…?」
誰だっけ?そんな子とかかわった事あった?むしろ、目の前で怒っている子の名前だって知らない。
「え?マジで言ってんの?やめてって言ってんのに、『岩城に本気になっちゃったって言っちゃおうかな~』とかってイジリ倒しといて、泣かせた相手だよ?」
そんな事、私がする訳ない…”私”ならそんなひどい事しない。
だけれど、私の中の”もう一人”は、どうだろう?
何も答えない私の様子に更に語調が強くなる。
「マジ、イカレてるねアンタ。もういいわ!これから、ワタシらの前に現れないでくれる?つーか、この学校から失せろよ、キモイんだわ。――あー、ホント、同じ空気吸いたくない」
なんで、そんな事を言われなくちゃならないんだろう…
私がやったわけじゃないのに、なんで私がこんな目に合うんだろう…
――消えたい
ほんの僅かばかり思った瞬間だった。
『見てらんない、アタシに任せなよ』
その時、初めて自分の中の”もう一人”の声が聞こえた。
『”火焔”の力はアタシのモノなんだから!誰にも近寄らせないし、渡さない』
肩を掴まれて、後ろに庇われるような感覚。
そのまま私は自分の”内側”へと引き戻されて、きっとあの子が私の”表”に登場するのだろう。
(今までのことは、あの子がやってきた事なんだ…)
”火焔”の力とか言ってた。
それって何のことだろう?まあいいや…すべてあの子に任せてしまおう。
そうして、私は私の内側でぼんやりと外の世界の出来事を、まるでドラマでも見ている気分で眺めた。
「アタシに失せろって?なんでアンタにそんなこと言われないといけないワケ?」
「本性出してきたじゃん。さっきまで、何のこと?みたいなフリしてたくせに」
「アヤコかなんだか知らないんだけどさ、まず、お前誰だよ?なんだけど」
「は?」
「アンタ無関係じゃん、そのアヤコってのが言ってくるんなら分かるけど、なんでアンタに失せろとまで言われなきゃいけないワケ?」
(この子、凄い…私だったら絶対そんな事言えないのに)
私の中のもう一人のズバッと言う性格を羨ましいと思った。
正しいとは思わない、ムカつく相手の上靴を隠したり、ジュースをぶちまけようとしたり…
でも、自分の気持ちに正直に行動を起こせるのは、凄く羨ましい。
私も、そうだったら、今の狭い世界なんか飛び出して、将来の夢もあって、交友関係も広がっていただろうか。
「綾子は優しい子だから言い返せないでいるの、だから、代わりに私が言ってるんじゃん?」
「本当にそう思ってる?アヤコの代弁者みたいな顔して、自分の正義を振り回したいだけなんじゃない?」
「アタシがなんだろうと、アンタが綾子を泣かせた事実は変わんないじゃんっ!」
(凄い、押してる…)
相手が顔を赤くして、感情のままに机をバンッと叩いた。
クラス中の目線が、こちらの口論に集まっているのが分かる。
「だからって、アンタに言われる筋合いないよね?人に命令できるほどアンタ偉いわけ?」
「どの口がっ!」
「え?言えるよね、だって今回の件に無関係なヤツに偉そうに口挟まれて、黙ってる方がバカじゃない?お前こそ失せろよって感じ…って言うか――」
私の中のもう一人が、クスッと笑って最後の一言を放つ。
それが私の心を震わせた。
まるで、マンガに出てくる悪役令嬢。
悪びれもしない孤高の女王のようで、なんだか心が昂った。
「アンタなんか生きてる価値すらないんじゃない?」
ムカつく相手は、その存在すら許さない…
私だったら、その先なんて反撃されるかって不安で絶対言うことのないセリフ。
相手はなんて返してくるだろう?
そう思って相手を見る。
――え?
その子は、そのまま目を皿のように見開いたまま、ゆっくりと崩れ落ちていったんだ。
水底の景色ってきっとこんな感じ。
白っぽい陽光が、視界のはるか上で、ぼんやり、ゆらゆらと揺れて__
見渡す周囲はぐるりと闇の中。
外の世界の音は、ぼわんぼわんと聞こえにくく響いて
目を閉じれば眠りの世界に、どこまでも落ちて行ける。
「私、何をしていたんだっけ?」
独り言はトンネルの中のように響いて虚ろに抜けて誰に届くこともなく。
それでも、まあいいやなんて思うほどに、意識を保つことが気だるい。
「そういえば、あの、黒い蝶々...どうなったかな」
あの日は、ローカルテレビでインタビューを受けていた神主見習いさんを見に行こうと、友達グループに誘われて、深見神社まで行ったんだ。
普段ならそんな誘いにはついていかないんだけど...
私の一つ下の歳で、お家が神社をやっているんだとしても、もう将来を決めて学業と家業の手伝いを両立させているのって凄いなって、純粋な好奇心でその誘いに乗った。
なかなかお目当ての神主見習いさんに会えなくて、バイトの時間の子がいたから、そのまま現地解散になった。
他の子はそのまま近場のモールで服とかを買いに行くらしかったけど、私は家に帰ることにしたんだ。
バスに揺られて、ちょっとだけ酔ってしまったから、家に入る前にちょっとだけ庭へ行くことにした。
ふと、アネモネの植えてある辺りで、
地べたで羽を休ませている真っ黒な揚羽蝶を見つけた。
可哀想だなって思ったけど、触るのは躊躇われてどうしようか?って思ってから...それから...
「思い出せないなぁー」
――あ、遠くで薫くんの声が聞こえる?
小さいころからの幼馴染で、活発な薫くん。
同い年なのにお兄さんみたいに、グイグイ引っ張ってくれるからいつも後ろをついて歩いてた。
時々、私の部屋に遊びに来てくれて、でも、私の部屋には男の子の好きそうなオモチャはないのに、ドールハウスでのおままごとでも、嫌がらず楽しそうに遊んでくれた。
中学校に上がる前くらいから、友達に「好きなんじゃん?」とか言われたけど、恋愛とかそういう好きと違くて...パパに向ける感情に近いかな、安心感というか...任せておけばOKみたいな信頼感。
それにべったり甘えて、なにかというと頼ってしまう。
このままじゃダメだとは分かってても、その楽さについ流されている日々。
家と、学校、限られた友人、薫くん...私の世界に在るのはたったそれだけだ。
「ねぇ、今日はいつにも増してぼんやりしてるけど、大丈夫なの?」
「あ、えっと、うん、いつも通り」
薫くんの声で、意識が徐々に水面へと引き戻されていく。
そうだ、今、学校に行く途中だった。
そう、あの黒い蝶々を見たという記憶から、徐々に私の記憶は細切れになっていっている。
ぼんやりしてて、気づくと2~3時間立っていたなんてざらにあって、
酷い時なんか、気づいたら一日経っていたなんてこともある。
「だめだなぁ...もうすぐ受験始まるのにね、このままじゃヤバイかも」
「小春だったら入試の最中寝てるとかありえるかもなぁ…気を付けろよ」
「流石にそれはないよー...たぶん、ね」
”それはない”って言ってみて、本当に?私、本当に大丈夫なのかな?って不安になる。
だって、今さっきだって...意識、ほとんどなかった。
(病気、なのかな?テレビでそんなのやってた気がする)
でも、だったらなおさらこの時期に親や薫くんに心配かけたくないなって思う。
受験が終わったら、相談しようって決めて黙っていることにしたんだ。
「”たぶん”なのかよ、がんばれよー?同じ高校に入るんだろ」
「同じ高校がいいよー、がんばるっ」
そう、薫くんと同じ高校に入れるまでは頑張るんだから。
薫くんは、小さいころから警察官か消防士になりたいって言ってた。
今も、たぶんその夢は変わってない。
だから、高校を卒業しちゃったら、流石に進路は別々だから...
せめて、高校までは一緒に居たいなぁ。
そんなことを考えていられたのも、初めのうちだけだった。
更に意識のない日が続いて、ふと、気づいたら私__
「私、なにしてるの?」
手には、同じクラスの三谷さんの上靴。
向かっている先は、グラウンドの端っこ。
そこにはフェンスが張ってあって、誤って側を流れる用水路に落ちたりする事故を防げるようになっている。
そのフェンスの一部がめくれていて、私...三谷さんの上靴、そこに突っ込もうとしてた。
「ダメ、ダメだよ?どういう事?」
幸い人目がなかったから、慌てて上靴を胸に抱え込んだ。
下駄箱まで走って戻って、人気がないことを確認してから、そっと彼女の靴箱に上履きを戻した。
心臓がバクバクと音を立てた。
意識が戻らなかったら、私、あのまま上履きを落としてた?
なんで、三谷さん?
その答えはなんとなく分かる気がした。
薫くんの事が好きらしいって噂で聞いたことがある。
卒業までに告白するらしいって事も...
(私、それがイヤだったのかな?無意識であんなコトしちゃうくらいに?)
それからはなるべく意識は保っていようと思った。
好きな事や、集中しているときは意識を持っていられることが多かったから、なるべく楽しいことを考えて過ごすことにした。
そのせいで、会話に薫くんが登場する頻度が増えて、周りにも言われたけど、自分でも自分の世界
の狭さに改めて驚いた。
でも、意識が外れると、私、悪いことをしちゃいそうになって怖かった。
例えば、自分の陰口をうっかり聞いちゃった時なんか、言ってた子たちの鞄の前で、紙パック入りのジュースを握りしめてたりした。
多分、鞄の中に中身をぶちまける気だったんだとおもう。
自分が、自分を信じられなくなっていって、どうしようもなく怖かった。
自分の知らないもう一人の自分が、体を支配していく感覚。
春が来て、無事、高校に合格してからも
結局、私は誰にもその事を言えないままでいる。
いつものように、朝、薫くんは迎えに来てくれて、いつもの調子で片手を軽くあげるんだ。
「おー、おはよ」
「おはよう、薫くん…寝ぐせついたまんまだよ」
「別にいいじゃん、しばらくすれば分かんなくなるんだから」
いつものように、後頭部にハネた寝ぐせ。
その辺りを手櫛で掻いて、「イジるなよ」って苦笑いする。
今日は、なんだか今までの悩みをスルッと言えそうだったから口を開いてみる。
「あのさ…私ね、何があっても味方でいてくれる薫くんの事、本当に大事でさ…だから、これからも、何があっても”私”のこと信じてくれる?」
「はぁ?何の話し?ってか…どういう事?」
唐突に切り出された話だったから、薫くんは訳が分からなかったと思う。
本当は、私の中に別の誰かがいて、その人格?に支配されそうで怖いって言いたかった。
一気に全部、この心の不安ごと、全部吐き出してしまいたい。
でも、たぶん、きっと薫くんでも受け止めきれないんじゃないかなって思ってしまった。
思ってしまうと、言葉にすることができず、喉の辺りで言葉はつっかえた。
「んー、なんでもない。忘れて!変な事言った、ごめんね」
「なんだよー、気になるじゃん」
「いいの、なんか、ふっとね…思っただけだから」
えへへ…って笑ってごまかして、今は真っすぐに薫くんを見ることができない。
涙が薄く滲んできて、このままだとマズい、泣いちゃうって思った。
(えっと、何か…ないかな。別の話題、ええっと)
パッと目に入ったのはリューココリーネって花。
「あ…この花ね、私の好きな花なんだ。花言葉は”信じる心”とか”あたたかい心”なんだけど、ひとつの茎に何個か一緒に花が咲くでしょ?それが家族みたいでほっこりする――って、興味ないな?その顔は」
ふーん、と言いながらも目線は別の何かを探して、こちらを向いてない。
「もう、いいよ、学校行こう」
「なんだよ、ちゃんと聞いてたって、リュー…」
「リューココリーネだって、ほら、聞いてないでしょ?もういいよ。えーっと、なんだっけ?昨日話してた、薫くんの新しい友達の話、聞きたいなぁ」
他愛のない毎日が、ぜんぜん他愛なくなくて、一日一日がこんなに大事なんだって思う。
私が、私のままで居られるのはあとどのくらいなんだろう?
その予想は当たって、気づけば私、凄く嫌な子になってる。
薫くんの話題を誰かが出すだけでイラついて、”私のモノに触るな”なんて気分になってしまう。
それが私自身の感情なのか、私を支配する誰かの気持ちなのかは分からないけど。
「ねえ、偉そうにマウントとってくるヤツってアンタ?」
久しぶりに意識の水面へと浮上したと思ったら、いきなりそんな言葉が降ってきた。
何のことかわからず、「え?」って聞き返すと、肩を押されてバランスを崩す。
「いきなり何するの…?」
「はぁ?アンタこそ、いきなり他人の会話に割って入って、他人のメンタル傷つけていいと思ってるわけ?!」
「__ごめん、意味が分からない」
「うっわ、サイテー。自分のやったことが、どんだけ人を傷つけたかもわからないんだ?アンタみたいなのが、幼馴染って岩城も苦労してんだろうね」
なんで薫くんの名前が出てくるんだろう?
この子はなにに怒ってて、私は何をしたんだろう?
こちらの様子に、ますますヒートアップした様子で彼女はまくし立てる。
「綾子の事、傷つけたでしょって言ってるの!」
「アヤコ…?」
誰だっけ?そんな子とかかわった事あった?むしろ、目の前で怒っている子の名前だって知らない。
「え?マジで言ってんの?やめてって言ってんのに、『岩城に本気になっちゃったって言っちゃおうかな~』とかってイジリ倒しといて、泣かせた相手だよ?」
そんな事、私がする訳ない…”私”ならそんなひどい事しない。
だけれど、私の中の”もう一人”は、どうだろう?
何も答えない私の様子に更に語調が強くなる。
「マジ、イカレてるねアンタ。もういいわ!これから、ワタシらの前に現れないでくれる?つーか、この学校から失せろよ、キモイんだわ。――あー、ホント、同じ空気吸いたくない」
なんで、そんな事を言われなくちゃならないんだろう…
私がやったわけじゃないのに、なんで私がこんな目に合うんだろう…
――消えたい
ほんの僅かばかり思った瞬間だった。
『見てらんない、アタシに任せなよ』
その時、初めて自分の中の”もう一人”の声が聞こえた。
『”火焔”の力はアタシのモノなんだから!誰にも近寄らせないし、渡さない』
肩を掴まれて、後ろに庇われるような感覚。
そのまま私は自分の”内側”へと引き戻されて、きっとあの子が私の”表”に登場するのだろう。
(今までのことは、あの子がやってきた事なんだ…)
”火焔”の力とか言ってた。
それって何のことだろう?まあいいや…すべてあの子に任せてしまおう。
そうして、私は私の内側でぼんやりと外の世界の出来事を、まるでドラマでも見ている気分で眺めた。
「アタシに失せろって?なんでアンタにそんなこと言われないといけないワケ?」
「本性出してきたじゃん。さっきまで、何のこと?みたいなフリしてたくせに」
「アヤコかなんだか知らないんだけどさ、まず、お前誰だよ?なんだけど」
「は?」
「アンタ無関係じゃん、そのアヤコってのが言ってくるんなら分かるけど、なんでアンタに失せろとまで言われなきゃいけないワケ?」
(この子、凄い…私だったら絶対そんな事言えないのに)
私の中のもう一人のズバッと言う性格を羨ましいと思った。
正しいとは思わない、ムカつく相手の上靴を隠したり、ジュースをぶちまけようとしたり…
でも、自分の気持ちに正直に行動を起こせるのは、凄く羨ましい。
私も、そうだったら、今の狭い世界なんか飛び出して、将来の夢もあって、交友関係も広がっていただろうか。
「綾子は優しい子だから言い返せないでいるの、だから、代わりに私が言ってるんじゃん?」
「本当にそう思ってる?アヤコの代弁者みたいな顔して、自分の正義を振り回したいだけなんじゃない?」
「アタシがなんだろうと、アンタが綾子を泣かせた事実は変わんないじゃんっ!」
(凄い、押してる…)
相手が顔を赤くして、感情のままに机をバンッと叩いた。
クラス中の目線が、こちらの口論に集まっているのが分かる。
「だからって、アンタに言われる筋合いないよね?人に命令できるほどアンタ偉いわけ?」
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「え?言えるよね、だって今回の件に無関係なヤツに偉そうに口挟まれて、黙ってる方がバカじゃない?お前こそ失せろよって感じ…って言うか――」
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それが私の心を震わせた。
まるで、マンガに出てくる悪役令嬢。
悪びれもしない孤高の女王のようで、なんだか心が昂った。
「アンタなんか生きてる価値すらないんじゃない?」
ムカつく相手は、その存在すら許さない…
私だったら、その先なんて反撃されるかって不安で絶対言うことのないセリフ。
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――え?
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盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
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