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第四話
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それからまた、数日が経った。
わたしはあの日からルーファウスが姿を見せないことにホッとしていた。
家の鍵はすべて取り換えていたが、一切外出しないわけも行かない。どこでかれがあらわれるかわからないという日々は、神経に堪えた。
しかし、その気持ちも何ごとも起こらないまま何日かが過ぎ去ると緩む。わたしはひょっとしたらかれはこのまま姿を見せないかもしれないと、希望的観測を現実と混同しはじめた。
だが、それはやはり甘い考えに過ぎなかった。ある日の夕方、偶然に道でひとりになったとき、ルーファウスはやって来たのである。
あまりに都合の良いタイミングで、ずっとわたしのことを見張っていたとしか思えない。恐ろしいことだ。
「よう、メロディア。また逢ったな」
わたしは、一見すると陽気な、しかしかぎりなく不快でならない笑顔を浮かべ、少しずつにじり寄って来るルーファウスから距離を置こうと後ずさった。
もはや言葉を交わすつもりにもなれない。ただ、この男がおぞましく、逃げ出したかった。逃げ出したところで、根本的な解決にはならないことはわかりきっていたのだが。
ルーファウスはその不気味な笑顔を貼りつかせたまま、一歩一歩、わたしのほうに近寄って来る。何かぶつぶつと口のなかで呟いていた。
「逃げるなよ、メロディア。じつはおれはおまえと別れてから、何もかもうまくいかなくてな。いま思えば、おまえはおれにとっての幸運の女神みたいな存在だったんだな。なあ、もういちどいっしょになろうぜ。そうすれば、おれにもまた幸運がやって来るはずだ。それとも、おまえの屋敷から出て行ったあの美形とよろしくやっているのか? ふた股をかけるつもりじゃないだろうな? おれのメロディア。浮気は許さないぞ」
云っていることのつじつまがまったく合っていない。その笑顔は、いまや狂人のそれにも見えてきた。
どしがたいことに、このとき、初めてわたしはかれがほんとうに危険な存在だと気づいたのかもしれなかった。
このときまでは、ルーファウスはわたしから金を巻き上げようとはしても、まさか肉体的に傷つけたりはしないだろうと思っていたのだ。
しかし、そうではなかった。この男は暴力を振るってでもわたしに云うことを聞かせようとしている!
わたしは助けを求めようと、悲鳴をあげようとしたが、ルーファウスの手が口をふさぐほうが一瞬速かった。わたしはもがく。だが、ルーファウスの拳がわたしの腹にめり込み、そして――
と、そのときだった。ひとりの男が魔法のようにすばやくその場にあらわれ、ルーファウスの腕をひねり上げていた。
もうひとりの男性が、わたしに優しく声をかけてくれる。
「大丈夫ですか? 申し訳ない。出るのが遅れました。なるべく姿を見せないようにという命令だったもので」
「あなたは――?」
わたしは咳き込み、腹を押さえながら訊ねる。その人物は柔らかに笑いかけてくれた。
「わたしは、ドリューヴ王子殿下の命であなたの護衛に就いた者です。ドリューヴ殿下は、あなたのことをとても案じておられ、秘密裏に守るように云われていたのです。殿下は正しかった。おかげで、あなたの窮地に間に合いました。いや、間に合い損ねたというべきかもしれませんが」
その人は首をすくめた。
わたしは安堵の吐息を吐く。
「そうだったんですね……。ありがとうございます。殿下にもお礼を云わなければ」
「二度とこの男があなたのまえにあらわれることができないよう処置いたしましょう。安心してください。我々にはいくつも手がありますから」
わたしは路面に顔を押しつけられたルーファウスの姿をちらりと見た。かつて、恋した男。そして裏切られ、すべてを奪われた男。その男に対し、何の感情も抱いていない自分に気づく。
ただ、このままどこかへ行ってくれればそれでいい。もはや怒りも、憎しみも心のなかになかった。ただむなしさだけが去来していた。
(そうやって一生だれも信じないで生きていくつもり?)
ミーナの言葉が脳裏に浮かぶ。
わたしはいったいどうするべきなのだろう? 思い、迷い、悩みながら、その場に立ち尽くした。
わたしはあの日からルーファウスが姿を見せないことにホッとしていた。
家の鍵はすべて取り換えていたが、一切外出しないわけも行かない。どこでかれがあらわれるかわからないという日々は、神経に堪えた。
しかし、その気持ちも何ごとも起こらないまま何日かが過ぎ去ると緩む。わたしはひょっとしたらかれはこのまま姿を見せないかもしれないと、希望的観測を現実と混同しはじめた。
だが、それはやはり甘い考えに過ぎなかった。ある日の夕方、偶然に道でひとりになったとき、ルーファウスはやって来たのである。
あまりに都合の良いタイミングで、ずっとわたしのことを見張っていたとしか思えない。恐ろしいことだ。
「よう、メロディア。また逢ったな」
わたしは、一見すると陽気な、しかしかぎりなく不快でならない笑顔を浮かべ、少しずつにじり寄って来るルーファウスから距離を置こうと後ずさった。
もはや言葉を交わすつもりにもなれない。ただ、この男がおぞましく、逃げ出したかった。逃げ出したところで、根本的な解決にはならないことはわかりきっていたのだが。
ルーファウスはその不気味な笑顔を貼りつかせたまま、一歩一歩、わたしのほうに近寄って来る。何かぶつぶつと口のなかで呟いていた。
「逃げるなよ、メロディア。じつはおれはおまえと別れてから、何もかもうまくいかなくてな。いま思えば、おまえはおれにとっての幸運の女神みたいな存在だったんだな。なあ、もういちどいっしょになろうぜ。そうすれば、おれにもまた幸運がやって来るはずだ。それとも、おまえの屋敷から出て行ったあの美形とよろしくやっているのか? ふた股をかけるつもりじゃないだろうな? おれのメロディア。浮気は許さないぞ」
云っていることのつじつまがまったく合っていない。その笑顔は、いまや狂人のそれにも見えてきた。
どしがたいことに、このとき、初めてわたしはかれがほんとうに危険な存在だと気づいたのかもしれなかった。
このときまでは、ルーファウスはわたしから金を巻き上げようとはしても、まさか肉体的に傷つけたりはしないだろうと思っていたのだ。
しかし、そうではなかった。この男は暴力を振るってでもわたしに云うことを聞かせようとしている!
わたしは助けを求めようと、悲鳴をあげようとしたが、ルーファウスの手が口をふさぐほうが一瞬速かった。わたしはもがく。だが、ルーファウスの拳がわたしの腹にめり込み、そして――
と、そのときだった。ひとりの男が魔法のようにすばやくその場にあらわれ、ルーファウスの腕をひねり上げていた。
もうひとりの男性が、わたしに優しく声をかけてくれる。
「大丈夫ですか? 申し訳ない。出るのが遅れました。なるべく姿を見せないようにという命令だったもので」
「あなたは――?」
わたしは咳き込み、腹を押さえながら訊ねる。その人物は柔らかに笑いかけてくれた。
「わたしは、ドリューヴ王子殿下の命であなたの護衛に就いた者です。ドリューヴ殿下は、あなたのことをとても案じておられ、秘密裏に守るように云われていたのです。殿下は正しかった。おかげで、あなたの窮地に間に合いました。いや、間に合い損ねたというべきかもしれませんが」
その人は首をすくめた。
わたしは安堵の吐息を吐く。
「そうだったんですね……。ありがとうございます。殿下にもお礼を云わなければ」
「二度とこの男があなたのまえにあらわれることができないよう処置いたしましょう。安心してください。我々にはいくつも手がありますから」
わたしは路面に顔を押しつけられたルーファウスの姿をちらりと見た。かつて、恋した男。そして裏切られ、すべてを奪われた男。その男に対し、何の感情も抱いていない自分に気づく。
ただ、このままどこかへ行ってくれればそれでいい。もはや怒りも、憎しみも心のなかになかった。ただむなしさだけが去来していた。
(そうやって一生だれも信じないで生きていくつもり?)
ミーナの言葉が脳裏に浮かぶ。
わたしはいったいどうするべきなのだろう? 思い、迷い、悩みながら、その場に立ち尽くした。
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