いままで魔女としていくつも恋を応援してきましたが、自分が美形騎士に溺愛されたらどうしても上手に対処できません。

草部昴流

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「アメジスティア、きみが好きだ。心から愛している。わたしと結婚してほしい」

 その若者は、拒まれることなどまったく想像すらしていないことがあきらかなキラキラした目で、アメジスティアに向かって、美しく編まれた薔薇の花束をさし出した。

 彼女は、占術のために使う綺麗に澄んだ水晶球から視線を離し、かれと、かれが手にしたその花束を見つめた。

 この男の、その恐ろしくよく整った秀麗な顔かたちは、こういうとき、いっそ凶器である。

 まったく何て善良で無邪気な人なのだろう。自分の純白の善意を傷つけるものなど、この世にひとつもあるはずがないと心から信じているかのようだ。

 じっさい、その好意を裏切ることは心苦しい。自分がとほうもない悪人のように思えてくる。

 しかし、それでもなお、このような場合、彼女が選べる返答はひとつしかなかった。

「いやです。お断わりします」

「なぜだ!?」

 いまにもあふれ出んばかりに満たされていた、その、薔薇王朝の騎士団長ジェリルの自信は、そのひと言で見るも無残に打ち砕かれた。

 かれは一瞬で憔悴した様子で、泣き崩れんばかりの表情になった。そういうところも可愛いと思ってしまうのは、惚れた欲目だろうか。

 ジェリルの心を傷つけたことは、やはり胸が痛かった。しかし、この人の言葉を真に受けたら、傷つくのは自分のほうなのだ。なぜなら。

「あなただってわかっているでしょうに。わたしはあなたみたいな人と結婚したりできません。というか、だれとも結婚しません。だって、わたしは魔女なんですから!」

 魔女、という個所を思い切り強調した。その言葉が、ジェリルの心の深いところにきちんと届いて、かれの望みは叶わないものなのだと、はっきり思い知らせてくれるように。

 しかし、ジェリルはその言葉を聴くとぽかんとした顔をし、それからにっこりと笑った。

「なんだ、そんなことか。気にすることはない。わたしの父も母も、べつに魔女に偏見を抱いたりしていない。わが家の血統に魔女の血を入れることも気にしないだろう。いや、むしろ、きっときみのことを気に入るに違いない。何しろ、きみは世界一可愛いから」

「やめてください」

 アメジスティアは照れて赤らんだ頬を見られたくなくて、先が折れ曲がった黒い魔女帽子を深く被った。

 ほんとうにどうしてこの男はこう、無神経なセリフを吐くのだろう。長いあいだ、だれかを恋することを知らず、ただ他人の恋愛ばかりを助けて来た自分のような女に、そういう甘い囁きがどういう効果をもたらすかわかっていないのだろうか。

 もしわかっていていっているのならさらに悪質だ。もしそうだったら、絶対に殴ってやる。

 しかし、あらためてジェリルの顔を眺めてみると、そこには、一切の欺瞞も悪意も読み取れなかった。

 やはりかれは純粋に、本心から、自分の好意が彼女に優しくとどくものと信じているのだ。

 好意や、善意すらもが、なまじの悪意より人を傷つける場合があることなど、きっと考えたこともないのだろう。

 つまりは、かれは世間知らずの良家のお坊ちゃんで、魔女と結婚するということがどういうことなのか、まったくわかっていないのだ。

 アメジスティアはいまさらながらに切なく苦いものが胸にこみ上げて来て、苦しくなった。いままでほとんど感じたことがない想いだった。

 どうして、この人はこんなにわたしを苦しめるのだろう。騎士と魔女の結婚なんて、子供向けの絵本にも描かれないようなありえない夢物語なのに。

「とにかく、あなたのお言葉は受け入れられません。他にお仕事がないようなら、帰ってください。できれば、そう、いますぐに」

「どうしてだ、アメジスティア。わたしはきみが好きだ。きみだって、わたしのことを想ってくれているはずだ。そうだろう?」

 ええ、その通りよ、世間の悪意を何も知らない伯爵家のお坊ちゃま。わたしはあなたに切ないくらい恋している。わたしの心は一生、あなたのもの。世界があなたとふたりきりのまま閉ざされたなら、どんなに良いことでしょう。

 でも、その薔薇の花束を受け取ることはできない。なぜなら、わたしがいっしょにいるとあなたを不幸にするから。

 〈夜空の魔女〉アメジスティアは、なるべく冷酷非情に聴こえるよう気をつけて告げた。

「ジェリル様、あなたは誤解しています。わたしはあなたのことなんて何とも思っていません。魔女にそんな感情はないんです。こういうことをされると迷惑ですので、二度となさらないでください」

「アメジスティア……」

 ジェリルは、ひとり、打ち砕かれた自尊心と、誇りと、恋心とを抱えて、うな垂れた。

 その姿を見ていると、思わず「全部嘘です」とそういってやりたくなる。だが、それはできなかった。

 かれは高名な貴族の嫡男で、わたしは嫌われ者の魔女なのだ。どうにもならない。

 とはいえ、いまほど、魔女になんてならなければ良かったと思ったことはなかった。

 ◆◇◆

 ジェリルがアメジスティアの占い小屋へやって来たのは、三月ほど前のことだ。この小屋は街はずれの目立たないところにあり、そもそも一部の人しか存在を知らない。

 また、その一部の人も、あまりここを利用していることを知られたがらない。魔女は呪われた忌まわしい存在であり、その力を借りることは良識と倫理に背くことなのだ。

 しかし、ジェリルは初めから堂々とここへやって来た。あたかも、隠し立てするべき何ものもないというように。

 その無邪気さにはいらっとさせられもしたが、同時に、つよく惹かれもした。

 思えば、そのときからすでにアメジスティアの切ない秘密の恋は始まっていたのかもしれない。

「ここが魔女の館か。思っていたより狭いんだな。何か不自由なことはないのか?」

 初対面のときからよくいえば率直に、悪くいうなら無神経にそう訊ねて来たジェリルに、アメジスティアはいらいらとしながら、一方でたしかに魅了されていた。

 いままで、ほとんど大きな失敗も挫折も経験せずに生きて来たような若い男。魔女として占いをなりわいとし、無明の闇のなかで暮らして来た彼女とは何もかも正反対の存在。気にならないはずがなかった。

 しかし、そこで素直にかれの歓心を求めることはできなかった。

「不自由なことは何もありません。仮にあったとしても、あなたには関係ありません。ここに何を求めていらっしゃったのか早く仰ってください。時間がありませんから」

 あえてつっけんどんにいってみた。きっとこの男は怒るだろうとそう思った。こういう貴族の嫡子は、褒め称えられることに慣れている。たかが魔女ごときの無礼な態度を許しはしないことだろう。そう予測したのだ。

 ところが、その予想は外れた。ジェリルはその世にも美しく整った顔でにっこりと笑って、彼女に向かって頭を下げたのである。

「すまない。わたしはどうも無駄口が多いらしいんだ。変えようとしても変えられないから、どうか我慢してもらえないだろうか」

「無駄口をつつしめば良いじゃないですか」

「うん、そうしようとしているんだが、どうもきみのような可愛い女の子をまえにすると、どうしても口が止まらないんだ。それにしても、魔女というのは可憐なものなんだな。もっと陰険そうな老婆を想像していたよ。魔女はみんなきみのように可愛いのか?」

「それが無駄口だというんです!」

 アメジスティアは思わずまっ赤になってその場に立ち上がっていた。そんな彼女を、ジェリルは面白そうに眺めた。

 彼女はしかたなく視線を逸らして椅子に座り直した。いつも冷静沈着であるべき魔女が、感情をあらわにしてしまったことが悔しい。

 それでも、このときはからかわれているのだと思った。あるいは、だれに対しても同じように褒めて見せる軽薄な男なのだと、ほとんど軽蔑に近い感情すら抱いた。

 それが、ただほんとうに心の底から思ったことを素直に口にしているのだと気づいたのは、かれともっと親しくつきあうようになってからである。

「で、何をしに来たんです? わたしは忙しいんです。騎士さまのつまらない無駄口につきあっている暇はないんですよ」

 そのとき、そう訊ねたアメジスティアに向かって、ジェリルは占いを求めた。どうやら、かれは伯爵家の嫡男として、妻を決めるよう求められているらしい。

 めったにいないほどの美貌の若者であり、しかも王立騎士団を束ねる身でもある。どのような美女でもより取り見取りのところだろうが、かれはそこで決定することができずにいるのだという。

 それで、騎士団の仲間から噂に聞いた魔女の占いに頼ることにしたのだそうだ。

「贅沢な悩みですね」

 アメジスティアが皮肉を込めていうと、ジェリルはごく素直に「まったくだ」とうなずいた。

「わたしのような未熟者でも、結婚したいといってくれる女性はたくさんいる。だが、しょうじき、たくさんいすぎてひとりに決めきれないんだ。魔女どの、あなたはそのような悩みを抱いたことがないか? たとえば、食卓に出された料理がどれも美味しそうで、しかも食べきれないほど量があるので、どれにしようか迷ってしまうとか」

「贅沢な悩みだといったはずです」

 アメジスティアはあっさりと切って捨てた。

「わたしにはそのような悩みを抱くほどの余裕はありません。わたしのことを妻にと望むような男性には、いままでひとりも出逢ったことがありませんから」

 そのように言葉を付け足してしまったのは、あるいは、目のまえのその男があまりにも無垢に思えて、少し傷を残してやりたくなったせいかもしれない。

 しかし、ジェリルはむしろ驚いた様子で、魔女のひとみをのぞき込んだ。

「ひとりも? そうか、世の中の男たちは見る目がないのだな。こんなに愛らしい女性なのに。しかもひとつひとつの受け答えもしっかりしていて、聡明さがわかる」

「――いま占いますから、そのなめらかな口をとじていてください!」

 そういって魔女帽子をさらに深くかむったのは、赤面しているに違いない顔をからかわれることがいやだったからだ。

 そして、彼女は意識を集中し、水晶球にありったけの魔力を注ぎ込んで、それをのぞき込んだ。

「この球に、あなたの運命のあいてが出て来ます。そういうあいてがいるとしたらですが」

「わかった。頼む」

 打って変わって真剣にうなずくジェリルの顔を見て、アメジスティアはなぜだか胸にわずかな疼痛を感じた。

 魔法の才能を持つ孤児として生まれ落ち、魔女の家にひき取られてから十七年、こんな想いはまったく経験したことがない。とにかく、早く終わらせしまおう。そのように思って、あらためて水晶球を凝視する。

 そこに、ひとりの女性の顔が浮かび上がった。白皙の膚、深い思慮を示す切れ長の紫いろのひとみ、二重の瞼、ちいさな鼻、いまだ、だれにもキスされたことがない、わずかに青褪めた唇。

 その顔立ちには、不思議と見覚えがあった。いな、それはまさに毎日、鏡のなかに見いだしているその顔に他ならなかったのである。

「わたし!?」

 アメジスティアは悲鳴をあげて飛び上がった。

 そのようすを見てどう考えたのか、きょとんとした顔で水晶球をのぞき込んだジェリルが、パッと表情を輝かせる。

「そうか、魔女どの。きみが、わたしの運命のあいてだったのか!」

「ちょ、ちょっと待ってください。そんなはずはありません。魔女は恋愛なんてしないんですから! これは何かの間違いです。そうに違いありません」

「道理で話していて楽しいはずだ。運命のあいてなのだからな! いや、こんなところにわたしの理想の女性が暮らしていようとは、想像もしていなかった」

「聞いて!」

 そのとき、どうやってジェリルを追い払ったのか、アメジスティアはよく憶えていない。しかし、とにかく、それからこの若い騎士は、何かと理由をつけて、この小屋に通い詰めるようになったのであった。

 それで、アメジスティアはかれの人柄や経歴についてくわしく知るようになっていった。酸っぱいものが苦手で、反対に甘いものに目がないこと、音楽を聴くことが好きだが、自分自身は音痴なこと、剣技においては騎士団一だと誇りを持っていること。かれ自身が、訊いてもいないのに話してくれたのだった。

 アメジスティアは、なるべく素っ気ない態度を取るよう努めたのだが、ジェリルはそんなことは気に留めたようすもなかった。かれはいつも明るく、快活で、負の感情と縁がなさそうに見えた。

 そして、ある雨の日、きょうはさすがに来ないだろうなと悄然としたとき、初めて、アメジスティアはいつのまにかジェリルの来訪が楽しみになっている自分に気づいた。

 悪い傾向だった。認めたくないが、認めないわけにはいかない。自分はこの呑気な騎士に恋をしているのだ。

 魔女の恋。

 それは、決してあってはならないものである。もし、自分がかれとの未来を望んだなら、かれの経歴を台なしにしてしまうだろう。そんなことはできない。

 しかし、それでも、かれのことを想って水晶球をのぞくたび、アメジスティアの顔がそこに浮かんだ。この魔法の水晶球を使った占いの結果は、アメジスティア自身でもどうにもならない。信じられない結果を、しかし彼女は消し去ることはできないのだった。

 ◆◇◆

 そうして、いま、アメジスティアは住居を兼ねた占い小屋にひとり残り、しょんぼりと立ち去ったジェリルが置いて行った薔薇の花束を花瓶に生けながら、考えに沈んでいた。

 この三月のあいだに、彼女はジェリルのいろいろな側面についてじつに深く知るようになった。

 かれの初恋の女性の名前も知っているし、ほんとうなら隠しておきたい些細な癖も見抜いてしまっている。

 かれの笑顔。かれの悔しそうな顔。泣き顔。すべてが愛おしい。

 孤児として生まれ、魔女として育ち、一生、恋ごころなどとは縁がない人間であると思っていた。あるいは、思い込もうとしていた。

 しかし、それはできなかった。魔女とはいっても、ひとりの、あたりまえの女の子であり、ふつうに恋をすることもありえるのだ。

 その、平凡といえば平凡な真実を、アメジスティアは思い知らされた。

「だって」

 ひとり、暗い部屋のなかで呟く。

「あんなふうに迫られたら、だれだって好きになっちゃうよ」

 いつもくるくると変わる、かれのその表情が好きだ。

 よく何げなく手を組む、そのほっそりとした指さきが好きだ。

 あいてが魔女であっても決して見下したりせず、あくまで対等に話し合おうとするその態度が好きだ。

 伯爵家の子息として贅沢に育っているからか、食べものに好き嫌いがあり、しかし騎士団ではまわりと合わせて何でも食べているところが好きだ。

 貴族育ちのために無邪気で、世間の悪意を知らず、しょせんお坊ちゃんの甘えん坊でしかないその甘さが好きだ。

 かれの長所も、欠点も、そのすべて、何もかもが好きでならない。

 しかし、好きだからこそ、恋をしているからこそ、かれをあきらめなければならないのだ。そう、伯爵家出身の若き騎士団長のあいてに、魔女はふさわしくない。

 アメジスティアの若く、白く、なめらかな頬を、ひと筋の冷ややかな涙が伝わっていって、ぽとりと床をぬらした。

 なぜ、人を好きになどなってしまったのだろう。恋など知らなければ、こんなに辛い思いをすることもなかったのに。かれを知ったあとでは、ひとりでいることはもう、あまりに寂しすぎる。

 彼女は孤独を癒やされることで、初めて、自分がどんなに孤独であったかを知ったのだった。何よりも最も知りたくなかったことを。

「愛しています、ジェリル」

 優しく薔薇を撫ぜると、その棘が刺さり、ひと筋の血が流れおちた。

「気が狂いそうなくらい、あなたを愛している。だけど、だからこそ、あなたの想いは受け入れられない。わたしは、予言をする〈夜空の魔女〉だから」

 さらに棘を握ると、疵口きずぐちに、鋭い痛みが奔る。しかし、その苦痛も、心の痛みに比べれば何ほどのこともなかった。

 手ひどくプライドを傷つけられたジェリルは、もう二度とここに来ないだろう。そして自分は、もう決して真実の愛を得ることはないだろう。

 それで良い、それが正しいと思いながら、彼女のむらさき色の眸からは、止めようもなく冷たい雫が流れつづけた。それは、あたかも彼女の消し切れないかれへの想いがそのままに流れ出しているかのようだった。

 そうして、どのくらい、暗いへやのなかにひとり、佇んでいたことだろう。アメジスティアは、ゆっくりと涙をぬぐった。いつまでもこうしていてもしかたない。この恋ごころとは、きょうでお別れだ。これからは、いままで通りに、ひとりで生きていこう。

 彼女はじくじくと痛む指さきをくちびるで舐めながら、ちいさく呟いた。

「ひとりでも、生きていけるよね」

「ばかをいえ。きみがひとりで生きていけるはずがないだろう」

 どこからか聴こえて来たその言葉に、思わず、きゃっとその場で飛び跳ねた。そこに、いままで見たことがない表情を浮かべたジェリルが立っていた。

「ど、どうして?」

「どうしても納得がいかなかったから、あらためてきみの本心を聴き出そうと帰って来たんだ。本心から断られているならしかたがないが、どうしてもそうとは思えなかったからな。自分でもおどろきだよ。わたしがこんなに未練な男だとはな。しかし、それは正しかった。ほら見ろ、やっぱりきみもわたしのことを好きなんじゃないか」

 ジェリルは懐から白い手巾ハンカチを取り出すと、アメジスティアの傷ついた指さきをそれで巻いた。アメジスティアはただひたすらに凍りついて、なすがままにさせた。

 いったい何が起こったのか、まったくわからなかった。ただ、あきらかなのは、良くないことが起こったということだった。隠すべき秘密は隠し通さなければならない。

 だから、彼女は、どうしても止められない涙を懸命に止めようとしながら、恋する男をにらみつけた。

「あなたのことなんて、全然好きじゃありません。大嫌い」

 ジェリルはちいさく吐息した。

「嘘つきだな、きみは。そうやって、ずっと本心を隠して、ひとりで生きていくつもりか」

「ひとりでも生きていけます」

「それも嘘だ。きみは、自分自身までだまそうとしている」

 騎士は、魔女の傷ついた指さきに、そっと、愛おしそうにくちづけた。

「いっておくぞ。わたしは怒っているんだ。きみが自分を傷つけるような生き方をしていることを。なぜ、わたしを信じてくれない? そして、自分を信じない? 自分がひとに愛されるにふさわしい存在であることを、認めようとしないんだ」

「だって、わたしは魔女――」

「そんなこと、知ったことか!」

 ジェリルは乱暴にアメジスティアの腰を抱くと、彼女のくちびるに己のそれを重ねた。アメジスティアは力なく抵抗したが、やがて、かれに身をまかせた。真に互いを想い合う恋びとたちだけが知る、かぎりなく甘い、甘やかな時間がそのままに過ぎてゆく。

 やがて、ジェリルがからだを離したとき、アメジスティアはようやくに涙が止まっていることに気づいた。

「ひどいです」

 彼女はささやくようにいった。

「ようやくあきらめたのに、これじゃ、あなたと離れられなくなっちゃうじゃないですか」

「離れなくていい。わたしたちは、ずっといっしょにいるんだ。もういちどいう。わたしの妻になってほしい、アメジスティア」

 ジェリルは、ぎゅっと力強く彼女のそのかよわい肢体を抱き締めた。アメジスティアは、どうしようもなく切ない想いで、騎士のその厚い胸板を両手でぽかぽかと叩いた。

「ばか。ほんとうにばかです、あなたは」

「ばかでかまわない。きみが、ずっとわたしのそばにいてくれるなら」

 それ以上は、もう、言葉にはならなかった。ジェリルは、今度は、赤ん坊にするように優しく、かれの恋びとにくちづけた。長く、優しい愛の時間が過ぎていった。

 やがて、そのくちびるが離れたとき、アメジスティアはもう、決してかれと離れられないことを悟っていた。どんなに不幸になるとしても、あるいはあいてを不幸にするとしてさえ、決して離れられない間柄がある。彼女とジェリルは、そのような不離の恋に落ちたのだ。

 こうして、翡翠紀は薔薇王朝の若き英雄、騎士団長は、ひとりの可憐で聡明な魔女の花嫁を手に入れたのだった。

 それからのことは、いまでは街の人々の語り草になっている。

 占い小屋の魔女を妻にすることを反対する薔薇王に対して、かれがどのような啖呵を切ってみせたか、また、彼女のことを笑った同輩に対し、どんなに立派に決闘を挑んだか、あるいは、いまや夫婦となったかつての恋びとたちが、そののちふたりの子供を得て、どれほど幸せに暮らしたのか、それらはすべて、いまでは都のだれもがくわしく知っている通りだ。

 それは街はずれに住む魔女のものがたり、そうして、ひとりの心寂しい女の子が、愛する人とともに、あたりまえの幸せを手に入れるまでのエピソードである。

 そう、いまはもうすべて、遠い、遠い、恋のお話ロマンスなのだった。
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